2023年5月1日 映画の日だったので、午前10時の映画祭で日本橋近辺で「マイフェアレディ」鑑賞後、上野にある東京国立博物館に向かいました。
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実は東京国立博物館に行くのは、初めてでした。一番、上野駅から遠い博物館です。
国立西洋美術館の前をとおり…
森の小径を抜け…
野口英世の銅像の前をとおり…
横断歩道を抜けて…
やっと本館
でも、開催場所の平成館はもっと奥になります。
看板をたよりに…
やっと到着
東京メトロの上野駅を出てほぼ25分かかって到着です。
展覧会概要
(抜粋)
新緑や紅葉の名所として知られる東福寺は、京都を代表する禅寺の一つです。日本から中国へと渡り、南宋時代の高僧無準師範に禅を学んだ円爾(聖一国師)を開山に迎えて創建されました。「東福寺」の名は、奈良の東大寺と興福寺になぞらえて、その一字ずつをとったことに由来します。
東福寺の寺宝をまとめて紹介する初の機会となる本展では、「画聖」とも崇められた絵仏師・明兆による記念碑的大作「五百羅漢図」全幅を修理後初公開するとともに、応仁の乱による戦火を免れた貴重な文化財の数々や、巨大伽藍にふさわしい特大サイズの仏像や書画類の優品も一堂に展覧します(※会期中展示替えがあります)。草創以来の東福寺の歴史を辿りつつ、大陸との交流を通して花開いた禅宗文化の全容を幅広く紹介し、東福寺の日本文化における意義とその魅力を余すところなくご覧いただきます。
(抜粋ここまで)
出展:みどころ・章構成 / 特別展「東福寺」 (tofukuji2023.jp)
実は東福寺は2016年11月に紅葉を見にいったきり、ご無沙汰です。室町時代以降の禅寺は全然チェックしていませんでした。
2016年11月19日撮影
そういえば、この後、膝を痛めて人工関節になったのを思い出しました。霊験あらたかなお寺やその宝物にふれると、器が小さいのにパワーが集まり過ぎてしまいます…。
第一章
開祖の中国で禅を学んだ円爾を特集しています。彼は帰朝に際して数多くの仏教文物を将来しました。円爾と中国仏教界との交友は帰国後も継続したそうです。個人的な想像ですが、それが、大阪、堺の港の発展につながったのでしょうね。
第二章
円爾の法を伝える後継者たちを聖一派と呼ぶそうです。円爾は禅のみならず天台密教にも精通し、初期の聖一派の僧たちも密教をよく学んでいました。また彼らはしばしば中国に渡り、大陸の禅風や膨大な知識、文物を持ち帰りました。当時の「舶来物」、宝物が展示されているコーナーです。
第三章
いよいよメイン。吉山明兆 (1352~1431)は、東福寺を拠点に活躍した絵仏師です。寺内で仏殿の荘厳などを行う殿司(でんす)職を務めたことから、兆殿司(ちょうでんす)」とも通称されるそうです。中国将来の仏画作品に学びながらも、冴えわたる水墨の技と鮮やかな極彩色とにより平明な画風を築き上げ、巨大な伽藍に相応しい巨幅や連幅を数多く手掛けました。
百衣観音図に圧倒されました。
第4章
ここでは明兆が描いた五百羅漢が圧巻です。
羅漢とはお釈迦様の弟子10名のこと。1幅に10人の羅漢を表わし50幅本として描かれた作で、東福寺に45幅、東京・根津美術館に2幅が現存するそうです。14年間にわたる修理事業後、本展で初めて全幅が公開されております。
一部写真撮影が可能でした。
こちらが紅葉のときは、写真撮影がNGな回廊
第5章
大伽藍と尊像等の仏教彫刻のコーナーです。
この復元コーナーは撮影可能な場所でした。
釈迦如来座像
仏手(2メートル以上あります)
蓮弁
勉強不足なので、いろいろありすぎて、数日後は知恵熱が出ました。あと、お土産屋さんでは1点残念なことが。
印鑑ケースを買ったら、眼鏡ケースのバーコードが貼ってありまして、当然のことながら眼鏡ケースの金額で請求されていたことに帰ってから気づきました。電話するのも面倒くさいし、お賽銭と思って、泣き寝入り。
まさかのまさかで、
バーコードを貼り間違えているなんて、想像もしませんでした。
これからは気をつけないと。
ご参考