「育児書にない!&しゃかりき!」〜元塾講師&ASD母子&不登校勉強対策用のブログ -26ページ目

「育児書にない!&しゃかりき!」〜元塾講師&ASD母子&不登校勉強対策用のブログ

ASD当事者で、子供もASDです。元社会科塾講師です。
不登校の娘への授業記録、歴史の勉強で自分たちが勉強しやすいように情報整理した内容、ASDなりに勉強して生き抜いていきたいこと、についても語ります。

2025年春に、塾講師ブログ「しゃかりき!」と合併しました。

昨日もありがとうございました!

今回は完全新作漫画です。ニコニコ

最近、発達障害、ASD、ADHDという言葉が
世間に認知されるようになり、
その分、発達障害に対する勘違いを
される方も多くなったなぁ、と
感じるので、それで書きたいことを
漫画で描いてみました。


あくまで、私自身の体験から書いたことで
専門的な話ではありませんので
ご了承して頂けると助かります。








問題行動をおこす子の中に
一定数、発達障害の子はいます。

でも、だからといって

「問題行動をおこす子 = 発達障害児」では
ない、ということを言いたいです。


発達障害が悪いとか劣っているという
意味ではありません。


発達障害でないのに
発達障害に合う指導方法をされても、
その子は問題行動をやめません。
問題行動をおこす根本的な問題行動を
解決する
必要もあります。

問題行動は
「自分を助けて!」の意味もあるから。

例えば、自分に関心のない親にかまってほしいから、わざと問題行動をおこしたり、
自分の中でなにかモヤモヤすることがあるから
むしゃくしゃして…とか。


また同様に

発達障害児の子供に
定型発達の子に有効な指導をしても
問題行動をやめない子はいます。

その場合、先生は、
「頭がおかしい子」
「性格が腐っている子」
という烙印をその子におしがちです。


でも、発達障害の子に合う指導方法を
したら、
その子は
「真面目な子」
「悪いことをしない礼儀正しい子」
と評価されたり
することもあるのです。


指導方法次第で
発達障害の子の評価は
180度変わってきます。


また問題行動をやめない
発達障害の子の
中には、工学や科学に
興味がありすぎるあまりゆえの
問題行動、
というものもあります。

問題行動をおこすのが
良いとは言えません。
問題行動をおこすことは
怒っても良いと思います。

でも、その問題行動をおこす
根本理由を責める必要はなくて、
根本理由をつきつめて、
それを、別の形で
発揮させてあげる
よう指導するのが良いのかな?

と思います。


こちらはあくまで
私個人の考えを書いたものです。
これが絶対的な意見ではありません。









みなさま、昨日もありがとうございました!

昨日までブログに連載していた
「歴史が苦手だった私が社会科塾講師になった理由」は
最終回(最終回はこちら)を
迎えましたが、
その最終回で描いた娘と私の会話の部分を
詳しくピックアップしたお話です。

「これで、戦争賛成と思われたらどうするの?」とご指摘頂いたことがありますが、
私としては「戦争は悪いもの」が前提の
つもりで描いてたので
そういう見方をされるかたも
いらっしゃるんだ、と
色々と考えさせられました。

なので、末尾に注釈を入れさせて
頂きました。

戦争は悪いものという前提で

戦争はなぜなくならないのだろう?

を考えた話です。













幼稚園に行きたがらないのは

うわべの騙し

に騙されないから、
という意味で、
幼稚園に楽しく行く子供は
戦争賛成派になる、という
意味ではありません。





ASDの娘は
言葉通りに受けとることはありますが
言っていることに矛盾があったりすると
すぐ気がつきます。
矛盾が多かったりすると
うわべだけの言葉か?
と思うみたいです。

それが不安感をかきたて
幼稚園に行けなくなりました。

娘の幼稚園の先生は
子供を動かしたいがために
「給食を残すと、農家の人に祟られるよ」
とか
「組体操をうまくできないと、
サンタさんこないよ」
「給食を残さず食べるのが
お母さんの願いだよ」
とか平気で言ってたから。
それを嘘だと気がついた今は
もう大丈夫ですが
幼稚園のときは
嘘か真実かわからなくて
辛かったみたいです。

農家の人は呪詛できるのかよ!!



このお話は、Twitterでラフ漫画として
描いてアップしたとき、
RT.と、いいね、をたくさん頂けた
作品です。

その分、アンチコメントや
いや、そういう意味で描いた訳じゃないのにという内容のコメントを頂いたことがあります。

アンチコメントを見ると

「この人は、私でなく、私に似た誰かに
対して不満や怒りがあるのだろう。
だから、ダブって私を攻撃してきたの
だろうな」

とか

「この人は、自分はもっと認められるべき
なのに、そうしてくれない。
私の作品に対して、自分は合わないと
思うのに、バズッているから、
まるで自分が否定されている気がする。」

という、自分の現状に不満があるからゆえの
コメントなのかな?
という感触を受けました。


当時は、私が悪いのかな?とか
描き方が下手だからかな?
という気持ちが大きかったのですが、

その気持ちのまま描くと

言い訳めいた内容になってしまうこと
に気がつきました。


そうすると、
本来、伝わるはずの人にも
伝わらなくなってしまう、
伝わらない人には
やはら伝わらずアンチコメントしか
もらえない


そうなっていきました。



なので、

勘違いされないように描くこと
差別的な発言をしないように気を付けること

の努力をしつつ、

全員に受け入れてもらう努力は
やめて、伝わる人にきちんと
伝わるように、

自分の伝えたい内容を描き続けよう!

と思います。


ではでは、一週間ありがとうございました!


これからは
過去の同人誌や
新作まんがを定期的に
アップしつつ、
育児や教育、ママ友さん、ご近所付き合い、
発達障害育児についてのつぶやきを
書いていこうと思います。


ご覧いただきありがとうございました!
昨日は漫画をアップできなくて失礼しました。

土日にすごく疲れてしまいました。

いや、大きい事件や不幸な出来事が
あったわけではありません。

お父さんが大好きなゲーム
「桃太郎電鉄」のswitch版のソフトが
出たので、さっそくお父さんが購入し、
家族三人でやりまくったら、
疲れただけ、という形です…。

ゲームするだけなら良いのですが
娘は初めてなので
やり方を教えたり、気を使うので。

でも桃鉄をプレイしまくると
地名や特産品や鉄道網も覚えられるので
地理を習うとき、すんなりその世界に
入れるのはいいかなぁ、と思います。


では、「歴史が苦手な私が社会科塾講師になった理由」の最終回をば。(まだ、おまけまんががありますので記事としてはまだ続きます。)








塾講師をしていて、
自分と同じような質問をしてくれる生徒さんには出会えませんでした。
たまたま、出会えなかった
だけかもしれませんが。


娘は、ASD、ADHDのためか
「なになに?」「どーしてどーして?」
が多いです。

私はそれが嬉しくて、
よく質問に答えてます。


でも、その質問をすると
「そんなことはテストにでない」
「それを考えて、何の意味があるの?」
と私はよく学校の先生に言われました。


母や祖父は、私の質問に答えて
くれてましたが、
小学校で散々バカにされてからは
質問したら、母や祖父も
私をバカにしたり仲間はずれにするのでは
ないか?
という不安で、質問できなくなりました。

大学からは自分で調べられるようになったので
小さい頃の自分の疑問を自分なりに解決できるようになりました。



ただ、生徒さんを教えていると

「ほとんどの人は、
そこまで深く考えてないんだな…」
と感じることが多くて。

まあ、思ってても私に言わないだけかも
しれませんが。



学校の先生よりは
塾講師の同僚とのほうが
話も合ったし、
パワハラ、セクハラ、にもあったけど、
学校のように理想主義でもなんとかなる
ような、年功序列な世界とは違って
実力が必要な世界だったので
学校よりは精神的には楽でした。
少なくとも、
「男に媚びる女性の先生」は
少なかったし、いたとしても
周りの人はそういう人を冷ややかな
視線で見てました。
異性にこびる人って怖くて…。


なので、

塾講師になってよかった!

