年次総会 ブロードキャスティング(2023年11月)
久しぶりのブログ更新ですよ。皆様いかがお過ごしでしょうかX(旧:Twitter)では盛んに呟いてはいたのですが、ブログの更新が滞っておりました。気が付けば半年更新してなかった…。さて、10月に行われた年次総会で、伝道者の時間報告等が無くなったということで、楽しみに(もちろん皮肉です。)ブロキャスの放送を待っておりました。既に、きんたや大先生が全文を載せて下さっていたので、「屋上屋を架す」感が半端ないですが、句読点等付けて、改行を直すなどして、少しは読みやすくしたという、犬猫氏の無駄な努力だけは褒めてください。ということで、以下放送の書き起こしです。(以下、太字斜体部分は放送からの書き起こし。)2023年11月のJWBroadcasting®へようこそ。10月7日ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会は年次総会を開きました。いつもは1月のマンスリープログラムで年次総会の話を聞いていました。でもなんと今回は年次総会の4つの話を11月に聞くことができます。今月視聴できるようにするというのが統治体の希望でした。世界中の兄弟姉妹になるべく早くお伝えしたいと思ったからです。ぜひプログラムをよく聞いて楽しんで下さい。⇒今回の放送では、年次総会のシンポジウム(話し手4人)を聞くことになります。それにしても、なる早で世界中のB/Sが視聴できるようにってのは、どういう風の吹き回しでしょうか。今日出席できて本当にうれしいですね。素晴らしいプログラムが準備されています。年次総会は特別です。例えば2013年の年次総会はどうでしたか。まさに歴史に残る忘れられないものでした。本当に記念すべき年次総会でした。多くの方は、年次総会はいつも歴史的だと思うかもしれません。確かにそうですが、2013年は本当に特別でした。英語の「新世界訳聖書」改訂版が発表されたからです。その後改訂版がいろいろな言語で入手できるようになり世界各地の多くの人たちが喜んでいます。それから10年たちました。ちょうど10年です。今日の年次総会も歴史的なものになります。今回「忠実で思慮深い奴隷」は聖書のより深い考えやエホバの気持ちをつかむことができました。エホバが統治体を導き助けてくれました。それで今日皆さんにお伝えした。いと思います。聞きたいですか。準備はできていますか。では次のシンポジウムを注意深く聞きましょう。話をした兄弟が次に話す兄弟を紹介します。ゲージ・フリーグル兄弟が最初の話をします。話のテーマは「エホバを愛し賛美しましょう」ではお願いします。⇒年次総会は特別・・・ねぇ。ま、自分らが選ばれし聴衆で、あのスタンレー劇場で直に話聞けるなら、「特別」でしょうよ。西暦33年ニサン11日のことです。自分の死が迫る中イエスは神殿で一生懸命教えていました。そして律法学者とパリサイ派の人たちを見事に論破し沈黙させます。その時イエスは大切なことを教えます。イエスが教えたことの中でも特に深いものです。「カエサルのものはカエサルにしかし神のものは神に返しなさい」と言いました。その後律法学者の1人がイエスにこう尋ねます。「最も重要なおきてはどれですか。」イエスは何と答えたでしょうか。イエスの言ったことはクリスチャン全てにとって大切な意味を持っています。今の私たちにとってもです。マルコ12章を開いてイエスの答えを見てみましょう。マルコ12:29,30をご覧下さい。マルコ12:29,30。「第一は[つまり最も重要なおきては]こうです。『聞きなさいイスラエル私たちの神エホバはただひとりのエホバであり、あなたは心を尽くし知力を尽くし力を尽くし自分の全てを尽くしてあなたの神エホバを愛さなければならない』。」「エホバを愛さなければならない。」神を愛しなさい、シンプルに聞こえますね。とても多くの人が自分は神を愛していると言っています。でも実際は神よりも楽しみごとを愛していたり、戦争で人を殺したり、神が決めた性道徳を無視したりしています。そういう人たちは本当に神を愛しているとはいえません。