2013参拝振り返り【千葉2/2】
千葉後編は坂東札所です。
僕的にまず楽しませて貰ったのが笠森寺。
坂東三十一番札所 笠森寺(長南町)
笠森寺は少し小高い丘の上にある感じで、比較的広い駐車場からは10分程参道を登っていきます。
どうも幹の穴をくぐると子宝に恵まれるそうで、画像に写るお二人もくぐられていました。
さらに歩を進めると境内に。
見ての通り、丘の上のさらに上に本堂が。
昔からの建物を尊重しつつも、耐震・耐久性のためには、こういった補強も必要なんでしょうね。
そして中に入らせていただき参拝。
堂内は撮影禁止ですが、そこからの眺めは問題なし。
まずは本堂から境内を。
本堂からは約16メートルだそうです。
そして周辺の眺めはコレです。
何とかは高いところが好きと言いますが、まさしくそいうことなんでしょうか?苦笑。
天気が良かったせいか、気持ち良かったですね。。。。
坂東三十三番札所 那古寺(館山市)
http://www.kanko.chuo.chiba.jp/kanko/2872/
画像を見ていただくとわかるのですが、夕方の日差しを正面に受けています。
つまりこちらの本堂は西を向いています。
しかも参道は画像の右側、つまり南から通ってきています。
ということは普通に作るなら、参道を正面に見る、南向きに作るのが普通のところ、ここはあえて西向きに。
何故?
景色がいいから?
まあ、それもあるかもしれない(笑)ですが、土地柄、海の安全を祈念してということのようです。
こういうところって、お寺が地域に密着した存在であることの証のような気がします。
そして、こちらに伺うということは結願ということですね。
こちらで御朱印を頂くと、住職の方から以下のように。
「お疲れ様でした。三十三札所の参拝を確認させて頂きました。それと昨年の11/25に始めて、一年後の本日11/24に結願ということは、きっちり一年間ということですね。素晴らしいですね。」と。
ということで以下の証を頂きました。
(勿論、志を納めさせて頂きましたが。)
そして、せっかくなので、久しぶりに御朱印の公開です。
こうして見ると壮観ですね。
よくよく調べていくと、坂東札所は2013年に参拝するよりも、2014年に参拝する方が総開帳な分、参拝しがいがあったのかもしれません。でも、それはそれ。また、参拝すればいいだけの話です。
とはいえ、坂東札所については、多少、緩やかに参拝させていただく感じかな。。。
他にも魅力的な札所が沢山ありますからね。。。
そんなことを考えながら、那古寺の少し上にある見晴台から夕陽を眺めていました。
ちなみに千葉坂東札所巡りは日帰り×2回で廻ったんです。
1日目は千葉寺⇒(成田山新勝寺)⇒龍正院⇒圓福寺⇒(銚港神社)⇒(満願寺)⇒帰路
2日目は清水寺⇒笠森寺⇒高蔵寺⇒那古寺⇒帰路
多摩地区に住む僕は宿泊して行くともう少し色々と廻れたのでしょうけどね。
それとこれは千葉に限ったことではないのですが、お寺の閉門って意外と早いですよね。
特に冬は。
概ね16時~17時といった感じでしょうか。
次回は秋・冬ではなく、春・夏に来たいと思った僕でした。
何て言うか、参拝終わりに見る夕陽って、「少し物悲しい」反面、「また頑張る気持ち」を充電してくれる気がします。
2013参拝振り返り【千葉1/2】
関東最後は千葉です。
以下の通り、千葉は坂東三十三観音札所以外はあまり廻れませんでした。
源氏の影響もあって、鎌倉の影響(やぐらとか)を受けた寺社が房総の方を中心に多々あったのですが、日程的にどうもね。。。
坂東:圓福寺・龍正院・千葉寺・高蔵寺・笠森寺・清水寺・那古寺
坂東以外:新勝寺(成田市)、満願寺・銚港神社(銚子市)
ということで、まずは坂東以外のところから。
坂東以外の3寺社ではやはり新勝寺ですよね。。。
成田山 新勝寺(成田市)
説明不要なお寺ですが、僕なりに少し。
まずは撮影した写真とともに。
高さ15メートルの総檜造りだそうで。
中の壮大さを予感させる門です。
派手さはないものの重厚感ありますね。
比較的、華やかな建物の多かった時期ですね。
雲水紋の彫刻が鮮やかですね。
垂木も一枚板のようで立派です。
変な話ですが、維持が大変なんでしょうね。。。
昭和43年の建立で鉄筋コンクリートです。苦笑
中には(車椅子用の)エレベータもあります。
火災とかで作り直したわけではないあたり、こういう大きさのものが必要だったということだったんでしょうね。。。
大本堂手前にある参拝の受付場所なんかもそうでしたが、一度に大量の人を受付できるような場所が。
そういったものに応えるためには、木造で作るのはコスト的に難しいと判断したのでしょうね。。。。
大本堂の建設のため、昭和39年にこちらに移築されたそうです。
たまたまですが、近くを通った女性が「私が小学生の頃はこっちが本堂だったのよね。。。」と。
ということで、この方は50代後半確定ですね。(^^)
仁王門とほぼ同じ時期で、華美さはあまりないですが、その彫刻とかの凄さときたら。。。
これは北東側の壁ですが、壁以外にも扉にも五百羅漢の彫刻があり、そのどれもが表情豊かなもので。。。
思わず、堂内の方から御朱印を頂く際に、建物の凄さに対する感動した気持ちをぶつけてしまいました。笑。
その方も「そうですね。こちらの建物は、毎日見ていても飽きないですから、たまにしか来られない方なら余計にそう思われますよね。」と。
新勝寺一番のお勧め建物です。
1701年元禄時代の建立。
釈迦堂よりも少し華やかな雰囲気がありますね。
