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夢を叶えるコーチングセミナー

CDAキャリアカウンセラー



夢を叶えるコーチングセミナー



講師:平本あきお氏

柔道金メダリスト石井慧さんのメンタルコーチ


「成功するのに目標はいらない!」の内容のセミナーを受講してきました。


簡潔にいうと


人は「ビジョン型」と「価値観型」に別れるので、同じもの同士であれば
話は通じるが、異なると話が通じない。


だから上記の2つのタイプに分かれることを知っていれば、あわせることができる。


この本で言っていることは、どちらかというと「価値観型」かもしれない。


「ビジョン型」は目標を与えれば、もしくは自分で立ててそれにまっすぐ行動するが
「価値観型」にはそれは適さない。


しかし「自分軸」=哲学というものをしっかり持っていれば、クルンボルツ博士の
プランドハプンスタンスのように、予期しない出来事に対応できると。

そう私は捉えました。


コーチングの内容ですが、キャリアカウンセリングにおける「何をしたいかわからない人」

への問いかけとして共通だと感じました。


お話しを聞いていて、次から次へと言葉が出てくるし、面白い。
引き出しの多さに圧倒されました。さすがプロコーチです。

派遣ネタ:結婚式で親友役やります 派遣ビジネス盛況

CDAキャリアカウンセラー




結婚式で親友役やります 派遣ビジネス盛況

2009年6月18日 asahi.com


 6月はブライダルシーズン。結婚式は親や親類をはじめ、親しい友人や恩師、会社の上司や同僚らを招く人生の一大イベントだ。誰を招くか新郎・新婦は悩むところだが、首都圏では最近、招待客の「代役」を派遣するビジネスが増えている。希薄な人間関係を象徴するようだが、背景には不況や職場の変化もあるという。


 都心に近い千葉県内のイタリアンレストランで開かれた結婚式の2次会。グレーのワンピースを着た東京都大田区の女性(32)は、「新婦の中学時代の友人」として、約100人の招待客を前にスピーチをした。

 「○○(新婦)は周りの人のことを優先して考えてしまうので、自分に悩みがある時は黙り込んでしまいます。だんなさんは気づいてあげて、悩みを聞いてあげてくださいね」


 大きな拍手がわく。だが、実は女性が新婦に会ったのはこの日が初めて。女性は、結婚式などに代理出席者を派遣するオフィスエージェント(東京都中央区)の登録スタッフなのだ。拍手を送った出席者の中にも、10人のスタッフが交じっていた。


 女性は振り返る。「スピーチは新婦さんが考え、エージェント経由でメールでいただきました。終わった後は他の出席者に話しかけられないよう、スタッフ同士でかたまっていました」

 

港区の男性会社員(37)は、20回以上も結婚式で代役を務めてきたベテランだ。依頼されるのは新郎の友人役や会社の同僚役が大半だが、女性スタッフと一緒に夫婦を演じることも。スピーチのほか余興で歌も披露する。「インターネットでこの仕事を知り、小遣い稼ぎに登録しました。今は、式で出る料理や引き出物が楽しみ」と話す。


 代役と気づかれないよう、細心の注意を払う。スピーチの内容はあまり掘り下げず、紹介するエピソードは「大学時代、下宿で毎晩のように飲んでいた」といった程度にとどめる。


 難しいのは職場の同僚役。本社の住所や社長の名前など一通りは覚えて行くが、部長や課長の話題となると、なかなかついていけない。「最近の式は歓談の時間が長いので、会場外に出てたばこを吸うことが増えています。ビンゴゲームなどの余興があると本当に助かります」


 式が終わったあとで新郎・新婦から言葉をかけられることもあるという。「うまく盛り上げてくれて、本当にありがとう」(藤方聡)