とは思います。


でも、塾講師になっても
自分は孤独でした。


私のようなタイプの歴史好きの先生に
出会えませんでした。

歴史人物が好きな人はいました。
特定の時代を好きな人はいました。


でも、私は好きな時代や人物はいるけれど
一番好きなのは

「歴史を知ることで、
自分の無知や差別意識を自覚したり
理想主義による弊害を知って、
より平等で自由で生き生きした世界を
つくっていくには
どうすればいいか?の正義を考えて、
それを実行にうつすこと」

でした。


「歴史は繰り返す」し
「歴史は未来をつくる」ものです。


また、


「歴史を習う最大のメリットは
安全な場所から危険を疑似体験すること」

だと私は思ってます。

「戦争というのは、こんなに恐ろしいこと
だったのか!だから2度と戦争はしてはいけない!」というのを

戦争で実体験することのは
危険ですよね。
失うものが多すぎます。

しかし、それが
教科書や授業でなら?


私たちの生活は、
たくさんの犠牲と努力の上に
成り立っています。


歴史を知ることは、
自分達の人間の恐ろしさを知り
そして、悲劇を二度と繰り返さないために
とても必要なことなのです。


大人の都合の良い子供になって
もらうためのツールでも

趣味で知ればいいものでもありません。


歴史を学ぶことは
平和で平等で自由な未来を
つくるために大切なこと。


そのためには
成功例も不幸な出来事も、
よくある歴史の動きも
すべて知る必要があります。

全体把握をして初めて
思考ができます。

そして、思考するからこそ
質問、疑問を持つ。
だから、疑問を持って生き続けるのは
何も悪いことではないと思います。


今回は以上です。

あと一回、番外編をアップいたしますね。

ご覧いただきありがとうございました!



みなさま、昨日もありがとうございました。

昨日に引き続き「歴史が苦手だった私が社会科塾講師になった理由」です。

今回は第5話。

念願の社会科塾講師になった私。

しかし、社会科ゆえの大変さ、
塾講師ゆえに出るクレームなど
いろいろありまして…。







私は

「歴史は単語の暗記物」と思っていたから
思うように成績があがらず
高校三年の塾の夏期講習の
先生の教えである
「歴史は理解して初めて覚えられるもの」
ということがわかって、成績があがりました。

そして、大学で、歴史を知れば知るほど
歴史を理解して、覚えられることを
実感しました。
歴史だけでなく、
公民や地理も
「理解ができて初めて覚えられるもの」
と感じていました。


なので、塾講師になったら
「理解メイン」の授業をしよう!


と思って、実際にそれを実行しました。


中学1、2年生には好評で
小5の地理も好評でした。


しかし、中3と小6で
問題が…。


ただ小6は
授業内容うんぬん、のクレームではなく、

「受験の年に先生が変わること」
そのうえ
「新人」であり
さらに
「女性」
であることで

保護者から心配のクレームでした。


しかし、中3はひどいクレームの嵐。

その理由は


「説明ばかりで、
問題演習をやらせてくれない!」

だったのです。


塾は、中学校の定期テストを
生徒さんから借りて、それをコピーし
次の年にその問題を生徒さんに解かせて
いました。
学校の先生によっては
毎年、同じ問題を出す先生がいるので、

まさに「塾でやってたから点数とれた!」
という生徒さん多数、という形。

ただ、私はそのやり方は嫌いでした。

理由は

「理解してたら、どんな問題でも解ける」
「受験は、同じ問題は出ないから
ふだんから理解して覚え、
類推して解く力も定期テストのときから
身に付けておく必要がある」
と思ってました。


しかし、数人の生徒さんが
「過去問解かせるのが社会の授業!!」 
「解き方だけ教えろ!」
とクレームの嵐。


そして、数学至上主義上司であった塾長が
「社会なんて丸暗記科目なんだから!」
「勉強というのは、過去問を解かせて
解かせて、覚えてできるもの!」
と私に毎日、説教します。


そりゃ、数学はそういう面があるよ!

しかも、教科書は前から順番にやるから、
どの中学校も、ほぼ同じ問題を解かせれば
なんとかなる。

でも、社会は違う!

中学校によって、
地理、歴史のどちらを先にやるか
違っているうえに、
教科書改訂されると、問題の内容が
かわってくる。
とくに地理。
オランダ、カナダ、インドネシア、
をピックアップしてたのに、
新しい教科書になったら
イタリア、ロシア、フィリピン

になってたり。
過去問をつかえない。

二次方程式は二次方程式のままだけど、
オランダがイタリアになったら
問題つかえない。


時事問題が入ってるときもつかえない。


でも、それを話しても
数学至上主義上司は
「じゃあ、関係ある過去問だけやればいい!」
と言うけど、
小4から中3すべての授業準備も
徹夜してやっとできるのに
それ以上しろと?!


でも、意味のある、意義のある
努力ならするけど、
むなしい努力で睡眠時間を
削りたくない。


しかし、中3はクレーム、
授業ボイコットまでされる、
毎日夜中の2時までお説教、
休日出勤(サービス出勤)
だったので、
次第に精神的に狂っていって

もう中3だけは
問題演習をメインでやってました。



そのときは私が悪いのかな?甘いのかな?
と思ってたのですが、
次の年になったら、
私の授業は好評に…。
小5の子が小6に、
中2の子が中3に
なりました。

私の理解メインの授業は楽しい!好き!
と言われることもしばしば。


そのあとの勤務先は
もっと大好評に。

私は変わってません。


初年度の中3以外は

常に、理解メインの授業を
していただけです。



この違いは何なのか?
というのは、その塾をやめる直前に

ある人から聞いたことから
推論できました。

どうも、私が入社する直前に

当時は中2だった子供たちの中で

数学至上主義上司の
虐待に近い指導と数学至上主義に
反論して、その上司をやめさせようと
上層部にもちかけた保護者さんたちが
いたそうです。

しかし、上層部は数学至上主義上司を
やめさせなかったので、
その数学至上主義上司のやり方に
不満をもった人達は、一気に
退塾をしました。

そのあと、何も知らない子達が
入塾もし、
私が入社したときは
その中2の生徒さんは中3になってた、
そして、私にクレームをつけてきた、
ということです。


クレームをつけたのは、
その数学至上主義上司への
反乱があったときに
数学至上主義上司が好きだから
残った子達だったのです。


あとから入ってきた中3の子は
比較的私にはなついていたので
当時は????でしたが、
そういうことです。

残ってくれた子達ばかり
数学至上主義上司はかわいがるため
新参の生徒さんたちは
どの生徒さんにも公平に接する私のほうが
良かったのでしょう。


また、数学至上主義上司の聞き方が
おかしかったそうです。
「セザール先生の授業は
わかりづらいだろう?」
という誘導尋問のように聞くのです。

そりゃあ、生徒さんだって
「わかりづらい」と言うでしょう。

おかしいなぁ、と思ったのです。

匿名のアンケートでは
とくに「わかりづらい」という
クレームはないのに、

数学至上主義上司からは
「わかりづらいと、 また言ってたぞ!」
と言われるから。

数学至上主義上司のもとで
働いていた新人で
そのときに
唯一辞めなかったのは
セザールさんだけだからすごいね!

