ブロードキャスティング2月(マンスリープログラム)
今年も始まったなぁ…なんて思ってたら、もう1ヶ月過ぎてしまいました。よくよく考えたら、今年初めてのブログ記事なんですね。今回の司会は、ベテル入所者のB向けに、「枕の正しい使い方(通称:ピローゲート)」をレクチャーなさった、ゲイリー・ブローですね。前はヒゲ面でしたけど、剃ったんですかね。ま、それはさておき、日本列島大寒波到来の中、皆様、張り切ってお読みください。(以下、太字斜体は放送からの書き起し。)JWBroadcasting®へようこそ!今月は謙虚な人になることについて考えます。充実した人生を送り、エホバに喜んでもらうために大切なことです。夫婦の間でも謙虚であることは欠かせません。感情がぶつかるときどうすれば仲直りできるでしょうか。自分とは違う見方を持っている人にどう接したらいいんだろうと思うことがありますか。エホバに倣ってバランスの取れた考え方ができるようになった若い兄弟姉妹のコメントを聞きましょう。自分の欠点にがっかりすることがありますか。今月のミュージックビデオは励みになるでしょう。エホバに形作ってもらえる、柔らかい粘土になりたいという気持ちが強まります。2025年2月のJWBroadcastingをお楽しみ下さい。⇒教団幹部から、「謙遜さ」って聞くとねぇ…壮絶な違和感。一番謙遜なのは誰か考えたことがありますか。答えはもちろんエホバです。エホバは誰よりも優れた能力を持っていて高い地位にいますが、天使や人間が自分と一緒に働いたり楽しんだりできるようにしてきました。謙遜であるとは自分を低く見ること、また誇ったり人を見下したりしないことと説明できます。謙虚な人はほかの人と一緒に過ごしたり働いたりする時に喜びを感じます。謙虚だといいことがたくさんあるので今月はこんなテーマにしてみました。「謙虚であれば人生は充実したものになる」エホバが謙遜な方であることが最初に明らかになったのは創造の時です。エホバは独り子イエスをそのプロジェクトに加わらせ、イエスは「優れた働き手」になりました。その後天使たちが造られていきましたがその強力な天使たちもみんなエホバの手本に倣って謙遜でした。みんながエホバに従っていた頃は偉そうな態度を取る者は誰もいませんでした。みんな謙遜だったので天は長い間平和でした。謙遜さが機械に差す油のような働きをし、全ての物事がスムーズに動いていました。でもその平和を乱す者が現れます。1人の天使が謙遜さを捨てて傲慢になりサタンになったのです。その後ほかにも反逆する者が現れ混乱が広がりました。こうして考えてみると反逆によって罪や不完全さが入ってきたために謙遜になる必要が生じたというわけではないことが分かります。謙遜さはもっと前から存在していました。⇒創造者であるエホ神の製造者責任を問いたい。不良品ばっか作りやがって。もう1つ覚えておきたい点としてエホバは誰よりも優れた方ですが、私たちの場合はそうではありません。エホバは不完全な私たちにとって謙虚であることが助けになるということを知っています。謙虚であればエホバに見習い忠実に仕え続け、この体制の終わりを生き残ることができます。充実した生活を送れるということです。それも今だけではありません。永遠にです。詩編45:3,4を読むとエホバが謙遜さをどれほど大切なものと見ているかが分かります。その聖句では天で王になって戦うイエスについて次のように預言されていました。「力の強い方、あなたが剣を腰に帯びますように。威厳と輝きのうちに輝きを帯びて勝利へと進みますように。真理と謙遜と正義のために乗り進みますように。」この聖句ではイエス・キリストが真理と謙遜と正義を守るために戦う王として描かれています。イエスが守る一番大切な真理はエホバの名は神聖なものだということです。正義に関して言えばイエスは正しさに関するエホバの基準を擁護します。そして謙遜さに関しては、イエスは全ての天使や人間が見習えるよう立派な手本を示しています。イエスはすでに真理、謙遜、正義を天に行き渡らせました。間もなく地上もそうなります。イエスはエホバからの任務を果たし、謙遜で神に従う人だけを救います。それで謙虚な人になることは生き残るために欠かせません。自分が本当に謙虚かどうかは周りからどんな人と見られているかを考えると分かります。もし会衆の長老として奉仕しているなら、ほかの長老たちはあなたに気兼ねなくアドバイスできると感じているでしょうか。最後にアドバイスしてもらったのはいつですか。どんなふうに受け止めましたか。開拓者として奉仕しているなら経験の少ない兄弟姉妹からも学ぼうとしているでしょうか。あなたの家族は自分の意見や考えを大切にしてもらえていると感じているでしょうか。こうしたことを考えるべきなのはどうしてでしょうか。本当に謙虚な人は自分の姿を正直に見つめるためにこうした点を考えます。正直にというのがポイントです。謙虚であることと正直であることには深い関係があります。本当に謙虚であれば自分のありのままの姿を見つめることができます。それに自分の弱さや失敗も素直に認められます。反対にプライドが高い人は自分や人を欺きます。自分の弱さや欠点から目を背けたり、それを隠したりします。でもいつまでも隠し通すことはできません。格言16:18にある通り「誇りは崩壊につなが」るからです。