2002年に現地採用された夫について
オーストラリアに来た私のストーリーです。
長らくお付き合い頂き
ありがとうございました。
現在に近づきました。
シドニー編その2です。
③永住権取得を考える→★
④車の免許がない→★
⑤ケアンズで交通事故→★
⑥二度あることは三度ある→★
⑦サイクロンで避難→★
今まであまり書いてなかったのですが
私は3人の子どもを授かる前と間に
4回流産をしています。
最初はケイよりも前でケアンズにいる頃。
初期だったのですが悲しくて悲しくて
しばらく立ち直れませんでした。
完全流産だったため、手術はせず。
毎日血液検査をして妊娠反応が
なくなるまで確認するよう言われ
車がなかったので歩いて検査のラボへ。
血が出にくいのもあり辛い日々。
救われた言葉→★
パソロジースタッフの優しさに泣けました
そして2回目はレンレンを産んだ後、
リウマチ薬をやめてたけど
影響もあったのかもしれない。
色々と自分を責めました。
日本の病院で日帰り手術。
2度目でも慣れない..→★
妹が嵐のコンサートチケットをくれた
3度目はその半年後、
悲しすぎてブログに書けず…。
夫にしか伝えられませんでした。
ケアンズにまだいる時でした。
これも完全流産だったので手術はなし。
復活まで時間がかかりました。
もっと人に話して聞いてもらって
きちんと悲しめばよかったのに
大丈夫、大丈夫と泣かないように
していたので引きずりました。
そして2012年にシドニーに来て
2年後、4回目の流産。
心拍が見えにくいと言われていたのですが
出血が始まり病院に行きました。
そのまま完全流産になるかと思いきや
妊娠反応が消えず体調も悪い。
元気も出ないので友人に聞いて
中国人の先生の針治療に行ったところ
顔色、舌の状態から見る方で
私を見るなり、あなたは病気よ。
すぐに病院に行ったほうがいいと言われ
次の日GPから紹介されていた
パブリックホスピタルの
妊娠初期センターへ。
産科とは別の場所にありました。
こんなところあるんだ!とびっくり。
そこでドクターに会い超音波もチェックし、
待たされていたら、何人かドクターが
集まってきて相談が始まりました。
え?と思っていたら
流産した後に胎嚢だけが帝王切開の傷に
引っかかり取れなくなっており
そこで胎嚢が成長しているので
すぐ手術が必要、そのままだと
膀胱が破裂してしまう
と恐ろしいことを言われました
2回目の時と似てるけど成長している!
子宮外妊娠扱いとなりました。
そのままエマージェンシーと書かれた紙を
渡され血液検査へ。
手術は翌日の朝になりました。
シドニーで緊急手術の方への情報(必要な方いらっしゃいますか・・)→★
エマージェンシーにはもうお世話になりませんように
手術待合室で呼んでくれたドクターが
とても男前で、ここで会わなくてもなーと
思ったことを覚えています
夫やボーイズの小学校ママ達にも
お手伝いしてもらい
しばらく休むことができました。
3回目の時を参考にして、
大丈夫と言うのをやめて
このときは夫や仲の良い友達に話して
たくさん泣きました。
お花や食べ物を持ってきてくれたり
ありがたかったです。
話を聞いてもらう大切さを感じました。
友人達に大感謝です。
この後リカバリーしようとしている時に
ナチュロパスの資格がある友人に
10年ぶりくらいに偶然会い
食べ物の指導をしてもらい
食べ物を変え身体を立て直すことができ
2015年に無事みーちゃんに
会えることになりました
前に夢で女の子と遊んでいるところを見て
絶対娘が産まれるはずと
信じていたので嬉しかったです
私がもし流産してなかったら
子ども7人だったのかしら…。
でもきっと時期や体調がその時では
なかったんでしょうね。
悲しい思い出ではありましたが
命の大切さについて、健康について
深く考えるようになりました。
少しでも私のところに来てくれてありがとう。
子どもたちにも、今の3人以外に
生まれなかった兄弟がいることは
伝えています。
生まれなかった兄弟の分もこの世界を
楽しんで欲しいと心より思います。
生まれてきてくれてありがとう。
次回はみーちゃんがお腹にいる時の
妊娠糖尿病のお話です。

