平和と机上の空論 | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

2015年09月30日にエンライトが発表した記事を復元いたしました。
(美雨・代理人)


「敵を想定するから敵が現れる。平和のみに意識を向けよう」
スピでよく聞く台詞である。
だが残念ながら、その理念が通じるほど人類の意識レベルは高くない。

歴史を振り返っても、ろくな軍事力を持たなかった国はどんな運命を辿ったか?
知らないはずはあるまい。

「地球がアセンションすれば、軍隊が要らない時代になる」

ならば、現実にそういう時代が来てから、その台詞を吐いてほしい。

まあ、私の予想では、あと数千年は無理だろうね。
そもそも相対宇宙の法則に基づく限り、完璧な平和など有り得ないのだ。


ここ数か月、安全保障関連法で世間が大騒ぎしていた。
国会前では頻繁にデモが行われた。

だが永田町にも一般の住民がいる。
デモ隊の中には、夜の9時を過ぎても太鼓を叩いたり、大声を張り上げていた者たちがいたらしい。

彼らは世界の平和は願っても、地元住民の平穏な生活は平気で踏みにじっていた。

安保関連法に関しては、人それぞれ意見があるだろう。
賛成するのも反対するのも自由だが、極論が多すぎる気がする。

完璧な法律はない。
必ずメリットとデメリットがある。
メリットだけを見て全面賛成だの、デメリットだけを見て全面反対だの、短絡思考すぎる。


「日本は先進国として、自国の繁栄と安全だけを享受するのは許されない。 国際社会において日本は十分に貢献すべきである。 特に国連の常任理事国入りを目指すなら尚更だ」

この理屈は…まあ、筋は通っている。
だが本当の貢献とは何か?
国際貢献は大切だが、日本の場合 「相手のご機嫌取り」 「見捨てられたくない」 という卑屈な根性が見え隠れする。

故に、今回の安全保障関連法は、私は諸手を挙げて賛成することは出来ない。(全面反対もしない)

ここ数年、日米安保にも色々動きがある。
米国に守られるだけではなく、日本も米国に協力する…という関係は、確かに対等なパートナーシップに見える。

だが実態は、米国に都合よく利用されているだけ…。
米国は戦争に伴なう自国民の犠牲者の数を減らし、戦争費用も減らしたい。
故に、その一部を日本に肩代わりさせたいのだ。

安倍首相の側近も 「米国を繋ぎとめておきたい」 と本音を吐いている。

要するに 「日本もアメリカを守ろう」 というのは甘ったれた幻想であり、本当は 「日本は便利な金づる」 として扱われているだけである。
これの一体どこが対等な関係なんだ?

自衛隊のイラク復興支援活動を思い出す。
非戦闘地域に派遣ということだったが、実際には輸送機の上をミサイルが飛ぶ、危険な地域だった。

首相官邸からは 「米軍支援であることをあまり表に出さないように」 と防衛庁に指示があったという。

結果的に、医療関連物資を運ぶシーンが公開され、国連活動の平和的支援であることが強調され、偏った報道が広がった。
国民に実態が十分に知らされなかったのある。


さて、日本は今まで70年間も戦渦に巻き込まれていないわけだが…、その原因はどこにあるのだろう?
右派左派の見解は真っ向から対立している。

右派・愛国者の見解。
「自衛隊や日米安保のお陰だ」 「憲法9条は何の役にも立っていない」

左派・改革派の見解
「憲法9条のお陰だ」 「日米安保は破棄せよ」

どちらが正しいのか?
私は両者の見解にそれぞれの真実が含まれていると思う。

日米安保には強力な影響力があったのは事実。
自衛隊や米軍の睨みが効いていればこそ、周辺の 「ならず者国家」 の脅威を回避することが出来た。

では、右派の人が言うように平和憲法は何の役にも立たなかったのだろうか?
そんな事はない。
憲法9条にも強力な戦争抑止力があったはずだ。

理由は次の通り。

日本の国政は、長いこと自民党が牛耳ってきた。
そして彼らはいつも対米追従してきた。
アメリカの顔色を伺い、国際社会にてアメリカと足並みを揃えようとしてきた。

アメリカは 「世界の警察」 の如く、他国の問題にちょっかいを出し、軍事力を行使してきた。
自民党はその度にアメリカに協力しようとした。

もちろん憲法9条の縛りがあるから、自衛隊の力をダイレクトに投入することは出来ないが、何らかの形で関与しようとしてきた。
1991年の湾岸戦争では戦争費用を捻出した。

つまり自民党は、この日本を 「アメリカのポチ」 にしてきた。
情けないほどの体たらくである。
その上、もし憲法9条が無かったら、どうなっていた事か?

もう分かるだろう。
アメリカさんと一緒に戦争に参加。
9条の縛りがない分だけ、軍事力を直接的に行使していたに違いない。

つまり9条が無ければ、日本はこの70年間で何度も戦争に参加していた可能性がある。
結果的に一部の国から恨みを買い、アメリカを襲った911テロ(同時多発テロ)と同じように、日本も大規模テロのターゲットにされたかもしれない。

それらの点を考えれば、「憲法9条は何の力もない」 という主張には無理がある。
平和憲法は確かに役立っていたのだ。

それと同時に、自衛隊や日米安保にも巨大な力があったことも認めなければならない。

つまり平和憲法、自衛隊、日米安保という3つの要素が揃ってこそ、日本は70年もの平和を享受できたのだ。
どれか一つが欠けても、日本は戦渦に巻き込まれていただろう。


軍事力に依存する平和は決して理想的とは言えない。
だが、理想だけで平和が守れるほど現実は甘くない。

そもそも今の平和憲法とやらは、「日本を2度と米国に歯向かわないようにさせる」 という戦勝国のエゴによるものだ。
そんな憲法が平和のシンボルと言えるだろうか?


さて、今までは日米安保にも意味があったわけだが、今後はどうなるか…。

個人的な希望だが、日本は独立国としての真の誇りを取り戻してほしいと思う。
アメリカに守ってもらう平和にいつまでも依存してほしくない。
自国の力で安全を守れる国になってもらいたいと思う。

まあ、甘い理想論かもしれない。
国際社会において、相互の繋がりは重要であり、完全な独立自存は不可能である。

だが、米国の傘にいつも守られている現状はやはり異常だと感じる。
いつまで米国の腰巾着を続ける気かと。
日本はアメリカのポチ (犬) という言葉をよく聞くが、今後、日本はますます米国の言いなりになり、搾取されるだろう。

「日米合同委員会」 による密約が何度も日本国の主権を犯しており、自民党と官僚どもはその売国行為に加担している。