NHNの連続テレビ小説『虎に翼』の公式X(旧Twitter)は、第52回で初登場した俳優・滝藤賢一さんが演じる多岐川幸四郎について…「多岐川、衝撃の初登場シーン! 実際の滝で撮影がおこなわれました すごい迫力ですよね…!」と紹介⁉
多岐川幸四郎の肩書は、家庭裁判所設立準備室長で寅子(伊藤沙莉)の上司?
多喜川は、司法省の中でも変わり者として知られ、初登場シーンでは滝行で精神統一を行っていました❗
法曹会館の屋上に建てられたバラック小屋の準備室で寅子が初対面した際、多岐川は小屋の前で七輪を出してスルメを炙って…‼
自己紹介もそこそこに相手のことを知るには酒を酌み交わすのが一番と笑い、室長補佐の汐見(平埜生成)から「駄目ですよ、こんな昼間から」と制止されていました⁉
また闇市の食べ物を一切拒否し栄養失調で亡くなった寅子の学友・花岡(岩田剛典)を「大バカたれ野郎だね」と非難?
憤慨した寅子は撤回を求めましたが、多岐川は「人間、生き残ってこそだ」と拒否し、反論する寅子の話を遮り、「けんかほど時間の無駄はない。分かり合えないことは諦める!」と耳を傾けませんでした❗
GHQからの通達により、桂場等一郎(松山ケンイチ)らは家庭裁判所設立へ始動‼
寅子は、家庭裁判所設立準備室に異動⁉
寅子たちの仕事は、大正から続く少年審判所と新設1年足らずの家事審判所を合併、2カ月後には全国に家庭裁判所を発足させる…という展開?
1948年(昭和23年)10月…花岡悟の訃報から1年、最高裁判所発足から1年半が経とうとしていました❗
初代最高裁判所長官は星朋彦(平田満)、桂場は人事課長、久藤頼安(沢村一樹)は秘書課長‼
1949年(昭和24年)1月1日から新しい少年法が施行されることに⁉
寅子は裁判官採用を条件に、異動を?
準備室は法曹会館の屋上に仮設❗
準備室には、大学時代の同期・小橋浩之(名村辰)、そして稲垣雄二(松川尚瑠輝)の姿がありました‼
少年審判所と家事審判所の合併は困難⁉
双方が反対、議論白熱の中、チョビ髭の多岐川は居眠りを?
SNS上には「滝藤、滝行、多岐川…滝づくし」「滝行のシーン、要る?(笑)」「寝るなw」「クセ強すぎるw」「曲者しかおらんのか?法曹界w」「今日は滝藤賢一スペシャルといった回w」「分かり合えないことはあきらめる。登場初回から名言が多すぎる」などの声が続出❗
そんな多岐川幸四郎のモデルは、おそらく“家庭裁判所の父”と呼ばれた宇田川潤四郎さん‼
宇田川潤四郎さんは1907年に東京で生まれました⁉
1929年に早稲田大学を卒業され、この年に高等試験司法科に合格?
1938年に満州に赴任され、新京地方院の審判官を経て、中央司法職員訓練所の教官に就任❗
その後、敗戦により帰国‼
帰国して日本で目にした、多くの戦争孤児たちに宇田川潤四郎さんは衝撃を⁉
当時、戦争で両親を失った子供は、全国に約12万人以上いたといわれています❗
宇田川潤四郎さんもこの戦争で子供を亡くされ、奥様にも先立たれたそうです?
宇田川潤四郎さんは、家庭裁判所の設立から関わり、最高裁判所家庭局の初代家庭局長に就任‼
1949年1月1日、家庭裁判所を設立⁉
宇田川潤四郎さんはその後、家裁調査官研修所や、京都家裁の所長を歴任?
宇田川潤四郎さんは、東京家裁の所長にも就任しますが、体調を崩してしまいます❗
宇田川潤四郎さんは、最期まで家庭裁判所を案じ、お見舞いに訪れた佐田寅子のモデル…三淵嘉子さんに「後をよろしく頼む」と遺され、1970年に亡くなられました‼
宇田川潤四郎さん…享年63歳⁉
ちなみに、三淵嘉子さんが1972年に、女性として初の家庭裁判所長に就任されます?