ここでイエスが言ったことからすると、神を愛するというのは好きだと感じるだけのことではありません。どういうレベルで愛するべきでしょうか。心、知力、力自分の全てを尽くしてです。尽くすべきものはほかにもありますか。目や耳や手はどうですか。30節の注釈を見るとこのことには人の感情、欲求、気持ちが関係しています。また知的能力を使うことも含まれます。身体的な力を使うことも関係しています。それでエホバを愛するというのは自分の全部をフル活用するということです。生き方に神への愛が表れ何をするにもその愛に動かされます。この第一のおきてについて話した時、イエスは神殿にいました。その少し後にあった出来事に注目してみましょう。神を愛していると言いながら本当はそうではない人と心から神を愛している人が出てきます。⇒神を愛していると言いながら本当はそうでない人・・・お前らやん?まずイエスは律法学者やパリサイ派の人の神への愛に中身がないことを強く非難します。マタイ23章にその時の様子が書かれています。その人たちは小さいハーブに至るまで1/10をきちんと納めていました。でも「もっと重大な事柄…公正と憐れみと忠実を無視して」いました。言ってることとやってることが違ったわけです。でもその後イエスは神を心から愛しているある人に目を留めます。マルコ12章を開いて41節から見てみましょう。「イエスは寄付箱の見える所に座り人々が寄付箱にお金を入れる様子を眺めていた。多くの裕福な人たちがたくさんの硬貨を入れていた。そこへ貧しいやもめがやって来てごく小額の小さな硬貨2枚を入れた。イエスは弟子たちを呼び寄せてこう言った。『はっきり言いますが、この貧しいやもめは寄付箱にお金を入れたほかの人たち全てよりたくさん入れました。皆は余っている中から入れましたが、この女性は乏しい中から自分が持つ全て生活に必要な全てのものを入れたからです。』」やもめがした寄付は当時15分ほど働けば稼げる額でした。でもイエスはエホバがその寄付をどう見ているか分かっていたのでやもめを褒めました。何が学べますか。単に寄付が大事ということではありません。どうしてエホバを崇拝するかが大切だということです。エホバは私たちを誰かと比べたりはしません。以前もっと若かった頃のあなたと比べることもしません。エホバが望んでいることはただ心、知力、力全てを尽くしてエホバを愛することです。10年前や20年前ではなく今のあなたのベストを期待しています。ここで考えてみたいことがあります。心、知力、力、自分の全てを尽くしてエホバを愛したいと私たちが思うのはどうしてでしょうか。ぜひそうしたいと思う理由があります。エホバが私たちを心、知力、力自分の全てを尽くして愛しているからです。どうしてそう言えますか。イザヤ40章から44章を見てみましょう。エホバをぜひ愛したいと思う理由が幾つか書かれています。さらにエホバの私たちへの愛がどれほど深いかも伝わってきます。ではまずイザヤ40:11をご覧下さい。イザヤ40:11「神は羊飼いのようにご自分の群れを世話する。腕で子羊を集め懐に抱いて運ぶ。子に乳を飲ませている羊を優しく導く。」この聖句でエホバは優しい羊飼いに例えられています。エゼキエル34:15,16でエホバはこう言っています。「私は自ら自分の羊を養い…いなくなった羊を捜し、はぐれた羊を連れ戻し、けがをした羊に包帯をし[このイラストのようにです。]弱い羊を力づける。」エホバの優しさがよく分かる例えです。もし私たちが転んでけがをしたり、とげが刺さるような痛みを感じたりするならエホバが包帯を巻いてくれます。傷を癒やしてくれます。エホバはこんなふうに言ったりはしません。「もっとよく考えるべきだったね。」むしろ失敗を繰り返さないよう聖書から教えてくれます。⇒えぇ?「もっとよく考えるべきだったやろ?ゴルァ!」っていう、自称エホバとイエスに倣う長老・巡回監督しか知らんけど。羊である私たちはどう感じますか。先ほどの絵に描かれていたように羊飼いの腕の中でほっとできます。エホバに優しく気遣ってもらう時深い安心感に包まれます。