ふらせら 1 (電撃コミックス)/小池 倫太郎

¥578
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ちょっとUW書評でも。。と思いきや、
商品画像がないのですねこれわ(汗

UWシーンがあるのは「第7話 おばあさんになるまで」
ですねw
「スウー…」と深く沈降してゆくマレッタ。
「生まれ変わったら魚になろう」という、
純真ながらかるい厭世感も漂う独白は、
故郷の全てを失った元少女兵という境遇を
考え合わせると、意味深なものがありますw

…ちなみに元々はDATAM POLYSTER(今はこの会社は
休眠中…)制作のAVGで、こちらもプレイしましたが、
↓ゲーム本編にはUW場面はなし。

ふらせら Hurrah ! Sailor 限定版/データム・ポリスター

¥9,240
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パッケージではスク水で潜水したりはしてるのですが
(これは「イチノ」というキャラです)、
なぜか舞台となる惑星は、どこまでいっても
海が歩いていけるほど遠浅なんですよね。。
どういう設定だこれw

ゲームの内容は、まあ「男主人公+複数の女性キャラ」
というAVGの定番で、まあ脈略もなく岩風呂を
覗いたりするのはお約束なのですがw、
どうにもプロットが切ないですw(特に「カツキ」編)

…遥かな将来、人間がその故郷のことも忘れるまでに
宇宙に伝播していくことがあったら、
この作品で暗喩されるような、少年期の終わりのような
自我のゆさぶりと喪失感を感じるのでしょうかw





月光条例 5 (少年サンデーコミックス)/藤田 和日郎

¥420
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「赤ずきん」が登場するのはこの巻
(「第12条 赤ずきん」)。

...童話「赤ずきん」と「狼と七匹の子山羊」は
なぜ似ているのでしょうか?

その共通点は、具体的に言えば、物語の終盤で
狼の腹が引き裂かれ、食べられたはずの
人物(「赤ずきん」では赤ずきん本人と
祖母、「七匹の子山羊」では子山羊のうち
六匹)が救助され、代わりに腹に石が
詰められて再び縫合される、という箇所です。

どちらも代表的なグリム童話ですので、
上記のくだりは周知といって良いと思いますね。
どちらも独自に蒐集されたはずの民話であるのに、
作為的なまでに類似しています。

...この類似のなぞを解くヒントは、
「赤ずきん」が、実際にはグリム兄弟によって
はじめて蒐集された物語ではない、ということです。
(原型は17世紀の「ペロー童話集」)
この童話集は、少なくとも上層階級のサロンの子弟には
流布していたものですから、19世紀にグリムが
拾い集めた「赤ずきん」は、このペローによる
説話が、再び北ドイツの野に放たれたもの。。
と考えたほうがよいかもです。

そして、ペロー版赤ずきんは、赤ずきんが
狼に食べられるところで終わりです。
猟師も登場しませんし、驚くことに
赤ずきんがそれとは知らずに祖母の肉を
食べさせられる。。。という描写もあったりします(汗
(「カチカチ山」みたいですねw)
「狼の腹を裂いて再び縫合」の項は、実はグリムによって
加えられたものです。

ここからは私の想像なのですが、兄弟は「赤ずきん」の
結末があまりに陰惨で希望のないことを憂い、
すでに蒐集していた「七匹の子山羊」の結末を
接木したのではないでしょうか?

ここに、私としては、兄弟の苦悩を見ますw
周知のように、グリム兄弟は単なる童話作家ではなく、
ゲッチンゲン大やベルリン大で教鞭を執った言語学者でした。
実証を重んじるあまり、共に後半生を注ぎこんだドイツ語
辞典編纂事業を、そのほんの序盤(「F」の項)で
他界により諦めざるを得なかった兄弟。
また、創作に偏ったその作風を嫌い、兄弟を慕って
訪れた後発の童話作家アンデルセンを追い返したと
伝えられる兄弟。
そんな彼らであっても、原版「赤ずきん」の
理不尽な結末は耐えられなかったのではないでしょうか。。

・・・まあ、そんな彼らの変節のよって、この童話が
ここまで後世に流布する作品になったことも確かですが。
だむ、ですとろい。(謎








$CCウェブログ-Marburg


(写真はドイツ中部、グリム兄弟が学んだ大学のある
マールブルグのヘッセン方伯の城。
実はASTERも1ヶ月ほどこの町に滞在したことがあります)

で、「ブレーメンの音楽隊」がなぜブレーメンに行かない
かですが。。。これはやはり、中世から近代にかけての
北ドイツ(=兄弟が物語蒐集を行った地域)においては、
ハンザ同盟都市であるブレーメンは
(同様にハンザ都市のハンブルグなどと並んで)
最も近隣の、「自由」と同義の記号であったのでは
ないか。。。と類推されますね。

荷車を曳けなくなったロバ、置いて鼠を捕まえられなくなった
猫などの、生産手段から切り離された者たちが唯一
生活を持続させられる可能性があるのが、自由都市の
城壁の中ではなかったのか。。。と。

ただ、都市で楽人になるにしても吟遊詩人になるにしても、
そこには既に確固たる技人たちのギルド(座)がある訳で、
ぽっと出の「楽隊員」たちが夢見たような余生を
そこで過ごすことは困難であったでしょう。
そうした意味で、楽隊は永遠にブレーメンに辿りつかない
のでは。。。などと私は邪推してしまうのですが。

二度目の蹉跌を予感しながら、「どろぼうの家」で
楽しく時を過ごす楽隊員たち。その家に、どれほど長く
胃袋を充たし続られるほどのごちそうがあったのかは
不明ですが、一種、それは戯画的な風景でもありますw
月光条例 1 (少年サンデーコミックス)/藤田 和日郎

¥420
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藤田節の爽快感を味わえればと思い購入。
(とりあえず5巻まで)

その期待は裏切られなかったですが、
うーん、あまり物語展開そのものには
起伏がない印象が多いので
「藤田氏の両腕で羽交いにされて
その体臭を嗅いでいたい」という方には
是非お勧めかも(これ、別に
悪口ではありません。)
「うしおととら」開始から20年ほど経過した
わけですが、語り口は当初とあまり変わらない。。。
変わっているのは氏の自画像の髪の量くらい
かな?w 詳述するのはアレかもですが、
漫画家というのはよい職業ですね。

「エンゲキブ」(といっても、部活動してるのは
第一話の冒頭だけですがw)のような
「話の中枢まで関わる」形のヒロインは
個人的には好みですw
(対照されるべきは、例えば「コナン」の
蘭ちゃんかな?w)

童話。。。といっても、
グリムのような「蒐集型」の童話と、
アンデルセンのような「創作型」の童話とでは
全く異なりますよね。

前者は(「赤いくつ」のように)
「いったい何が教訓なのか?」という疑問、
後者は(「幸せの王子」のように)
「ドラマ性を煽りすぎてるのでは?」という
違和感を時として生じさせてしまう訳ですが
(少なくとも幼少期の私はそう感じてました)、
この童話の2類型の違いを大人になってから
認識して、はじめてこの疑問/違和感が解消した
という経緯があります。
(「2類型」というのはちょっと
単純化しすぎてますね。すみません(汗)

ちなみに、「ブレーメンの音楽隊」など
(これも「月光条例」中「月打」されて
モンスター化するわけですがw)、なぜ最後まで
ブレーメンに行かないのに「ブレーメン」の名を
冠するのか?とか、「7匹の子ヤギ」と
「赤ずきん」(これも作中に登場)はなぜ
話が似ているのか?など、結構面白いトピックは
ありそうな。

…なので、この項、場合によってはちょっと続くかも。