Holy Week マタイ26:38-45 主を待ち望む-みこころが行われますように | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

復活祭の一週間

 

 

マタイ26:38-45
そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。 そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。 それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。 また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。 またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。 それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。 それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。 


「主を待ち望む-みこころが行われますように」2011年10月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
わたしたち一人一人は,自分の理解や想像を超えて主に愛されているのです。互いにより優しく,また自分自身にも優しくありましょう。主を待ち望むとき,わたしたちは「主なるキリストの贖罪により……聖徒となり,……従順で,柔和で,謙遜で,忍耐強く,愛にあふれた者となり,子供が父に従うように,主が〔わたしたち〕に負わせるのがふさわしいとされるすべてのことに喜んで従〔う〕」(モーサヤ3:19) ことを忘れずにいましょう。

救い主がゲツセマネの園で御父に示された従順はそのようなものでした。主は弟子たちに「わたしと一緒に目をさましていなさい」と切にお求めになりました。しかし,3度,戻って御覧になると,弟子たちは眠っていました。(マタイ26:3839-45も参照) そばには弟子たちも,そして最後には御父もおられず,救い主はわたしたちの「あらゆる苦痛と苦難と試練」(アルマ7:11) を受けることをお選びになったのです。天使が遣わされて主を力づけ(ルカ22:43参照),主は身を引かずにその苦い杯をお飲みになりました。(3ニーファイ11:11教義と聖約19:18-19も参照)「みこころが行われますように」(マタイ26:42) と言いながら御父を待ち望み,へりくだり独りで酒ぶねを踏まれたのです。(教義と聖約76:10788:106133:50参照) この末日の十二使徒の一人として,わたしたちが強められ,生涯にわたり主と一緒に目を覚まし,主を待ち望むように祈ります。

この安息日の朝に,わたしも皆さんも,それぞれの「ゲツセマネにおいて」独りではないことを感謝します。わたしたちを見守っておられる主は,「まどろむこともなく,眠ることもない」(詩篇121:4) のです。現世でも来世でも,主の天使たちが「〔わたしたち〕の周囲にいて,〔わたしたち〕を支える」(教義と聖約84:88) のです。主の約束が真実であると,特に証します。主は「主を待ち望む者は新たなる力を得,わしのように翼をはって,のぼることができる。走っても疲れることなく,歩いても弱ることはない」(イザヤ40:31) と言われるからです。信仰をもって力強く進むことにより主を待ち望み,祈りの中で「みこころが行われますように」(マタイ26:42) と言うことができ,そして誇りをもって主のみもとへ戻れますように。救い主,贖い主イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン