マタイ16:24
それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
「わたしがあなたがたを癒いやすことができるように,…悔い改めなさい」(英文)2009年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
今日,耳を傾けている皆さんの中には,重大な罪に立ち向かうために「心の中〔の〕大きな変化」(アルマ5:12) が必要な人がいるかもしれません。神権指導者の助けが必要になることもあるでしょう。ですが,多くの人の場合,悔い改めは,必要とされる変化を起こせるよう主の助けを求めながら,静かに,自分の中で,毎日行っていくものです。
ほとんどの人にとって,悔い改めは一度きりの出来事ではありません。それは旅のように続きます。悔い改めは簡単ではありません。変わるというのは大変なことなのです。逆風に立ち向かい,流れに逆らって泳ぐことが必要です。イエスは言われました。「だれでもわたしについてきたいと思うなら,自分を捨て,自分の十字架を負うて,わたしに従ってきなさい。」(マタイ16:24) 悔い改めとは,不正直,高慢,怒り,不純な思いといったことに背を向け,それらとは違う,親切,無私の心,忍耐,霊性といったことに目を向けることです。それは向き直って,「再び神に立ち返る」ということなのです。
特に何について熱心に悔い改めるべきかを知るには,どうすればよいでしょうか。愛する人や友人から変わるべき点を指摘されると,内面にある,生まれながらの自分が頭をもたげ,このように言い返してしまうことがあります。「わたしが変わるべきだと言うんだね。それなら,あなたの欠点について言ってあげようか。」これよりも良い方法は,へりくだって主に願うことです。「父よ,わたしがどうするのがよいとお思いですか」と祈るなら答えが得られます。自分の何を変えたらよいのかを感じるようになります。主は,わたしたちの思い,そして心に告げてくださるのです。(教義と聖約8:2)