⇒コレどうよ。。。
はっきり言って偽り以外なにものでもない。
相手が喜べばなんでもいいのか。

仮想、バーチャルなんでもありの世界になってるね。


ただでさえ多様化の時代にここまでやると、何がいいか悪いかの見境がなくなる。

いい悪いの判断ができない若者の教育に良くないね。



私はこのサービス賛成できません。

出版記念パーティーに参加してきた

CDAキャリアカウンセラー



「スベらない商談力」の小森康充氏の出版記念パーティーに行ってきた。



ゲストスピーカーに


・「スピード・ブランディング」の鳥居祐一氏


・国際経営コンサルタントの浜口直太氏


・懇親会の乾杯にはかんき出版社長の境健一郎氏




参加者には作家が多く


・テレアポの達人吉野真由美さん


・「働く女(ひと)の伝わる話し方の新ルール」の市川浩子さん


・「1日1行!英字新聞リーディング」のマックス石田さん


・「売れる営業に変わる」シリーズの菊原智明さん


・「精神科医が教える 1億稼ぐ人の心理戦術」の樺沢紫苑さん


などなど他にも複数の著者や士業の方、とくに独立している人ばかりでした。



通常、このようなパーティは著者や業界関係者が多いものだが、なぜ私が参加できたのか。



それは、wizliというビジネスSNSで小森さんがコミュニケーション系のセミナーを報酬度外視で
開催しており、そこに参加していたからである。


しかし、イチ会社員の私には敷居が高すぎて参加するだけで満足でした。
でも飛び込むことに意義があると思っているので、これはこれで良い経験をしました。


でも、この小森さんのコミュニケーションセミナーをキッカケにコミュニケーションの
重要性を改めて知ったことが最大の収穫、そして出版という流れも多少なりとも
知ることができたのが良かったです。


まぁ、出版する人はたいてい、過去の会社で営業成績1位とかとっているので
私には無縁の世界ですが。


さぁ来月から住宅ローンも始まることだし、少しは出費を控えないと。

派遣ネタ:人材派遣業界の再編が進まない3つのわけ

派遣ネタ


日経産業新聞 2009.5.26


人材派遣業界の再編が進まない3つのわけ

・統合メリット乏しい

・もともと離職率高い

・独立系企業が手放さない


【統合メリット乏しい】
統合しても登録スタッフだけが増えてしまい、受注とのバランスがとれない
統合する場合は、相手が大手企業の子会社としての派遣会社のみ。
(その大手企業への派遣率が高いから営業の手間がはぶける)
いわゆる専ら(もっぱら)派遣の会社を買収するってこと。


【もともと離職率高い】
大手SSや旧GWは平均勤続年数が2,3年。
自発的に辞めていく構造となり、リストラの必要がない。
実際には成績が上がらない人は自分から辞めなければならない雰囲気になる構造だろうけど。


【独立系企業が手放さない】
大手独立系の多くは、自分が苦労して立ち上げた会社を早々手放さない。
外資系派遣会社幹部いわく、日本の派遣会社経営者は話し合いもしてくれない。とのこと。
これは大手だろうが、中小零細だろうが同じだろう。

レポート:日本史概説

荘園の構造について以下に述べる。


荘園とは中央貴族(摂関家)、寺院の私有地であり、国の介入を受けない土地である。この時代多くの荘園を持っていることが土地(財産)=権力を現すものであった。初期荘園から末期荘園まで、飛鳥時代から戦国時代までの変遷を説明する。


荘園の始まりは、口分田の減少から国が開墾を促し、743年「墾田永年私財法」により農民から安定した収入を得ようとしたが、そこに目を付けた中央貴族・寺院が活発に開墾を拡大し始めたところにある。

「初期荘園」の所有者(荘園領主)は貴族・寺院であり、管理者は所有者から派遣された荘司、そして労働者は無償の奴婢・不浪人・班田農民であった。この時代は律令に定められた税が徴収されていた。

「寄進地型荘園」と「摂関家荘園」」は9世紀末から増加、10世紀以降寄進が全盛期となる。所有者は今までの貴族・寺院に加え豪族、管理者も荘司に加え寄進により力をつけた地元豪族が出現する。力をつけた農民は「名主」とよばれ、この名田が数個集まって新しい荘園も発生した。9世紀半ばから末にかけて藤原氏による摂関政治となるが、この時は政治上の実権はまだ天皇にあり、多くの荘園は不輸ではなかった。その後貴族・寺院の管理する田は一定の地域のみ不輸(官省符荘)とし、終いにはすべての荘園に対して政府が干渉できなくなり不輸となってしまう。そのためここに目をつけた地方豪族や富豪は一定の利益を寺院や《院宮王臣家》などに寄進し国司の介入を逃れた。