⇒なるほど、豪州の王立調査委員会から追及された時、のらりくらりと詭弁を弄して言い逃れしようとした幹部連中は、謙遜じゃなかった訳ね。では謙虚だとどんないいことがあるか、5つ考えてみましょう。1つ目の点として神に助けてもらえます。聖書に書かれている通りです。ダビデについて考えましょう。ダビデはイスラエルの王になりました。でも自力でそこまでのし上がったとは考えませんでした。詩編18:35を見てみましょう。「あなたは救いの盾を私に与え、右手で私を支えてくださる私が優れた者になれるのはあなたが謙遜だから」。謙遜な方であるエホバは身を低くしてダビデを助けました。ダビデが謙虚だったからこそ助けたいと思いました。エホバは変わっていません。謙虚な人に目を留めて助けになりたいと思っています。エホバが「身をかがめて」助けてくれたという経験あるんじゃないでしょうか。2つ目に謙虚であることは身の守りになります。分厚いコートがいてつく寒さから体を守ってくれるのと同じです。また謙虚であればエホバや周りの人にとってより魅力的な人になれます。ペテロ第一5:5の後半にある表現に注目してみましょう。「そして皆が人と接する上で謙遜さを身に着けて下さい。神は傲慢な人に敵対し、謙遜な人に惜しみない親切を示してくださるからです。」服を身に着けると体が守られ見栄えが良くなります。でもボタンが取れていたりぼろぼろだったりしたら、周りの人はどう思うでしょうか。同じように謙遜さをきちんと身に着けていないと周りの人はそのことに気付きます。反対に謙虚になればなるほどエホバからも周りの人からも素敵な人だと見てもらえます。どこに着ていっても恥ずかしくないような、とっておきの服のように謙虚さという服もきちんと整えておきたいものです。3つ目に謙虚であれば人と協力して一緒に楽しく働けます。一緒に働く人みんながフィリピ2:3のアドバイスの通りにすれば良いチームワークを発揮できます。こういう聖句です。「対抗心を抱いたり、自己中心的になったりしてはなりません。謙遜になり自分より他の人の方が上だと考えて下さい。」どんな人にも自分より優れたところがあるということを忘れずにいれば、いろんな人の意見を聞きたいという気持ちになります。謙虚さは競争ではなく協力につながります。謙虚な人は一緒に働く仲間を大切な存在と見ます。ライバルとは見ません。演奏家のことを考えてみましょう。演奏家は1人では普通1つの楽器の音しか出せません。でもオーケストラになれば彩り豊かで壮大な音楽を奏でられます。謙虚な演奏家は自分や自分の音が目立たないとしてもみんなで音楽を作り上げることに喜びを感じます。何としてでもソロパートを演奏してみんなの注目を集めようとか、周りの音をかき消すほど大きな音を出そうとは思いません。ある翻訳ではフィリピ2:3の「謙遜になり」という部分で、「自分を消す」というような言葉が使われています。この表現からは自分の存在を目立たなくして光が当たらない裏方で働くというイメージが浮かびます。それは人のために写真を撮るカメラマンのようです。自撮りはしません。写真を撮る相手に注目し、どの角度からどんなふうに撮ったらその人が一番きれいに写るかを考えてシャッターを切ります。エホバへの奉仕についても同じことがいえます。どんな奉仕をするときも自分はエホバのチームの一員だということを忘れないようにしましょう。私たちみんなが謙虚になって協力するとき、エホバが望むことを成し遂げられるよう助けてもらえます。謙虚な人は仲間がエホバの目にも周りの人の目にも輝いて映るよう光を当てることができます。4つ目の点として謙虚であればほかの人が新たな責任を委ねられたり、より多くのことをしたりするとき喜べます。バプテスマを施す人ヨハネは良いお手本です。謙虚だったヨハネはイエスの活動は「盛んになっていき」、自分の活動は「衰えてい」くということを受け入れていました。イエスが活躍する様子を見てヨハネはどう感じていたでしょうか。ヨハネ3:29でこう言っています。「私は喜びに満たされています。」ヨハネのように謙虚な兄弟はある時には監督として働き、別の時にはほかの人の監督の下で働くことができます。長老の皆さん一人一人がこういう姿勢を持つなら長老団全体にとってプラスになると思いませんか。5つ目の点として謙虚であれば反対に遭ってもくじけずにいられます。自分はこんな扱いを受けるべきじゃない、などと考えないからです。エホバが許しているのであれば難しい状況も受け入れひどいことを言われたりされたりしても仕返ししょうとはしません。イエスが残した素晴らしい手本についてペテロ第一2:23にこう書かれています。「侮辱されても仕返しをしたりしませんでした。苦しめられても相手を脅したりせず、正しく裁く方に自分を委ねました。」イエスが、耐え切れたのは謙虚だったからです。こうは考えませんでした。「私を誰だと思っているんだ。こんな目に遭うなんておかしい」。イエスと同じように私たちも謙虚でいれば反対に遭っても穏やかな気持ちでいられます。周りの人がその様子を見て私たちを助けてくれることもあるかもしれません。謙虚であればここまで考えた5つの点だけでなくほかにもたくさんのいいことがあります。⇒「今回のブロキャスどうだった?」、という会話についていくために、PIMOの皆さんには、謙遜であることのメリット、その要点5つだけまとめてお伝えしておきましょう。①神に助けてもらえる。②身の守りになる。