【楽しい終活の専門家】最終的に終活に結びついたわたしの想い | 『楽しい終活の専門家』佐藤真砂子のブログ

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『自分の人生の「希望」と「安心」が手に入る!楽しい終活ワークショップ』でエンディングノートが書けて終活について学べる講座を開いています。

 


『楽しい終活の専門家』
佐藤真砂子です。

 

 

 

 

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私は、父親を71歳で母親を73歳で

そして3つ年下の妹を52歳で亡くしています。

 

 

 

 

私がこの仕事を始めた一番の理由は

すぐ下の妹に病気がわかり

入院・自宅療養をしたときに

介護をしていたことの経験から

気づいたことが多かったからです。

 

 

そのことは

多くに人に伝えていかなければ

いけないのではないか。

きっとこの情報を

欲しがっている人がいる。

そんな想いでした。

 

 

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―妹の介護・看護の経験が気づかせてくれたことー


私が50歳になったころ、

当時40代後半の妹から 

「お姉ちゃん、私、

頭に腫瘍が2個あるの・・・」
この電話をきっかけに

生活が一変することになりました。


幸いにも当時の私は

仕事をやめたばかりだったので、

夫を残して地元茨城に

戻ることにしました。





妹がおひとりさまだったこともあって、

私にはたくさんやることがありました。


病院への付き添い、
治療方針や大量の薬を減らすための

お医者さんとの話し合い、
余命宣告と病状から

不安定になってしまった妹の

精神状態のケア。



妹の職場とのいろいろな事務手続き、
働けなくなってしまった妹の

生活の不安を少なくするために

各種公的助成制度を申請、


自宅療養をするために

介護保険制度の手続きと
訪問看護や訪問医療などの手続き。


 

こうした制度を利用しながら

多くの人の協力があって、

妹を最期まで

自宅で看ることができました。




「自宅で看取る」ということは、

決めてしまえば

ごく普通にできることでした。

(病気によるかもしれません。)

 


おかげさまで

「自宅で自然に亡くなる」

ということは

本人にとっても見送る側からしても

ゆっくりと心の準備ができて

よい経験でした。




実際に自分で妹の看護と介護を

経験することで見えてきたことは

「知らないとできないことがたくさんある」

ということでした。



いくら使える制度があったとしても、

知らなければ使えないし、

知っていてもどこに申請するのか

また、自分から申請しなければ

使えないということです。



妹の場合は

ケアマネージャーさんが

よく動いてくれたことと

私自身FPの資格があったことで

お金に関する知識があったことが

幸いしました。

 

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それと同時に身に染みたのが、

自分が病気やけがをして

長期入院や療養生活を

しなければならなくなったとき

「自分はどうしたいのか」

「誰にどうしてほしいのか」を

決めておくことの重要さでした。

 

 

意識がなくなったり

認知症になってしまったときに

「判断を誰に任せるのか?」
自分の「生き方」を決めておかないと

その判断は家族に委ねられます。



これは

家族にとって精神的に大きな負担を

強いることになるし、

家族間での意見の相違から

もめごとに発展しかねないのです。

 

実際、妹の意識がなくなったときに

たくさんの決断を迫られました。

私の決断1つで妹の命が左右される

本当につらい決断でした。

 


 


―母の入院・死亡が大きなショックに―

妹の介護をしているときに、

母親の病気がわかり

あっという間に亡くなってしまう

そんな事態が起こりました。

 


診察を受けて即入院、

すでに手術ができる状態ではなく、

余命宣告通り1ヶ月で

逝ってしまいました。

これは私にとっては大きなショックで、

ずっと長い間

私を苦しめることになったのです。


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母と私は折り合いが悪く、

いつも母をみているとイライラして

暴言を吐くといういやな娘でした。

そんな関係にあった母が入院したとき、

妹の介護をしていた私は

あまり病院に行くことができませんでした。


結局、母が息を引き取る直前の

意識のない状態のときになって

やっと謝ることができたのでした。


それでも
今までの許しを請うことも、
娘として母の娘時代の話しを聞くことも、
父との馴れ初めや結婚を決めた話しなど、
何も聞かずじまいになってしまいました。

また、料理上手だった母の手料理を

受け継ぐこともないままに、

別れを迎えることに

なってしまったのです。




母の死後、

ずっと自分を責め続けていましたが、

母が入院中に書いた一冊のノートが

私を救ってくれました。


それは、

私たち娘一人一人宛てに書いた

メッセージと、

母の兄弟である叔父叔母宛てに書かれた

メッセージでした。


その手紙には、私たち家族への感謝と、

家族以外の方達への感謝が

綴られていました。



母の入院から看とりまでの1ヶ月は

多くの人の協力のもと

成り立ったものでした。


娘の私とは折り合いが悪かった母ですが、

母には友人がたくさんいました。



私が病院に行けないことを

知っているので、

代わる代わる毎日のように

病室に行っては

話し相手になってくれたり

身の回りの世話をしてくれていました。


また、叔父や叔母は

病院の先生との

打ち合わせの立ち会いや、

病気の妹を連れての

お見舞いに協力してくれました。

(一人では連れていけない)




周りの人を見れば

その人の生き方がわかるといいますが、

母の周りには母を助けてくれる人が

たくさんいたのです。


私は、

母の友人たちの行動を見ていて、

母の生き方を

知ることができたのでした。




―後悔しない自分らしい人生を歩むためにー

妹と母の死を通じて、

私はたくさんのことを経験し、

たくさんのことを学びました。


生活の不安をなくすための制度、
自宅療養をするための介護保険制度、
訪問看護や訪問医療などの制度. . . 。
そして、母が残してくれた手紙。


それらによって、逝ってしまう人も

残される私たちも

たくさん助けられました。


また、母からの手紙がなかったら、

私は今でも大きな痛みを

抱えていたかもしれません。




私が経験してわかった役立つことは

みんなに知ってほしい。



だから、
~自分の人生の「希望」と「安心」が手に入る!~
エンディング・ノートの書き方の

ワークショップを開いたのです。

 



今、私はみなさんのお役に立てることが

すごくうれしいです。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

 

 

楽しい終活の専門家:佐藤真砂子