9世紀末は律令的地方支配システムが行き詰まり、政府は国司の権限を強め同時に名前を受領に変えるが10世紀後半から11世紀前半の地方では受領の暴政が始まり国衙を荘園化してしまう。受領は京都に住み腹心を任国に送り(遙任の国司)、さらに国司任命権を一定の貴族に与え、その国の収入もその人が納めるという知行国化としてしまう。またその権力を使い任期が過ぎても地方豪族と婚姻関係を結んで土着した者もいた。受領の暴政の背景には摂関政治体制確立に伴う租税の増徴であったとされる。この時代摂関が天皇とともに官使の任命権を掌握していたため、受領の官職を狙う中下級貴族は摂関に寄進、私領の保全をはかる官人や百姓らも受領層貴族に威光のある摂関に寄進を行うことが盛んであった。

「院政時代の荘園」は摂関家から政治実権が上皇の院庁に移り、1069年の荘園公領制により荘園も公領同様に課税対象となった。この荘園公領制により本家・領家(中央貴族、寺社)⇒荘司・預所⇒下司・公文⇒名主⇒作人という重層的な権利関係が生まれた。11世紀中頃の伊賀国では6割、12世紀初の紀伊国では9割が荘園化してしまった。平氏は保元・平治の乱で出世し太政大臣となり莫大な荘園を入手、軍事的な独裁を強化しようと荘園領主を「地頭」とし地方に設置した。荘園とされなかった所領(公領、国衙領)も知行国制を通じて天皇、摂関家の私領となった。院は最大の荘園保有者であり、最大の知行国支配者として君臨した。荘園公領制は中世社会の基盤である。

「鎌倉時代荘園」では、1185年、源頼朝が源義経を捕らえることを名目に国に「守護」、荘園に「地頭」を設置。当初、御家人が在地領主として荘園を統制、管理者として幕府から派遣された「地頭」であった。1221年の承久の乱で国政の主導権が院から幕府に移る、北条義時は倒幕に参加した公卿や武士の300箇所領を没収し御家人に分配した。13世紀末蒙古襲来の影響で貧しい御家人が現れ、荘園を売ったり質に入れるものが増えた為、それらを「地頭」が併合、さらに「新補率法地頭」により「地頭」の荘園侵略が激しくなった。地頭の現地支配が荘園領主と対立することもしばしばあった。そして公家政権が膨大な国衙、荘園を所有、公家と提携する社寺も多く荘園を持ち多数の僧兵をかかえ勢力をのばしていった。また鎌倉時代末から下人を使った大規模経営が崩れ、領主が直接土豪的中小名主を支配する請負耕作が盛んとなる。この時代、武家はあくまでも土地の知行でなく、土地を支配する権利に重点を置いていた。荘園の支配構造は、公家・社寺⇒御家人、地頭、名主、在地領主(開発領主)、国衙在庁官⇒荘園下司・公文⇒名子の小作、普通小作、下人・所従(奴隷民)となる。

「室町時代荘園」は足利義満の時に「守護」が「半済権」を乱用し荘園を侵略、義満の死により守護の力が増大した。半済権は皇家、摂関家、自社領は対象外であり大荘園領主の保護とされるが、守護、国人層らの荘園侵略を防ぐ狙いもあった。14世紀半ばにピークを迎えた悪党は幕府の荘園を侵略(後醍醐天皇の倒幕行動の軍事力)、15世紀中頃から惣村が出現しその結合が強くなるにつれて荘園代官や高利貸しが襲われる「土一揆」が増える。幕府が安定期となると、有力守護は京都に常駐、現場には守護代、小守護代、郡代を置き荘園を支配し小土豪を統率して勢力拡大に努めた。