③人と協力して働ける。④他の人が責任を委ねられた時喜べる。⑤反対にあってもくじけない。はい、これさえ答えておけば、「なんだかんだ言って、結構ブロキャス見てんじゃん!」って感心されます。(※所説あります。)でも育った環境などが理由で謙虚な人になるのが難しいと感じる場合どうしたらいいでしょうか。あなたもそう感じているならマタイ8章に出てくるローマ軍の百人隊長について考えると励みが得られるかもしれません。百人隊長は約100人の兵士を率いる士官でした。きっとこの人も暴力を振るったり人を殺したりしていたことでしょう。謙虚さとはほぼ無縁の役職だったと考えられます。そのことを踏まえてマタイ8:5-8を読んでみましょう。「イエスが、カペルナウムに入るとある士官がそのもとに来て、嘆願して言った。『閣下、私の召し使いが体がまひして家で寝込んでおりひどく苦しんでおります。』イエスは言った。『そちらへ行く時に治してあげましょう。』士官は答えた。『閣下、私のような者の家に来ていただくには及びません。ただ一言言ってくだされば召し使いは癒やされます。』」ユダヤ人を見下すローマ人が多い中でこの士官は2回もイエスに「閣下」と呼び掛けました。また8節では「私のような者の家に来ていただくには及びません」とも言っています。「私はそれほど重要人物ではありません」。と言っていたわけです。この士官の名前は聖書に出ていませんがその謙虚な姿勢は私たちにとって良いお手本です。マタイ8:10でイエスはこの士官について何と言っているでしょうか。「イエスはこれを聞いてとても驚き後に従う人たちに言った。『はっきり言いますが、イスラエルの中でもこれほどの信仰は見たことがありません』」。励みになるどんなことが分かりますか。この百人隊長のようにそれまでどんな人生を送ってきたとしても、謙虚な人になれます。ではどうすれば謙虚な人になれるでしょうか。まず本当に謙虚な人になりたいという気持ちを強めましょう。神に喜んでもらうためには謙虚でなければならないということや人を見下す考え方をするならサタンに見習っていることになるということを忘れてはなりません。自分がエホバに比べてどれほど小さい存在かじっくり考えて下さい。そしてエホバに倣って謙虚な人になれるよう助けを求めて祈りましょう。幸せな結婚生活を送るためにも謙虚さが必要です。感情がぶつかるときは特にそうです。気持ちが傷ついているときに謝るのは難しいと思いませんか。「幸せな家族になるために」のシリーズの動画から学んでみましょう。夫婦の絆がしっかりしていれば家庭は心安らぐ場所になります。でもどれほど絆が強くても結婚生活というのは不完全な男性と不完全な女性が一緒に暮らすということです。仲のいい夫婦であっても感情がぶつかってきつい言い方をしてしまうことがあるかもしれません。言い合ううちにどんどんエスカレートして、何がきっかけだったのか分からなくなることもあります。でももう止まりません。身に覚えがありますか。その時謝って仲直りできましたか。もやもやした気持ちは時間が解決してくれるものではありません。家庭の平和を取り戻すためには心から謝ることが欠かせません。「対抗心を抱いたり自己中心的になったりしてはなりません。謙遜になり自分より他の人の方が上だと考えて下さい。」相手の身になって気持ちを考えてみましょう。謝ってもらえたらどんな気持ちになるでしょうか。エゴやプライドは捨てましょう。自分は悪くないと思えるときも言い合いになってしまった以上自分にも責任があるということを認めましょう。相手を傷つけてしまったことを素直に謝り相手が謝ってくれたときには快く許します。自分の正しさを証明することより仲のいい関係でいることの方がずっと大切です。でもそういう関係を維持するためには努力が必要です。相手のできていないところに目が行ってしまうこともあるでしょう。もう我慢の限界だと思ったときにはヤコブ3:2を思い出しましょう。「私たちは皆何度も過ちを犯します。」どちらが悪いかはさておきできるだけ早く謝るならそれだけ早く和やかで気持ちのいい関係を取り戻せます。心から謝り気持ちよく許しましょう。そうするなら自分の気持ちよりも夫婦の絆を大切にしていることになり、その絆はどんどん強くなっていくでしょう。では気持ちがぶつかることがあってもすぐに仲直りできるようここで時間を取って一緒に考えてみましょう。先ほど謙虚さと正直さの関係について考えました。自分にも欠点や弱点があるということを正直に認めるなら夫や妻に思いやりを示して心から謝ったり許したりしやすくなるでしょう。⇒でも、JW界においては、「謝ったら負け」病がはびこっておりますのよね。家庭以外の場所で周りの人と平和にやっていくのはもっと大変です。みんなそれぞれいろんな意見を持っているからです。どんなライフスタイルや信念も受け入れるべきだと言う人もいます。価値観が違う人に憎しみをぶつける人もいます。聖書を読むと私たちが人にどう接することをエホバが願っているかが分かります。その点について学んだ2人の若い兄弟姉妹がどのように信仰を強められたか見てみましょう。周りの人は自分とは違う人にどのように接していますか。学校に行っていた頃、周りの友達はみんなどんなライフスタイルの人のことも受け入れなきゃだめだよって感じでした。先生はいろんな性的指向の人を認めることが大事だって教えてました。