青春18きっぷの旅・平福
青春18きっぷ使って、佐用町の平福へ行って来た。
佐用町には5年前訪れてるが、駅前の散策のみだったので、中心街と言うか観光の目玉である平福は今回初めての訪問だ。

自宅から北急、JR、智頭急行と乗り継ぐこと約3時間で着く事が出来た。

相も変わらず強烈な陽射しが刺して来る炎天下だが、じめじめ感はやや少なめだった。
到着が12時半頃だったので、まずはめし!って事で、食堂を物色したけど、見当たら、な、い、!が、本陣跡だった所の前にそばの幟が立っていたので、ソレに従いお休み処の古民家・瓜生原家へと行った。
この瓜生原家は昔は鋳物業をしていたお店で、現在は片隅が蕎麦メインの食堂となっていて、室内見学も出来る。ココで蕎麦を食べ、腹を満たした。コレに関しては後日述べる事とするが、非常にうまかった!

食事の後、写真でよくねたにされてる川端風景を散策したり、古い街並みをブラツいたりした。なんでもここはその昔因幡街道の宿場町だったそうで、かつては指物屋、呉服屋、米屋、鋳物屋などの商売をしていたであろう古い商家が結構残っている。
が、現在までお店を続けてるのは数件だけで、殆どは住まいや他業種のお店になっている。
おそらく平福の鎮守様となってるであろうお寺や神社にも、併せて訪れた。あまり参拝する人がいそうでない神社は結構埃っぽいが、夏の花々がきれいなお寺もあった。

また、この地域では空缶を加工した風鈴が流行っているようで、家の軒先や玄関など、あちこちに空缶風鈴が飾られていた。ガラス製の本格的な風鈴祭りをしているお寺もあったが、時間の都合で残念ながら訪れる事は出来なかった。

智頭急行の駅を隔てた山の上には、江戸時代初期の利神城跡があるが、今は石垣しか残っておらず、しかも整備中なので、登って行く事は出来ないが、それにしてもこんな暑さなんでそういう気力もなかったが。それでも、ふもとからきちんと石垣は見える。

約3時間半、平福の町をじっくりと観てまわった。バイクや自転車あればもっとたくさん観てまわれたであろうが、メインの観光エリアは概ねまわれた。
今回は炎天下の夏だったが、秋や冬の季節に訪れるとどんな風情なんだろうか?
小泉八雲朗読のしらべ
本日はライブではなく、「小泉八雲朗読のしらべ」の観賞をして来ました。
場所は谷町四丁目の山本能楽堂。その字のごとく、普段は能を演ずる場所で、なんと、相撲部屋みたく舞台の上に屋根がある。

出演は小泉八雲の曽孫である民俗学者小泉凡氏と、俳優佐野史郎氏、ギタリスト山本恭司氏で、いずれも松江市に所縁のある御仁たちであります。(小泉氏は平成元年より松江市在住、佐野氏と山本氏は松江市出身で高校ん時からの親友同士)
観客は年配やお年寄りの方々が半分以上で、我々のようなROCKファンは少なかったです。
一部が小泉氏の講演で、小泉八雲ことラフカディオ・ヘルンの型破りかつ波乱万丈な一生涯、出身国であるアイルランドには妖精や超自然の物語が多く、日本の民俗信仰と類似性がある事、大阪をアメリカのシカゴみたいな町であると愛していた事や、どんなに科学が発達していても、このような”見えざるもの”の影響は消えない事などを語られておられました。
そうだな、現代でも科学技術で以ってしても、やはり解けない事象もあるんだな、とは私も思ってますが。
二部が、佐野史郎氏と山本恭司氏の朗読パフォーマンス。
演目は「勝五郎の再生」「ちんちん小袴」「飴を買う女」「むじな」「耳なし芳一」の五選で、いずれも妖怪やお化けが主題のお話しだが、人を怖がらせるきもだめし感覚ではなく、日本昔ばなしのストーリー語りに近いです。
普段TVドラマやVシネマで観ている佐野氏とは全く違ったしゃべり方、しかもいろんな人物になり切って語るので、全く別の一面を堪能出来ました。
一方、ギターの山本氏は、洋楽ロックのリフが出たと思いきや、日本民謡なサウンドが出たり、トリッキーなプレイやアーミングで赤ちゃんや人の鳴き声、足音なども表現されて、場を盛り上げました。
これらの演目は、物販で本を買ったので、あとで読んで、また聴いてみたいと思ってます。
最後にこの演目をやり始めて早や15年になり、「耳なし芳一」の聖地である壇ノ浦の赤間神宮で演ろうとしたところ、声が出なくなったり、背後に火玉が出たりしたので、御札を求めたというお話しや、能楽堂での公演は何度かあるが、身元が引き締まる思いだ、などのお話しもされていました。
音楽のライブとはまた違った引き込まれるような朗読の調べ、また聴きに行きたいです!
「第36回上野の森美術館・日本の自然を描く展」が終わって
今年も、自分の絵が上野の森美術館に展示され、多くの方々に観てもらえました。