「戦国時代荘園」に豊臣秀吉は複雑な土地所有に歯止めをかけるため「太閤検地」を行った。これにより荘園が崩壊となった。


<参考文献>

概論日本歴史 佐々木潤之助ほか 吉川弘文館

要説日本歴史 朝尾直弘ほか 東京創元社           


文字数 2,025字

派遣コーディネーターねた

派遣コーディネーターねた


最近登録者からよく聞くんだけれども、合否の連絡を一切しないところが
増えているみたい。

ハローワークに紹介状をもらった人に関しては、ハロワには合否連絡行ったけど
本人に連絡していないとか。
(補足:ハロワ経由で面談した場合、求人側は合否をハロワに知らせらければならない。
 ハロワから本人に連絡しているかは不明。)


こんなことするから派遣業界がダメだといわれるんだ!

確かに不採用の電話連絡はしずらいのはわかる。

ならば、電話でなく書類返却と同時に合否の紙を郵送するとかでもいい。
場合によってはメールでも。
または、合否に関しては採用のみ連絡しますとか言ってればまだいい。


とにかく合否の連絡は常識だよ。
何にも言わないのはダメだ。


だって、どんな人でも少しの可能性、結果を待っているんだから。

不採用=連絡無しという常識が出来てしまうと、それを当たり前と思って
求職者は何社も平行して動いてしまう。


とにかく連絡は必要だ。

派遣コーディネーターのグチ

派遣コーディネーターのグチ



久しぶりに派遣ネタ


仕事柄、求人媒体の営業から電話が来るのですが


いきなり質問で「御社の扱っている職種はなんでしょうか?」と来るんですが


この手の質問はうんざりやね。


リストを見て電話してるんだろうけど、電話する前にそれくらい調べろ!!


何の情報収集もせずに、ウチを利用してくれませんかという根性が気にくわん。


次世代検索エンジン「Bing」


6月3日、マイクロソフトが「Bing」という次世代検索エンジンを発表しました。


まだベータ版ですがこれがgoogle、Yahooにどれだけ迫ることができるが見ものです。


bingとは

http://www.sophia-it.com/content/Bing


検索エンジン
http://www.bing.com/

一升瓶ビール予約しました


父の日用のキャンペーンで一升瓶ビールが売っていたので

予約してしまいました。


http://sanktgallen.shop-pro.jp/


屋久島について:レポート

屋久島について説明する。


1.概要

屋久島の起源は、1000年以上前にフィリピン海プレートの沈み込みにより、花崗岩が隆起したもので、2万年ほど前のウルム氷期には海面が120メートルも低く、屋久島、種子島、大隈半島や九州本土は陸続きだったとされている。島内では6300年前の火砕流の証拠であるアカホヤ(赤色の細粒火山灰層)をよく目にすることができる。

屋久島は、1924年に原生林が国の天然記念物となり、1964年に島が霧島国立公園に編入、霧島屋久国立公園となる。そして1991717日の環境長官視察がキッカケとなり1993129日に霧島国立公園と一部で島面積の1/5が世界遺産に登録された。また、世界で最も雨の多い地域で「1ヶ月に35日雨が降る」と言われる。2002年の屋久島森林保全センターのデータによると、東京の年間降水量が1400ミリに対し黒味岳山頂付近では6月の降水量が1424ミリとなっており、その多さがよくわかる。

屋久島といえば「杉」が有名である。1966年に岩川貞次が発見した樹齢7200年(環境庁発表)とされる「縄文杉」が最も有名であるが、内部が空洞化しているため正確な樹齢がわからない。しかし6300年前の鬼界カルデラの火砕流で生き残れる可能性が低いことや、炭素14法から近年は樹齢2000年程度で合体木という説が有力となっている。また、「屋久杉」樹齢700800年以上のものを差し、形状や年輪の緻密さ(樹枝がなく、樹皮が白っぽく、荒く、コブがあり、みずみずしさが無くなったもの)で分けられる。それ以下の樹齢の杉は「小杉」といわれる。

