正月の1月3日、BSで「国盗り物語」が放送されていたので見てみました。
放送時間は午前11時から午後9時(!)という超長丁場。
その日はテレビの前から動かなくて済むよう事前におせちなどを準備し、
ひたすらテレビを見続けました。
タイトルから分かるように、大河ドラマにもなった司馬遼太郎原作のこのドラマ、
自分は大河や原作小説含めて初めてでしたが、調べてみると2005年に制作された新春スペシャルドラマの再放送のようです。一部から四部までのパートに分かれており
一部 道三・天下への野望
二部 蝮の道三・虎の信長
三部 信長・桶狭間の戦いから天下布武の道
四部 信長と光秀・・宿命の本能寺
という構成になっています。
主なキャストは次の通りです。
斎藤道三 北大路欣也
土岐頼芸 伊武雅刀
織田信長 伊藤英明
明智光秀 渡部篤郎
羽柴秀吉 岡田義徳
徳川家康 沢村一樹
足利義昭 相島一之
今川義元 田村 亮
濃姫 菊川怜
深芳野 鈴木杏樹
お槙 酒井法子
お万阿 高島礼子
「お万阿」というのは道三が婿入りする油売りの女主人。「お槙」は光秀の妻です。
自分は昔の同名の大河は知りませんが、この構成は「麒麟がくる」と同じですね。
ということは「麒麟がくる」はこの「国盗り物語」の主役を光秀に据えて作られたものなのでしょうか。
渡部篤郎さん演じる光秀も「麒麟がくる」の光秀に雰囲気も見た目もものすごく似ています。
というかむしろ逆で、麒麟の長谷川さんが原作小説やこのドラマの光秀を意識して演じたのかもしれません。
個人的に印象に残って気に入っている場面が、信長の家臣たちが官位を与えられて喜ぶものの、紙に書かれた肝心の官位の「修理亮」などの漢字が誰も読めずに光秀に尋ね、光秀がすらすらと読んで教えるシーン。
光秀はとても聡明なはずなのに、このような場面が麒麟では表現されることが殆どなかったのが残念でした。
土岐頼芸の側室の深芳野は、麒麟ではすごく下品な感じでしたが、このドラマの深芳野はとても清楚で人柄もいい可憐で健気な女性として描かれていて驚きました。
足利義昭はよくありがちですが、かなり愚かな将軍として描かれていました。
自分の義昭のイメージは麒麟の滝藤賢一、あるいは「本能寺が燃えるのじゃが」の義昭ですね。
残念ですが、司馬遼太郎の時代ではまあこんなものかも知れません。
今川義元もよかったです。桶狭間で討たれるシーンでよくあるのが、
急襲に慌ててパニックになり
「ヒイィーーー!! 誰か! 誰かおらぬかー!!」などとみっともなく逃げ惑うパターン。
しかしこの義元は動じることなく颯爽と槍を手に戦い、次々に敵を打ち倒していきます。
これ以外の場面では殆ど出番はありませんでしたが、さすがは「東海一の弓取り」
強くてかっこいい義元です。
以前のブログ「どうする家康」の感想では、この今川義元について書くのを忘れていましたが
自分は野村萬斎さん演じる立派な武将の今川義元が好きでした。
織田信長の引き立て役のようなダメ武将のイメージが強い義元ですが、
実際はこんな感じだったのではないかと思っています。
徳川家康も麒麟の家康とよく似ています。若くて優しげ。光秀ともいい関係のようです。
秀吉は、麒麟の佐々木蔵之介さんともどう家のムロツヨシさんとも全く違います。
仕官を求めて信長の前に登場した時から、身分が低く最底辺の生活をしてきたとは思えない小ぎれいさ。
性格もこのドラマの時点ではあまり陰湿さは感じられず、陽気で人懐こい印象です。
金ヶ崎の退き口では「光秀殿、家康殿。どうかご無事で」と決死の覚悟で向かい、
その秀吉の元に「我々も共に戦います」と加勢にやってきた光秀と家康に笑顔で感謝する秀吉。
終盤以降は、山崎の合戦に至るまで殆ど登場もしませんでした。
一番近いのは「無責任太閤記」という映画で主役の秀吉を演じていた植木等さんでしょうか。
自分の個人的な印象ですが、秀吉は明るく振舞っていても本質は「陰」
光秀はその逆で、真面目な堅物で「陰」のイメージですが本質は意外に「陽」なのかも。
光秀の忠義は朝倉義景や足利義昭、織田信長という個人というより、
彼らの持つ理念や理想、構想に対して向けられているような気がしてなりません。
だから自分が仕える主君の理念が、思っていたものと違うと感じたり、ズレていくのを感じるとその人を見限って当初の理想と近い考えを持っている新たな主君を探す。
自分の信じる理念を求めて真っすぐに希望に向かって突き進む姿勢は常に明るいものだったのではないかな、などと勝手に思っています。
まあそんな感じで、この日一日テレビ漬けでかなり疲れましたが、見てよかったです。
今BSでは「篤姫」の再放送をやっていますが、「国盗り物語」や「麒麟がくる」も
いつか再放送して欲しいです。
今回は以上です。