コロナウィルスが収まりつつあるもののの、今年も出品数は1845点と少なかったし、普段作品が飾られてるであろう壁には、何も飾られてなかった事もありました。
私が会場にいた3日間、来場者はそこそこ多く、入選して記念撮影している家族の人達や、外国人の方々、宿題で美術鑑賞して感想文書いてる子供達もいました。
受賞入選問わず、「この絵、オレの絵よりもいいんではないか?」と思わせるような絵や、「きれいすぎるワ~!」というような作品が多かったのは勿論です。
また、私の下に本格派の切り絵が展示されていたので、観ている人たちの目線がソッチのほうへ行ってるケースもありました。
上位下位問わず、ここに展示されてた人達の作品の技法を今後取り入れて行きたいとも思っています。
さて私の作品、今回は近所の公園の秋の風景でしたが、紅葉の表現に力を入れたゆえか上位入選でした。
私の作品を観てる見ず知らずの人達のハナシに聞き耳立ててみると、
「この作品、なんとか切り絵展ではハネられるよ!」
「ここの部分(ちぎって表現しないで)、はさみで切ってるからネ!」
「でも、この人はこう(いう表現)なんだからいいんじゃない?」
などと言われました。
オレは別にそんな切り絵展には出品しません!(笑)
今年も観に来てくれた東京の友達はもちろん、全然見ず知らずの人達も、私の作品をじっと観賞していただけたり、写真撮る方もいらっしゃいました。

今年も最終日の講評会はなく、後日文書で講評される事となりますが、以前みたくボロンチョンに貶められるのではないか?と、ドキドキ・・・です!
観に来て下さった方々には、重ね重ね感謝いたします。ありがとうございました。
次回も秋の風景になると思いますが、単なる美しい風景画に留まらず、その場所に感謝を込めた作品になると思います!
4年ぶりのデカンショ祭!
この3年もの間、ひょっとして鉄道模型の運転会よりも、セッションやバンド活動よりも、貼り絵の展覧会よりも、![]()
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なお店参戦よりも、ザ・ドゥービー・ブラザーズの来日よりも、待ちに待ち楽しみにしていた事なのかもしれない。

今年、4年ぶりにデカンショ祭りが開催される事になったんで、非常に嬉しかった!
尤も台風7号の近畿来襲が心配で、案の定15日と16日のうち15日は中止となったものの、翌16日には開催される事になったんで、丹波篠山市へと足を向けた。
篠山口駅を降りたところ、約10~20分毎に無料シャトルバスが出ているというので、ソレに乗る事にしたが、駅前ではなくてそこから200m位のJAの建物がある駐車場。
人いっぱい乗せたバスは、途中の臨時停留所で数人拾いながら丹波篠山市の中心街へと向かったが、道路は駐車場探すクルマでやや渋滞気味、ようやく終点に着いた。
とは言ってもココは会場の近くではなく、町並みから割と外れた市民センターの駐車場で、会場の三の丸広場まではまたまた200~300m位歩かねばならない。
しかもあたりは古い町並みの中ではなく、田んぼと公共施設ばかりなので、丹波篠山市へ来た時いつも感じてる風情があまりしなかった。
だが、この3年間開催されず、しかも昨日は中止だったんで、その反動だからか来場者が非常に多かったようで、三の丸会場はお祭りに来た人たちでごったがえしていた。
総踊りがはじまるまで屋台を物色、焼き鳥とホルモン焼きうどんを腹に入れて、踊りに備えた。毎年定番で出店していた、チープだけどおいしいラーメンが出てなかったのが残念だったが。
たそがれが収まり、空が群青色になりかけた午後7時15分、いよいよ今年のデカンショ総踊りが始まった!私は今回も飛込連に入り、丹波篠山市自慢の大きな櫓ん周りで踊りに踊った!

