「育児書にない!&しゃかりき!」〜元塾講師&ASD母子&不登校勉強対策用のブログ -11ページ目

「育児書にない!&しゃかりき!」〜元塾講師&ASD母子&不登校勉強対策用のブログ

ASD当事者で、子供もASDです。元社会科塾講師です。
不登校の娘への授業記録、歴史の勉強で自分たちが勉強しやすいように情報整理した内容、ASDなりに勉強して生き抜いていきたいこと、についても語ります。

2025年春に、塾講師ブログ「しゃかりき!」と合併しました。

みなさま、本日もありがとうございます。


毎日更新するぞ!と思いつつも

今日はギリギリに…。




こちらのブログでも定期的に書いてますが


勉強でのこだわりが強く出て

なかなか先に進めず大変でした。


ただ、習った内容に関してなら

こだわっても、こちらも根気よく

つきあえますし、実のあるこだわりなので

こちらのストレスもほぼありません。


今日の娘のこだわりは


算数の問題で

「漢字で、少し線がはみ出た」と言って

何回も書き直して、一文字に30分以上

癇癪おこして、だったので

疲れました。



先日話した記事にもあったのですが


小学校が「個人情報の用紙なので

はやく取りに来てください」と

突然の電話で、急いで取りに行ったら

これ、シュレッダーかけて廃棄しても

問題ないのでは?レベルの

娘の名前だけが書いてある白紙の用紙を渡して

とくに何かしゃべることなく終了、

というわけわからないことがおこってから


娘がまた完璧主義が出て


それまで順調だった勉強が

また、癇癪続きで、1ページも

進まない日々に逆戻りです。


疲れました。学校に。

みなさま、本日もありがとうございます。


今日は木曜日なので

実録エッセイ漫画シリーズの

「図工と美術の授業とは?」

の続きです。


前回はこちら↓ 






前回から大学生編です。


そして、今回は
このシリーズの要になるお話です♪











大学に入学するまでは
家族以外で
知っている大人は
ほとんどが学校の世界の住民でした。


そのため、

学校の先生の言うことを聞かないと
生きていけない状態で

学校の先生の言っていることが
心の底では間違っていると
感じていても

学校の先生の考えに洗脳されなければ

集団生活をのりきれなかった私。


洗脳される前、
つまり小5のいじめの前は
学校の先生や同級生にとっては
私は扱いづらい人間だったのでしょう。

今から考えたら
反省すべき行動もありましたが

でも、私をいじめた人は 
いじめた行動に反省しず
私が集団で足並み揃えられなかった
から、と私の問題にして放置しているのに

…とは思うので

反省はするけど、
それ以上は自分だけが悪い人
のように語らないように
したいです。


私をいじめた同級生のしたこと、は
私に対してイライラしたんだろうな、
とは思うので、恨みは今はありません。


でも、担任の先生だけは許せません。


しかし、この大学生のときに
近代西洋美術史に出会う前までは

小学校の私に冤罪を押し付けた担任の先生は
正しくて、その先生の考えに従わないと
いけないと思ってました。
しかし、近代西洋美術史のおかげで
小学校や中学校の先生が言っていたことは
「うそ」だと気がついたとたん
洗脳がとけたんです。


そうしたら、今までは
自分が悪いと我慢してたことが
一気に噴出して

とてつもなく憎しみの感情に
変化したんです。

ただ、もう二度と会うことのない人に
何かしようとは思いません。

でも、

「学校の先生だからといって、
信用はしない!」
という、とんでもなく強い決心が

この大学生のときに芽生えたのは確かです。

「私は
誰が言ったか?で信じるのでなく
言った内容が正しいと思うことを信じる!」 
と心に決めました。
だから、学校の先生だからといって
全員を信用するわけでもなく、
また逆に全員を信用しないわけではなく
言った内容で信じたいなぁ、と。