高校生活最後の年、新しい先生が来たんですけどほかの先生とは違っていました。その先生は僕たちの小さな町に都会からやって来たんです。長いこと大学にいて神を信じていない人でした。SNSでは自分と違うライフスタイルの人のことを悪く言う意見をよく見ました。そういう人に対する当たりの強いコメントもたくさんありました。先生はちょっと変わった人でした。生徒に対して傷つけるようなことや気まずくさせるようなことを言っていました。生徒が答えられないような難しい質問をたくさんしたり、「この町の人たちはこんなことも知らないのか」と言ったりしました。当然生徒からの受けは良くなかったです。授業に来ない人も結構いたし、来た人も先生と話そうとしませんでした。「神を信じてない人なんかと話したくない。」とみんな言っていました。時々友達から「エホバの証人は同性愛の人たちが嫌いなんでしょう。」と言われました。エホバの証人が自分たちの信条と違うことをしている人を全く受け入れないで、そういう人たちに厳しい見方をしているって思ってるみたいでした。聖書の見方を持ち続けるのに何が役立ちましたか。小さい頃から両親はいつもバランスの取れた見方ができるよう教えてくれました。良くないことは絶対しませんが、ある人がそういうことをしているとしてもその人を嫌いにならないということです。母のお手本を見れたのも良かったです。母は美容院で働いていたんですけど、相手の性的指向に関係なく一緒に働く人たちみんなにいつも親切でした。イエスの手本について考えました。相手の価値観や生い立ちに関係なくみんなに伝道しました。どんな人か周りからどう思われているかに関係なくです。イエスはみんなのために時間を取りました。マタイ5:45が好きです。エホバは全ての人に太陽を昇らせ雨を降らせると書いてあります。どんな人であっても必要とするものを与えるというエホバの愛が表れています。イエスについて考えていた時、マタイに書いてあるイエスの言葉を思い出しました。「人からしてほしいと思うことは全て人にもしなければなりません」。という言葉です。先生にどう接したらいいか考えることができました。周りに合わせていちゃだめだと思いました。つまり全能の神であるエホバが善い方で親切でみんなを大切に扱っているのなら私もそうしないと。自分が同意できないことをする人に接するときもです。愛を示す一番の方法はエホバについて知るよう助けることだとエホバは教えてくれています。聖書の教えの通りにしてみてどうでしたか。私が働いていたホテルでウェイターをしている人の中に同性愛の人がいたんです。何人かの同僚はひどい接し方をしていました。私はそうならないようにしてその男性にみんなに接するのと同じように接しました。先生と聖書について話して聖句を見せることもできました。聖書が科学的なことを言っていると知って驚いていました。それでもっと知りたいと言いました。ある日その男性が来て私の接し方がほかの人と違うのを感謝してくれました。どうしてそういう接し方ができるのか聞いてくる人もいました。これがきっかけで人との接し方など生活で聖書のアドバイスを当てはめるようにしていることを説明することができました。その後先生はすごく変わりました。先生は僕の態度を褒めてくれました。先生への話し方がほかの生徒と違っていたからです。先生の態度が優しくなったのでクラスの雰囲気もすごく良くなりました。授業に来なくなった生徒も少しずつ戻ってきました。学年の終わりにはその先生の授業をみんな大好きになっていました。エホバの人への接し方やエホバが自分について学ぶチャンスをみんなに与えていることを考えるとエホバのことがもっと好きになります。聖書が教えているのはどんな信念や意見も受け入れるようにということではありません。どんな生き方を選ぶ人に対しても相手の尊厳を認めて敬意を込めて接するようにということです。エホバはできるだけ多くの人に真理を知ってほしいと思っています。⇒小さな町に赴任してきた先生の例はよくわかりませんでした。その人が変人だったのか、それともそこまでの変人ではなかったのか。変人でもJWの話を聞いてくれれば変人とはみなさないのか。何だかねぇ。で、結局、異なる価値観を持っている人には近づくのか、遠巻きに見るのか。受け入れるのか受け入れないのか、そのあたりの基準がぶれてんだよね。公共エリア伝道がきっかけでエホバについて知った人は少なくありません。今回のJWヒストリーでは公共エリア伝道のスタイルが時代とともにどのように変わってきたかが取り上げられます。私たちエホバの証人は人がいればどこででも伝道します。現在私たちは世界中でカートやテーブルなどを使って伝道しています。公共エリア伝道はどのようにして始まったのでしょうか。今回のJWヒストリーでご紹介します。公共エリア伝道の型をつくったのはイエスです。イエスは道や大通りで教えました。パウロなどの1世紀のクリスチャンもそのやり方に倣いました。現代のエホバの証人も公共の場所で伝道しています。1800年代後半当時の聖書研究者は「聖書対進化論」という小冊子を発行しました。目標は30万部以上配布することでした。でも聖書研究者の数がそれほど多くない中でそんなにたくさん配布できるんでしょうか。1899年4月15日号の「ものみの塔」誌に「自発奉仕者を求む!」という記事が載りました。その記事では教会の近くに立って小冊子を手渡す活動に参加するよう呼び掛けられました。