と辞めるとき、管理職の人に
言われました。


「人材の墓場」に私を放り込んだのは
私を辞めさせたかったのかよ!

と、落胆しました。


数学至上主義上司は
右京さんみたいな
絶対的正義感ゆえの
キツさじゃないんだから、
そりゃ、みんな、辞めるよ!


家から出られなくて
うつ病になって退職、
あまりの理不尽さに腹をたてて
突然、退職届を人事部に送り届けた人、
裁判をおこそうとしていた人


もいたそうです。



私としては

「あの人は、極度の学歴コンプレックス」
と思ってたので、
怒りもなく、潰されなかった
のだと思います。

一度だけ過労で入院しましたが…。


数学至上主義上司は

私立中学はトップレベルのところに
受かったものの、
その後、ついていけず、
大学はあまり偏差値は高くないところしか
受からなかったそうです。

親とは絶縁で、仕事も転々として、
塾に入社、という形。

なので、その数学至上主義上司が
目の敵にする先生たちは
みんな、偏差値が高い大学出身で
あるのを、はやいうちに見抜けたので


「結局、学歴コンプレックスで
いじめをしてるだけじゃん!
そして、怒ることでしか
他人と関係を持てない人だもんね」

と思ってたから。
私が休日に友達と遊びに行ったと
同僚と話してたら
「仕事を始めたら、友達がいるのはおかしい」
と言われ、同僚と二人で????でした。


同僚と二人で仲良く話ながら
掃除をしていたら
「仕事仲間と、仲良く話すのは
社会人としておかしい」
というので、
またしても、同僚二人で
???でした。

別に友達がいなくてもおかしいことでは
ないです。


でも、その数学至上主義上司は
「勉強こそがすべて。
でも自分は大学が希望のところに
行けなかったのは、ちゃんと、
教えてくれなかった先生が悪い!
偏差値の高い大学に行った人は
俺をバカにしてる!!」
という、常に誰かを悪くすることで
生きていたのだと思います。

学歴がすべてではないけど
学歴が高いことは悪いことではない。

学歴は高い低いと、
人格は別、
なのに、
それを同一視してしまうと、

人間関係が難しいと思います。

今回は以上です。

ただ、比較的好評だった私の授業でしたが
私が常々疑問に思っていたような質問は
受けたことがなく、

ほとんどの子が
「わかった!解けた!やったー!!」
だったので、
ほんのりさびしい気持ちはありました。

私のような質問をしてくれる生徒さんには
一生会えないのかな?
と思っていました。

しかし、出会えたんです!

それについては次回で♪
昨日もみなさま、ありがとうございます。

今回も過去の同人誌「歴史が苦手だった私が社会科塾講師になった理由」の記事です。

今回は第四話。大学生編2です。

社会の先生になりたい!
と大学2年生のときに思いましたが

その「先生」とは

どの教育機関の先生なのか?


までは私は考えていませんでした。

今回はそのお話。






今から思うと
私は当時、
学校の先生で良い思い出はないのに
なぜ学校の先生を目指したんだろう?
と不思議です。


おそらく
世間が
「学校の先生こそが、教育者の最高峰」
という価値観だったから、だと思います。

今はそこまでではないけれど、
20年ほど前は

「学校の先生はすごい!」
「学校の先生は、難関をくぐりぬけてきた
選ばれし勇者!」

そして

「塾講師は、教員採用試験に落ちた人が
なる職業」
「学校の先生になれなかった、落ちぶれものが行くところ」
「塾講師というのは、問題を解かせるだけの
簡単なお仕事」

というイメージがありました。


実際に、塾で働いていたとき、
途中で辞めた先生がいました。
その先生は、上司のパワハラに
嫌気がさして辞めただけなのですが、

生徒さんから

「あの先生は、学校の先生の
テストに受かったから、
この塾をやめたの?」

と聞かれてびっくりしました。



確かに、教員免許をとるのは
大変でした。
大学1年の時から、
卒業単位とは別に
たくさんの単位を
とらなきゃいけません。

だいたい、卒業単位は
4時限目(3時半くらいに終わる)までなので、
そのあと、5時限目、6時限目に
教員免許に必要な単位をとるため、
帰りが夜になる。
しかも、本来は休みのはずの
土曜日も授業あったり、
夏休みの短期講座もあったり…。

大学3年のときは、
養護施設、養護教育機関への研修も。

本来の卒業単位の授業を
休んで取りに行きます。


受け入れ施設、機関も
中には優しく真摯なところも
いらっしゃいましたが

「どうせ、養護や介護に興味ないくせに
教員免許をとるために来てるんだろ!」

という、教員免許をとるために来た学生を
歓迎しないムードなので、

風当たりはキツかったです。


私はたまたま担当の養護教員の先生が
良い方で、
「知能障害の子を、
ダメな子、かわいそうな子、
と思って接していると、
その気持ちは、その子に伝わるよ。
選民思想がある学生は
教育をする資格はないよ。」
という姿勢の方だったので
たくさんのことを学べました。

でも、養護施設では
「学生がいると迷惑!」
と言って、
洗濯物ばかりさせられました。

いや、別に洗濯物をするのは
かまわないのです。

問題だったのは
「この子達は、親に捨てられた
かわいそうな子なんだから!」
という姿勢で子供たちに接していた
施設の職員さんがすごく
私には不快でした。
優性思想がぷんぷんして
すごく嫌でした。

「かわいそうな子」は
他人が勝手に決めつけてはいけない、
と思います。
ただ、その施設の、
その担当者以外は
みなさん差別意識はなかったので、
たまたま担当者1人だけの問題
だったかもしれません。

そして大学4年のときに
教育実習だったのですが、
そのときの担当の先生に

私はいじめられました。


毎日、毎日、説教。
誘導尋問で
「あなたは才能ない。
教員採用試験を受けない、と
あなたが言えば
厳しい指導をやめてあげる」
とまで言われたんです。

毎日、やる気がない、と
説教で夜9時まで残され、
朝の7時には学校について、
というのをやり、
土曜日も来させられ、
というのを続けられ。


それで、思わず
「教員採用試験を受けない」
と言ってしまったのです。
そのときは、
受けるつもりはありました。
でも、受けないと言えば、
この理不尽なお説教は
楽になるのかもしれない、
と思ってしまったのです。
今から思えば、睡眠を奪われて
冷静な判断を失ってしまったのですね。

そうしたら、その先生は
一瞬ニヤッと笑い、
「お前は、今まで私に嘘をついてたのか!
なんて性根の腐った子!
学校の先生になる気がないのに
教員免許をとろうなんて、
なんておこがましい!
私たちは忙しいのに、
そんな奴に教えることなどない!」
と言われ、
説教はそれ以上に厳しくなりました。

いや、今までも特に何も教えてくれなかった
じゃん…怒るだけで。

ただ、それだけなら

「先生も人間なので
仕事のストレスを、3週間しか会わない
学生にぶつけてるのね」
くらいの怒りですみましたし、
たぶん、教員採用試験を受けてはいたと
思います。


でも、私が教員採用試験を受けないと
断固決めたのは別の理由です。

なんと、その先生は、
大学のある人に
「おたくのセザールさん、嘘つきですよ!
こんな学生をわが校に送ってこないで
ください!迷惑です!」
と電話をしてきたんです。


そのため、
突然、私は大学に呼び出されてた
のです。


その方は物腰は優しかったですが
私が「嘘つき」という前提で
お話ししてきました。

私は、大泣きしてしまい、
事実を話しました。

「この就職氷河期。
資格はとっておかなきゃヤバイという
認識は学校の先生にはない!
私は教員採用試験を受けるつもりでした。
でも受かるか?はわからないから、
他の業種の採用試験も受けるのは
当然じゃないですか!
教員採用試験は7月、他の採用試験は
4月から5月。

教員になれなかった人を
教員は知らない。
就職の大変さを知らない!