それが、まさか20年後、
娘が不登校になったときに

いくら学校の先生が
「私たちは教育のプロですから…」
とアプローチしてきても

その内容が正しいと思わない限り、

そして、周りに「不登校だと、将来困るよ!」
と言われても

言うことを聞きませんでした。(継続中)

毒親、教育ママ、と思われようが
なんだろうが

こちらは正しいと思うことをやりたい、
そういう決心が揺らぐことはなかったです。

その決断がのちに良かったか?
悪かったか?はわかりませんが

自分の道は他人にまかせても
自分みたいな人はかえって
おかしくなる、とは思うので

自分の決断の結果を受け入れる覚悟で
娘と自分の生きる道を決めたいと思います。










続きは、また木曜日に。

ご覧頂き、ありがとうございました。

みなさま、本日もありがとうございます。


本日は木曜日なので

「図工と美術の授業とは?」の

実録エッセイマンガの続きです。



前回はこちら↓ 



はじめからはこちら↓ 



今回から三回に分けて大学編です。


高校では

今から考えると

美術での思い出もあるけれど、


今回のテーマからはずれるので

一気に大学生編に突入することに

しました。



















大学時代は

ほんとに趣味を作るのに必死でした。


小学生のときに
趣味を思いっきりバカにされて

趣味というのは

料理とおしゃれと恋愛しか
持ってはならない!

と脅迫めいた命令をされ続けたため、

趣味を持たないように

趣味を持たないように…

とすごく気をつけて生きてました。

好きなものはありましたが
あくまで受動的でした。

小6の盗作えん罪事件と
もう1つのえん罪事件と
算数0点を取ってからは

勉強以外のことを積極的に
することはありませんでした。

母がアメリカ映画やアメリカドラマを
見せてくれるので
一緒に見て楽しんだりする程度。

でも自分から観たいものはなく
ひたすら母が借りてくるビデオを
みるだけ。


まあ、そのおかげで
「Xファイル」や「ER」、
「風とともに去りぬ」
「奇跡の人」に出会えたのは
良い思い出ですが。ニコニコ


ただ、
自分からビデオ屋
(当時はDVDはなく、ビデオのみ)に
借りたいものを借りるというのは
小6のえん罪事件以降は
なくなりました。


昔は、キョンシーシリーズが好きだったので
よく借りてたりしたんですが。

マンガも買うけれど
あくまで勉強の合間の気分転換用での
購入でした。
しかも、人気のマンガを買う程度。


アニメは年の離れた弟につきあって
一緒に観ていただけにすぎず、
自分が中学に入ったら
弟がアニメを見る時期には
まだ学校から私は帰っておらず、
アニメは観なくなりました。



それが大学に入ってから

小学生のときに
「セーラームーン見てたよ!」とか
「ガンダムWが!」とか
「エヴァンゲリオンが!」とか

普通に会話してるんですよ、
大学生たちが!