確かにエホバは心を尽くして私たちを愛し思いやってくれます。そう考えると私たちのエホバへの愛も強くなります。ではエホバを愛したいと思う2つ目の理由を考えましょう。イザヤ40:28,29を読みます。28節「あなたは知らないのか、聞いていないのか、地の果てから果てまでを創造したエホバは永遠にわたって神である。疲れ果てることも弱ることもない。その理解力は計り知れない。神は疲れた人に力を与え、弱った人にみなぎる活力を与える。」エホバは聖なる力を使って全てのものを造りました。全創造物の中の初子イエス、非常に大勢の強力な天使たち数え切れないほどの星を含む広大な宇宙、多様な植物や動物であふれる美しい地球、驚くほどいろいろなことができる人体、そういうものを全部造りました。エホバこそ偉大な創造者です。考えてみて下さい。疲れ切ってくたくたになっているときどうしますか。長い1日の終わりそんなふうに疲れを感じることがあります。どうやって元気を取り戻しますか。電気自動車みたいにどこかにプラグを差して充電してもらいますか。違いますね。私たち人間は休息を取り食事をすることで元気になるよう造られています。そう造られていること自体エホバの愛の証拠です。食事をすると力がもらえるだけでなく幸せになれるからです。今朝何を食べましたか。さっき会場でドーナツを食べている人を見掛けました。ドーナツ1個にはなんと2,3時間分のカロリーがあります。皆さんがダイエット中じゃないことを願っています。何を選ぶとしても食べ物はエホバからのプレゼントです。私たちが元気に生きていくためのプレゼントです。⇒うっせぇ。ドーナッツぐらい、黙って食わせろ!穴が開いてるから、カロリーはゼロなんだわ!では私たちが人生で逆境にぶつかって疲れを感じるときはどうでしょうか。今の世界が続く限り解決しない問題もあります。そういう中でもエホバを崇拝するルーティンを守っていればエホバは「疲れた人に力を与え」てくれます。聖なる力が私たちを強くし闘い続ける気力を持たせてくれます。「普通を超えた力」のおかげで強くなれるということです。エホバは疲れた人を元気づけます。確かに力を尽くして私たちを愛しています。こう考えるとエホバに引き寄せられますね。ではエホバを愛したいと思う別の理由をイザヤ41:10,13から見てみましょう。41:10。「恐れてはいけない。私があなたと共にいる。心配してはいけない。私があなたの神である。私はあなたを強くし必ず助ける。私の正義の右手であなたをしっかりと支える。」13節「あなたの神である私エホバはあなたの右手をしっかりつかみ、『恐れてはいけない。私があなたを助ける』と言う。」エホバは助けてくれます。自分の「正義の右手」で私たちの右手をしっかりつかんでくれます。崖っぷちと思えるような状況から引っ張り上げてくれるということです。エホバは昔イスラエル人のことも助けました。イザヤ63:9にはこうあります。「彼らが苦しんでいたどの時にも神も苦しみを味わった…昔はいつも彼らを抱き上げて運んだ。」最近エホバが助けてくれたと感じたのはいつですか。ダビデは詩編18編でエホバの助ける力について例えを使って書いています。詩編18:8-10にこうあります。「神の鼻から煙が立ち上り口から焼き尽くす火が出た。…神は天を押し曲げて降りてきた。足元には濃い闇があった。神はケルブに乗って飛んできた。天使の翼に乗って素早く降りてきた。」さらに16節です。「神は高い所から手を伸ばし私をつかんで深い水の中から引き上げてくださった。」19節「神は私を安全な場所に連れていってくださった。私のことを喜び助け出してくださった。」エホバは正義の右手を伸ばしてつらい状況から引き上げてくれます。どうしてですか。エホバが全てを尽くして私たちを愛しているからです。どんな気持ちになりますか。エホバともっと親しくなりたいと思うはずです。⇒ここまでまとめますとね、私たちがエホバを愛する理由は、①エホバは心を尽くして私たちを愛し思いやってくれる(羊飼い)。②私たち人間は休息を取り食事をすることで元気になるよう造られている。(創造者)③エホバは疲れた人を元気づける。