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CHOROQ COLLECTOR’S BLOG

発足から今年で33年目のチョロQコレクターズクラブ代表が綴るブログです。ここ数年はトミカとホットホィールにハマリ中。時々韓ドラとK-popネタやハワイネタも挟みます。

既に1000台近く集まったチョロQ。

完全コンプリートも近いか!?などと一瞬思ったが、カラーやパーツの

バリエーションを考えるとまだまだ足りない事はすぐに判断出来た。
しかし、一体いくつバリエーションがあるのか全く判らず、

資料となるカタログや本もないので、新しい物を見つけては照らし合わせ、

相違点がどこにあるのかを見比べる日々が続いていた。

チョロQの厄介な点(正しくは良い点)は、分解改造が出来る事。
玩具店で見つけたチョロQは新品そのもの(と思われる)だけど、

知人に声をかけて貰った物や、フリーマーケット、古物店などで

見つけた物に関しては、ボディとシャーシの組み合わせや

ゼンマイ、タイヤ、ステッカー、その他パーツが交換されている可能性が高い。

それ故に数が揃わないと正確な組み合わせは判らず、

バリエーションの確認には労を要した。

初期のチョロQは、車種も豊富ではあったが、

人気が出始めると生産も追いつかず、新規金型が出来るまでは

既存の車種をカラーバリエーションで展開、

ブランクを大きく空ける事無く発表し続けていた。
そのため、10色違いカラーを持つシリーズもあり、

コレクションは難航を極める事となる。








地方へ足を延ばし始めると、見た事の無いチョロQに出くわす事が良くあった。

チョロQ全盛期に遊んだ子には、いくつかのチョロQシリーズの一つであっただろう.

しかし、90年代から始めると、見つけた物全てが新しい。

チョロ獣は知っていたが「レディみるく」と書いてある。

ゴジラのチョロ獣が女装をしている物だ。



 

「超チョロQ・カットビ」、「メロディーチョロQ」、「Qボート2シャークタイプ」

これらを初めて見たのは全て地方の玩具店だった。

しかし、うちにあるコレクションの大半は東京で見つけた物。

都会は物が有り余る程豊富だったという事だ。

既知の方も多いと思うが、チョロQの起源は「豆ダッシュ」という名称だった。

その幻の豆ダッシュを発見した3つの店も東京に存在した訳で、

初め「東京にはもう何も無いだろ」などと思っていた事を反省する事となる。


豆ダッシュ発見については、後述する(予定)

 

 

 

アルバイト仲間がチョロQを集めていた事で、

彼の為のチョロQ探しが始まった。


最初のうちは、昔通った駅前の玩具店などを虱潰しに探してみる。


その時期、チョロQは低迷期に入っていたからか、

どこの店に行っても古いチョロQが売れ残っていた。
ある店には、「チョロQ1個180円」と書かれていて、殆ど投げ売り状態。
確かに昔見た車種もある。デッドストックの数を見る限り、