あなたは、私が嘘をつく人だと
思いますか?

私はあの教員に誘導尋問されました。


会ったこともない学校の先生と私、
どちらをあなたは信じますか?」

と、泣きじゃくりながら、
訴えました。

その方はどう思ったか?は
わかりません。

でも、そのあと、私に何も言わず、
学校の先生も最後の最後まで
一応、教育実習を続けてくれたので
その方が何か言ってくれたのかも
しれません。



ただ、教育実習を終えたあと、

私は
学校の先生に嫌気がさしました。

小学校のときの私をいじめた先生、
今回の教育実習の先生、
選民思想がぷんぷんする先生たち、
その人たちと同僚になるなんて、
同じ職業に就くなんて

虫酸が走る!

と感じてしまったのです。




もう、あの一件以来、その方とは
ぎこちないこと、ぎこちないこと。


卒業まで形式だけのあいさつや会話だけ。

お互いに、
微妙な距離感。

その人は私に怒ってはいなかった。

その方はどんな気持ちだったのだろう?

私はその方は何も悪くないと思ってます。
私もその方もハメられただけ。


私の予想としては
「気まずい」
だったのだと思います。


教員採用試験を受けないことに対して
一番反対したのは
母親でした。

「学校の先生に一度なっておくと
その後の就職も楽だぞ!」
と何度言われても

「もう、二度と、私は
学校という存在のために
自分の力も労力も使う気はない!」

と、母親と大喧嘩しました。

あまりの大喧嘩なので
猫も弟も部屋から逃げるレベル。

でも、私が一歩もひかない。

今まで私は母親と意見が対立したら
母親の言うことを聞くことが
ほとんどでした。


しかし、このときだけは
どれだけ怒られようが何だろうが

「私はどれだけ理屈を言われようが
正しいことを言われようが、
なにがあろうが、
学校の先生にだけはならない!
なりたくない!

私は二度と、あの人たちがしたことを
許さない!

学校が私に何をしてくれた!
わかりづらい授業に
とんちんかんな説教!

私を常に悪者にした!

それを、小学校の同級生も
大学のあの人も信じた!


私より学校の先生をみんな信じるんだ!

私は塾の先生の授業が好きだ!
塾の先生のおかげで偏差値があがった!


歴史が私を幸福にしてくれた!
ナポレオンが常に私に
生き方を教えてくれた!

私の辞書に「教員になる」はない!!
「教員になる!」という言葉を
私の辞書から消し去ったんだ!


私が教えたいのは
専門の国語じゃない!
社会なんだ!

教員免許だって、
国語だけでなく
社会の免許も
独学でとったんだ!

それだけ私は社会の先生になりたいんだ!

私がやりたいのは社会の塾講師!


だから、私は、どんなに指図されようが、
親子の縁を切られようが
社会科塾講師にしかならない!」

と母親に力説しました。

もちろん、そんな先生ばかりではないのは
わかってる。
面白くわかりやすい授業をしてくれる先生、
公平な先生の方が多い。
でも、
小学校のときの担任と教育実習先の先生の
2人+(中学のときの
美術と技術と音楽の先生)の先生
に対する怒りが強くて、
もう当時は、他のすばらしい先生たちも
目に入らなくなってたのです。


そして、母に何を言われようと
布団から一歩も出ずに寝まくりました。


そうしていくうちに母は
諦めてくれて、
我が家は平穏に。

そして、私は社会の塾の先生として
就職したのでした。


発達障害でIQが高めの人は

学校の先生より塾の先生のほうが
合うよー、という記事を読んだことが
あるのですが、
おそらくそうだとおもいます。

勉強特化ですから、塾講師は。

学校の先生って、運動会とか他の
人間関係の行事がメインだから
たぶん、空気を読んでみんなと
仲良くできない私はうまく立ち回れません。

ただ、発達障害だから教員に向いてないとは
思いません。


それに、いじめをするような先生より
私のほうが劣っているとは思いません。



次回は念願の塾講師になってみたものの…
の話です。

みなさま、昨日もありがとうございました。

いつもは朝の7時代に
更新できるよう、予約投稿を
前日にしているのですが、
昨日は頭が回らなかったので
朝にきゅうきょ書くかたちになり、
更新遅くなって失礼しました。

昨日に続きまして、
昔、出した同人誌
エッセイ漫画「歴史が苦手だった私が社会科塾講師に
なった理由」です。

今回は第三話。
大学生編その1。

今回は、私が歴史好きになった、
きっかけの話です。







私は小学生のとき、
絵を描くこと、漫画を描くこと、
漫画を読むこと、アニメを見ることが
好きでした。
つまり、それが「趣味」でした。

何かを好きである、


それが「悪いこと」

とは思いませんでした。


しかし、小5のいじめで、
好きなものを悪く言われ、
また、何か猛烈な趣味があると
「オタク」「犯罪者予備軍」「キモい」
と言われ続けました。


それで、中学生になってからは

好きなものは好きなままだけど
のめり込まないように意図的に努力する
ようになってしまい、
また、勉強をしていたら
誰も何も言わないので

勉強ばかりしてました。

勉強の気分転換に
漫画を読むとか、ラクガキする、
その程度しかやりませんでした。


そのままの状態で、
大学に入学したら
カルチャーショックでした。


私は、暇さえあれば勉強ばかりしてて
世界史が苦手だったので
必死こいて勉強して、
その大学に受かりました。

学校の授業だと理解できないことも
多かったので、
塾にも通ってなんとか…、と。


しかし、大学で知り合ったメンバーは

塾にも行かず、
趣味も楽しみながら
勉強して受かった人も多くて。


また、「趣味というものを良いもの」と
いう前提で会話がなされたり。


もう、びっくりでした。


「趣味」=「悪の化身」と
思い込んでいた自分。

それが
「趣味」=「正義」

に180度かわったんですよ!


私の心の底で

「自分も趣味がほしい!」


と思いました。


でも6年以上、趣味を封印してたので
探すのに苦労しました。


何せ、大学1年生のときは
私が中学、高校くらいに流行った
「エヴァ」も「ガンダムW」も
存在そのものを知らなかったので。
(「ポケモン」は
弟が見てたので知ってました)

漫画は中学、高校の時も読んでいたので
漫画原作のアニメは知ってましたが

アニメのみの作品は知らなかったのです。 

アニメや漫画についても楽しく語る
同級生が当時はすごく羨ましかったです。


私は趣味探しの旅?に出ました。

流行りのまんが、アニメ、
ドラマ、音楽、

など色々とハマろうとがんばりました。


しかし、一時的には楽しいと思っても
それ以上、いかず。


趣味づくりの一貫で入った
能楽部も、
能楽の何が楽しいか、
当時はわからなくて…。
(今は楽しさも素晴らしさも
 わかります。)


そんな感じで

「自分はいったい何が好きなんだろう?」
が、わからなくなりました。


慣れない大学生活、
話す友達はいるけど、
高校の時のような友達が
できず、

夏休みに入るまで
生理が止まってしまうほど
ストレスでした。


夏休みの間は

「自分」というものが
何かわからなくて、
辛かったです。

それが、夏休み明けの
後期日程で転機が!


