内藤頼博 | 文武一道

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主に『映画』『音楽』『芸能』『文化』『経済』『歴史』等、つまり雑学?(あと、『カンフー映画』にはかなりDEEPにハマッてます!)



 NHNの朝ドラ『虎に翼』第46話は1947年(昭和22年)3月、佐田寅子(伊藤沙莉)は新しい日本の憲法に希望を見いだし、法曹会館へ向かいます❗


 空襲の被害に遭った司法省が仮庁舎として使用しています‼


 寅子は裁判官として雇ってほしいとアポなし訪問⁉


 人事課にいたのは桂場等一郎(松山ケンイチ)?



 熱弁の寅子に興味津々の久藤頼安(沢村一樹)は「人手不足の上に、GHQも彼女を見たら喜ぶ」と語りますが、桂場は難色を示し…という展開❗

 久藤は寅子を「サディー」と呼び、夜、猪爪家を訪問⁉


 猪爪はる(石田ゆり子)に「私はてっきり、彼女のお姉様かと」と語りました‼

 桂場は反対したものの、寅子は主務・久藤の下、民事局民法調査室勤務に?



 民法調査室は大学時代の同級生・小橋浩之(名村辰)がいました❗

 小橋は久藤を“殿様判事”と呼びます‼


 久藤は世が世なら久藤藩藩主だったといいます⁉


 昔から変わり者として有名?



 戦争前に米国の裁判所を視察、その素晴らしさを訴えていた“アメリカかぶれ”といいます❗


 「ま、変わり者だから、おまえと波長が合うのかもな」と⁉

 寅子たちの仕事は「民放親族編及び相続編の法改正」でした‼

 SNS上には「ライアン、調子いいなw」「口が上手い」「胡散臭さ抜群だわ」などの声?



 開幕した新章に新風❗


 初登場から存在感を示した久藤頼安(沢村一樹)‼


 その久藤頼安のモデルとされているのは、内藤頼博

 内藤頼博さんは1908年生まれで、寅子のモデルの三淵嘉子さんより6歳年上になります?

 内藤頼博さんは、旧信州高遠藩主内藤子爵家の第15代当主として、東京府豊多摩郡内藤新宿町に生まれました❗

 ちなみに、新宿御苑は内藤家の敷地‼

 内藤頼博さんは、家柄が良かったからでしょうか?

 「殿様判事」と呼ばれていたそうです⁉

 内藤頼博さんは、性格も温厚だったそうで、裁判官仲間からも「殿様」または「ライハクさん」と呼ばれ、親しまれていたそうです⁉

 久藤頼安の「ライアン」という呼ばれ方は、「ライハク」から?

 1930年に東京帝国大学法学部を卒業❗

 在学中の高等文官試験司法科に合格され、翌年判事に任命‼


 セレブ感漂うかなりのイケメンで、身長も当時としては長身の方だったとか?

 内藤頼博さんは、1947年に新憲法に基づく各種の法制度に取り組み、裁判所法の改正にも携わりました❗

 また、内藤頼博さんは家庭裁判所創設のキーパーソンに‼

 東京家庭裁判所長、広島高等裁判所長官、名古屋高等裁判所長官を歴任⁉

 1973年に退官され、弁護士になります⁉

 その一方で1979年から1987年まで多摩美術大学学長を、1975年から1991年まで多摩美術大学理事長を務められました❗

 1987年から1993年までは学習院院長も務められています?

 2000年に92歳で亡くなられました‼