
30周年特別投稿・ぼくのわたしの恋活婚活歴
「その後全く恋活や婚活はやらなかったのか?、これからはもうやらないのか?」などの質問が今までに何度かあったゆえ、今日の日記ではオレの恋活歴婚活歴について少し語っておきたい。
話しの流れをスムーズに理解していただきたいので、元カノと知り合う以前の話しから進めて行く事とする。
オレは京都街はずれの大学へ入学する前、いや大学の受験期から彼女が欲しくて欲しくてたまらなかった。
ところが、京都という県民性か土地柄ゆえか、オレが知らんだけだったかも知れんが、同年代の多くの若者たちと広く知りあうような軽めのサークルや団体なんて、当時は殆どなかった。
そんな折、当時同じ鉄研に入ってた同輩A(先のオレに元カノ紹介した男)がボランティアをやっており、この男が「そんなに彼女が欲しいんならココどうや~?楽しいでー!」と、執拗にそのボランティア団体を勧誘して来た。
何度も断っていたが、2回生の時、Aが同じ団体の女子と楽しげにふざけあってるのを目の前で見て「どうしても彼女が欲しい!」という衝動に根負けし、このボランティア団体に加入してしまった。
このボランティア団体、最初は夢だった女の子と楽しくしゃべれたり、鉄研とはまた違った男友達とも楽しく話が出来て楽しかったが、自分が3回生ともなると、責任ある役職に就けられて強制的に活動させられたり、夏の企画イベントにも参加させられたりして、もはやボランティアの域を逸脱してるのではないかという感じだった。
体力的な面や学業成績の理由などで断っても、まるで新興宗教団体や高額な英会話教材販売業者のように粘られて ~しかも粘ってる奴は同じボランティアのメンバー~、参加させられた事が多かった。
鉄道趣味も殆ど出来ず、元々このような活動自体に興味はなかったのだが、益々嫌いになって行った。
それに加えて、元々不器用でドジな性格、動きが鈍いゆえ、Aは次第にオレをみんなの前で小馬鹿にしたり、からかったり、見下したり、批判したりするようになっていった。
他のボランティアメンバーやこの団体の責任者も結構辛辣で、先に述べたように活動に強制的に参加させるなど、自身の論理を押し付けるキツイ輩がほとんどだったので、3回生時の9月には退会した。(因みにこの時Aも退会したが、のちに復帰した。)
この大失敗からの反省もあって、元カノにフラれて以降は、鉄道趣味というレールの上をつき進んで行く事をメインに活動して行く事とし、恋人との出会いは自然な出会いに任せ、もう自ら進んで恋活はしない事とした。
「今は留年決定の4回生だし、今更新たにサークル入るワケにも行かん。もう少しの間辛抱すれば社会人になるから、その時に多くの女性達とも知りあえるだろう。」てな甘い夢をも描いていたが、事実社会人になってからの約4年間は、数人の女性と知り合ったものの、立派すぎて手が出せない女性や、メチャ好きとまでは行かずFade outに終わってしまったり、声かける前に既に彼氏が出来ていたり、不器用なゆえ同じ部署の女子社員に嫌われ反抗的な態度取られたりしてたので、社内恋愛社外恋愛ともに望むべくもなかった。
また最初のカイシャは週休1日で、盆暮れ正月休暇も極端に少なかったので、その少ない休日は例によって鉄道趣味をメインに活動しており、恋活らしい恋活は全くと言っていいほどやってなかった。
おかげで自分独自の鉄道趣味が創造&展開出来たが、鉄道以外に恋活婚活にも興味を持ち始めた学生時代の鉄仲間とは、考え方が次第に合わなくなっていき、ケンカはしなかったものの疎遠になって行った。
そうは言うもののそんなオレ自身も、転職してさらに東京へ転勤してから約1年後、あくまで“鉄道趣味を継続維持発展させる事”という自分ルールを厳守の上で、ねるとんパーティーを皮切りに、当時の大阪や京都にはなかったいくつかの社会人サークルの他、趣味のサークルにも2,3加入したり、異業種交流会に参加したりして積極的に活動して行った。誘われた合コンにもよく参加した。
ねるとんパーティーでは、木嶋佳苗のような女にダマされそうになったり、サクラがほとんどだったり、社会人サークルでは、“ワタシ達はカッコイイ男見つけにイベント参加してるのに、なんでまたアナタ達なの?“的な顔で、「よく会いますね~!」と言われたり、あらぬ疑いをかけられたりもしたが、その反面、鉄道以外の趣味、かけがえのない友人たちに恵まれ、鉄道趣味もますます独自性を増して豊かなものになって行き、非常に充実した東京や横浜でのライフスタイルを送る事が出来た。
”多趣味で多才な人”、“引出しの多い人”、“いろんな事をよく知ってる人”とまで言われるようになったものの、それだけで終わられてしまう事が多く、残念ながら1人の恋人にも婚約者にも恵まれなかった・・・。
そして2002年。「10年間恋活婚活やって来たけど、あまりにもうまく行かない。少々疲れて来たのでしばらく休もう。」と活動休止していた時期に、カイシャでリストラ宣告を受けて大阪へ戻らされ、そのまま自然消滅という形で恋活婚活を辞めた・・・。
そのカイシャを完全に退職した後はご存知の如く、実家の仕事を半強制的に継がされ、親父の下で働きはじめたワケでして、この人は感情的で高圧的、口やかましくかつ仕切りたがり屋、急に要件を言う、しかもガンを患ってたゆえそれらの性格が益々エスカレートし、オレは既に40台のオッサンになってるのにも関らず、公私共々まるで高校生ん時に戻ったような気分だった。
それゆえ、“こんな状態で恋人作ったらおかしくなる・・・。”と判断して恋活婚活はもうやらなかったし、親父も「おまえは女性に対して押しが弱いし、性格も変わってるから結婚は無理!」と完全に諦めていた。
ただし、それらで培った“多種多様な人々と出会い、仲良くしていく”という行動は継続していたので、地元関西でも新たな友人に恵まれた。
そしてオレは、相変わらず多くの友人に恵まれている。リストラ以前とそれ以後とでも、年賀状の枚数がさほど変わっていないのが何よりの証拠であろう。