ってことなんかな。こいつ、話下手やな。牛久大仏にでもすがって来いよ。4つ目の理由を考えます。イザヤ42:8,9を開いて読んでみましょう。「私はエホバそれが私の名、私は自分の栄光をほかの誰にも与えず、自分の栄誉をどんな彫像にも与えない。最初の事柄はすでに起きた。今私は新しい事柄を告げている。それらが生じる前にあなたたちに知らせよう。」エホバが預言の神だと分かります。だから私たちはエホバを愛します。どういうことでしょうか。エホバはいつも約束を守ります。エホバという名前には「彼はならせる」という意味があります。その名前の通りです。「神が奉仕者モーセを通してなさった良い約束は一言といえ果たされなかったものはありません。」こう言ったのは誰でしょうか。ソロモンです。そしてヨシュアもかつて同じようなことを言いました。私たちは今ソロモンの死後3000年以上たった時代に生きています。たくさんの預言がその通りに実現してきたことを知っています。神の王国が統治を始め清い崇拝が回復しています。私たちは確信を込めてこう言えます。「エホバの約束で果たされなかったものはありません。」エホバへの愛とどう関係しているでしょうか。預言があるので希望を持てます。イザヤ33:24、ヨハネ5:28,29、啓示21:3,4などを読む時将来に思いをはせることができます。病気や痛みや死がなくなった世界で生きる自分や愛する人の姿をイメージできます。亡くなった人が生き返ります。愛する人と再び会える時のことを待ち遠しく思いますか。これは絶対確実な希望です。「ならせる」という意味の名を持つ神が約束しているからです。エホバは「死んだ人を生かしないものをあるかのように呼ぶ方です。」エホバの約束した。ことは必ずその通りになります。エレミヤ29:11でエホバはこう言っています。「私はあなたたちのために自分が行おうとしていることをよく知っている…平和をもたらし良い将来と希望を与えたいと思っている。」「よく知っている」とあります。知力を尽くして私たちを愛していることが分かります。エホバが私たちのために考えていることはその通りになります。どんな気持ちになりますか。イザヤの預言からエホバを愛したいと思う4つの理由を考えました。エホバは羊飼いで創造者です。いつも助けてくれます。約束を守ります。これ以外にもいろいろな理由があります。⇒「ならせる」ねぇ…。一大会の爆弾テロすらストップできないのにねぇ…。何人かの兄弟姉妹にどうしてエホバを愛しているのか尋ねてみました。ある兄弟はこう言います。「祈りを聞いてくれるからです。」ある姉妹はこう言います。「エホバには気兼ねなく何でも話せます。いつでも祈って話すことができますし気持ちを分かってくれます。」別の姉妹はこう言います。「エホバが造ったいろいろなものを見ると愛があふれていると感じます。おいしい食べ物、美しい夕日、音楽、こういうものはなくても生きていけるはずです。でもあります。必要なものだけでなくそれ以上のものをふんだんに与えてくれるエホバが大好きです。」別の兄弟は「惜しみなく許してくれるエホバを愛しています。」と言っています。イエスの贖いの犠牲のことを思い出します。エホバが私たちを愛していることの何よりの証拠です。ぜひこう考えてみましょう。「私はどうしてエホバを愛しているんだろう。」エホバへの愛は私たちを突き動かします。何をするよう動かすかイザヤ43:10から見てみましょう。エホバはこう言っています。「あなたたちは私の証人である。私に仕える者であり私が選んだのである。」1931年にラザフォード兄弟がグループの新しい名前を発表するのを聞いていたらきっと胸が高鳴ったはずです。「エホバの証人」という名前です。エホバが何のために証人を選んだのか理由がイザヤ43:21に書かれています。「その民は私が自分のために形作った。彼らが私を賛美するようになるために。」エホバが賛美されるためです。エホバを愛し賛美する、とても光栄なことです。エホバは岩でも木でも鳥でも動物でも使うことができます。でも私たちを選んでくれました。