大日如来様、不動明王様、愛染明王様がご本尊。
奥の院
光明堂の裏手にあり、中には大日如来様が安置されているそうで、年に三日(7/7~7/9)だけ御開帳というか中に入れるそうです。
知識不足で申し訳ないのですが、横にある石碑(梵字)が考古学上価値のあるもののようです。
昭和59年の建立ということで、僕よりも若いです。笑。
建物の下の方は、新勝寺の歴史博物館といった趣き。
各種ウンチク好きには、外せない場所ですね。
そして建物上部は不動明王を中心とした曼荼羅の世界。
いいですね。
そんなわけで成田山新勝寺は境内が広いだけではなく、宗教施設に対して使う言葉ではないかもしれないですが、見どころ満載なので、二時間近くいちゃいました。
この他にも、美術館とか成田山公園とか稲荷社等々時間があればもう少し見たかったですね。。。
そして成田山の門前町と言えば。。。
やはり鰻ですよね。
通りには何軒も鰻屋さんが、店先で捌いたり、焼いたりしているところを見せながらのお店が沢山。
諸事情あって、鰻は国産ではないかも(未確認)ですが、その場で捌いて焼いているのは間違いない。
美味しゅうございました。。。。
そんなわけで千葉1/2は成田山新勝寺だけでしたが、こうして振り返ってみても圧巻なお寺でした。
2013参拝振り返り【群馬3/3】
群馬三回目の振り返りです。
本当のことを言うと、二回で良かったのですが、ちょっと変わった?備忘録になる予定だったので独立させてみました。
前橋市 福守神社
※公的なサイトはなさそうです。
この神社ですが、実は位置づけとしては摂社か末社だと思います。
境内の主は橘神社と言う神社です。
一見、普通の末社のような感じです。
わかります?
アップにすると。。。。
わかりますね。
「男のあこがれ」です。(嘘)
御利益としては「子宝授与」と「子孫繁栄」だそうで、まずは「子宝授与」についてですが、祈念時に「すりこぎサイズの御神体を一つ」を家に持ち帰り、授与し、無事出産した暁には、お礼参りに「預かった一つを返納し、新たなご神体を製作し、奉納するという段取りを取るのだそうです。
しかし、また何でこんなところに。。。。
と思ったのですが、ちょっとブレストしてみました。
まず伝承されている話としては「前橋中心街にあった遊郭の女性らが疫病予防に建立を懇願した」という話があります。
(実際は松平大和守の家臣らの命により建立)
しかし、これだと「疫病予防」ということと「子孫繁栄」ということとは直接つながりません。むしろ、「避妊」をしたいぐらいだったはずだろうですから。
併せて、この地域は明らかな「田・畑」の地域です。
この神社が出来た時分も明らかに「田・畑」中心の地域だったはず。
よって、人手=子供=特に男の子が必要だったはず。
そんなわけで結論。
「この地域はとにかく人手の欲しい地域だった。子供が欲しい地域だった。しかし、娯楽の少ない地域ゆえ、何かあると、遊郭とか遊びに行く旦那たち。そこで『遊郭の女性の疫病予防祈願』の神社を設置することにより、『遊郭=疫病にかかりやすい』という構図を作り、遊郭に行く旦那たちに遊郭へ行く抑止力を働かせ、仕事と子作りに集中し精を出させる」という感じだったのかな。。。と。
まあ、妄想です。
でも、神社というのは、結局、人の思いを神の名の下に具現化させる場だとも思うので、近しいのかな。。。とも。
「男の・・・」次は「女の・・・」です。
前橋市 産泰神社
こちらは末社ではなく、立派な社と境内のある神社です。
装飾された彫刻も見事ですが、絵師は東京(江戸)から、棟梁は長野(信州)から呼ぶ等、かなりのお金をかけているのがわかります。
そしてこの神社もまた、福守神社と同じく「子宝授与」「子孫繁栄」をご利益としています。なので、七五三とか初宮参りの方がとても多いですね。
その謂れですが、公式HPによると
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天孫邇邇芸命は、笠沙の岬で大変美しい女神に会われ名を尋ねると、大山祇命の娘で木花佐久夜毘売であると名乗りました。
邇邇芸命に求婚され一夜の契りを結び御懐妊しましたが、邇邇芸命に国津神との不貞を疑われます。佐久夜毘売は「もしこの子が国津神の子なら、無事に産むことは出来ないでしょう。反対に邇邇芸命の御子ならば安産に違いありません。」と、出入り口の無い産屋を造り中に籠られました。やがて出産の時が来ると、内側から火を放ち燃え盛る炎の中で、三神を無事お生みになられ、ご自身も無事であったといいます。
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何とも今も昔も変わりません。苦笑
まあ、今ならDNA鑑定が出来ますけどね。
そんなわけで子宝授与の神様として祀られたようですが、そこを背中押ししたのがこれです。
ちょっとわかりにくいので解説されていた札を。
何といっても岩なので、似てる似てないはありますが(笑)、「ここをくぐると安産になる」というパワースポットとして認知されていたようで、赤ちゃんが生まれれば、お礼参りにまた来るといった感じなのでしょう。(現在は岩が崩れる可能性があり、くぐるのは禁止だそうです。)
そんなわけで、群馬最後の振り返りは少し艶のある神社となりました。
群馬はあまり食事とかで目立った特徴のあるところではないですが、肉も野菜も生産地そのものだったりするので、今年も何かと時間をかけて廻ってきたいと思います。






