(1985年当時のオレ。21才。元カノと別れて約2週間後。)
30周年特別投稿・元カノのおはなし
以前、数人のネット仲間が、御自身の日記に元奥さんの出会いと別れを書き記しておられたので、30周年記念という事もあり、負けじ?と書いてみる事とする。
元カノとは合コンで・・・と言うか、当時あるボランティア団体で行動を共にしていた友人Aの紹介で知り合った。(Aの彼女の友達)
オレよりも一つ年下、山口県出身で京都西はずれの短大に通う学生だった。
時代劇女優の小林かおりに似ていて、背は162cmのオレと同じくらいだがやや寸胴体型、ガリガリだったオレと並ぶと彼女のほうがデカく見えた。
当時、この男Aとはまあまあ仲が良かったが、次第にオレをみんなの前で小馬鹿にしたり、からかったり、見下したり、批判したりする等の態度が酷くなって行ったので、数か月後この団体からの退会と併せてコイツとも別れる事とした。
その時、彼女とつきあわない事も考えたが、彼女を作る事が大学受験期からの最も一番の大きな夢であり、他に女性と知りあう機会に全く恵まれていなかった現状に根負けしたのと、”彼女の人格はコイツとは別”と勝手に解釈して付き合う事とした。
その受験期に、夢見てた恋人の容姿に若干似てたと言うのもあった。
今なら絶対につきあわないと思うが。
デートはそれなりに楽しかったが、彼女は元々あまり積極的な性格ではなく、何だかオレとの間にバリケートを張っているような感じだった。
最初のウチは”男をダマす女じゃあるまいし、まあこんなモンだロ?”と思っていたが、それにしてもあまりの消極的な態度に苛立つ事が多かったのを記憶している。
また当時は気付かなかったし、深くも考えなかったが、普通は彼氏に対してする筈のない無礼な言動や、すべきではない話題も彼女は口にしていた。
おそらく彼女はオレを愛していなかったんだろう・・・。
一方オレ自身も、あまり押しの強い性格ではなく、極端に話すのがヘタで、そんな彼女の態度にDVパワハラモラハラどころか、注意したり怒鳴ったり厭味言ったりもせず、いつもニコニコして接してた。
むしろ“物静かな性格だから、きっと落ち着いてて思慮深く大人なんだろう”と勝手に解釈し、質の高いカップル目指し、大学生によくありがちな人生や生き方に対する考え方などを話題ネタにしていたが、当然あんまし楽しそうではなかった。
“落ち着いていて思慮深い”のではなく、ただ単に消極的で主体性がない口数少ない女子なだけで、恋愛観は女子中高生とそう変わらず、“短大生なんだから、もう少し成長した恋愛観を持ってほしい。”と思った事もあった。
紹介したAのカップルみたく、他人をけなした話題などで盛り上げたりなんて事したくなかったのだ。
そんな風だったから、オレ達のカップルはほとんど進展性がなかった。
にもかかわらず、会う度に彼女の事がますます好きになって行き、~オレは恋人運に恵まれないせいか、多少の支障があっても好きになってしまう欠点がある~、見てるだけ会ってるだけでも幸せ状態になってしまっていた。
やがて彼女は、卒業間近に故郷で就職が決まり、それを理由にフラレ、その後数年間は恋人どころか、人生において辛く悲しい出来事が次々と起こり、失恋で淋しい思いに耽っている暇もない位、それらに立ち向かわなければならなかったのは、2011年2月27日の日記 でも述べたとおりである。まあ、知りあう以前からあまり楽しい学生生活ではなかったが。
辛い下積みの最中に、恋人や相方に励まされてその後大成した偉人や成功者とは違い、誰も助けてくれなかったし、どストライクな助言や励ましをしてくれる人もいなかった。
仮にもし別れてなかったとしても、あの元カノがオレを支えてくれるなんて事はなかったと思う。
30年めの失恋記念日
また、今年も失恋記念日がやって来た。ついに今年で30周年になってしまった!