体育の単位で出会った友達。

会った瞬間に一目ボレ。
猛アタックして、
仲良くなりました。

なぜかわからないんですが、
彼女と出会った瞬間に

突然、何かが弾けたんですよ!

その彼女とは今でも続く親友です。
娘もなついています。

そして、もう1つの出会いが

今後の私を変えたもの。

そう!

「西洋美術史」と「ナポレオン」

との出会いだったのです。

今でも忘れない、あの日。

たまたまその時間は自分とれる講義が
「近代西洋美術史」しかありませんでした。


元々、美術は好きでした。


小学生のいじめのあと、

モネ展とゴッホ展に行きました。
そのあとも、
いくつかの絵画展に行ってます。

でも、それは
親に遊びに連れていってもらった、
という程度の気分で、
楽しいけど、見ている時間だけ
楽しみました。


美術史についても、
中学のときの先生が
「美術史などの知識をつけると
自由な発想力が奪われる」
というワケわかんない指導をされたので
ほぼ美術史については知りませんでした。

ペーパーテストは
美術史は出ましたが、
先生のプリントを丸暗記したら
満点とれるようなものでした。


しかし、大学でとった内容は
私に衝撃をあたえました。


なんて面白いんだろう!
こんなに、胸が高まることは
生まれて初めてだ!


今から思えば、
私は小さい頃から絵が好きでした。

漫画、アニメが好きというより


絵画

という存在が好きでした。


そして、
中学、高校でずっと勉強をしてても
平気だったのは

勉強が好き


だったからなのです。


つまり、

わたしは


絵の世界が好き!

勉強の世界が好き!

だった。

それが「西洋美術史」は
とんでもない究極のコラボなのです。

政治史のからの文化史、というのが
高校までの歴史の教科書の形です。


でも、西洋美術史では

文化史(絵画史)に拠点をおいて、
政治史、経済史を見ていきます。


要は、小学校から高校までは

視点は現代から見ます。
英語で言うと現在完了です。
だから、現在の価値観で
歴史を見て、
偉人という偶像を
つくることが可能になります。


しかし、大学で教えられた歴史は

その時代に自分がタイムスリップして
その時代に拠点をおいて、
見ていきます。
英語で言うと過去形です。

すると、当時の人々が
政治の動向をどう見ていたか?
どう自分達の生活に関係していたか?

というのをわかる必要があります。


自分は自分、
歴史人物は歴史人物、
という立ち位置でいられます。

その、当時の人々の
心や価値観わかるためのツールが
文化史なのです。



例えば、ロココなら
「貴族らしい」と感じますし、

フランス革命期からナポレオン時代の
新古典主義絵画は
すごくキビキビして理想にもえている、
というのが感じられます。


まさに、そういう精神状態だったのでしょう。


近代絵画が


人間の生き方の理想
→人間以外のもの(風景など)にも興味をしめす
→個人個人でどう生きるか?
→現在アートに繋がる


というのは、
政治、経済の状況と
密接に結び付きます。



こういう風に


「歴史」というのは


「人が築いた軌跡をまとめたもの」

と気がつき、

歴史が大好きになりました。


そうなると、最初は無理して入って
何が楽しいかわからなかった能楽も
楽しくなるんです。

能楽の場合は
「奉納」「鎮魂」の意味合いが強いので
日本の価値観を感じとるのに
とても大切な文化だとわかりました。
大学では、歌舞伎も研究しました。
ラテン語も、宗教も、小説も、日本語教育も。

大学の帰りは、暇さえあれば

美術館通いと本屋。

家では、本屋で買った歴史の本を読みあさり、
HP(当時はブログはなかった)で
歴史についてまとめたり、
歴史人物のイラストを描いてアップしてました。


大学2年生のとき、
「専門の国語でなく、社会を教えたい!」
と思うようになりました。
そこでどうなったか?を
第四話でお話ししたいなぁ、と思います。

皆様、昨日もありがとうございます。爆笑

今日も引き続き、
昔出した同人誌「歴史が苦手な私が社会科塾講師になった理由」の漫画をアップしていきます。

今回は第2話の高校生編です。










前回(第一話)でお話ししたように、

 私は世間の言葉を鵜呑みにし

「歴史は言葉を単純に暗記していくもの」

と思ってました。


しかし、その価値観で勉強しても

全然、点数をとれないのです。

国語、英語は
どれだけ不調でも
偏差値を60は超えられるし、

高1で赤点をとった数学でさえ
偏差値は50を超えてました。

しかし、世界史は偏差値50さえ
いかない。

高2のときは
それでも
「まあ、しっかりと覚えればできる!」
と、秘技、未来に先伸ばし方式!
をしてたので、焦りはしてませんでした。

「自分が世界史で点数をとれないのは
勉強量が足りないだけ」

と本気で思ってました。


しかし、高3になって、勉強してもしても
世界史の偏差値が50を超えてくれない。


これだと、今の志望校よりも
偏差値の低い大学にしななければ
いけなくなります。

でも、小学校のころから
行きたかった大学は決まってて、
そこに行けないのは絶対に嫌だ!


と思いました。

でも、点数の取り方がわからない!


「簡単!暗記術!」
「ゴロあわせで年号を覚えよう!」

とか、そういう、
「やり方」本ばかり買って、

問題集を解くばかり、

そういうことをしてました。


もちろん、偏差値50に届かず…。


しかし、転機がおとづれました。


私の通っていた予備校は
夏期講習や冬期講習などの
長期休暇のときは
特別編成で、いつもと違う
先生の講義を受けます。


いつも習っている先生の授業を
取ろうと思っていたのですが
うまく日程が合わなかった私。

それで、たまたま空いている時間の
世界史の講義をとりました。

先生も名前を知らない人。


初日に教室に行ったら

受講生も少ない。


後から知ったのですが
その先生は働いて間もない頃
だったそうです。



すごく不安だった。


高3の夏休みに、世界史を克服できなきゃ
志望の大学に受からない。
なのに、人気講師でない人の授業で
大丈夫か?と。



しかし、その心配はなかったのです。



先生は最初に言いました。


「君たちなら、
思考力も推理力もある。
だから、一言一句覚える必要はない。


理解さえしてしまえば
覚えられるレベルの頭はあるんだ!


年号を暗記しても、
年号を聞かれるような問題は
センター試験にも難関大学の試験にも
出ない!

歴史の流れと
大まかな区分さえ覚えておけば
あとは理解でなんとでもなる!」

と言われたのです。


そして、歴史を理解するための
説明しかしないんです。

たとえば、
古代ギリシャとローマが近代に
与えたものとは?
キリスト教の三位一体とは何を意味していて
なぜ、たくさんの公会議がひらかれたのか?

アルザス・ロレーヌ地方が
なぜヨーロッパ(フランス、ドイツ)
において重要なところなのか?


という、教科書に出てくる
言葉と言葉のつなぎのための知識に
特化して教えてくれたのです。


「君たちは教科書を自分で読めるでしょ?
まとめる力はあるでしょ?
自習もできるでしょ?