誠実な心を持つ人たちがエホバを賛美しています。⇒どうして愛してるか?ねぇ…。特に二世は、愛してるかどうかは分からんけど、家族、親族、友人との関係において、愛してる「風」を装ってるだけやで。最近私たち夫婦はアメリカ西部に旅行に行きました。そこでバイソンやヘラジカを見ました。もちろん遠くからですよ。本当に大きくて強そうでした。エホバがそういう動物を使って自分を賛美させるとしたらどうでしょうか。動物がこう言います。「ヤハを賛美せよ。」そうはしませんでした。動物たちは草をはんで彼らなりにエホバを賛美しています。エホバが自分の素晴らしさをたたえ賛美するよう選んだのはほかでもない私たちです。皆さんや私です。エホバは何も考えず機械的に自分を賛美するのではなく、愛の気持ちからそうしてほしいと願っています。エホバの素晴らしさについて考えると愛が深まり、みんなにエホバについて伝えたくなります。でも聞かない人が多いですし、反対する政府もあります。イザヤ44章を開いてそんなとき何ができるか見てみましょう。この年次総会のプログラムで取り上げられていたように、私たちはいずれ反対に遭います。すでに多くの場所で迫害を受けている兄弟たちがいます。イザヤ44:8。「あなたたちは恐れてはならない。恐怖で身がすくむことがないようにしなさい…あなたたちは私の証人である。私のほかに神がいるだろうか。いやほかに岩のような者はいない。私は全く知らない。」「恐れてはならない。恐怖で身がすくむことがないようにしなさい。」とあります。話の初めで「カエサルのものはカエサルに…神のものは神に」という言葉に触れました。カエサルが神のものを奪おうとしてもうまくいくはずがありません。エホバへの愛があれば恐怖に負けることはありません。エホバを賛美し続けることができます。世界各地の兄弟姉妹がそのことを決意しています。タチアナ姉妹について考えてみましょう。姉妹の裁判は今も続いています。ご主人は公判前勾留されています。姉妹はこう言っています。「本当に大変な時もエホバがそばにいてくださると感じています。今後どんなに難しい問題に直面するとしても忍耐できると確信しています。心が穏やかな気持ちで満たされ[ています。]かつてないほど他の人にエホバについて話したいと感じています。エホバの証人であることを誇りに思います!」姉妹はエホバを愛しているのでエホバを賛美し続けています。聖書には毎月何時間伝道しなければいけないかは書かれていません。でも神への愛に動かされて奉仕するべきだとは教えています。エホバへの愛が大きくなればなるほどできることをもっとしたいと思うようになります。いつでもどこでも熱い心でエホバを賛美しましょう。エホバの証人でいるとはそういうことです。エホバへの深い愛の気持ちから一人でも多くの人に素晴らしい神エホバについて伝えていきましょう。次の話ではエホバを愛していた昔のイスラエル人が何をしたかが取り上げられます。3番目の話では現代のクリスチャンがエホバへの愛に動かされて何をしているか考えます。最後の話で隣人を愛するように、というおきての大切さを学びます。何かの調整があるんでしょうか。伝道への取り組みは変化していきそうですか。気になりますね。統治体のゲリト・レッシュ兄弟が次の話をします。話のテーマは「エホバへの愛、昔のイスラエル」。⇒まぁね、各国のJWはね、そりゃ辛い思いして信仰を示していますよ。それ自体は尊いとは思います。ただ、その価値がある教団、教理、神さんなのかなぁ、というのが最近特に思うことですね。私たちはみんなプレゼントをもらうとうれしく感じるものです。でも誰かにプレゼントをあげるともっとうれしく感じます。良いものの源であるエホバは与えるのが大好きで、私たちにも与えることを楽しんでほしいと思っています。与えることを始めたのはエホバです。エホバが最高のお手本です。天使と人間に命を与えました。アダムに妻を与えました。パラダイスも与えました。アダムとエバにやりがいのある仕事も与えました。2人も与えることができるようになりました。時間や体力を使ってパラダイスを地球全体に広げそこに正しい人たちが住むことになっていました。