当然聖職者たちは怒ります。小冊子を配っている兄弟たちが逮捕されるように仕組むことまでします。でも兄弟たちは勇敢に活動を続けました。わずか1年の間に90万部以上の小冊子が北アメリカとヨーロッパの街路で配布されました。現代における公共エリア伝道の幕開けです。1920年代には「現存する万民は決して死することなし」と題する小冊子や公開講演を宣伝する大規模なキャンペーンが行われました。型にとらわれない斬新な方法が用いられ大勢の人が興味を持ちました。その後の数年の間にも新しい方法が次々と編み出されました。例えば首から下げるサンドイッチ式プラカードが使われるようになりました。雑誌を宣伝するためのかばんも作られました。宣伝行進もありました。参加しているところを想像してみて下さい。ラザフォード兄弟は速記の達人で誰かに話し掛けられてもペンを動かしていることがよくありました。いろんなことを書いてはきれいに保管していました。その日もそんな感じで私にメモを渡して「あなたはこれをどう思いますか。」と聞いてきました。そこには「宗教はわなでありまやかしである」と書かれていました。私は「強烈ですね」と言いました。すると兄弟はこう言いました。「それなら狙い通りです。今週大きな宣伝行進がありますよね。印刷部門のクレイ兄弟にこの言葉をプラカードにしてもらってそれを掲げたいと思っているんです。」まあそんな感じでやることになりました。その時ノア兄弟もロンドンに来ていて兄弟と私で行進を先導しました。1000人ほどの兄弟たちが10キロにわたって行進しました。圧巻でした。その後何年にもわたって世界の各地でこのような宣伝行進が行われました。「通知」の1940年1月号では人通りが多い街路での雑誌活動が始まることが知らされました。その後世界中の多くの人たちが街路で雑誌を配布するエホバの証人をよく見掛けるようになりました。でもみんなが好意的に応じたわけではありません。怒った人たちに襲撃されることもありました。そういう中でも兄弟姉妹は勇敢に伝道を続けました。その姿を見たり兄弟姉妹の親切に触れたりしてエホバの証人に対する見方を変えた人もいます。皆さんの周りにも大学やショッピングセンターや空港などで出版物を受け取って真理を知ったという人がいるかもしれません。21世紀に入って公共エリア伝道のスタイルが大きく変わりました。まずフランスで統治体の承認の下文書カートなどを使った公共エリア伝道が試験的に始まりました。今のカートとはずいぶん違いますね。これがうまくいったので統治体はその後も公共エリア伝道のやり方を調整していきました。特別な大都市公共エリア伝道も始まりました。このようにして家から家の伝道ではなかなか会えない人たちに真理を伝えられるようになりました。公共エリア伝道は私たちの活動の大事な一面です。文書カートはオリジナルソングができるくらいなじみ深いものになりました。宣伝行進をしていた頃も街角に立っている今も目指すところは変わりません。エホバへの愛を表し人々の心に真理の種をまくことです。次回のJWヒストリーもお楽しみに。1000人の兄弟姉妹と10キロにわたって宣伝行進をしている様子を思い浮かべてみて下さい。公共の場所で良い知らせを伝えるには勇気が要ります。謙虚であることも必要です。公共エリア伝道によって真理の種がたくさんまかれてきました。⇒もはや、家から家の証言活動も、奏功しませんしね。カートで、「世の見世物」になったとしても、JWにはネガティブなイメージが付いてますから、効果は期待できんでしょうよ。エホバに仕えることに決めて一歩踏み出してから良い結果になるまで時間がかかることもあります。ディグレゴリオ兄弟姉妹が経験を語ってくれます。どうぞご覧下さい。エホバのためにベストを尽くしている兄弟姉妹と過ごすのが大好きです。人のために働く生き方は充実しています。70年代後半私たちは2人ともミネソタ州で特別開拓奉仕をするよう割り当てられました。それから私はギレアデに行きドミニカ共和国支部に割り当てられそこで結婚しました。その頃支部はまだとても小さくて私たちは最初図書室で寝泊まりすることになりました。こう言われました。「ここは図書室なので毎晩9時まで扉を開けておいて下さい。」普通なら味わえないような苦労がありましたね。ユーモアを忘れないことの大切さを学びました。私はもともと内気な方なんですが、ドミニカの人たちはとても明るくてフレンドリーなんです。それが私にとってはすごく良かったです。物事をポジティブに受け止められるようになりました。絶対に必要だと思っていた物が実はなくても大丈夫なんだということにも気付きました。物が少なくても幸せに生活できるんです。数年のうちにドミニカの兄弟姉妹の数は増えていきました。新しい支部の建設も始まり今度は海が見える部屋に住めそうな感じでした。でも意外な展開になりました。そうだね。1989年のベルリンの壁の崩壊後東ヨーロッパの小さな国々が幾つも独立し、前よりも自由に宗教活動ができるようになりました。マイケルの家族がアルバニアにいたのでこれは私たちにとっても大きなことでした。アルバニアではそれまで長年にわたってエホバの証人の活動が禁止されていました。でも今なら家族に会いにアルバニアに2,3日行けるかもしれないと思いました。ですが、統治体から驚くような手紙を受け取りました。こういう内容でした。