私はガンダムは名前を知っていたけれど
エヴァンゲリオンはまったく知らず、

大学生のときは、他の人に聞けなくて 


夫と結婚してから
エヴァンゲリオンとは何か?を
夫に教えてもらいました。

そしてアニメも一緒に見て、
「え?このアニメが私が中学?高校?の
ときに放映されてたの?
社会現象になってたの?!」
とびっくりしたんです。

大人になってからでなくら
中学生、高校生のときに
リアルタイムで見ていたら
また感想や感激も違っていたんだな、
と思うと、

なんで小学生のときに

私をいじめることしか念頭にないような
同級生や学校の先生の言う方が
絶対的正義と思ってたんだろう、

と悔しくなりました。


「オタクであることも含めて自分」と
いう考えで中学、高校時代に生きていた
人々が今でも羨ましいです。


別にオタクであること、オタクでないことで
人間の価値は決められるものではないと
今だと思います。
どういう風に生きたって
本人が楽しければ良いわけで。



また木曜日にこのシリーズものは
更新予定です。

ご覧頂き、ありがとうございました。





みなさま、本日もありがとうございます。



さてさて、定期的に書いている

不登校のASD の娘が

最近、算数の勉強で癇癪おこしていて、

そのときに話したことなどを

備忘録として残すシリーズです♪






パン屋のイラスト




前回は、「平均」の存在が

いったい何者か?が納得できなくて

癇癪おこしていました。



前回のお話はこちら↓ 





そして今回は

単位量あたりの大きさ

についてつまづいた話です。ニコニコ




娘がつまづいたこと




「平均」のときは
その存在理由が気になり
そこにこだわって癇癪をおこしていた娘
でしたが、
「単位量あたりの大きさ」については
存在理由は本人なりに納得してました。



サムネイル

どれだけ


みっちみちに詰まってるか?


とか


逆にスッカスカなのか?


ほどよい混み具合なのか?


とか、そういうのを調べるのに

良いものなんでしょ♪


と、娘はすんなり受け入れてました。ニコニコ


まあ、「仮に一定量で…」とか、

そういう意味合いのものもありますが…。



娘にとって、今回問題だったのは




サムネイル

その計算式になるのはわかる。


でも、なんか、気持ち悪い



…でした。アセアセ


こう言われると


何回も解けばいいよ!


そのうち、慣れてくるから♪

 
サムネイル

…と思われるかもしれません。



多くの人にとっては、

そうなんだろう、とは

私も思います。



ただ、私の経験から





娘が気持ち悪いと感じるものは、99%、



小数の存在



わり算の答えが割り切れない数



と思いました。えー



なので、

「単位量あたりの大きさ」の単元は

上記のオンパレードだったから


娘は気持ち悪いと感じたのだろう、と。




この単元を習った時点では


どうしても、


わり算をして小数で答えを出すしかない。


その中には割り切れないも存在する。


下矢印


なので、

この単元を娘が納得するまでやるには

永遠に小数の世界から抜け出せない。


下矢印

解決しない。


…となります。




なので、私は無理矢理、

次の単元に進むことを提案しました



娘の抵抗と癇癪


その提案を私がしたことは


娘には予定外の出来事で

娘が癇癪をおこし、

次の単元に進むまでが大変でした。


予定外のことは癇癪をおこしやすいASD児。えーん



娘の主張としては




サムネイル

お母さんが言ったんだ!


理解して解かないといけないって!


それで私は1年以上、

そうなるようにがんばって、

できるようになった!


なのに、なぜ、今回のお母さんは

私が理解しようとする努力を

否定するんだ!

…と。ムキームキームキームキームキームキー



なので、私は



私は「理解しなくていい」とは

一言も言ってない。



理解するために


いったん撤退して


あたらしい手持ちのカードを

増やして


また、戻ろうと言ってるんだ!

サムネイル

…と話しても、



娘は




サムネイル

次の単元は分数でしょ!


だったら

「単位量あたりの大きさ」と

関係ない!


だって、ここは、

わり算と小数の話なんだから!


と怒りまくるので





だからこそ!なんだ!



分数を知れば、

私が言ってたことが

正しいとわかる!



私を信じなさい!


今まで、私がいいかげんに

授業したことはないだろう!

サムネイル



と、1日くらいに争って、



最終的に




必ず分数を勉強してから

「単位量あたりの大きさ」に

戻って勉強すること


を確約することで、娘を落ち着かせて


分数の単元に。






結果


そうしたら、あっさり





サムネイル

分数小数って

表し方の違いでしかなくて、



同じ数値を、

分数、小数(あるいは整数)で

表せるし、



わり算分数の関係って

こういうことなんだ


とわかった。



じゃあ、「単位量あたりの大きさ」も分数に表したほうが

わかりやすい。



それで、問題が小数を求めるように要求してたときだけ


分数からわり算に式を直して、

そこから小数を出せばいい!


