最近、「つぶやいて」ばかりで日記を全然更新してませんでしたが、ちょっと時間もとれたので、久しぶりに記事を書いてみましょう。

さて、今宵のネタは
「来年の発表会に参加するとしたら、何を弾くか」
ということ。

先週のレッスンにて
・ラフマニノフのチェロソナタ3楽章
・カッチーニのAve Maria
を師匠に提案させていただいた。

しかし、師曰く
「ラフマは止めときなよ~ピアノが難しすぎるし、合わせるのも大変」
「カッチーニはNG。簡単すぎてうたえない。もうちょっと
 動きのあるものにしてみたら?」
との仰せであった。

早速、メンデルスゾーンの譜面を調べてみたのだが、
どうも、練習しきれる感じがしない。

そこで、さらに調査を続行。目標は
「ショパンチェロソナタ3楽章」並にグッときて、
かつ難易度がハマる譜面を見いだすこと。

ベートーベンのチェロソナタ4番1楽章は、かなり良い線だったが、後半で僕が弾ききれる音の高さをオーバーしてるように思えたので、たぶん無理。

・・・とか考えてると煮詰まってきてしまったので、
Vc+Pf用に作曲された以外の曲も視野にいれてみて、
(たとえば以前、ヘンデルのVnソナタ4番よりラルゲットを弾いた)
現在、有力であると思う候補は以下のとおり。

・ドボルザーク Romantische Stucke op.75 をVcに転調
・ベートーベン ピアノソナタ「悲愴」よりAdagio Cantabile
 (Vogel & Guerout によるVc+Pf編曲版)
・チャイコフスキー 弦楽4重奏1番よりAndante cantabile
 (Leo Schulz によるによるVc+Pf編曲版)

さてさて、どうなることやら・・・
来る9月25日(土)に、C交響楽団の”旗揚げ公演”が行われます。
筆者にとっては、初のアマチュアオーケストラ参加記念です。

これまで、演奏者1人あたりに配布されるチケット枚数に制限が
かかっていたので、ブログでは記事にしておりませんでしたが
まだチケットが残っているということで(汗)
制限解除されましたので、宣伝させていただきます。

日時:9月25日 14:00開演

場所:第一生命ホール

演目:

 R. ワーグナー
 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』より第一幕への前奏曲
 R. ワーグナー ジークフリート牧歌
 A. ドヴォルザーク 交響曲第9番『新世界より』


筆者は、チェロパートの一番後ろで弾いておりますので
姿が見えにくいかも知れませんが、
運良く見える席に座れたとしたら

「弾いてるフリして、実は左手が動いてない場所探し」
「他の人と弓の動きが違っている回数カウント」
など
存分に楽しんでいただけるかと思います。

(その楽しみを、なるべく裏切れるよう、頑張ります!)

チケットをご用命の方は、どしどし連絡願います。

この日記では、これまで3回に渡って先の大戦について綴ってきた。

今日で8月も終わりということで、今回のシリーズの最後に

最近読んだ本のことを書く。


その本の名は


「永遠の0」


こちら、単行本はもう4年前に出ていたのだが、

僕が知ったのは、今年の8月9日。

前日にお目にかかった新倉瞳さんのブログ にて

紹介されていたのがキッカケ。


こ、これは!と思い、ものすごく久しぶりに

文庫本を購入。


なぜ、「これは!」かと言うと、

実は自分の小学生時代の愛読書は

「ああゼロ戦」 という漫画だったから。

(タイトルは、少々うろ覚え。とにかく分厚い漫画だった)


ちなみに、自分が今エンジニアをしているのも、

この漫画で堀越二郎にあこがれたのがキッカケ。


ついでに、自分の乗り継いでいる車は

ランサー(三菱)⇒レグナム(三菱)⇒レガシー(スバル)