「アルバニアに2,3日ではなく2,3カ月とどまって、そこでの活動をサポートしていただけないでしょうか。」分からないことだらけでしたがお受けすることにしました。統治体もアルバニアの状況をあまり把握できていませんでした。禁令は続いていましたし支部も会衆もなく兄弟姉妹がどこにいるかも分かりませんでした。家が見つかるかどうかもちゃんと食べていけるかも分かりませんでした。その頃アルバニアでは経済が完全に破綻していたからです。それでもぜひ行きたいと思いました。2,3カ月なら何とかなるだろう、2,3カ月やれるだけやってみようと思ったんです。着いてみると思っていたよりひどい状況でした。インフラは壊滅的でした。街は新政府を求める人たちで混乱していました。でもそれまでの奉仕で経験したことが助けになりました。ドミニカ共和国で物がない生活には慣れていたのでアルバニアでの暮らしも心配し過ぎないで済みました。ドミニカでの奉仕が生きたわけです。アルバニアではまず兄弟姉妹を捜す必要がありました。当時は年長の兄弟姉妹が少しいるだけでした。私たちはまた活動が法的に認められるようにするためにも力を尽くしました。そのために政府の役人と話す計画を立てていた頃、アメリカに住んでいるアルバニア系の兄弟が親族に会うためにやって来ました。ある日その兄弟に聞きました。「あした政府の役人と会うんだけど、一緒に来てくれない?」そしたら「ぜひ」と言ってくれました。役所に着いた時大臣はいませんでしたが顧問弁護士が対応してくれました。その人は自己紹介をしてから兄弟を見て出身を尋ねました。「どこどこ村です。」と答えるとその人は言いました。「私もそこの出身です!」2人は何といとこだったんです。そこでその人はみんなを見て言いました。「皆さんの書類を読んで感銘を受けお力になりたいと思っていましたが、親族だということが分かった以上何もしないわけにはいきません」。それから数日のうちに電話があり書類が届きました。アルバニアでのエホバの証人の活動が認可され50年続いた禁令が終わったのです。その後エホバの聖なる力の強力な助けの下期待をはるかに上回る進展がありました。大勢の人が集会に押し寄せてきました。若い人も年配の人もみんな真理を求めていました。3カ月の終わりが近づいた頃統治体がこう言ってくれました。「認可も下りましたし、とどまるのはいかがでしょうか。」もうその時にはアルバニアの兄弟姉妹を家族のように感じていて離れたくはありませんでした。とどまれることになってうれしかったです。結局アルバニアで30年奉仕しました。あっという間の30年でした。3日の旅のはずだったのにこんなに長くなるなんて。勇気を出して一歩踏み出せば新しい自分に出会えます。それにエホバに大切な仕事を任せてもらえますし、人を助けるチャンスも増えます。こんなにうれしいことはありません。不安だというだけで差し伸べられた奉仕の機会を断らないで下さい。エホバに全部お任せすればエホバが責任を持って助けてくれます。エホバは私たちがいつどこで奉仕するのがベストかを知っています。エホバを試して下さい。エホバの思いのままに使っていただくのが一番です。お二人は大変なことがあってもアルバニアでの奉仕を何十年も続けました。今ではこの国に5000人以上の兄弟姉妹がいます。⇒いつも毒吐いてる私もですね、実はこういう話は好きなんですよ。自分を犠牲にして、何かに向かって一心不乱に努力する。仮にそれがカルトの活動だったとしても、それ自体は否定されるものではないと思っていましてね、えぇ。では次にサウルとサウロの例から謙虚であることの大切さを学びましょう。ジェフリー・ジャクソン兄弟の朝の崇拝の話をどうぞご覧下さい。謙虚であることについて私たちは聖書に出てくるいろいろな人物から大切なことを学べます。中にはお手本にできる人もいれば反面教師もいます。今日の話では反面教師とお手本にできる人を1人ずつ取り上げてみたいと思います。サウルとサウロです。まずはサウルについて考えます。サウルはイスラエルで王として治めました。もしよければ聖書を開いてサムエル第一の初めにある概要をご覧下さい。そこを見るとその時代にどんな出来事があったかを手早く知ることができます。10章のところには「サウルは油を注がれて王になる」とあります。この時のサウルはどんな人だったでしょうか。偉そうな態度を取っていましたか。「ついに出番が来た。自分の力でこの国を変えてみせよう」と思っていたでしょうか。いいえ聖句によると「サウルは荷物の間に隠れて」いました。目立ちたいと思っていたわけではなく王になることをためらいました。でもエホバはサウルが適任だと思っていました。さらに概要を見ていくと11章でサウルはアンモン人を打ち破っています。聖句によるとサウルはこの時聖なる力を受けていました。謙虚だったので自分を見下すようなことを言った人に仕返しをするようなことはありませんでした。でも13章のところを見てみると何と書かれているでしょうか。「サウルは出過ぎたことをする」とあります。サウルは謙虚ではなくなりエホバの心にかなう人ではなくなりました。この時王になってどのくらいたっていたのでしょうか。13章の1節からすると王になってからそれほどたっていない頃2,3年後のことと思われます。ここからどんなことが分かるでしょうか。王になってからあっという間に謙虚でなくなったということです。