7月26日から歴史香る町、パリでオリンピック開会式が開催されました。
今回の開会式、聖火をもっていたコメディアンとジダンのやりとりに始まり、ジョン・ウィックでもロケしていた地下水道で怪人と出会い、フランスの名所を巡っていくストーリー。
一番のインパクトがあったのは、処刑前のマリー・アントワネットが幽閉されたコンシュルジュリー監獄の演出。
首を落とされたマリー・アントワネットがGojiraというハードロックバンドといっしょに「ア・サ・イラ(Ah! Ça Ira,)」を歌うと言う展開。この歌は二つの意味があるそうです。Xで教えていただきました。
「一つ目は、「人々はこの日、何度も何度も繰り返す」(Le peuple en ce jour sans cesse répète)と、抽象的に革命をたたえる分かりやすい革命歌。 革命一周年祭の頃に労働歌として人気が高まり、半ば革命の公式ソングとなった歌です。基本「サ・イラ」と言えばこっち。」
「そしてもう一つは「貴族を街灯に吊るせ」(Les aristocrates à la lanterne)とド直球の歌詞が続くバージョン。 一周年祭の後で無名の兵士が作り、爆発的に民衆の間で広まった替え歌で、「サン=キュロット版」とも呼ばれています。 革命の狂騒を象徴するような歌ですね。」
で、
演出家の言い分は、イギリス女王とジェームズボンドの演出に対する抵抗だったようです。
出典:franceinter
あいや~。
イギリスではこんなポストが!!
あと、気がついたのが、もう1点。
「気球」は自分に都合のよいダブルスタンダードだと思います。なぜかというと、
気球、ルイ16世の時代にモンゴルフィエ兄弟が1783年9月19日、ヴェルサイユ宮殿での実験に成功し、後に兄弟4人の父はルイ16世によって伯爵に叙せられたそうです。
博学だったルイ16世の治世でこそ、発展したのではないかと思います。また、マリーアントワネットも気球に熱心で、彼女が描いた絵も残っています。
20年前の展覧会で購入したクリアファイル
1784年6月、ルイ16世はスウエーデン国王の来仏の際、飛行実験を行うよう要請し、宮殿の中庭の一角で王室一家とその賓客に見守られながら、王妃の花文字でで装飾された青と金色の「マリー・アントワネット号」は、高度3500メートル上空まで到達したそうです。
■当時のエッチング
1783年9月19日 レヴェイヨン気球(右)
1784年 マリー・アントワネット号(左)
肉体としてのマリーアントワネットは否定しましたが、彼女の精神が残したものは、ちゃっかり着服しているんですよね。気球だけでなく、クロワッサンもお風呂の習慣も彼女がオーストリアから持ち込んだものでした。ダブスタというか、韓国風にいうとネロナブルというのか…。
なお、イギリスの後継者は困惑気味
最近、よく思うのですが、今は亡きフランスの社会学者、ジャン・ボードリャールの言葉が思い浮かびます。
「巨大な集団的ナルシシズムに導かれて、社会は自分で自分自身に与えたイメージと混ざりあい、自分で自分の罪を取り消し、広告が人びとに自分の肉体と威信を確信させるように自分で自分の存在を確かめる。」
ジャン・ボードリヤール.消費社会の神話と構造新装版(pp.339-340).株式会社紀伊國屋書店.Kindle版.
もう2点ほどソドムというというか、ディストピア的な表現があり、他のすばらしい部分が相殺されているっぽいのが気になります…。
歴史を思い返して思うことは?
→歴史は繰り返します。
自分が昔の人よりも賢いなんてことはなく、
同じ轍を踏むことがあります。
時代やインフラに関係なく、
人間の本質につながる点を
直視することが必要です。
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