じゃあ、教科書の言葉を
ここで羅列していく必要はない。

なので私は
教科書を自分で読みこなせる
お手伝いの講義をする!」

という姿勢の先生でした。



私は一日目にして、もうその先生が
神様に見えました。

その先生の授業は
たった5日間でしたが、

そのあと、自分だけで自習をしまくって、
3ヶ月で偏差値を45から65まで
なんとかあげられました。

教科書と資料集、史料集、を
見ながら、ノートにまとめました。


問題集は
予備校のテキストと
センター試験と受験予定校の過去問3年分
だけ、答えを問題集に書き込んで、
目で確認する、という、
おおよそ、生徒さんには
オススメできないやり方を
してました。



今から思うと

ASDの過集中と視覚優位を
うまく活用したんだろうなぁ、と。


そして、私はこの夏期講習を受けたあと、
決め、周りを心配されたことがあります。

それは

「今後は模試は受けるない!」

でした。

模試を夏休み以降は
うけないと決めたとき、
実は学校の先生や塾の事務の人に
心配されました。



高3は、ほぼ毎週、日曜日に
模試があります。

センター試験用の模試、
国公立大学試験の模試、
難関大学(文系)の模試、
小論文のみの模試、

など、自分で必要な模試を選びます。



だけど、私は
「平日は学校と塾で、朝から晩まで
勉強。そのときは、家に帰っても
学校の予習や
塾の予習、復習でいっぱいいっぱい。
だから土曜日は、
睡眠しまくる時間にあて、
日曜日に世界史をじっくり
理解するためのノートまとめをしたい。
模試をうけるとなると、
土曜日は模試の勉強、
日曜日に模試、
となるから、
世界史まとめができないもん。」
という理由。

私は睡眠がかなり必要なので
土曜日は休む必要がありました。


先生には
「おいおい。模試を受けないと
自分が受かる可能性の大学が
どこかわからんぞ!」
と心配されたのですが
「私は、A判定やB判定が出た大学を
受験するつもりはありません。
行きたい大学は1つだから。
今はその大学はD判定だけど、
その大学に落ちて、
他の大学に受かっても
浪人する気なので!」
と返したら、
先生も
「まあ、おまえがそういうつもりなら
かまわんよ!」
と。

進学校の公立高校って楽です。

私立のように、自校の生徒が
受かった大学を
宣伝に使う必要はないので、
浪人する気ならかまわんよ、
な感じ。

さらに、君が落ちても、
他の子がちゃんと受かるから
ご自由に!
なのが助かります。

進学校だと自分より優秀な人が
たくさんいるから、
自分が先生の意向に合わせて
無理する必要ないので♪



母親には
「まあ、毎回D判定の文字を見るのも
気分が悪いから、模試は受けたくないなら
かまわんよ。」
と。


今から思うと、すごい怖いかけです。


模試は受けた方が良い!

これは塾講師の経験から言えます。


ぶっつけ本番って怖いですから、
模試で馴れるのは必要です。

またやはり、A判定の学校を滑り止めに
受験していく形の方が安全です。


たくさんの生徒さんを見てきましたが

第一志望校だけ受けて
そこに合格した子は
ほぼいません。

でも、私は合格しました。

12月だけは模試を受けましたり
そのとき、
世界史の偏差値はあがったので
志望校を変えずにダメ元で受けてみよう!
という形だったので
合格したときビックリしました。

理解に重きをおき、
推理して問題を解くことは
私にはすごく合っていました。


先生に合格の報告をしたら
「え?受かったのか!」
とびっくりされました。

そりゃあ、びっくりするわな。


母親にも

「あんたが、一番わからん生き物」

と言われました。


うん、私もいまだによくわからん生き物
だと思います。


よく生徒さんに、
合格体験記を聞かれることが
ありましたが、
私のは参考にならんよ、
な感じです。

ただ、とにかく、
その大学に受かるためしか
考えてなかったので
学部は日程だけで決めました。

これが後の後悔の根底になるのですが
でも、その学部で出会った友人のツテで
今の夫に出会えたし、夫と出会えなければ
娘はこの世に誕生してないです。
猫のみーたんにも
その学部に通っていなければ会えず、
今も続く親友も同じ学部で同じゼミ。

なので、のちの人間関係は
この学部に入ったからこそ、
なのですが、
入った学部が国語系だったので
まあ大変でした…。
社会好きに目覚めたのが大学だったため。


それについては次回に♪


みなさま、昨日もありがとうございました。


先々週、昔、同人誌で出していた
実録エッセイまんが
「ASDであることは100%
かわいそうなことなのか?」

のように、過去の同人誌が
まだまだあるのでアップします。

今回は、前回の「ASD」のまんがより
前に出した、初の自分の人生を
ふりかえった実録エッセイ漫画です。
名古屋コミティアさんの
ティアズマガジンにも
掲載していただけました。


記事を書く!書く!
と言っておきながら、
一週間遅くなってしまって
失礼いたしました。


この漫画はまだASDと診断される前に
出したものですので、ASDという表記は
ないのですが、見直すとASDが原因だったか!
な部分がいくつかあります。


ではでは始まります♪
よろしくお願いいたします。










私の歴史好きは、他の歴史好きの友達より
はるかに遅いスタートです。


歴史が大好きな夫は
幼稚園のころから、
お城が好きだったそうです。
小2の時点で「太平記」を
読んでいて、中学の時、
歴史の教科書を見たら
文化史と現代史以外は
すでに知っていることばかり
たったそうです。

今でも私より文化史以外は
歴史は詳しいです。

大学時代の友達も、
昔から普通に
「平家物語」や「源氏物語」を
読んでいたり、
古代ローマについてすごく詳しい人だったり、

暇だからと言って、「古事記」を
原文で読んでる人もいました。

なので、自分は後天的歴史大好き症候群?
なのですが、
その分、歴史に対して
敬遠している人、理解できない人の気持ちは
想像できたりするので、
社会科塾講師としては
意味のある失敗の小学生時代
だったのかな?
と今だと思います。



小学生の私が
歴史を
なぜ「ただの丸暗記物」であると
思ったか? 
というと、
歴史人物の心理を「理解」できないから、
だと思います。


歴史は、人間がつくったもの。
人間には心があります。

なので、歴史人物の心を理解する必要が
あるのです。

じゃあ、なぜ当時の私は
なぜ理解できないか?というと、

「同調しなきゃ!共感しなきゃ!」

という焦りの気持ちが
先立ったからだと
思います。


「偉人」という言葉がありますよね?

こども向けの漫画で
歴史人物の「偉人伝」を読んで
みなさんもこのようにがんばりましょう!
みたいな雰囲気のものも
あります。

こどもの頃、私はそれで
歴史人物を学ぶとき
「このような人にならなければ
ならない!」
と思ってしまって
でも、そのような偉人伝で
「でも、なんで、この人をみんな
すばらしいと言うのだろう?」
「みんな、人を殺しちゃいけない、
というのに、信長やナポレオンは
偉い人!とみんな、誉めるの?
彼らって、たくさん人を殺してるのに?
武士や軍人を偉い人と言うひとは、
本当は人を殺していいと思ってるわけ?」
とか
「この人の行動はなぜ、こういう行動に
出たのか?わからない!」
という疑問ばかり出てしまいました。

今なら
「いったん、中央集権にしないと
制度というのは画一化しない。
画一化する理由は、秩序が
あやふやだと、ちょっとしたことで
戦乱がおこる。
戦乱か?独裁か?
どちらをとるか?だったのだろう。」
「戦争は合法的な私刑であり、
多くの人を殺した人が英雄になれる、
という、最も恐ろしいもの。」
「あ、この歴史人物は典型的な
ADHDだよ!そりゃ、新しいものを
ポンポン受け入れて実行するわ!」
「発達障害者の歴史人物を
定型発達の人の思考で
この作者は描いてるだけだわ。」

とか、わかるので

パニックになりません。

なぜ、今は理解でき、
小学生のときは理解できなかったか?