さらにその後約35年もサウルが王として統治することをエホバが許したということも分かります。この記録からどんな大事なことを学べるでしょうか。1つ目の点です。私たちは長老やその他の責任を委ねられる前謙虚だったかもしれません。引き受けるのをためらったでしょうか。自分なんかとんでもない、こんな大役を任せてもらえるなんて恐れ多いと思ったかもしれません。でもサウル王のことを忘れないようにしましょう。サウルは王になるとすぐ謙虚でなくなってしまいました。2つ目の点です。何かの役割や責任を委ねられているとしてもそれだけを根拠にして自分はエホバに喜ばれているとか謙虚な人だと言うことはできません。それで時々自己分析をすることはとても大切です。自分が今も以前と同じように謙虚な人でいることができているかどうか考えてみましょう。次に取り上げるのはサウロのお手本です。後に使徒パウロとして知られるようになりました。サウロは初めどんな人だったでしょうか。「荷物に隠れて」いたサウルのように謙虚だったでしょうか。いいえサウロはどんどん前に出ていくタイプの人でした。テモテ第一1:13でパウロは昔の自分は「横柄だった」と言っています。この表現からは、ほかの人を見下すような話し方をする人のことがイメージされます。サウロはまさにそういう人でした。独善的で偉そうな態度を取っていたようです。そんなサウロがどうなったでしょうか。大きな変化を遂げてクリスチャンになり聖なる力の助けでとても謙虚な人になりました。どんなことからパウロがとても謙虚な人だったことが分かるでしょうか。いろんな例を挙げることができますが、ここでは1つだけ取り上げます。ちょっと皆さんのイメージを聞いてみたいんですが、使徒パウロは人前で話すのが上手だったと思いますか。雄弁な人というイメージがありますか。それほどではなかったと思う人もいるかもしれません。でも結論を急ぐ前に「使徒の活動」の書を少し調べてみましょう。「使徒の活動」の書にはパウロがさまざまな機会にどんなふうに話していたかが記録されています。例えばアンティオキアでは人の心を大いに揺さぶる話をしました。バルナバと一緒にルステラに行った時には人々はパウロのことをヘルメスと見なしました。パウロがメインで話していたからです。使徒17章にあるパウロの手本もよく取り上げられますよね。パウロはかなり気を遣うようなシチュエーションで、「知られていない神に」と刻まれた祭壇を引き合いに出して見事な話をしました。聴衆になじみのある詩人の言葉を引用することさえしました。こうした記録から、パウロが人前で話すのがとても上手だったということが分かります。ほかにも神殿から引きずり出されて殺されそうになった時階段の所で素晴らしい弁明をしました。さらによくご存じの通りユダヤ人ではない支配者の前で上手な受け答えをしたことが何度もあります。こうしたことを考えるとパウロに対するイメージが変わりましたか。パウロは人前で見事に話すことができた、人を上手に説得した。そんなイメージでしょうか。ではパウロはあまり話が上手ではなかったという印象を持つ人がいるのはどうしてでしょうか。コリント第二11:6が関係しているかもしれません。ご一緒に見てみましょう。ここでパウロはコリントの兄弟たちにこう言っています。「たとえ話し方が未熟だとしても知識については決してそうではありません」。パウロは人前での話し方を知らなかったんでしょうか。そうではありません。ここでパウロは自分のことを見下す「優秀な使徒たち」に反論していました。その人たちは、パウロは話が下手だと批判していました。パウロは「たとえ⋯⋯未熟だとしても」と言った時、話す面で自分が本当に未熟だと言っていたわけではありません。独り善がりな優秀な使徒たちに合わせて話していたに過ぎません。ここで考えてみたい点があります。パウロは話すのが上手だったのにコリントの兄弟たちの中にパウロの話し方に対する評価が低い人たちがいたのはどうしてでしょうか。その答えはパウロが謙虚だったことと関係があります。コリント第一を開いて見てみましょう。コリント第一2:1-5を読んでみたいと思います。「兄弟たち私は皆さんの所に行って神の神聖な秘密を伝えた時、もったいぶった話し方をしたり、知恵をひけらかしたりはしませんでした。」ここから分かるのはパウロが当時コリントで一般的だった話し方をあえてしなかったということです。続けて2節にこうあります。「杭に掛けられて処刑されたイエス・キリストのことだけを皆さんに語ろうと決めたからです。」パウロはもったいぶった話し方をしたり、知恵をひけらかしたりすることもできましたが、あえてそうしないことに決めていました。3から5節も見てみましょう。「私は弱さと不安を抱え非常に恐れながら皆さんの所に行きました。そして話したり伝道したりする際、知恵の言葉で説き伏せるのではなく神の聖なる力の証拠を示しました。皆さんが人間の知恵ではなく神の力によって信仰を持つためです。」パウロはコリントの兄弟たちが問題を抱えていることに気付いていました。兄弟たちは世の知恵や自分をアピールするような話し方や態度に引かれていました。そうしたことが会衆の分裂の一因になっていたのかもしれません。この状況を改善したいと思ったパウロは、エホバの聖なる力や聖書のメッセージが持つ力によって聞く人の心が動かされることを願い自分の知恵をひけらかすことはしませんでした。