20年前の通勤路 | 断酒てへ日常

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断酒を続けること、そのために断酒例会に毎日出席を続ける日々

 今日は豊能断酒連合会の用事で大阪府断の事務所まで行ってきました。毎月理事会で行くところで、いつもはスクータを1時間余りかけて乗っていくところなのですが、今日は昼過ぎから雨で電車で行かざるを得ませんでした。

 

 久しぶりに電車でそちらに向かったのですが、ふと昔のことを思い出しました。府断事務所は八尾南駅前にあるのですが、24年間勤めていた会社をリストラされて再就職した会社は八尾南駅から徒歩10分足らずのところにあったのです。ということで当時の通勤路をほぼそのままたどることになるのです。

 

 思えばそこに勤めだしたのはほぼ20年前のことでした。自宅から徒歩10分で阪急の最寄り駅、そこから25分阪急電車に乗って阪急梅田駅、阪急梅田駅から地下鉄東梅田まで徒歩10分、地下鉄東梅田から八尾南まで35分、八尾南駅から会社までは徒歩7分ほどでした。毎朝1時間半程度かけて通勤していたのです。

 

 特に阪急梅田駅から地下鉄東梅田までは毎朝人ごみの中を走っていたのを思い出しました。

 

 写真は今日:日曜の夕方ですが、朝の通勤時間ははるかに人手が多いのですが、その間を縫うように走っていたのです。今は酒の後遺症の末しょう神経障害が足に残っていて、走ることができませんが当時はまだ走れたのです。

 

 毎朝、1時間半程度通勤に時間が掛るので、その間に醒めるだろうと家の最寄り駅で、酎ハイを買って飲んでいたこともありました。1時間半では醒めないはずですが、当時は1時間半もあるのだから醒めるだろうと思っていたのです。

 

 帰りも当然同じ経路を戻っていったのですが、それで当時を思い出すにつけ、当時は帰りの途中で酒を買ったりしなかったことに気が付きました。八尾の就職先は2年ほどで解雇されるのですがその後後2か所また再就職してやはり梅田乗り継ぎで別のところに通勤していたのですが、その時は確かに帰り道に酒を買い足しつつ帰っていました。

 

 経路に偶々酒を買える店が無かったということもありますが、当時はまだアルコール依存症がそんなに進行していなくて、職場を出たとたんに酒を買い足すということをしなかったのかとも思えます。

 

 20年たってもそれほど経路の風景は変わっていませんが、当時は二日酔いの身でありながら、人ごみの間を走っていたのが、今は10年間一滴も酒を飲んでいない身で、足を引きずりながら同じ道を歩いている自分がいるのは不思議に思えるのでした。


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