…と、分数習ってから、

ものの数分くらいで

ケロッと娘は言ってました。口笛口笛口笛




あのときの大抵抗による癇癪はなんだったんだ…、な。泣き笑い



まあ、ASDの癇癪あるあるなのかも?

とは思いますが。笑い泣き



子供の好きにさせる、

満足いくまでやらせる、

のは大切だけど


その満足は、

その単元は、内容をやらせたら

本人が本当に満足するか?は

ケースバイケースなので



先に勉強内容を知っている親や先生が

そこらへんはうまく導いてあげられると

いいなぁ、と個人的には思います。チュー


画像はそのときの授業メモです。







娘とよく話すのですが



勉強というのは


手持ちのカードが

多ければ多いほど


臨機応変に

対応できる



他の子がすぐにできるように

なっているのでは?とか

過去の自分は習ったら

すぐできるようになったのに!


とか比べる必要はない。



わからないから

その場で必死にがんばり、

3回やっても納得できなければ

手持ちのカードを増やすために

先に進んだほうがよい!

サムネイル

…と話したら、娘は納得。



定期テストなどの学校のテストは

その場ですぐ解けるようにしなきゃ

いけないので、

納得できないけど

鵜呑みにしないと点数とれないところも

あって、ストレス過多ですが


入試勉強だと、

最終的に手持ちのカードが揃った状況での

すべての内容復習なので


個人的には受験勉強のほうが

点数を確実にとるのは難しいですが

勉強そのもののストレスは

定期テスト勉強よりは比較的少ない気がします。




今回は以上です。


次回は一番大変だった、

割合での授業記録です。






みなさま、本日もありがとうございます。



本日は木曜日なので

定期更新シリーズ、

実録エッセイまんが「図工と美術の授業とは?」の続きをば。



前回はこちら↓ 



今回は第5話で、中学生のお話です。


小学生のときのように

先生に迫害されることは

なくなったのですが


美術の先生に対しての

違和感があった話です。












オマケ漫画です。




この中学の美術の先生が

高校入試という
一番、内申点によって、
合否が左右されるという

中学教師でなければ

まあ、そういう先生もいるよね、
という程度で、卒業したら
その存在そのものを忘れていたと
思います。

その先生の考え方が合う生徒さんも
いるでしょう。
なので、私からは、その先生に
かわってほしいとは思いません。


でも、当時は、
内申点が1つ違うだけで
受けられる学校の偏差値がかなり
かわってきたので、


先生の正義に合わせるか、
自分の正義に合わせるか?
のちょうど良い着地点が見つからず
精神的にキツかったですね。


すべて先生の言うことを鵜呑みにして
本気で信じられるほど
キレイな心を自分は持っていなく、

でも内申点もほしいという俗物な心の
人間だったので。ガーン

幸い、この先生は中2までで、
中3の先生は、私にとっては
自分の正義と先生の正義が
合わさったので、楽でした。

でも、逆に中2までは
あの美術の担任の先生から
楽々内申点5をもらってた子が
新しい担当の先生になって
ことごとく、1とか2になったそうです。


私立中の美術の授業なら
独自性もあってもいいし、
よほどのことがない限り、高校は
そのまま内部進学できるので、
美術の内申点は
あまり気にしなくてよいので

まあ先生個人のお好きにどうぞ♪なんですが

公立中学の先生の場合は、
先生によって180度評価が違うと
美術だけでなく
その生徒さんたちのその後の進路が
大きく変わるので

どうなのかなぁ、と個人的に思います。

また木曜日にシリーズ更新できるよう
がんばりますね。

みなさま、本日もありがとうございます。



ASDの娘が不登校になり、

私が授業を教えていて、


算数の授業をしていたときに、

娘がつまづいた話の続きです。



前回はこちら↓ 











娘が癇癪おこしたものは?


