『Share金沢』の成り立ち
さて、その週の金曜日。
天野次長と大杉主任は大阪から敦賀駅まで行き、敦賀駅で北陸新幹線に乗り換えて、金沢駅へと向かった。
JR金沢駅に到着すると、すでに大矢さんが出迎えてくれていた。
「ようこそ、金沢へ」
「本日はよろしくお願いいたします」
簡潔な挨拶を交わすと、大矢氏は手配していた車の助手席に乗り込み、走り出すと同時に語り始めた。
「『Share金沢』は、地域で共に暮らす価値をかたちにする場として注目されていますが、実は最初から大きな構想があったわけではないんです。地域で困っている人を支えたい――そんな、ごく素朴な思いから始まったんですよ」
振り返るように語るその声は、どこかあたたかかった。
「私は幼い頃、障害のある方々とお寺で生活を共にした経験がありましてね。その時からずっと、『誰もが当たり前に暮らせる社会をつくりたい』という想いを持ち続けてきました」
「そうだったんですね……」と、天野次長が思わず声を漏らす。
「そして、もう一つの原点は青年海外協力隊での経験です。障害者支援の人材育成という任務を通じて、現地でのインフラ整備や、地域の人々との交流を積み重ねながら、『そこに住み、関わり合って暮らす』ことの意味を改めて実感しました。
加えて、私は“幸せは人から人へ伝播する”と信じているんです。人と人とのつながりは、単なる関係性を超えて、幸福感や生きがいにまで影響する。だからこそ、福祉サービスという枠にとらわれず、地域の中で自然に人が集い、役割や居場所を感じられるような仕組みをつくりたいと思ったのです」
穏やかな語り口ながら、その言葉の一つひとつに、重みと熱がこもっていた。
「『Share金沢』では、地域住民が主体的に関わりながら、多様な人々が共に暮らすまちづくりを実現しているんですね」
と、天野次長が感心したように言うと、
「これからの高齢化社会に必要なのは、制度やサービスだけではありません。人と人との関係性を育み、支え合う力です」
と、大矢氏は静かに、しかし確信を込めて返した。
その実践の姿勢は、分断や孤立といった現代の課題に、“つながり”というかたちで答えを示している――
そう天野次長は、心の中で静かに噛みしめた。