従来通り、最後のデート場所であった石清水八幡宮と、縁結びの神様で有名な地主神社にて行事を執り行い、最後に一緒に食事したケンタッキーフライドチキンを食べる、ロックのライブビデオを観賞する、を行うのに加え、30周年記念行事の一環として、元カノが住んでた最寄駅に降り、デートの後よくバイバイした場所を訪れる事と、京都で有名な![]()
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なお店へ訪問するイベントを付け加えた。
30年前という事は、AKB48グループのメンバー殆ど、ももクロメンバー全員、![]()
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なお店の女子店員サンの殆ど、またダルビッシュも羽生結弦も石川遼も、まだこの世には出てはいなかった頃でして、年月の流れを感じさせるし、この間に生まれ育って、もう親になってる人たちも多いはず。
また、当時21歳だったので、その後の年数の方が長くなってしまい、当時まだ少年っぽく人見知りするガリガリ青年だったオレも、今や高年齢に差し掛かりしゃべり好きの下品な脂肪肝気味のおやぢとなってしまった。
昨年同様、もう51歳であと何年生きれるのかはわからないが、残された人生は、恋人には恵まれなくても、残りの人生、前向きに顔張って生きる事、そして自身の得意分野で以って多くの人々を幸せにしていく事などを、両神社にて改めて誓った。

石清水八幡宮は参拝者はそこそこいたけど、いつもながらの閑静な神社と言う感じであった。最近は数年前までやってたうまいもの市が開催されていないので、失恋記念日以外で訪れる機会がほとんどないのが残念だ。
一方、地主神社は、外国でも有名な神社らしく、アジア系の若者やカップルや観光客がたくさん訪れていた。みなさん、本当に楽しく幸せそうで和やかな雰囲気であった。

参拝の後、三条と四条との間にある、京都で有名な![]()
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なお店を訪問した。コレについての詳細はまた、つぶやきにて小出しにお話しして行く事とするが、“京都行った時のついでに訪れるのはイイだろう。だけど、この目的の為だけにわざわざ京都まで行く必要はない。“というのが大雑把で率直な感想だ。
そのお店から出た後は、元カノと最後に食べたケンタッキーフライドチキンの店を訪れた。食べたのは当時のメニュー(チキン2個とコーン) + 今話題となってるフライのフィッシュと焼きおにぎりとコールスロー。ケンタッキーのメニューは好きだけど、ここ10数年はクリスマスイヴとこの日にしか食べていない。
最後に、元カノが下宿してた場所近くまで来て、感慨に耽った・・・。と言いたいが、夜の8時頃にそんな事やってると、不審者やストーカーに間違えられそうなんで、すぐに退散した。まあ、近くが公園なんでそこに佇んでいたんだが。
30年という歳月はあっという間だったし、元カノに対する怒りや憎しみ恨みも、時月(とき)の流れで“ああ、そんな事あったなあ~。”としか思わなくなって来てるようだった。
だから、付き合ってた時は何度も来てた場所なのにもかかわらず、“そう言えば、ココ来た事あるなぁ。“位にしか感じなかった。