というと、上記の理由が大きいです。


歴史人物は歴史人物。
自分は自分。

そして、私は
偉人と呼ばれる
歴史人物の多くは
「発達障害者」だと
思います。

実際に、信長やナポレオンは
ADHDだと言われてます。

ADHDだと思うと
彼らの行動は
点と点が線で繋がることが多いのですが

一般的な
「英雄」像で見てしまうと


私には理解できない部分が多くて
パニックをひきおこします。

また、歴史人物だけでなく
あらゆる事件やきまりの制定には

「大人の世界」
「疫病と人々の戦い」
「宗教と人間の関係」
「資源や領土の取り合い、
宗教、革命概念の対立」
などなどの知識がないと
理解できない部分が多かったです。



奈良の大仏がなぜ建てられたか?

ということに対して

当時の後継者問題や
藤原氏との問題、
聖武天皇のおいたち、
当時は天然痘で亡くなった人が
多かったことを
知らなきゃ

理解できない。


なのに、
小学校では

「聖武天皇は、偉い人なんだよ!
病気で苦しむ人も多くてね。
大仏をたてて、人々を救おうと
してたんだよ!」

という感じで教えられたので、


「なんで、大仏で???」

となるのに、

そのあと、

「大仏のつくり方!すごい技術よね!」

と話がうつってしまう。


私が理解できなかった原因は

聖武天皇と私は

まったくの別人であり、

また当時の社会情勢の下地を
知らされていなかった。

三世一身の法も
墾田永年私財法も
長屋王の変も
興福寺の建立も

小学校で教えられなかったですからね。


もし当時、

私は聖武天皇になる必要がない!

聖武天皇を理解するには同調をする必要は
なくて、
聖武天皇を聖武天皇のままに、
私は私のままの立ち位置で

当時の社会情勢や価値観をふまえて
理解することだけに努める!


という姿勢でいたら、

もう少しわかりやすかったかも
しれないです。


理解できないから言葉を暗記するしかない。
そして世間は
歴史を暗記物というか
偉人に習って自分もかんばりましょう!

と言う。

今から思うと、
私が世間の意見を鵜呑みにしたのは
ASDの
「言葉をそのまま受けとる」
「同時並行作業が苦手」

という特性のせいでしょう。


母以外の周りの人は
「社会は暗記物!」
「みんなも、偉人のようになりなさい!」
と言うので、そのまま、鵜呑みにしてました。

そして、
「同調、共感しなきゃ!」が先立って
情報を無理矢理、丸飲みしようと
してたんですよね。


中学になって、識字率がか
なりあがりました。
そして、自分で本を買って
しっかりと文章を
読むようになったのは
高校のころ。

でも、そのときも、理解ができなかった。


その一番の理由は


恋愛や性的なこと

に対する興味のなさ、と、
知識も、なかったから。

歴史を知るときに
「不倫」「性的虐待」を知らないと
わからないことが時々あります。
また、近親相姦の繰り返しによる
子供に出てしまう障害など、
性的な部分を真正面から受け止めないと
理解できない部分があります。

でも、高校までは、
それをすごく濁して教えられます。

微妙に「ほんわか」して語られる。

なので、私はわけわからなくなった。

でも、やはり、高校生までは
さすがに、一夫多妻制や
不倫はあたりまえの文化は
教えられない。

私は「ほんわか」「濁される」と
理解できないのと、
恋愛や性的なことに対する興味も欲求も
すごく薄いので、
古代から中世は苦手でした。
近代も1800年代までは苦手でした。




でも、寺社仏閣、古墳、絵画展は
すごく好きで、
歴史は詳しくなかったけど
歴史の遺物は興味はあった。

だけど、小・中学校のときは
歴史はすごく苦手でした。


先生の教え方の問題もあるのかも?
とは思いました。
学校では、
起きた事件を順番に
基軸に説明される。
だからわかりづらく感じた。

でも、母は
「概念」「定義」から教えてくれる。

だからわかりやすく、頭に入った。


何が違うか?というと、

「全体把握」と「カテゴライズ」を
先に作ってくれるか?否か?

の違いです。

時系列に事件だけ話されると
ゴールはどこなのか?
何を先生は言いたいのか?
わかりづらい。

でも、概念、定義を先にはなされると、
今回学ぶことはなにか?が明確にわかり、
その事件は何を意味しているのか?
がわかる。


ASDの勉強方法でも話しましたが
私はASDの子の中には

「全体把握」→「カテゴライズ」
から入っていったほうが
頭に入りやすいと思います。

また、概念や定義から話してもらえると
数学みたいでわかりやすい。


こどもの頃に教えられる歴史は
難しいと思います。
大人の事情で教えられない部分を
濁して教えられるんだもの、
定型発達の世界観で語られるんだもん!

私が歴史が理解できたのは
大学からです。



今回は以上です。

また明日、更新できるよう
がんばりますね!






みなさま、昨日もありがとうございました。

先週からアップしている
過去の同人誌「ASDであることは100%かわいそうなことなのか?」
もついに最後の記事です。

ご覧いただきありがとうございました。





ASDであることは
不幸でもかわいそうなことでも
ありません。

でも、ASDにとって心地の良いことは
定型発達の人からしたら
「不幸」「かわいそうなこと」

と思われることもしばしば。


一人で黙々と本を読んでると
「かわいそう」

友達がいないで一人で遊んでると
「かわいそう」

勉強を一心不乱にがんばってると
「かわいそう」

みんながやりたがらないことを一人でやってると
「かわいそう」


と思われます。


でも、
友達がほしいのにできない、とか、
実は本を読んだり勉強するのが
好きじゃないのにそれしか
することがない、とか、
自分が嫌なことを押し付けられて
やっている、

とかでなければ、

実は楽しんでいることもありえます。


だから、
「かわいそう」と
上から目線でいわれると
「不幸な人」に
なってしまいます。



ASDはASDの、
定型発達は定型発達 

のそれぞれの「幸せ」があって、

その幸せに優劣はない、
と思います。


以上です。

今週は別件の勉強で忙しいので
更新が時々止まってしまうかも
しれないですが、

なるべく毎日更新できたらいいなぁ、と
思います。

来週あたりから

過去のもうひとつの同人誌、
初の実録エッセイまんが
「歴史が苦手な私が
どうして社会科塾講師になったのか?」
をアップしていきたいと
思います。
こちらは、
こちらでも描いたいじめと
ナポレオンとの出会いと
塾講師のときの悲しい出来事を
メインに描いています。
(こちらも名古屋コミティアさんの
ティアズマガジンに掲載させて
頂いたものです。)


ではでは、漫画をご覧いただき
ありがとうございました。
みなさま、昨日もありがとうございました。


昨日は月はじめ(1日)だったので、
毎月1日開催の
つくしチームさんご主催の
オンラインアートイベントの
art_ippiの参加についてのお話と
自分の絵に対する話をしましたので、
突然で申し訳なかったのですが
「ASD」に関する漫画はお休みしました。