この店は当時かなりチョロQに力を入れていたのだろうという事がうかがえた。


ちなみに、この店で売れ残っていた物は、

A品番前期から中期、透明物、トライアスロンⅡ、

バキュームカーやタンクローリーなどの働く自動車、どっ金チョロQ4、

QQQビッグカスタムパックなど。




安価とはいえ、無駄な買い物は出来ないので各1台ずつ購入、

チェックリストを作り記入して保管した。



その後チョロQ探しは東京中に広がり、関東近県まで足を延ばす事になったが、

最初、東京以外はチョロQをわざわざ探しに行った訳では無く、

知人の家に行ったついでや、温泉へ行く途中、海やスキーの帰り道など、

ついでに立ち寄る程度。  それでもチョロQはどんどん集まって行った。

この時点で初期のA品番は既に番号だけでは9割が揃っていたと思われ、

ナンバー完全制覇まではあと数台だと推測された。コレクションとしてはいい形だ。

これを渡せばさぞかし喜ぶだろうと、飛び上がる姿を想像していた。



その頃、自宅が鎌倉にある彼は大学卒業と同時にアルバイトを辞め、

実家の家業(魯山人の作品を扱う銀座の老舗陶芸品店)を継ぐために、

京都に修行に行っていた。
東京に出て来る事も少なくなり、会う機会も殆どなくなっていたので、

溜まったチョロQはいつまでも僕の手元に保管される事となる。






それから数ヶ月後のある日、

僕は日々付け足してきたチェックリストを見ながら、チョロQを眺めていた。


良く見ると、同じ車種でも貼ってあるステッカーが違ったり、

タイヤやホイールにバリエーションがある事に気付き、調べて見たくなった。

更に良く見ると、フロントのヘッドライトの形状に違いがある車種も発見、

ルーフに着けられたパーツにも色、形共にバリエーションがある事など、

次々新事実を知らされる事になった。








透明ボディの物も数台あるが、全車種あるのだろうか、

チョロQは一体何車種出ているのだろうかと、疑問は尽きず、

これは自分で解いて行かねば気が済まない。




「もう俺がやるか!」




こう決心したのが23歳の時。
ここから僕のチョロQコレクションが始まったのである。

出会いから約10年、この期間に子供達の間で大ブレイクし、

後半には僅かに衰退気味になっていたなどという事を全く知らずに、

チョロQに再び触れる事となった。


下北沢。

アンティークショップが立ち並ぶようになったのはいつからだったのだろうか。

古物を扱う玩具店もたくさん集まっている。

オムライス、懐かし屋、ヒーローズ、プラネットX、2丁目3番地…

当時、僕の仕事は配送トラックのドライバーで、運転をしている途中、

下北沢周辺の茶沢通りを通ると、こまごました物が並ぶ店が数軒あったのは

車内から見えたので知っていたが、それが全てあの古物玩具店だった

という事までは判らなかった。

20年以上前に持っていた超合金が新品で売っている。

付いている値札は当時の数倍だが、買えない金額ではなかった。


早速購入し、自宅で恐る恐る開封すると、

黄ばんだ発泡ウレタンに包まれた新品の超合金が顔を出した。

十数年ぶりに手に取ったそれは、当時と変わらない重厚感で、

小学生時代の記憶を蘇らされた。



その下北沢を発見する約1年前、アルバイト仲間が、

車の玩具を集めている事を耳にした。その中心はチョロQだった。


バイトが終わった後、朝までデニーズにいる事が度々あったが、

帰り際レジの前に立つと、彼は必ず「チョロQおごって下さいよ」といって、

デニーズの玩具売り場からチョロQを持ってきた。
350円、高くは無いが安くも無い。

代わりに車で家まで送らせたから安い物だったかもしれない。

「チョロQ昔は家にも何台かあったけど、

どこいったかねぇ…捨てられたかな」



こんな事を言う程、頭の中をチョロQが走る事はなかったが、

既に脳内のプルバックゼンマイは少しずつ巻かれていたらしい。

それに気付くのは、それから2年後の事になる。


この時期売られていたチョロQは、90年初頭のチョロQスーパースポーツシリーズ。
フェラーリF40、ランボルギーニ・ディアブロ、ザウバーメルセデスC9、

ユーノス・ロードスター、スカイラインGTR…



昔と違いカッコ良く出来てるなぁ、というのが久しぶりに見たチョロQの

最初の印象だ





さて下北沢。

通い始めると、それぞれの店が何に力を入れているのかが判るようになるが、

この中で少々変わった商品を陳列しているお店があった。

「おもちゃ天国2丁目3番地」

他の店には無い品揃えで、外から見ると、指人形の店かと思う程、

こまごました物が目立つ。

店の造りは古びた小屋、店内には甘い香りが漂う不思議な店。
昔のごちゃごちゃした駄菓子屋の様な感じで、

どの店よりも懐かしい雰囲気があった。
気のいい2枚目(イケメン)の社長と長髪の店長がいて、

店に入ると必ずコーヒーをサービスしてくれる。
自然とこの店に通う回数が多くなっていた。

