家族のことに思いを巡らす | 断酒てへ日常

断酒てへ日常

断酒を続けること、そのために断酒例会に毎日出席を続ける日々

 昨年の誕生日で70歳の大台を越え我ながらに老人と言える年齢だと思うし、このところ何かと体調も思わしくないところも出てきて、老いを感じてしまうと気ままな一人暮らしも、淋しさと言うか、不安を感じます。そうなると、思うのは、もう10年以上も離れたままで暮らしている家族の事です。

 

 50歳直前に新卒来勤めていた会社をリストラされました。リストラの理由は、私がしっかり働かないと会社が判断したからですが、そもそもはその時点で、アルコール依存症であり、それゆえまともに働く能力が無くなっていたからです。その頃から、家族に疎んじられ始めました。そしてリストラ後の再就職先も何度か、の雇用解雇を繰り返した挙句、50歳半ばで、無職になり、職のないままに連続飲酒に入ってしまいます。そうなると最早、家族たちはわつぃをまともに扱わず、こちらから話しかけても無視されるようになってしまいます。

 

 そして子供たちが皆大学に入学できた時点で、妻と3人の子供は家を出て行ってしまいました。そしてそれ以来、もはや15年我が家に寄り付かなくなってしまいました。まあその後まもなく私の酒も「底つき」に達し、アルコール病棟に入院することになるのですが、その最後の最悪の時期にはすでにに家族は居らず、その頃のひどい状態の迷惑をかけずに済んだのは良かったのではないかと思っています。

 

 そして、断酒を始めて、断酒会にひたすら入り浸る時期には家族がいなくて好きなように動けることが、断酒にはよいように働いたと思います。

 しかし、何とか断酒の軌道に乗り安定して断酒継続ができるようになっても、家族は私が断酒して、まともな社会生活をしていることを認識することはできず、また「家族の誓い」にあるように家族ぐるみの病気であるにもかかわらず、家族が癒される機会をもたらすことができなかったのは問題です。

 

 酒を止めて、断酒に係る時期には、家族とわかれていることが有利に働いていたものの、断酒が軌道に乗ってしまうと、家族が別れていることに問題を感じます。

 

 しかし、家族が崩壊したのは私の飲酒が原因に他ならないので、文句を言えるわけもありません、そして、老いていつ孤独死するともわからなくなってしまうと、一人暮らしが不安に感じられるのです。

 とは言うものの、もはや、子供たちもそれぞれ結婚してそれぞれの家族を持ってしまうっているので、もはや、私は忘れ去られるのみの存在でしかないのでしょう、

 

 こうなってしまうと、自業自得とはいえ、一人暮らしているのが、悲しくなってきますね。


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