今年の大河ドラマ「どうする家康」が最終回を迎えました。
主演の松本潤さん他、出演者の皆さん。スタッフの皆さん、脚本の古沢さん。
関係者の皆さん、一年間の長きにわたり、楽しい大河ドラマをありがとうございました。
今年一年、毎週日曜日と土曜日が楽しみでした。
終盤、8:25からの展開がなかなか秀逸でした。
懐かしい面々が昔のままの姿で勢ぞろい。
その彼らのエビすくいで終わるラストは良かった。
あの石ころまんじゅうのおばあさんもまだご健在だったとは。
一体おいくつになられるのでしょうか。
お稲さんも久しぶりに登場。お元気そうで何よりです。
そして、あの南光坊天海が登場するとは、大河史上なかなか珍しい展開です。
しかも演じるのが小栗旬。
「かの源頼朝公にしたって、実のところはどんなやつかわかりゃしねぇ。
周りがしかと称えて語り継いできたからこそ、今日、全ての武家の憧れとなっておるわけです」
とは、何とも皮肉が効いています。中の人は前世で頼朝公に振り回され、随分と苦労しましたからね。
作中の会話の中に何度か出ていた、信康と五徳の祝言のあの鯉のエピソード、
ずっと気になっていましたがようやく明かされましたね。
三谷氏の「赤い洗面器の男」の話のように、最初から結末のないお話なのかと思っていました。
ただ、話しながら思わず吹き出してしまうような面白い話でもなかったですね。
家臣たちとの強い絆を改めて感じるいいお話とはいえ、どちらかと言えば
「まったくあいつらは・・」と苦笑いしながら話すような内容でした。
ただ唯一残念だったのは、最後の戦が終わってから家康が亡くなるまでの一年間の活動がほぼ省かれていたこと。
この間、家康は最後の力を振り絞り、武家諸法度を作っていました。
「英雄たちの選択」でいうところの「家康の終活」です。
二度と戦を起こさせたくない家康にとってこれこそ一番大事なところ。
ここはちらっとでも描いて欲しかったですね。
後はおねさんが良かった。あのお人柄が本当に素敵でした。
「真田丸」のおねさんは、怒りに任せて暴走する秀吉を尾張弁で叱り飛ばしていましたが、
今回のおねさんもそんなシーンがありましたね。
ずっと一貫して尾張弁は素朴な感じだけど、芯の強い聡明な女性だと感じました。
さて、今回の大河、自分的には過去最高に楽しめた大満足の作品でしたが、
ネット記事やそこに書かれたコメントを読むと、残念ながら批判する向きが多いようです。
曰く「CGばかりでリアリティーがない」「脚本が奇をてらい過ぎ」
「主演の松本潤の演技が下手だ」「重厚感がなく軽すぎて薄っぺらい」
「ジェンダーやLGBTに配慮し過ぎ」「瀬名の描く理想がファンタジーだ」
といったところ。要は「女の子大河だ」ということのようです。
確かに、去年のドロドロした濃密な人間関係の「鎌倉殿の13人」と違い、
古沢氏の脚本は、軽快さやテンポの良さ、明るさなど、独特のセンスを持っています。
まるで「ドロドロだけは意地でも避けたい」とでも決意しているかのよう。
批判はありましたが、自分はその古沢氏の脚本の方が合っているようです。
「小豆」→「阿月」
「もう無理。わしは自害する」→「乱世の亡霊たちよ。わしを連れていってくれ」
などの史実の使い方。今回の回では家光のウサギの絵など、
自分的には「そうきたか」とその発想には毎回唸らせられました。
そしてあの重厚感のかけらもない、軽いノリのテーマ曲。
これまでの大河によくある「ドン・ド・ドン・・」という重低音の太鼓の音とはかけ離れた明るいポップな音楽。
横書きのタイトルロール。内容に合わせて毎回変化するオープニングのアニメーションや、
3度も変わり、一回限定まであったオープニングの絵柄など、とにかく全てにおいて斬新です。
こういう批判の的となっているところが、自分にとってはことごとく好みに合うのです。
恐らくですが、批判している人たちが求めるものと、自分が求めるものとは根本から違うようです。
かつて、三谷幸喜氏が新聞のコラムで次のような事を書いていらっしゃいました。
「大河の脚本家には大きく分けて二通りある。踏襲型と革新型だ。
自分は前者の典型的な脚本家で、古沢氏は後者の典型だ。
この二つはどちらが正しい、間違っているというものではない。
革新型がこれまでの大河に新たな流れを作り出し、踏襲型がその流れを引き継いでいく。
この二つの潮流が、お互い影響を与えあうことにより、大河ドラマはより深く発展していく」
こんな感じの内容だったと記憶しています。
去年の大河を傑作で今年は駄作だという人がいるが、とんでもない。要は好き好きです。
古沢さんも、また大河の脚本を書く機会があれば、その時はよろしくお願いします。
自分事ですが、元々、歴史には何の興味もなかった自分が大河を見るきっかけになったのは
三谷氏脚本の「新選組!」でした。
当時はまだネット環境も整っておらず、知識を得るための頼みの綱はテレビ番組。
「幕末」「新選組」というキーワードの番組を、新聞の番組欄で探しまくっては片っ端から見ていました。
そして次に「真田丸」。今度は戦国時代。またまた知らない事ばかりで同じことの繰り返し。
いつしか歴史番組を見る習慣ができ、気が付けば歴史そのものより歴史番組自体が好きになっていました。
そして「麒麟がくる」を挟んでの今年の「どうする家康」
多少の日本史の知識も身に付けた上で見た、思い出に残る大河ドラマとなりました。
来年の「光る君へ」も完走できるかわかりませんが、とりあえず見てみるつもりです。
今回は以上です。