タイお菓子のルーツは日本? | 【タイ雑学ブログ】みんなのCCAタッチ

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アユタヤ時代にタイには多くの外国人が住んでいて、外国人町があった。

日本人町のおむかえはポルトガル人町であった。 

 

優秀な外国人は王宮に徴用され官職を与えられた。

日本人とて有名なのは山田長政である。

 

マリー・ギマルド(タオ・トン・キーマ)は、王室に徴用されたポルトガル人高官コンスタンチン・フォールコンの妻。 

おじいちゃんは長崎県平戸出身の日本人で、母は山田ウルスという名だった。 

 

革命があってコンスタンチンは処刑され、マリーも牢獄にいれられた。

だが、後に菓子作りの才能を認められて王宮でお菓子部長に任命された。

絶対絶命状態でも「芸は身を助く」ものである。

 

 

マリーは現代も受け継がれているたくさんのタイスイーツを考案した。 

 

カステラなどの日本のお菓子もポルトガルの影響を受けていますが、タイのフォィ・トンと呼ばれる鶏卵素麺などが、和菓子に似てるのはこういう理由による。

 

 

この話は、2年くらい前タイの連続テレビドラマ「タオ・トン・キーマ」となってヒットし、タイに知れ渡った。

 

https://www.youtube.com/watch?v=D9vSinmTUh4

 

 

ニマンヘミンのソイ1に、タイデザート・カフェがある。