じゃあ、いっそ…。
ふすまが静かに開き、料理が一品ずつ運ばれてくる。
「卓袱料理は、御鰭(おひれ=吸物)で始まり、梅椀(しるこ)で終わるのが一般的なコースです。」
橋本社長の丁寧な説明のもと、まずは澄んだ出汁の香りが立ちのぼる御鰭が供された。
湯気の向こうで、伊達木社長がふと天野次長の顔をまじまじと見つめる。
「やっぱり、あなただったわね」
唐突な一言に、天野と大杉が一瞬だけ緊張を走らせる。
「……おそらく、伊達木社長とお会いするのは初めてだと思いますが」
御鰭を静かに飲み干しながら、天野が丁寧に返す。
「いいえ。私、沖縄であなたの講演を聞いたのよ。通訳のヘッドホンなしでね」
「……ああ、OIST(沖縄科学技術大学院大学)の!」
「そう。JCIの渕上会長に誘われて。あの人、沖縄でホテル事業もやってるでしょ。うちも何棟か展開してるから、もう大の仲良し。
たしかテーマは『日本の再生は女性の活躍から』――痛快だったわよね」
「ご参加いただいて光栄です」と天野が微笑む。
「お世辞抜きで、あの場でいちばん印象に残ったのは、あなたの問題提起だったわ。場の空気を変えてた」
「恐縮です」
「で、受けるの?」
「……何を、ですか?」
「もう、白々しい。知ってるのよ、私。渕上さんから聞いたんだから。あなたをヘッドハンティングしたいって」
「ああ……そのお話は、一応お断りしたつもりですが」
「甘いわね。渕上さん、ぜーんぜん諦めてない」
「困ったなあ……」
「じゃあ、いっそ中を取って――」
伊達木がニヤリと笑う。
「うちに来ない?」
その瞬間、大杉主任が箸を置き、身を乗り出して叫んだ。
「なんでやねん!」とおどけて崩れ落ちる。
一瞬の間の後、三人の笑い声が静かな座敷に弾けた。
このブログの内容はフィクションです。 実在の人物や団体などとは関係ありません。