3年間の中止から、ようやく再開出来た事に喜びを感じながら目を潤ませ、ベテランの方々を見よう見真似したヘタクソな踊りをして楽しんだ。

今回はご当地キャラは出ていなかったが、どういうワケか2頭の恐竜キャラが出てて、子供たちの興味を引いていた。

常連の市役所や郵便局の職員の方々、そして全国大会へ出場した市内の某高校のスポーツ部のメンバーも踊りに加わり、それこそ”輪になって踊ろう”だった。
実行委員の方だろうか?法被着た強面のお兄さんと一緒に盛り上がったりもした。
1時間15分後、1回目の花火がドンドコ上がって、総踊りは一旦お休み、篠山音頭と打ち上げ花火が15分間披露され、そして、また、2回目のデカンショ総踊りが開催、またもや櫓を囲んで飛込連で踊り出した。
ホンマ、老若男女、優顔強面問わず、みな一緒にこのデカンショ総踊りを楽しむ様は、なんてすばらしい風情なんだろう!
2回目の総踊りは20分位あり一旦休止、その後アンコールが起こり、またまた10分位踊り、最後の最後にフィナーレで花火がドンドコ打ち上って、今年のデカンショ祭りは終了した。
帰路の事だが、行きと同じくシャトルバスを30分くらい待って乗り、篠山口駅へと向かい、JRの最終電車には乗れたものの、ここ数年間で、JR西日本、阪急、北急のいずれも最終までの列車は減便されているので、鉄道のみでは帰宅出来ず、タクシーも使わざるをえなかった。
「祭りの後はむなしい~。」とよく耳にするが、そうではなく、もうこんだけはっちゃけさせていただけたんだから、この後は今抱えてる自身の課題を地道に粛々と遂行して行く事が、今年残りの目標だな。
あと一歩で禁断症状だった?!
写真の3種の薬を買って来た。言わずもがな、ほとんど切れかけてるので。
陀羅尼助丸は、ついこの間食べ過ぎで腹がもたれたので、飲もうとしたら最後の1袋だった。
そんなにしょっちゅう胃や腹が痛くなったりもたれたりはしないが、いつそうなるかわからないので常備薬として置いとかねばならん。
キンカンは現在使ってる液体ムヒSが切れかけてるから。
まだ数回は塗れると思われるが、容器振ったら液の音がしないんで、もうそろそろ終わりだな。蚊がキスをしに来る今の季節には絶対必要不可欠だ。
最後、練り歯磨き。オレは歯ブラシにあまり付けないんだけど、いつの間にかなくなっていた。
ここ数日は、フタの裏や口まわりにへばり付いたものを付けて磨く、というビンボー臭い事をしていた。
”いつまでもあると思うな!”だし、まさに薬の禁断症状が来るギリギリの処置だったな!
自分でも腹が立つほどの加齢臭
この炎天下の猛暑ん中、仕事で2時間くらい外に立っていた。
しかも黒Tシャツ、帽子無し、リストバンドなしのスタイルで。
まぶしすぎる位、そしてあまりにも強すぎる陽射しなんで当然暑く、汗びっしょり。
原因は自分にあるにも関わらず、自分でも腹が立って来るくらい、ムワア~ッーと加齢臭が漂い、身体の周りに纏わり付いている!
まさに汗体臭状態!
だから、迂闊に電車で女性の横に座る事さえ躊躇するような状態だった。
家に戻って、クーラーと扇風機をガンガン掛けたので、汗でシャツがベチャーッは治まったが、臭いまでは取れていない。
水分取ってたものの、それほど飲まなくてもいける状態だったのと、熱中症にならなかったのが幸いだったが、30台の頃と違い、アラ還の今はなるだけこんな炎天下では行動したくないな!
デビュー当時の車体色が復活
JR筑肥線、「国鉄色」電車復刻 電化40年でお披露目会
デビュー時のこの色が復活したのは、非常に喜ばしい事だ!
グリコセブンティーンアイスのソーダフロートみたいな塗色だが、列記とした旧国鉄の正式な車体色で、スカイブルーが青22号という色で、クリーム色がクリーム1号という塗色。
地味な印象の旧国鉄色が多い中、この組み合わせが非常に鮮やかな印象を与えるのが不思議!

現在はこの車両も、件のミトオカデザインにより、赤とシルバーグレーの変な塗色に塗り換えられてしまってて、なんか趣味が悪い感じに思える。
1998年だったか?一時、戻された編成もあったが、すぐに変な車体色に戻った。
私の鉄道でも、1987年のデビュー以来、ずうーっとこの色で走らせて来ている!
実車は筑肥線と福岡市の地下鉄線しか走った事がないマニアックな車両なのに、海のそばはもとより、田園、渓谷、一昔前のヤード等、結構あちこちの線路を走らせて来ていて、セブンティーンアイスソーダフロート色の強烈な印象を与え続けている!

だが、基本設計が昭和の電車なので、その後登場した新型車両に比べるとどうしても劣るので、新型車両に置き換えられつつあり、活躍もそう長くはないものと思われる。
私の鉄道では、永久に現役だけれどもネ!

