娘自身、問題そのものは解けます。



ただ、解けても、納得できないと
解いているときにイライラし始めて

癇癪に発展することがあります。ガーン


その始まりが算数
平均」の内容でした。えーんえーん





平均に関して

解き方や原理はわかっているんです。

なので問題は解ける。

でも、ずっとイライラしてる娘ムキームキームキームキー


娘が言うには


サムネイル

平均を出す意味がわかんない!


平均って何でやるの?


…とのこと。



たぶん、この言葉だけ聞くと





勉強やりたくないから

ナンクセつけてる!


ワガママだ!

生意気だ!

 
サムネイル



…と思われる先生もいるかもしれません。


私の小学生時代の思い出


実際に私が小学生のとき
担任の先生に
同じようなこと(習う意義がわからない)を
言ってしまい、
担任の先生にブチキレられました。アセアセ

先生は…

他の子は文句も言わず

ちゃんとやってる!



お前はナンクセつけて

勉強から逃げてる!!

 
サムネイル

…と言われました。



なので、まさか、娘が私と

同じことを言葉で

発したことに

びっくりしました。びっくり




小学生のとき、私が

なぜ、その単元を勉強しなきゃ

いけないのか、わからない。


と言ったか?というと


文字通りに「わからない」からです。


ただただ、

その単元を習う意義を

知りたかっただけ


言葉の中に

「勉強したくない」なんて

入ってないのに、



「勝手に裏の意味を推測して

それで勝手に腹をたてて

怒りだしているのは

先生のほうじゃん!」

と今なら思いますが



当時の私は


自分は先生の言うように

くさった性根なんだ、と

思うようになり、

どんどん習った内容に対して

疑問を持つことに罪悪感を

持つようになりました。ガーン


そして、ふと疑問に思っても

それを飲み込んで

ひたすら答えをすぐ出すことに

価値観を持つように努力を

してしまいました。


でも、それに対して、

ずっと気持ちが悪くて、


最終的にその洗脳がとれたのは

大学生のときです。



大学生のときに、塾講師のバイトで

小学校の算数を教えることになり


そこで勉強しなおしたら


小学生のときに疑問に思ってたことの

答えが出せた!口笛

ということが多くなり、

ホッとしました。



でも、塾講師をしてて、

多くの生徒さんが

勉強の得手不得手関係なく

「深く疑問を持たずに、感情の起伏が

激しくなく、勉強している」

ということに気がつきました。


また、確かに、勉強したくないから

「何のために、勉強するのか!」と

言う子はいるなぁ、とは感じました。

(私と同じ意味で言ってた子も

いると思います。

私はそういう発言をする子に

むやみに怒ったり、諭したりは

しませんでしたが、

その子にどれだけ親身になれたか?は

自信がないです。えーん)




なので、あのとき、私を蔑んだ先生は、

「疑問を持たずに勉強してきた」経験と

自分自身が何かしたくないときの

言い訳で「する意味がわからない」と

言って逃げてきた人なんだな、と。




生徒さん自身が、
疑問に持たずに勉強すること、
勉強したくないから「意義が感じられない」と
言うことは自由なので良いです。

でも、先生が
すべての生徒さんが
自分と同じ思考と思うのは
どうかな?
ましてや勝手に勘違いして
皆のまえで毎回人格否定の
対応するのは
どうなのかな?とは思います。


さてさて、話を娘の話に戻します。





娘の言い分は…?


今までの娘の言動や
遺伝子的なものから

娘もただ単に疑問に思ったから
そういう発言をしたんだろうと思い、
つっこんで聞いてみました。



すると

娘は


サムネイル

概数を出す意味ならわかる!


例えば、テストで

みんなが同じくらいの

点数をとってて、

その点数の平均を出すなら、


概数みたいに、


まあ、そのくらいだね、

と言える。

例えば、みんな、

45点から55点くらいの

点数をとってて、

それで計算して

平均50点なら


平均を出す意義はわかる。







でもさ、みんな、

0点か100点しかとってない状態で(0点、100点をとった人が同じ人数の割合で)、


平均50点と出しても


誰も50点とってない。


なのに、平均を出す意味はあるの?!