帰宅してからは、明日からの気合と活力を入れるため、昨年末武道館で開催された矢沢永吉のライブ映像を観て、自分自身を勇気づけた。
もう30年も経ってしまったので、大がかりな失恋記念日行事は今年で一旦休止する事としたい。
ただ、自分にとっては、正月や誕生日、リストラ記念日同様、自身を見つめ直す日である事だけは事実なんで、これからも何らかの事はしたい。
風邪のバレンタインデー
バレンタインデーが失恋内定記念日で、「今年は30周年迎えるので特別行事を・・・。」と特に企画していたわけではないが、風邪を患ってしまい、行事の企画どころでなくなってしまった!
熱を出してアタマフラフラ状態になる風邪とは違い、主に喉がキモく感じる風邪だ。
バレンタインデー当日は、喉に違和感あったものの、「別にコレで外出たらあかんて程ではないやロ!」と自己判断して、梅田へ出掛けて帰り、次の日のセッション曲の練習をした後、2時間ほど寝て起き、晩飯食ってまた練習して寝た。
15日はセッションで、体調は前の日よりもやや悪かったが、ソコを押して参加した。
室内が暖かかったので、特に寒気や気分悪い感はなかったし、皆さんの音にシビレてた故かあまり気に留めてなかったけれども、打ち上げ後は気分が悪くなっており、家帰ってすぐに寝た。
ヘンな夢を見、普段はあまりかかないいびきもかいて、寝がえり打ったり、暑くなって汗かいたりもした。
16日は、ほぼ体調は戻ったものの、喉の違和感はまだそのまま、スポーツジム行って帰って来た後は、同じく寝た。
本日も16日と同様で、眠ってばかりの1日だったが、内科行って薬貰って来た。
それにしても、一体どこで風邪に患災したのだろう?
オレはやることだらけぢゃあ~!
53歳独身「やることない」が反響
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150211-00000005-rnijugo-sci
オレは51歳で、この人よりも2歳若いけれどほぼ同年代だし、同じく独身である。
むしろ、鉄道、楽器演奏、貼り絵等やることが一杯ありすぎて、時間の少なさに困ってるくらいだ!
鉄道趣味はもっと走らせて楽しみたいし、久しぶりに旅もしたい。

