みなさま、本日もありがとうございます。
昨日は更新できず、失礼いたしました。

今回も、不登校の娘にしていた
小学生時代の授業の
備忘録の話です。
今回は、自作プリント作成についてです。
1 授業形式と授業の目標
基本的には、
小学生のときは小学生の教科書、副教材、
そして、市販の教科書準拠の問題集1冊、を
メインに授業を行っていました。
問題集を解きまくることも大切ですが
それは定期テストや入試のためで、
私立中学受験を予定してなかった我が家では
中学での勉強を見越して
「論理的思考をつくること」
を主軸に、授業していました。
そして
授業形式は
集団授業では絶対できない
「
対話形式」のもの。

集団授業でも対話形式ができないわけでは
ないですが、多くの生徒さんがいると、
それぞれの思考パターンや価値観、
気合いが入る内容や萌えポイントなどが
違うので、
お互いに考えをガチで話すことができる
対話形式は難しいと思います。(絶対に無理なわけではないですが。)
特に中学校だと、「内申点の評価」が
関係してくるので
生徒側は
心の底から思うことを言えないでしょう。
内申点で将来(高校受験)がかわってくる、
それを感じ取っている生徒さんは多いから。
先生側も
先生自身はそのつもりで言ってないのに
誤解をうみやすい発言(たとえば、国防の大切さを話したのに、それが侵略戦争をしたい!と
先生は思っている、と
生徒さんに勘違いされたりする、など。
先生本人は、江戸時代の国防で、
自国の地図を外国に持ち出されないように
することの危険性について話したいだけ、
だったりする。などなど)もあるので、
当たり障りのないことしか言えなかったり。
でも、親子での対話だと、
相手が誤解しているか?が
相手の発言や表情からわかることが多いので
ガチな考えを親の方も述べられるし
子供の方も、授業の発言内容が評価に
繋がらないから、
あらゆる疑問もガチガチに話したり
納得できないことを納得できない!と
怒っても、
そこで親に何か諭されたり、
人格否定されないので、
ガチな対話の授業しやすいです。

例えば、娘の場合、
円周率は3. 14で、円周や円の面積計算して良い、ということが納得できず、1日中、それで時間が過ぎてしまったことがあります。
娘としては
「正確な答えを出せ、と普段は言うくせに、
そこだけ、いくら、
割り切れないものなのだからって
約3.14で計算しても良い、と言われても困る。
正確に、と、ある程度、の明確な境界線がわからん!」と怒り出しました。
ただ、このようなタイプの怒りは、
パニック由来ではないので
癇癪にはなりません。
怒りの理由を
「言語化」できていれば
癇癪はおこらない。
癇癪がおこるのは「パニック」ベースなので。