…と具体的に教えてくれました。


実は私も昔は同じ気持ちでした。ショボーン


でも、中学3年から塾に通って

偏差値という存在を知り、

そこから、平均について考えるように

なりました。



平均点はあくまで平均点。


なので、平均点はあくまで目安で

受験では平均点より偏差値で

志望校などを決めます。



偏差値は

その集団の中でどれくらいの位置に

いるか?がわかる指針ですので。

(完全一致ではないですが、

偏差値50だと、平均点、

もしくは集団の中で

真ん中あたりの点数をとってて、

偏差値60以上だと、かなり上の点数をとり、

偏差値70を超えていると、

その中で抜群に点数が

とびぬけてとれている、とか。



ただ、集団次第なので、


中学ではテスト学年1位の子が集まった

県内トップレベルの高校の

進学校の子だけで

受けた模試でとった、偏差値60は

かなり高い点数をとっていて、

上位レベルだけど、


県内すべての

中学校在籍の子(勉強得手不得手の子すべて)が受けた

偏差値60だと、

そこそこ点数をとれている方、

内申点で言うと5段階評価で4か、

4に近い5、

になります。

ただ、その地域の学力レベル次第です。



あくまで一例です。

そうじゃないケースもあります。)





話を元に戻します。

なので、私は次のように話しました。

ただ、あくまで
イメージとして説明してて

学術的に正しいとか
そういう話ではありません。

このブログはハウツー系でなく
ただの親としての
備忘録、日記ブログです。

授業記録です。
↓↓↓↓








結果


このように説明したら

娘は


サムネイル

チームで力の差が内容にしたりするのに、平均の力は便利なんだね。


だから、私、毎回、運動会で

クラスで一番、

運動神経の良い子がいる

チームになったのか!

(娘は抜群に運動神経悪い。)



あと、たぶん、太陽系が

今のように成り立っているのも

恒星や惑星たちの重力の均衡な

感じで

平均の世界に近いかもね?

(娘の予想。)