楽器演奏は、ギターやベースをもっと練習して、自分独自のフレーズを創造したい。

貼り絵では、世の中の画家の如く、もっと描き続けて行きたい。

ドレもコレもまだまだという感じだし、これからもやって行きたい構想もある。
また、”趣味が多いけれども、コイツはドレもコレもが中途半端”なーんて言われたくないんで、一所懸命やっている・・・、と言いたいところだが、やはりサボリ癖やパトラッシュなんだかぼく眠状態にもよく陥るんで、時間が足りないなんて事も多い。
ところが、オレはネットサーフィンをはじめとする情報収集も好きで、インターネット普及してない頃は、雑誌や情報誌が情報源でよく読んでいたし、コイツらが時間足りなくなってる一原因でもある。
この記事をきっかけに、充実したライフスタイルを立て直したいものだ!
何ぃ~!飲料事業から撤退だとー?
JT、「ルーツ」など飲料事業から撤退 9月末めど
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ04HFN_U5A200C1000000/
よく自販を利用するせいか、JTの缶飲料にはたまにお世話になっていた。
ROOTSブランドのコーヒーは、ほとんどブラックしか飲まなかったが、写真のややくびれてる缶の下部分に親指と人差し指を引っかけてから握るとグリップが安定し、手を滑らせる事なく飲む事が出来て便利だった。12年程前は、この部分がもっとくびれていたけどね。
また、ジュースのほうは?と言うと、冷涼仕立てグレープフルーツは、サッポロのRibbon純水あっさりグレープフルーツよりもやや濃い味でおいしかったし、夏みかんゼリーのジュースも甘みと酸味のバランスがよくて飲みやすかった!
また、大関酒造とコラボした限定販売のソーダ、米づくりは口当たりと喉ごしがまろやかで、カクテルやハイボールのソーダ割りなんかにも使えそうであった!
不振なのかどうかは知らないが、今年9月でなくなるなんて、なんかさびしいな~!
うそ・罪な女(ひと)
私は中3から高2の中頃までの2年間、この人のファンであった。
そして、この人が事あるごとに
「ワタシはウソつく男の人がキライです!」
と、あつく仰っていたので、幼き純粋な私は
「ウン、そうだな、人間はウソついてはいけないんだな。近所のアイツみたいにウソばかりついていては、いつか痛い目に遭うだろう。カワイイだけじゃなくて、さすがこの人イイ事言うなあ~!」
と感動、元々自身を曝け出す性格とも相俟って、それ以来非常にバカ正直な男になってしまった!
その結果、
「正直すぎてカワイクない奴!」
「正直すぎるんで反って退く。」
「コイツは正直やからイジメてやれ!」
と言われるようになり、おまけに最初の就職戦線時の面接ではしゃべるのがヘタなのに加え、そのウソつけない性格がゆえに、ヒネリを効かせた回答や大風呂敷やハッタリ等で回答する事ができず、大失敗の一原因ともなった。
また、この人のみならず他の女性アイドルも、ウソつく人がキライと言うてたのを真に受け、“基本、女性はウソつかないもの”と勝手に信じ込んでしまい、元カノの言った言葉があとになってデタラメとわかった時には、「なんで?」と思った時もあった。
この人はある意味、私の人生を翻弄した罪な女(ひと)です!(笑)

そして、この人が事あるごとに
「ワタシはウソつく男の人がキライです!」
と、あつく仰っていたので、幼き純粋な私は
「ウン、そうだな、人間はウソついてはいけないんだな。近所のアイツみたいにウソばかりついていては、いつか痛い目に遭うだろう。カワイイだけじゃなくて、さすがこの人イイ事言うなあ~!」
と感動、元々自身を曝け出す性格とも相俟って、それ以来非常にバカ正直な男になってしまった!
その結果、
「正直すぎてカワイクない奴!」
「正直すぎるんで反って退く。」
「コイツは正直やからイジメてやれ!」
と言われるようになり、おまけに最初の就職戦線時の面接ではしゃべるのがヘタなのに加え、そのウソつけない性格がゆえに、ヒネリを効かせた回答や大風呂敷やハッタリ等で回答する事ができず、大失敗の一原因ともなった。
また、この人のみならず他の女性アイドルも、ウソつく人がキライと言うてたのを真に受け、“基本、女性はウソつかないもの”と勝手に信じ込んでしまい、元カノの言った言葉があとになってデタラメとわかった時には、「なんで?」と思った時もあった。
この人はある意味、私の人生を翻弄した罪な女(ひと)です!(笑)

”そこまで言うならば”と、さっそく風呂あがりに処理!
■トイレよりも4100倍も汚い!? 「へそのゴマ」の正体と掃除方法は?
http://sirabee.com/2015/02/07/16976/
”そんなに言うのなら”って事で、風呂あがりに早速処理した!
覘いて見ると、ゴマどころか腹痛用の丸薬みたいになってたので、コレはオリーブオイルではなく、写真左の毛抜きで摘んで除去、思いのほか手こずらなかった。
けれどもこの記事でも謳ってるように、別に鼻を近づけていないにも関わらず、メチャクッサい香りが一瞬モワッと広がった!(あーきったねぇ~!)
で、オリーブオイルは持っていたので~たぶん頭皮のフケ抑え用に買ったんだと思う~、コレを綿棒に漬けて残った汚れを除去。エタノールやメントールと違って、肌に浸みないので刺激もない。
普段ココの処理はなかなかやらないモンだが、やはりきたないモンはきたない。
私含め、定期的に処理はしましょう!






