母の日 | Centotrenta 代表 加藤いさおのBLOG                        

本日は母の日ですね

子を授かって初めて迎える母の日

私の妻も

母の日の権利を得たわけです笑

 

しかし

「母」という存在とは

強大なモノでして

 

理屈ではなく

本能で一生無償の愛を貫く

そういう存在が「母」なのだと思うのです。

 

目を閉じると

様々な記憶が蘇ります

私は、人一倍幼少期の記憶が

鮮明に残っておりまして

 

小説を読んでもらった方々には

わかると思いますが

 

ろくでもない青年期を

過ごしてしまっていた私は

当時から

どこか幼少期の記憶が

「生きる希望」になっていたような気がします

 

手を引っ張ってもらい

阪急オアシスのお菓子売り場で

「買ったろ」と母親独特の

あの笑顔で

おまけ付きのお菓子を買ってもらった事や

野良犬の子犬を拾ってきて

団地では飼えず

叱られながらも

共に飼い主を探してくれたり

動物病院に根回ししてくれていたり

 

後で考えると

「嗚呼、母のおかげだったのだな」と

気づくことが多い

「私はあんたにこういうことをしてあげた」

そんな事を自ら言わない人で

私が

ウインウインという言葉が

嫌いなのも

母の血だと思っている

 

困っている人がいたら

手を差し伸べなさい

見返りを求めてはいけない

店の店員さんに

お礼は必ず言いなさい

そんな当たり前だが

当たり前の事が基礎になる

幼少期に

そういう事を

叩き込まれた

 

この文を書きながらこんな事を思い出した

 

御堂筋線の終点

「千里中央駅」というところがある

我々 北摂の住人には

プチ都会で

阪急さんがあったり

当時はセルシー広場というところがあったり

ボーリング場

小さな映画館があった

 

母は妹と私の手を引いて

「ネバーエンディングストーリー」を

観に連れて行ってくれた

妹と私は

その映画の

ファンタジーな世界に虜になった

 

一度上映が終わり

「もう一度観たい」と母に頼むと

「じゃあもう一回観よう」と

次の上映時間まで待った

 

当時の映画館は

退場するまで

何度も観れたのだ

あの行為は違法だったのか

合法だったのか

今となってはわからないが

 

当時はそれが当たり前のように

まかり通っていた時代だった

 

2時間の映画

同じ内容を

立て続けに2回

 

子供は視点が違うので

ワクワクできるが

大人は苦痛だっただろう

 

別にうまいこと言うつもりもないが

あの映画のタイトル通り

 

親子関係は

「ネバーエンディングストーリー」なのだ

直訳すると

「はてしない物語」なのだ

親子関係に

紆余曲折あるのは当たり前であり

だけど

「母」という存在は

例え、子が幾つになろうが

 

あの時の温度感で

子に接しているのだなと

痛感する。

 

 

私が上京する時

母 妹が

新幹線のホームで見送ってくれた時

 

私は新幹線の車両の狭間で

虚無感に襲われた

 

覚悟も決めていない

ガキンチョが

その時のノリで

 

母と妹を残して

上京したことが

 

未だに

己の中で背負わなければならない

十字架だと

思っている

これは私は死ぬまで背負い続けなければ

ならない事だと自覚している。

 

私にとって母の日とは

母に感謝するのは当たり前だが

気を引き締め直す大切な日でもある

 

そして

「無償の愛」という

尊く、そして難しい事を

やってのけている

母を心の底から尊敬する日で


まさしく

それは永遠に続く

ネバーエンディングストーリー

なのである。

こんな私を

産んでくれてありがとうございます。

そして妻や自身の母を含め

世の中のお母様方

心より尊敬しております。