自分が何がわからないかわからないときに
周りから馬鹿にされる、人格否定される、
という未来しか予測できなくて、
でも、その未来を回避する方法がわからなくての
「パニック」。
今回は「だいたいの数で良いときと、だいたいの数では駄目なときの、境界線がわからないから!」
と言えているので、怒るだけですみます。
これについては、布団に入ろうがご飯を食べようが、ずっと疑問を口にしているので、
私も娘が欲しい答えがわからないので、
二人で暇さえあれば話し合ってました。
ただ、1つのことに集中して、先に進めないと
テスト、問題集で点数をとれなくなります。
「点数をとれなくても、自分は勉強得意!」
「点数とれないけど、勉強好き!」と
思える、公言できるような
ハガネメンタルは娘にはありません。
「問題解けるから頭が良いわけではない」では
ないけれど
「問題解けないと自信がなくなるから
問題を解けるに越したことはない」
と私は思ってます。
なので
ASD由来のこだわり、過集中は
可能な限り好きにさせてあげたいし、
こだわった結果、生み出される産物の
おかげで上手くいくこともあるので、
「こだわり」「過集中」は
ASDの強みであるとは思います。
でも、「こだわり」のせいで前に進めない、
「過集中」しすぎて体調不良になる、
というのも目標達成できなくなるので
うまくバランスをとることを
ASDで生き延びた経験の先輩である私が
微調整していく必要はあるんですよね。
ある人から
「ASDの親なんて子供をまともに育てられない」と
言われたことがありますが
「ASDの親である私が教育の権利を行使し
目の前の子供が、少しでも生きやすくなる
ように努力することは罪ではあるまい」と
思って、可能な限り、頑張り続けたいんです。
ちなみに、先程の円周率問題は
最終的に、私が
「ストーンヘンジは暦を測れるようになっているという説がある。円形の物体を自分たちよりも大きい建物で考える上で、円周率の小数点第2位以降の極めて細かい数値にこだわるより、多少のズレがあっても円形を描いて、それで暦をつくって、食べ物を確実に得られる、自然災害から逃れるようにしないと、生き残れないのでは?(ストーンヘンジが作られたときに円周率があった、という意味でなく、多少の数値のズレを気にしないのは、確実な正確性より、ある程度で良い、というのは、生活に必要か否かで境界線をひけば良い、と納得してもらうためです。)」と何気に思いついて話したときに
娘の中で納得できたみたいです。
2 ASD児のこだわり対策
ただ単に、
「3.14で計算すればいい。皆はそれでやってるよ。」なんて言ったら最後、癇癪がとまらなくなるでしょう。
なので
「確かに、正確な数値でなくても良い理由を
うまく私も見つけることができてない。
だから、それは、
ツチノコ預かり案件にしよう!」
と言ってます。
「ツチノコ預かり案件」とは
私の造語です。
「ツチノコのように、
存在するかしないか
わからない生き物に、
ツチノコという名称(単語)を
与えることで、
存在を暫定的に確定し、
その形を未来まで持ち越して、
いつかその答えを見つけられる技術や知識や
情報を手に入れられたときに、再度、
その案件を考えよう」
というものです。
「本人のこだわりは否定しない。
一時的に封印する、という形で、肯定をする。」
そうやっていくと、
「とりあえず、妥協して、言われたやり方で解く」
「先の内容まで進んでいく」
ということができます。
定型発達の人からしたら
発達障害の子の「こだわり」は
不要なもの、邪魔なもの、劣っているもの、
と思うかもしれませんが、
発達障害の子からしたら
「こだわり」そのものまで「自分が自分である証拠」であるので、
安易に「こだわりを否定される、
自分そのものを否定された」と
思い込んでパニックになりやすいかも?と。
パニックになると、いくらこちらが
人格否定の意図はない、と言っても
信じなくなってしまいます。
(あくまで娘の場合は、の話です。)
また、学習内容(とくに歴史や理科の内容)で
私もわからないことがあったときには
「情報のオーパーツがあるのかも?」
「情報を読み取るのに、
欠けているパズルのピースがあるのかも?」と
自分の理解度不足は
安易に「自分は、学校の先生の言うように
集団生活できない、空気も読めない馬鹿だから、
勉強もできないんだ!」と思わずに、
理解できない原因のオーパーツ、欠けているパズルのピースを探す方に思考をシフトします。
そのときに、すぐに探せなかったときは
「オーパーツや欠けているパズルのピースを
探すことは、ツチノコ案件」にしています。
(娘のみが探せないときや
私自身が授業カリキュラムを組むうえでは
オーパーツや欠けているパーツを知っているときは
予め言う事はあります。)
ツチノコ案件にしていると、何気にテレビなどを
見ていたときに、突然、そのオーパーツや欠けているピースの情報をダイレクトに知ることができたり、それらの内容を自分で見つけるヒントになったりするので。
最近では、
学校の授業で教えられたとき、
フランス革命の教え方に違和感を感じていたのは、
易姓革命の考えたをベースに西洋の革命を考えて授業をしていたからでは?
と気がつきました。
「フランス王家や貴族が、暗愚だったから革命が
起きた」という視点は「東アジアの易姓革命の建前の考え方」です。
実際には「基本的人権を獲得するため」で
そこで王家や貴族と平民が対立した結果おきたのが
フランス革命。
しかし、学校の授業で「施政者に対する不満で革命がおきた。」「勝利した人は、人格が良かったから」という視点ではなされ、それで当時の私は「???」となっていたんだな、と。(学校の先生すべてが同じ授業をするわけではありません。)
つまり、これがオーパーツをみつけたとき。
そこの場所、その時代に存在してない(多数派のは考え方でないもの)で歴史を見ているから
わかりづからかったんだ、とわかりました。
フランス革命のときに、
「易姓革命」の概念はフランス革命でのオーパーツです。
またアメリカの株価の大暴落から世界恐慌が
始まったという内容で、
なぜ突然株価の大暴落がおきたか?の
カラクリがわからなかったのですが
それは
「この時期の少し前までは株の売買は、
かなり株のことを知っている人々しかしていなかったのが、この時期(1929年あたり)には、
株の売買は、株のことを何も知らない人も
買うようになったから」と
いうのを知り、
それがただの株価の低下でなく大暴落をひきおこしたのかもしれない、と思いました。
つまり、パズルの欠けていたパズルのピースは
「株の売買を行う人達はどういう人だったのか?」の視点が抜けていたからなんです。
このように、娘が年齢相応の内容を習うとき、
そこには、娘にとっての
「オーパーツ」や「欠けているパズルのピース」が
たくさんあって、
それをすべてツチノコ案件にはできないので、
その「オーパーツ」や「欠けているパズルピース」を知るための必要な最低限の知識も視点も小学生の時の娘は持っていないため、
そこを説明するのに、ちょうどよい本がない!
じゃあ、作るしかない!
ということで、自主作成して、ということを
していました。