…と納得してくれました。


真実うんぬん関係なく

本人が納得すれば

前に進めるので。


よかった、よかった。チュー


ただ、計算はめんどくさいので

未だに娘は解くのは嫌がりますが、

イライラはしないので


解き終わればあっけらかんとしてます。




次回は、「単位量あたりの大きさ」で

また癇癪に発展したので

それについてです。


続きはこちら↓ 





みなさま、本日もありがとうございます。


普段は木曜日にあげている

シリーズマンガですが、

枚数の関係で1記事でアップしきれなかったので残りのものをアップします。



前回はこちら↓ 


前回、2回目の冤罪を先生にかけられ、
そして、共同作業で絵を描くことを
私は先生に禁止されました。


そのあたりから

なぜ先生がそういうことをするのか
わからない、

同級生たちが私が困っている姿を見て
楽しんでいる気持ちがわからない、


…という、
「わからない」のキャパオーバーが
おこりました。

そして、ついに、算数で0点をとってしまった私。








そしてオマケマンガです。





私にとって
算数で0点をとったこと、
そして、
それによって大好きなマンガを読むことを
禁止されてしまったことは

かなりのトラウマでした。


このことからとった行動は

自分の死に場所探し、と、
自己顕示欲を満たすための行動でした。


誰しも、自分がすごい!と他人に
思ってほしいという気持ちはあるとは
思います。
その欲求の強さが多いか少ないか?は
性格や環境によると。

自分の周りの人全員に
「罪人」「愚鈍」呼ばわりされたら

「みんながびっくりするようなことを
やってみせたい!」
という気持ちは出てくるのだろう、と。

私の場合は
それが、

UFOとツチノコ探し、という
ほほえましい?子供らしい?
アホみたいな?
行動に出たのと、

たまたまUFOか不明だけど
UFOっぽい飛行物体を見た経験から
自己満足し、

それ以上の行動は起こしませんでしたが


もう少し年齢が高く
憤りのない怒りがつもったら、

劇場型犯罪をおかしていたかも
しれない…という状態でした。


 私は今でも、小学生のときの
いじめ、と、二回の冤罪事件は
思い出すだけで冷静な判断を失います。


私の絵を大好きと言ってくれる娘さえ

実はBちゃんのように
私をはめようとしているのでは?
とか
どうせ今は小さいから好きと
言ってくれるけど思春期に
入ったら私の絵をボロクソ言うんだろ!
とふと思っちゃう自分がいる。


でも、冷静に考えて

Bちゃんや同級生とは娘は違う!
と思う。

しかし、負の被害妄想に近い考えが
私を支配するときがあります。
とくに絵が売れなかったとき。


それで、娘が不登校になったとき、
クリエイター活動を続けたら
自分の被害妄想で
娘をいつか虐待してしまうかもしれない
という怖さもあったのは確かなんですよね。


不登校の子供と向き合うには
落ち着いた精神状態ではないと
いけないから。


その落ち着かせる
最適なツールが私にとっては
勉強でした。


算数で0点までとった私が
大好きな絵を描くことを捨てて
勉強に固執したのは

確かに自己顕示欲によるものが
大きいですが

一番は勉強をしていると
被害妄想や過去への怒りがでなく、

今で言う精神安定剤の役割を
しているのでしょうね。


勉強は私よりもできる人はたくさん
いらっしゃるし、
生徒さんでも友達でも家族でも
かなわないなぁという人がいたのに、

それでも勉強楽しいので

誰かより優れているとか
そういうのは関係なく
精神安定剤なのだろう、と。



この話の続きは、また来週の木曜日の
予定です♪

次回は中学生編です。


みなさま、本日もありがとうございます。

今月は更新頻度が少なくてすみません。

予防接種の関係で
家族内の予防接種スケジュールが
終わらないと頭がまとまらないせいで…。


未だに、小学校のときの
いじめの精神的後遺症の失敗で
日本脳炎の予防接種を受けられなかった
トラウマで、
日本脳炎の予防接種は
大人になってから自費で接種
したのですが、いまだに、あらゆる
予防接種が自分や娘だけが打たせて
もらえなくて、いじめや迫害した人
だけは生き残り、私たちは
病におかされ、
でも予防接種をしてないやつが悪いと
いじめをした人から非難されるような
恐怖が脳裏によぎり、
感染前にもうこの世から消えなくては
いけないのでは?病が
発病してしまってます。


ちょうど、日本脳炎の予防接種が
打てなかったのは

今回アップする
盗作冤罪事件直後あたりですね。


この時期は本当に地獄でした。

では、実録エッセイシリーズ「図工と美術の教育に関して考えていること」の話の
第四話です。


















枚数の関係で続きは明日アップいたします。

前回の
盗作冤罪事件

そして

今回の
二つ目の冤罪事件


により、もう頭の中はぐっちゃぐちゃ。


でも、それでもテストで0点をとるまでは
暗いながらも狂ってはいませんでした。



別に絵の評価はされなくてもいい
いじめを受けたのは辛いが
いじめだけなら狂わなかった。


狂うのは

冤罪を受けたから。

しかも、信頼できるはずの大人、
学校の先生に。



いじめで自殺してしまう子、
学校に行けなくなった子は


いじめが直接の原因で

と思われがちですが

私としては、
そのこの世または学校から
さようなら、する最後の一押しを
するのは

冤罪をうけたと感じて絶望したから

だと思います。



言った相手は善意で言ったとしても

「もっと皆と打ち解けたらいじめられないよ」などのアドバイスも、
いじめを受けて冷静な判断をできない
状態に陥っている子からしたら
「いじめられたのは、私(僕)の
責任だ、とこの人も言ってる。」
と思ってしまい、その人に心を閉ざして
しまったり…。