店内を良く見ると、チョロQがたくさん置いてあるのに気付くが、

その時は全く関心は無い。

年に2回あるバーゲンセール時には必ず顔を出していたので、

その時に高い超合金を格安で買うのだが、

そんな話を車物好きのバイト仲間に話すと

「チョロQもあるんなら何でもいいからチョロQ買ってきて」と良く言われた。


当時ここには、チョロQのあらゆるシリーズが並んでいたが、

価格は安い物で1000円、高い物で3000円と、当時の金額の3~8倍。

半額セールでも高額だったので、たくさん買う事は不可能。
この中から、彼が持っていないであろう物をいくつかチョイスして買った訳だが、

自分が興味の無い物を数千円分買うのは、ある意味恐怖だ。


その時は約8000円分買ったと記憶している。

今思えば、初めてチョロQに大金を使った記念すべき日だ。
その内容は、


金賞パッケージのミニクーパー
ホワイトチョロQ
ワールドラリーシリーズ
GTオープンカー
ビッグフットチョロQ


これらを各数台ずつ。全部で12台。

その後、ここでの買い物にはチョロQも入る事になった。



余談だが、この時の2丁目3番地には、金賞銀賞のコンテスト物や

透明チョロQが3000円でいくつも置かれていたが、

買う人はほとんどいなかった。



また、この時期のデニーズには、変わったチョロQセットが売られていた。


商品名「ピッタンコチョロQ」


ギャルソンという自動車部品メーカーから発売されたこの3台セットのチョロQは、

ドアの一部に穴が空けられて、小さな吸盤が埋め込まれていた物だった。












大学入学後、学生ならではの活動が始まり、玩具とは全く縁がなくなった。

趣味の幅も広がり、車を購入後は活動範囲も広がる。
元々車は好きな方だったが、この頃から興味の対象が実車になり、

アルバイトで稼いだお金でドレスアップやチューニング。

乗った車は数台のマツダファミリア。




当時のファミリアは、走り屋やサーファーなどの若者に絶大な人気を誇っていた。



この頃、ファミリアの関連グッズを探し始め、コレクターの火が再点灯する。
このファミリア関連商品を探し始めた事が、

旧CCCメンバーと知り合うきっかけとなる。

その後、飲食店で働く事になるが、そこで知り合った大学生と、

昔持っていた玩具をもう一度触ってみたいという話をした事により、

ポピーの超合金に着手し始めた。

ロボコンやマジンガーZをどうすれば入手できるのか、

いろいろ情報を集める事になり、最後にたどり着いた場所は下北沢だった。

下北沢は、数年後に僕のチョロQコレクションを充実させる

重要な場所となるのだが、この時はまだ気付いていない。

 小学生の時から始まった収集癖。(基本的には玩具中心)
トミカ、怪獣消しゴム、コカ・コーラやファンタの王冠、ミクロマン…
数えればキリがない。

しかし中学生ともなると、プラモデルを作る事はあるが、

玩具にはなかなか手が出ない。

1983年、この頃からタカラ(現タカラトミー)は、チョロQにも本腰を入れ始め、

バリエーションも急速に充実、店頭キャンペーンなどのイベントも始まるようになる。

ロサンゼルスオリンピックが近づくと、チョロQはチョロリンピックを各地で開催。

漫画雑誌「コロコロコミック」では「チョロQライダー・ゼロヨンQ太」の連載が始まり、

チョロQは一時代を築く事となる。



その頃、


僕は玩具からは離れたものの、天性の収集癖が消える訳もなく、

今度は映画に興味を持ち始め、小遣いを全て注ぎ込む程の

チラシコレクターになっていた。
両親が若い頃に見た作品から最新の物まで数千枚。
収集は中学2年で止まったが、今でもどこかに眠っている。
同じ頃、高中正義というギタリストのレコードに出会い、

そこからは全てがTAKANAKA一色。そのまま中学を卒業する。

高校へ入ると、スポーツ中心の生活が始まる。

テニスやサーフィン、スノーボードにハマり、

どっぷりと浸かっていた。



高校2年の時、家を建て直す事になり、引っ越しの準備をしていると、

本棚からコロリと落ちた物があった。


「チョロQだ…」


4年ぶりに手に取ったそのチョロQは黄色いランチア・ストラトス。
久しぶりに触れたプルバックエンジン(後ろに引いて巻き上げるゼンマイ)は、

問題なく快調。掃除中で散らかった床を走行させてみた。


その後ストラトスは、インスタントレタリングで、リアウイングに

自分の名前のイニシャルを入れて、箱の中に収め、再び眠りにつく事になった。

 

 

 

 

高校時代に、友人の付き合いで学校のそばにある玩具店に

一度だけ入った事はあるが、チョロQに目を向ける事はなかった。



余談だが、高校時代に千葉の鴨川で、今なら査定価格数万円にも登る

懐かしい玩具が店内いっぱいに広がる玩具店を見ているが、

「ああこれ懐かしいねぇ」の一言ですぐに店をあとにした事があった。

Gケースには山のようなチョロQが陳列されていたのに・・・