実録エッセイまんが
「ASDであることは100%かなしいことなのか?」は
内容自体は、
土曜日に最終回(最終回の記事はこちら
を迎えているのですが、
まだ番外編が、
今回の四コマと、もう1つあるので
その記事を書きたいと思います。爆笑
(まんがの第一回はこちら→第一回♪


癇癪そのものって、
周りからしたら、「困るもの」ですし、
本人もおこさなくてすむなら
おこしたくありません。
(以前、記事で癇癪をおこさない方法に
ついての記事もリンクを貼っておきますね。
こちらのリンク先は第一回です。)

でも、私としては
癇癪は、
意味のある行為
だと思ってます。

それについての漫画です。



またしても、文字が多くて
すみません。


癇癪は
脳の冷却材だと
私は思ってます。



自分の経験ですが

癇癪を起こす前は、

パニックをおこしているのです。


パニックそのものは
外からは見えないので
わかりません。

むしろ、黙っているので
落ち着いているように見えます。


でも、本人は、
もう、パニックで頭の中は
ぐちゃぐちゃ。
脳が炎症をおこしているような
イメージです。

そのままだと、思考のショートダウンが
おこってしまうんです。

このパニック、炎症をおさえる、
思考のショートダウンを
防ぐのが、

泣くこと

なんです。


メソメソ泣けるならまあいいんですが、

まあ、
パニックをおさえるためだから
泣くほうだって、
過激になっちゃう。
冷却するために
膨大な水が必要なのです。

本当に脳が炎症をおこしているわけでなく、
あくまでイメージです。
漫画やアニメの表現で
怒る直前の人が、頭から湯気がわいている、
そんな感じだと思ってください。


なので、癇癪おこしたら、
ある程度癇癪おこして泣くと
自分から冷静になっておさまります。

おさまると、それまでパニックに
なっていたことが、頭で整理されます。

癇癪おこした後、
ケロッとしていることが多いのは
そういう理由かもしれません。




また、癇癪中は、癇癪をすぐに
抑えるよう、つまり、泣き止むよう
努力を周りの大人の人は
しようとします。

もちろん、うるさいし、物も壊れるので
泣き止ませたいことは
わかります。

また

「泣く」=「悪いこと」「かわいそうなこと」

という価値観の人は多いです。


でもそれは、
ASDの癇癪には、
当てはまらないかも?
と思います。


よく、エピソードで

泣いている子にアメをあげたら泣き止んだら

親がどうやっても泣き止まなかった子に
手を振ったり面白い仕草や表情をしたら
泣き止んだ


など、他人の介入は
泣いている子供に有効、
みたいなエピソードを聞きます。

アニメや漫画でも、そういうシーンは
よく見かけます。

こちらは、
気をそらして、気分を変える、
という手段なので、
たとえば、転けて泣いて、
痛みはひいているのに、
痛い気分で泣いているときに
気持ちをそらすことで痛くないことに
本人が泣き止む、とか、
そういうタイプだと思います。
他にも眠いから泣いてたけど
目の前でおもしろいことかおきたから
目が覚めて機嫌よくなったとか。

また、
相手が幸せそうだと自分が幸せになる、
という思考の持ち主でないと
たぶん無理。


私の場合、みんなが幸せそうでも
「なぜ、みんな、笑ってる!
これは、理不尽な話ではないか!
差別的ではないか!
みんなが笑う理由がわからない!
理解できない!」
で、パニックになり、
それが限界に達すると
突然泣き出してしまう、
とかなんです。


「理解できない」→「癇癪」なんです。

癇癪おこして泣くと、
突然、
「あ!つまり、みんなは、
笑ってるは笑ってるでも、
嘲笑ってるのか!」
と気がついたりして、
落ち着くんです。
だいたい、一時間くらい泣き続けると
出ます。


このブログでも、自分の言葉を
つらつら書いてますが、
ほとんどの言葉は

癇癪をおこした結果で得られたもの


ではあります。


癇癪おこしたら、本人が落ち着くまで放置!

が一番おすすめの方法です。

何も言わず、隣で待つだけ。


私が子供の頃、癇癪おこしたときは
母親はおさまるまで、
本を読んだり、字幕のアメリカ映画を
私の隣で見てました。
(今はアメリカ映画よりアメリカドラマ派ですが、私が子供のころは、ドラマは
今ほど日本に輸入されてませんでした。
まだ「Xファイル」も「ER」も
つくられてなかった時代)

字幕でないと、癇癪の声で言葉が
聞こえません。
聞こえる言語が英語なのも、理由があります。
日本語だと、私の脳のなかに
情報として入ってきてしまうので
聞き取れない言語の方が良いのです。

娘の癇癪のときも、
母と同じことしてました。
漫画はすぐ終われるよう、
四コマまんが、がおすすめです。


ただ、ご近所迷惑、とくに、
夜だと本当に騒音になってしまうし、
外で癇癪おこされたら、
放置はできません。

床に転がり、狂ったように泣いている
子供を放置して親が
スマホや漫画を見てたら、
ネグレクトや
虐待と思われてしまう…。
通報され、2度と我が子と会えなくなるリスクはおかせません。

それに癇癪につきあうのも
すごく疲れます。

兄弟がいたら、その子たちは
宿題も遊びもできなくなります。


なので、癇癪は
おこさないことにこしたことは
ないのです。


癇癪が脳の冷却材ならば
癇癪以外で脳を冷却してやれば
いいのです。

それが、例えば
心療内科で処方される癇癪をおさえる
薬を飲むなど。

ただ薬だけでは解決しないので

癇癪をおこす要因となった
パニックそのものの要因を
さぐったほうが良いです。

そして、その要因をさぐるには、
癇癪、パニックをおこしている
本人に「語彙力」をつけさせることが
近道だと思います。
語彙力をつけさせるのに、
テスト勉強みたいに、いちいち用語を
教えるのは、教える方も教えられる方も
限界がきます。

なので、漫画、アニメ、映画、小説を
読む、見るをしていくと
良いかな?と。


私は映画「奇跡の人」を母に見せもらったとき
「言葉」というのは

「他人と自分を繋ぐもの」
だと気がつきました。


さらに、「物事には言葉」が存在する
というのを理解するのは
実はとても大変なことであり、
しかし、それを知って覚えてしまえば
それは最強の武器になる
とも。


私の、
パニックをひきおこす心のザワザワ感には
決まった単語があることがわかりました。

それが「不安感」と「罪悪感」と「劣等感」
だったのです。


なので、今は
「あ、この心のモヤモヤは、相手に対して
理解できないから、自分がバカにされているのではないか?という不安感なんだ。
バカにされていると感じるのは、
自分が運転できないから、
その劣等感を自分が無意識に
感じているからだ」

とか


「ちゃんとやらなきゃいけないことに
対してできないとイライラするのは、
やらない罪悪感のせいなのね。
じゃあ、先にちゃっちゃと終わらせて
罪悪感消してから遊ぼう」

とか自分で考えられるようになったので
癇癪減りました。
私が癇癪減ったのも、語彙力や思考力が
ついたのは、
映画だけでなく、アメリカドラマ、
漫画のおかげも大きいので
そのような文化を「バカを作る製造機」みたいに言われると、すごくムッとします。

「漫画ばっか読んでいるから
バカなんだわ!」
と平気で漫画をディスった
小学校のときの
先生や同級生は未だに許せないです。


漫画は語彙力の相棒です!

そして、映画、ドラマ、アニメも
私にとっては
心のオアシスです。



今回は以上です。


また明日も更新できるよう
がんばります!