Holy Week マタイ27:46 生きて変わらぬ主,御名に栄えあれや | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

復活祭の一週間

 

 

マタイ27:46
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。


「生きて変わらぬ主,御名に栄えあれや」(英文) 2010年4月、リチャード・G・スコット、十二使徒定員会
贖罪が御父と御子の双方に要求したものは何か想像してみるのは有益であるとわたしは信じています。救い主は3つの課題に直面されました。

まず,計り知れないほどの責任の重さです。これを完全に成し遂げないかぎり,天の御父の子供たちは一人もみもとに帰ることができないということを救い主は御存じでした。子供たちは御父の御前から永久に追放されます。なぜなら律法を破ったことを悔い改める方法はありませんし,清くない者は神とともに住むことができないからです。御父の計画は無効になり,霊の子供たちは皆,永遠にサタンの支配の下で苦しむことになるのです。

第2 に,絶対的に清い思いと心をお持ちの救い主が,人類が出遭うあらゆる苦しみを,最も邪悪で卑劣な罪が引き起こす苦悩までも経験なさらなければならなかったということです。

第3 に,救い主は,肉体的にも精神的にも限界まで追い込まれているときに,サタンの手下たちの猛烈な攻撃に耐えなければなりませんでした。そして,力が限界に達し,最も助けを必要としていたときに,わたしたちには十分理解できないある理由のために,御父は重い責任を救い主御一人に背負わせ,救い主が御自身の力と能力のみで担うに任されたのです。

救い主が十字架の上から「わが神,わが神,どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたときマタイ27:46マルコ15:34,天の御父はどんなに激しい苦悩にさいなまれておられたか,わたしは想像しようと努めています。天の御父は十字架上の御子をお見捨てになったのではないとわたしは信じています。イエスは,常に御自分を支えてくださった御父の助けが取り去られるのを感じたために叫ばれたのだとわたしは信じています。救い主がほかの助けなしに御自分の力だけで贖罪を完全に欠けるところなく成し遂げる必要があることを御父は御存じでした。御父は,御子をお見捨てになったのではありません。御自身の完全な御子が贖罪の永遠の実を勝ち取ることができるようにされたのです。

贖罪のすべての効力を十分に理解できる人は,死すべき人間の中にはだれもいません。

イエス・キリストの贖罪の重要性についてわたしたち一人一人がさらによく理解できるよう努めることはどうしても必要です。その理解は,人生を築く揺るがぬ土台となるからです。土台となる標準のない世の中,欲望の追求の陰で尊厳や徳,清さが廃れてきている世の中にあって,イエス・キリストの贖罪を理解し,贖罪に信仰を持つならば,幸せな人生を送るために必要な強さと力が得られるでしょう。そしてそれは,試練のときに自信を,混乱のときに平安を与えてくれるのです。