本当に謙虚だと思いませんか。自分が低く見られても、話すのが下手だと思われても気にしませんでした。エホバがたたえられることを一番に考えていたからです。どんなことが学べますか。偉そうな態度を取っている人でも謙虚な人になれるということが分かります。また知恵や能力を持っているとしても謙虚であればそれをひけらかさないようにすることができます。そのようにしてエホバがたたえられるようにするのです。今日は対照的な2人について考えてきました。謙虚でなくなったサウル王のようにはなりたくありません。パウロに見習って謙虚な人であり続けましょう。自分を低くしエホバがたたえられるようにしましょう。謙虚だった人も謙虚でなくなることがあります。でもパウロの例から偉そうな態度を取っている人も謙虚になれるということが分かります。パウロはエホバに形作ってもらいました。⇒でも、ジャクソンは嫌いです。今月のミュージックビデオのテーマはエホバの手の中で形作っていただくことです。刑務所の中で真理を知った人が登場します。エホバよわたしはあなたを たたえたいと願うのに 心は頼りなくて 言わなきゃよかった言葉も 取り戻せないよ情けないな どうか 見捨てないで わたしは粘土あなたは陶芸家 あなたを笑顔にするわたしになりたい あなたを賛美したい その手の中であなたの望むような 美しい器に作り変えて あなたの手で 心にあなたの声 染み込ませていくように 深く思い巡らす 謙虚な気持ちでまた今日も 新たなスタートを切って行こう 過去は振り返らずに わたしは粘土あなたは陶芸家 あなたを笑顔にするわたしになりたい あなたを賛美したい その手の中であなたの望むような 美しい器に作り変えて あなたの手で 神の手の中でもっと柔らかな粘土になって 神と共に歩んでゆく ⇒歌詞の中で、「陶芸家」ってワードが出て来るとは思わなんだ。いや、翻訳部隊、しっかりしようよ。自分の欠点にがっかりしたり、自分をなかなか変えられないと思ったりすることがあっても謙虚な心でエホバに頼るならエホバは助けてくれます。今月考えた通り謙虚であれば人生は充実したものになります。夫婦の間で感情がぶつかるときも仲直りするために行動できます。周りの人に対してエホバに喜ばれる接し方ができます。さまざまなスタイルの伝道に参加したいという気持ちも強まります。今月のビデオレターは東南アジアの国ミャンマーからです。以前はビルマと呼ばれていました。マレー半島にかかる部分をしっぽに見立ててこの国の形を空に揚げるたこに例える人もいます。初期の入植者たちはミャンマーを「黄金の国」と呼びました。資源が豊かな場所だからです。ミャンマーの森林はチークヤシタンといった貴重な木材の供給源になっています。銀銅サファイアルビーも多く採れます。ミャンマーの人たちは親切で思いやり深く人をよくもてなします。8つの主要民族それぞれが独自の言語や文化を持っています。人の名前は大抵何らかの意味のある単語を幾つか並べて付けられます。例えばチョ・サンダ・ミンという名前には「甘い月上」という意味があります。ミャンマーの女性や子供たちの多くはクリーム色の化粧を顔に塗っています。この化粧品はタナカと呼ばれていてタナカという木から作られます。タナカには肌を冷やしたり熱帯の日差しから保護したりする働きがあり2000年以上も使われてきました。ミャンマーでの伝道活動は1914年に2人の聖書研究者がやって来た時に始まりました。その後宣教者たちもやって来て1939年までには会衆が3つになり兄弟姉妹も28人に増えました。1940年代1人の開拓者の姉妹がカレン民族の人たちに真理を伝え始めました。リリーとも呼ばれたニン・メイとデージーとも呼ばれたチュ・メイはこの姉妹から真理を聞きました。リリーはカレン民族の中で最初のエホバの証人になりました。デージーもバプテスマを受け2人とも熱心な開拓者になりました。現在ミャンマーには伝道者が何千人もいますが、その中にはこの姉妹たちの親族や2人から聖書を学んだ人たちが大勢います。みんな貧しさ政情不安迫害戦争などの中一生懸命エホバに仕えています。伝道は20以上の言語で行われています。2024年ミャンマーの伝道者数が過去最高になりました。記念式には1万2000人近くが出席しました。バゴー地方の小さな村にあるプドー会衆では86人の伝道者と4人の特別開拓者が奉仕しています。プドー会衆とヤンゴンの遠隔翻訳事務所の兄弟姉妹が愛とあいさつを送っています。エホバの証人の世界本部からJWBroadcastingでした。⇒ミャンマーねぇ…。まぁ、行くことはないだろうな。「タナカ」って化粧品なんですな。「高菜食べてる田中さんが使ってるタナカ。(タカナタベテルタナカサンガツカッテルタナカ)」、いいっすねぇ。ということで、今回は1時間未満の放送でしたけど、相変わらず、内容の薄いプログラムでしたね。気が付けば、今年ももう2月でしょ。せっかく恵方巻食べたと思って、これからバレンタインが楽しみなのに、また春から記念式にかけて、キャンペーンとかやるんですかね?我が会衆におきましては、3月巡回大会⇒4月記念式⇒4月特別集会⇒4月巡回訪問⇒8月地区大会と、気が付けば夏なんでしょうな。国際大会が当たらなかっただけ、まぁ、ましと考えましょうか。ということで、寒波の中で「カルト」と叫ぶ。犬猫がお送りいたしました。皆様、健やかにお過ごしくださいませな。