島内に自然に生長した杉は「岳杉」と呼ばれ、人の手によって植えられたものが「地杉」と呼ばれる。一般に標高600メートルを基準に「岳杉」が見られるようになる。

そして、里山と言われ海岸平野部から海抜8001300メートルの場所を「前岳」と呼び、前岳に囲まれた山岳部を「奥岳」と呼ばれた。奥岳は江戸時代まで神聖な空間とされており人の立ち入りは禁止であったが、猟師や岳参りの人のみ例外として許された。また意外なことに1月末から2月にかけて山間部に雪が降る。標高600メートルはスノーラインと呼ばれており、雪が降るギリギリの境界線である。さらに興味深い話ではあるが、屋久島では花粉症がない。これには花粉の舞い落ちる舗装面が少ないことが要因である。その他ポンカンやタンカンの栽培がさかんであり、アカウミガメの上陸頭数も1000頭近くおり、北半球では一番多く見られる。現在では、島の一番の観光名所「縄文杉」を見るために、片道約4時間かけて山道を登る見学者が大型連休では日に300600人もいるという。


2.問題点

なぜ「屋久杉」が多く残っていたのか。それは決して巨木への信仰でなく、江戸時代に良質な木を求めた結果がたまたま300500年の小杉だったからである。

「屋久杉」への斧入れは検地が徹底された江戸時代初期から始まった。

1570年安房生まれの泊如竹が修行を終え屋久島に帰ってきたことがキッカケであるが、貧困や米が収穫できないことからの打開策であった。杉の管理は江戸時代には各集落、明治時代の地租改正では官有林、大正時代には国有林となり営林署が管轄する。1923年には安房から子杉谷間にトロッコ道が建設、1953年以降に営林署がチェーンソーを導入、前線基地として小杉谷集落が1970年まで繁栄した。日本のODAの先駆者久保田豊により、豊富にある水を利用して水力発電、ダム、1960年に化学工場も建設され急速に近代化となった。

しかし、これらが原因で少しずつ屋久島の生態系に異常が見られるようになった。

1953年まで杉は斧と鋸での伐採だった。足場を組む関係で地上数メートルのところから伐採しており、それまでは土石流の流出を防ぎ、土埋木として次世代の生長する苗木として役割を担っていたが、1958年国有林野生産の増強計画に始まり、1963年には屋久島森林開発株式会社が設立されたことが原因で、パルプを生産する為に広葉樹(雑木)の大面積皆伐が行われた。このとき前岳や小杉谷のほとんどが皆伐されたことで、「ヤクザル」や「ヤクシカ」が民家の畑を荒らすようになった。「ヤクザル」は今でも毎年200頭近くが処分されている。また、土石流や化学工場から出た煤塵も周囲の住民に被害を及ぼしている。

他には「屋久杉」の観光客が増えるに連れ、道端のむき出しとなった根が踏みつけられるため木が傷み、ひどいところでは陥没にまでいたっている。1996年に「縄文杉」の根を保護する為に見学ステージが設けられた。西部林道では、ビール缶、コーヒー缶、釣り道具、粗大ゴミが無残に捨てられており、これらが島の水質や環境を悪化させている。

「ヤクタネゴヨウ」は木に一つ一つ番号付きのメタル札がついており、レッドデータとして絶滅危惧とされている。


3.まとめ

このような被害を受けて、1971年環境庁により構成自然環境保全地域に指定、1973年に屋久島原生林の即時全面伐採禁止、1983年国有林見直しおよび保護区拡大、1996年にはゼロ・エミッション計画のモデル地区となり国として動き出している。世界遺産の自然部門となっているものの多くは人が住んでいないところであるが、屋久島は住民がいるため、共存と環境保全が課題である。屋久島を形づくっている自然構成員はアジア周辺地域(中国からの北西季節風や黒潮、陸続きだったころからの生態系)を源としていることから、世界が蜜に関係した遺産である。世界共通の遺産ということを念頭に入れながら「アラビアオリックスの保護区」のように世界遺産の登録を抹消されないよう、国全体で取り組んでいかなければならない。

参考文献

屋久島、もっと知りたい(自然編)  中田隆昭 南方新社

文字数 2,234字