「もっと相談してよ!」とかでも
相談しないあなたが悪い!と
責められていると感じたり。


「あなたは悪くないよ」と
親身にしてくれても
「私を陥れる前フリかもしれない」
といじめで散々裏切られてしまった
経験をしたら、
すべての人が敵に見えたり。



あとから考えたら
「あの人は私の心を理解できなかっただけで
あの人なりに自分を救おうとして
くれてたんだ。」
と思えるし、部分的に甘えることはできる。

でも、いじめの渦中だと
そういう判断は難しい。



私の場合は
2つの冤罪で頭が狂い始め、
算数で0点をとったことをきっかけに
死に場所は確かに探していたことは
確かでした。
でも、死ぬ前に、一回ぐらい、
この世に私がいた証拠を残したいと
いう自己顕示欲が強かったおかげで
なんとかなった、というのが
次回の話です。


みなさま、本日もありがとうございます。


本日は木曜日なので、エッセイ漫画の

続きです。


このブログでも、たびたび口にする、

盗作冤罪事件の話です。


ここで私が学校の先生に対して

理性では、すべての先生がこうではない、

と思ってても、学校のすべての先生に

対してマイナスな感情を抱いたのは確かで、



この感情は、理性や世間的な正しさでは

とうてい消し去れないくらいの

レベルの感情でした。
















「どんな絵も、私が描いたとバレたら
すべての絵はダメだと
全世界の人が思っている」

この感情は、絵を描いている今も
残っています。

ふだんは奥に隠れてますが
不安感が強いときや
作品が売れなかったとき、
生理中などに

突然、わき出て
消しても消しても出てきます。


実際には

私の絵を好きとおっしゃって
購入して頂いたお客様も
いらっしゃるので

そのようなネガティブな感情は

そのお客様に失礼だ、
と理性ではわかっているのですが

どうしても出てしまいます。

0か100思考のASDゆえんの
感情かもしれませんが

当時、すべての人が私を罪人扱いをした
ことは、私にとって、かなりの思考の
歪みを生んだのは確かです。

小学生にとっては
小学校が世界のすべて(ほとんど)です。

なので、世界のすべてが自分を嫌っている、
ダメなやつと思っていると思っちゃった
んですよね。


この盗作冤罪事件は
私の頭のなかで 20年以上
定期的にループしてたので

母に話していた気になってました。

しかし、どうやら、私は一度も
この盗作冤罪事件について
母に話してなかった、というのが
4年前くらいに発覚しました。


娘にこの事件のことは話したことがあり、
娘(母から見たら孫)から母(娘からしたら祖母)に
伝わり発覚。


母は
「あの先生、そんなことしてたの!
面談とかだと、あんたのことを
ほめてたから、まさかそんなことを
しているとは思わなかったわ!」

とすごく怒ってました。


それを聞いて思い出したのは

私は盗作冤罪事件のことを
話そうとしたけれど
母が担任の先生に対して
悪い感情を抱いてないことを
感じ取って、

母に話したら、母が私より先生の言い分を
信じたらどうしよう?
と不安になり

しゃべらなかったな、と。


たぶんしゃべったら
母の場合、私のほうを信じたと思います。
だって、夏休み中、ずっと私は家にいたのを
母は見てるし、
一緒に絵のために写真をとりに出掛けたのだから。

でも、学校の先生の方を信じる母親で
あったら、もしその子が先生にされたことを
母親に伝えたら、
家庭でも学校でも罪人、嘘つき呼ばわりされて
居場所がなくなったんだろうな、
と思うので、

あの担任のあらゆることが
未だに許せません。

次回も、私にとっての
かなりのトラウマだった話です。