そのときに必要なものの備忘録の画像が
下のものです。

私は中学生、母親がつくる問題プリントで
テスト対策をしていたので、
その問題プリントが何よりも好きでした。
とくに英語は、あらゆる知識や思考がないと
解けないような母のオリジナル問題だらけ
だったので、解くのにかなり全身全霊で
臨まなきゃいけなく、それがかなりの
集団生活でうまれたストレスの解消
になってました。
また、
私は大学の部活(能楽部)で、
マンガ作成や説明冊子を作る楽しさを知りました。
その後、塾講師、家庭教師になって、
「教科書やテキストだけだと、系統立てて
情報整理できないし覚えられない!
とくに、英語と社会!」と焦り、
補助参考書や補助問題集を作るようになり
そのため、今は
「マンガ」「絵」と「勉強」をうまく
融合したもので、ASDの子の自宅学習の
助けになるものを作れないか?と
模索しています。
3 パソコンでなく手書きしている理由
娘の授業に対しては
完全なる個人的な同人誌なので
パソコン制作でなく
オール手書き、手描きでの本に
しています。
理由は、パソコンって、
電源をつけてから立ち上げに時間がかかり
アップデートとか、突然のフリーズとか、
そういう時間のロスもあり、
家事の合間にできないのです。
パソコンで作成することはできますが
あえてパソコンを使ってないのです。
不登校の娘は家にずっといます。
定型発達の子は、
突然、ふとした瞬間にパニックをおこし
癇癪をおこすこと、はない?少ない?と
思います。
しかし、娘は癇癪おきたら、すごく暴れるので
パソコンを本人が壊すつもりはなくても
パソコンを壊してしまうこともあります。
癇癪で暴れると言っても
他人を殴ったりの加害はなく、
ひたすら床モップ、でグルグル回ります。
パソコンが壊れると、そのとき
作ったデータがすべて駄目になってしまうことも
ありえます。
娘の場合
「パソコンでないプリントを見ると
その人はパソコンを使えないくらい
学力がないと心配になるため
そのプリントの内容を学んでも
自分には学力がつかないかもしれないと
思えるため、勉強内容が入ってこない」と
いうナゾの理論を言うわけではないので。
まあ集団授業では、
信頼度というのも必要ですし、
諸々の事情で
パソコンの文字の方が読みやすい子がいるのは
わかっているので、
私も集団授業をする際はパソコン作成します。
ただ娘の場合は私の手描き文字も読むことが
できるため、私は
5分くらいの短い間にちょこちょこ作成、
突然起きた癇癪でも壊れることはない(ビリビリに破かれなければ修正可能)紙で作成したほうが
長く自宅学習は続けられる、と。
作った原稿は
家にある複合機で印刷して
ホッチキスでとめて、冊子にしています。
時間に余裕があるときは表紙絵も描いたりも。
プリントって、1枚、1枚、バラバラにしていると
無くしやすいんですよね。

それを本の形にすると、無くなりづらい。
作っている方も、同人誌が完成した時の
不登校の子の育児は辛いし、
家計も苦しくなる一方。
「不登校になったのは母親の責任!」と
学校側には批判されてばかりだけれども
不登校だからこそ生まれた作品づくり!と
いう一筋の光は感じます。
次回は、自宅学習するときに
学校や塾では絶対に無理だけれども
これがあったので便利だった、
自宅ならでは!な話をしたいと思います。