昨日に引き続き、左利きの私が
右に矯正されて辛かったことの
実録エッセイまんがです。
今は左利きのままの教育も認められるように
なってきましたが、
私が子供の頃は
「右利きに矯正するもの親の仕事、正しい教育」
という価値観の時代でした。
「左利きの人」のことを
「ぎっちょ 」と平気で馬鹿にしても
それが正しいという時代。
どれだけ、「ぎっちょ」と
言われたことか!
今でも、年配のかたには
時々言われます。
確かに右利き使用の道具も多くて
右利きにしたほうが楽な点もあります。
でも、生まれつきの左利きからしたら
「お前はダメなやつ」
とレッテルをはられて、
強制的に、別の人間にさせわれるような
感触があります。
利き手は小さい頃に
使い始めたときに決まってしまうので
食事と筆記の利き手は
自分が左利きのままにするか
右に変えるのか?
は自分で決めるのではなく、
親が決めることになります。
だからこそ、
親次第で、左利きの親になったとき
親はとても悩みます。
母は右に矯正しないと困るだろう、
という善意の気持ちで
私の右利き矯正をやりました。
でも、そのときと、私の癇癪と抵抗が
ものすごいものだったそうです。
母としては、もうそれで
疲れちゃったそうです。
でも、それで、
筆記は左でいいや!
と切り替えはやかったのは助かりました。
母としては
「食事は、あらゆる人としなければ
いけないから、右利きに矯正しないと
会食でも差別の連続だから
右利きにしようとがんばったけれど、
筆記は、特別な機会がないかぎり、
大人になってからは筆記を他人に
見られないから、
またあの癇癪との闘いを
繰り返す気力がわかない」
もいうことでした。
要は、
左利き蔑視する人が大半だから
蔑視される要素をつくらないように、
が右利き矯正の目的なのかな?
と感じます。
だったら、左利き蔑視じゃない社会に
なれば、矯正されないまま
生きられるのでは?
と。
ただ、そうはいかないものもある、
というのは後日のまんがでも描く
けれど。
次回に続きます。