風・雪・海・空。ハインケルーパーの独り言 -281ページ目

風・雪・海・空。ハインケルーパーの独り言

風・雪・海・空。


その軽やかさと勢い、風の如く。

その重きこと・染み渡ること、雪の如く。

その思慮深きこと、海の如く。

その志高きこと、空の如し。



そんなブログを目指して行きたい。

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今日は全国的荒れ模様の天気、皆さんのところはいかがでしたか?

こちら魚沼も暴風雨が吹き荒れ、運転中の車は一般道でもハンドルを取られ横転するかと思うくらい怖い状態でした。

でも、そんな時も……只見線は走っていました。
小出駅16:10発・会津若松行きは定刻通りに発車いたしました。
家路に向かう、地元高校生達を乗せて。

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小出~藪神駅間
16:12
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我が家のツリーです。

子供の時から何故だかツリーにともる灯りを見ていると、私は気持ちが安らぎます。
それは大人になってからも、同じのようです。
一年の疲れというものが、こうした灯りに癒やされたがっているせいなのでしょうか。
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これは南魚沼市にある公園の一角の展示室に保管されているもので、向かって右が現代のクロスカントリー・スキー。中と左が戦前に魚沼で使用されていたアルペン・スキーです。
クロスカントリー・スキーは現代でも普通に2m以上の長さになりますが、それと同じくらいの長さの板で山を滑っていたわけです。
しかも材質は木を削って多少の金属パーツを付けただけの物で、現代のカーヴィング・スキーとは天と地くらい長くて重かったのが容易に想像できるかと思います。
しかもまだリフトが普及しておらず、当時のスキーヤーは一度滑る度に担ぐか履いたまま足で登っていたのですから、頭が下がりますね!

私が子供のころに履いていた板のマテリアルも、小学生までは塗装の下が木の板のカザマだったことを覚えています。

現代の板がもはや「板」というよりサイボーグか何かの武器にでも見えてしまうのは、私だけでしょうか。

今日のお昼休みに立ち寄った、JR飯山線・越後田沢駅(新潟県・十日町市)です。



単線・無電化・単行(ワンマン)・無人駅。全て揃ったローカル線です。


ハインケルーパーの独り言

ハインケルーパーの独り言

駅は明日から12月とは思えない、暖かい陽光に包まれていました。

ただ、線路とホーム周りを包む枯れた雑草が、冬の到来を告げようとしていました。


見渡す限りの青空に、風の音すらしない静かな空間。

そこへ、不意に踏み切りのカンカン音が遠くから聞こえ・・・・・


ハインケルーパーの独り言

ハインケルーパーの独り言
下りの汽車(キハ110単行)の御到着です。




ハインケルーパーの独り言
降りた客一人。乗った客も一人。

ディーゼルの煙を一息吐いた後、一両編成の車両は去って行きました。




ハインケルーパーの独り言
・・・・・後には、何事も無かったように静かな小春日和の風景が再び。



そして、この秋最後の暖かい風が吹いていました。







これは先日給料日に、前から欲しかったプラ・レール車両を購入した物です。
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以前にお話ししたことですが、昭和30年代~50年代にかけて魚沼エリアのスキー・リゾートへの足は鉄道が主役でした。
今回再現した車両は、その花形。
往年の上越線でスキー列車の客車を牽引して大活躍した電気機関車・EF58(ゴハチ)です。

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後ろに十何両もの客車・スハ型を引いて都心の駅から関東平野を北上。勾配の険しく厳しい冬の上越国境の山々を乗り越え、スキー客皆さんを白銀の世界へと導いた、夢の箱船でした。

同時に、スキーを大事な産業として生活していた我が地域にとっても頼もしい英雄でした。

プラ・レールでその当時の車両・客車が存在すると知り、私はどうしても購入して再現して見たかったのです。
ちなみに、当時の列車の名前には「石打スキー号」や「小出スキー号」などゲレンデ当地の名称が付けられていました。
それらスキー号に最も多く使われた車両こそが、このEF58=通称ゴハチと、客車スハの組み合わせだったのです。

今後、実際に活躍した車両番号に書き換え、また上越線仕様の特徴であるスノー・プロウとつらら切りを追加して、スキー列車を再現したいと私は考えています。