だったりもしているわけである。


話がそれてしまったが、この本は

「涙がこらえられなくなる」一冊である。


涙が・・・というより、自分は

嗚咽がこらえられなかった。

本を読んだり、映画を見たりして涙したことは多々あれど、

嗚咽がこらえられなくなったのは初めてではなかろうか。


文庫本の帯の裏には、


「僕は号泣するのを懸命に歯を喰いしばってこらえた。

 が、だめだった」 児玉清


と書かれていたが、この書評は大げさではない。


誰かがamazonのカスタマーレビューにこう書いていた。

「8月に読む本として、おすすめする」と

同感である。












本日、日経ビジネスオンラインに、素晴らしいコラムが載っていたので紹介。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100811/215770/


ここのところ、考えていたことが

鮮明に記述されていて、大きく頷かされた。


以前から、3月10日や8月6日を迎えるたびに

「なぜ、せめてレイテ戦に失敗した時点で止めなかった???」

と他人事のように思っていた。


このコラムが述べているように、

ポイントは「議論しよう」にあると、今は考えている。



しかし、不思議なのは、本文中で指摘されている


『毎年8月になると被爆問題が議論される中で、

 「なぜ当時の日本政府はもっと早く敗戦、

 降伏の決断をしなかったのだ。

 そうすれば、沖縄の惨劇も広島、

 長崎の被爆も避けられたではないか」

という方向に日本での議論が向かわない』


ということ。これは本当なのだろうか?


確かに、現在、「戦争したこと自体が間違いだった」とする話ばかり耳にするが、

「なぜ、昭和20年になっても続けていたの?」という議論は、

終戦後、戦闘の推移が明らかになったとき、

まず真っ先になされなったのかしら?

特に、原爆記念日などには。


ちなみに、本コラムで引用されているマイケル・サンデル教授を

私は知らなかったので、早速、

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

を発注してみた。

本日の日本経済新聞社説

「敗戦の教訓をいまに生かしているか」

から、感想を3点。


感想その1.


<社説の序文より>


『大戦で命を失った日本人は民間人も含め310万人。

 目を閉じて想像してみよう。

 15年前の阪神・淡路大震災で無くなった人は約6400人。

 この震災が484日間連続で日本を襲ったにひとしい犠牲者の数だ』


・・・死者の数を量的に比較することの賛否はあると思いますが、

  「敗戦」が、どれだけ酷い事件であったのかを伝えたいとき、

  この手法はありだと私は思った。



感想その2. 


<中段より>


『私たち一人ひとりが敗戦の教訓を胸に刻み、日本の進路に生かしていきたい。

 戦争への深い反省が欠かせないのは言うまでもないが、

 それは出発点にすぎないだろう。

 なぜ無謀な戦争に走ったのかを徹底的に検証し、

 同じ失敗を繰り返さない努力を尽くすことが必要だ。』


・・・これも、全面的に賛同。

  さらに、日本人にとっては、(あるいは、世界的教訓としても)

  <戦争は、悲惨なので、道徳論としていけない>という以上に

  <日本が先の大戦に走ったことは、愚かなので、いけない>と

  私は思っている。


  このとき、より重要だと思うようになったことは

  <先の大戦に走ったことは、愚かなので、政治的にいけない>

  としてしまうと、あたかも他人事のように感じられ、

  私たち一人ひとりは「道徳的に反省すればよい」と錯覚しがちになること。

  

  

感想その3.


<社説の結論より>


『情緒と願望に押し流され、

 現実を踏まえた冷徹な外交を忘れたとき、

 国の安定と繁栄は危うくなる。

 この歴史の教訓を改めて肝に銘じたい。』


・・・それはそうなのだか、何かひっかかるものが。


 <中段>での問題提起を踏まえると

  「敗戦の教訓を改めて肝に銘じたとき、

   私たち一人ひとりが、どうあるべきか」を掘り下げ

  2010年8月15日における日本経済新聞社の『説』として欲しかった。


  しかし、他社の社説を読むと

  「えー?8月15日に想うことは、そんなことなの??」と私には思える社説もあり

  日経の社説は、考え方の方向性として賛同できる。

  

  そこから先は、一人ひとりが考えて行動せねばならないのだから。


  そのために必要なことは、まず教育だと想う。

  自分の経験からしても、妻や子供達の話を聞いても、学校の授業で


  「なぜ無謀な戦争に走ったのかを徹底的に教え、

   同じ失敗を繰り返さない議論を尽くしている」


  というフシは見られないので。