それから時代は進みエホバは自分が選んだイスラエル国民に良い物であふれる美しい土地を与えました。イスラエル人はどんなふうに感謝を表すことができましたか。エホバはイスラエル人が自分の持ち物を差し出せるようにしました。1/10を納めるようにと命じることでです。1/10とは何かの10%を納めるということです。イスラエル人は農作物や動物の1/10をエホバに差し出すことになっていました。そのことがレビ記27:30,32に書かれています。画面に表示されるので一緒に読みましょう。27:30。「土地の1/10は畑の作物であれ、木の実であれ全てエホバのものである。それはエホバにとって聖なるものである。」32節にはこうあります。「牛や羊の1/10、すなわち牧者のつえの下を通る動物は10匹目ごとに全てエホバにとって聖なるものとなる。」聖句にある通り、1/10は聖なるものエホバのものでした。では受け取った後エホバはどうしましたか。相続地を持っていなかったレビ族に1/10を気前よく与えました。今度は民数記18:21が画面に表示されるので一緒に読みましょう。「さあ私はレビの子たちに彼らが行っている奉仕、会見の天幕の奉仕に対してイスラエルで生み出される物の1/10を全て財産として与えた。」24節も読みます。「私はレビ族にイスラエルの民がエホバに寄進する1/10を財産として与えた。それで『イスラエル人の間でレビ族は土地を所有しない』と言ったのである。」この1/10の制度はレビ族にとってためになりました。レビ族の人たちは天幕でエホバへの奉仕に一生懸命打ち込んでいました。この制度のおかげでレビ族は幕屋での後には神殿での奉仕に集中することができました。これはイスラエル国民全体にとってもためになりました。ではレビ族の人はエホバへの愛や感謝の気持ちをどんなふうに表せましたか。レビ族も1/10を納めました。民数記18:26-29によると受け取った寄進物の1/10をアロンの家系の祭司に渡すことになっていました。祭司たちを支えるためです。さらに別の1/10もあったようです。それは年に3回あるエホバの祭りに出席するための費用を賄うのに使われたと思われます。3年目と6年目にはその1/10がレビ族外国人居住者やもめ父親のいない子供に与えられました。与えることと1/10について何が分かりますか。絵に描かれているように1/10は素晴らしい制度でした。1/10を納めることでエホバへの愛と感謝の気持ちを表し清い崇拝をサポートすることができました。さらに外国人居住者やもめ父親のいない子供などの恵まれない境遇にいる人はこの愛ある制度にとても感謝したはずです。でも1/10の制度にはほかにも注目できるところがあります。聖書のどこにも一人一人が農作物や動物の1/10全てをきちんと納めているかどうか監視するような人がいたとは書かれていません。1/10を納めるよう強制する役目の人もいませんでした。1/10は律法で要求されていたとはいえ納めるかどうかはイスラエル人一人一人とエホバとの間の個人的なことでした。この制度を守ることによってそれぞれがエホバを愛していることが明らかになりました。でももし誰かが1/10を納めていなかったり、それより少ない額しか差し出していなかったりしたらどうでしょうか。エホバはどう感じたでしょうか。出し渋るその人に良い物を与えたいと思ったでしょうか。そうは思わなかったでしょうね。反対に1/10より多くを気前よく差し出す人のことをエホバはどう思ったでしょうか。答えははっきりしていますね。例えばヒゼキヤは清い崇拝を促進し、1/10を納めるよう呼び掛けました。どうなりましたか。歴代第二31:4-6をご覧下さい。「さらにヒゼキヤはエルサレムに住む民に、祭司とレビ族の分を納めるよう命じた。エホバの律法を固く守れるようにするためだった。命令が出されるとすぐにイスラエル人は穀物や新しいぶどう酒や油や蜜の初物、土地のあらゆる産物の初物を大量に納めた。全ての物の1/10をふんだんに持ってきたのである。ユダの町々に住むイスラエルの民とユダの民も、牛や羊の1/10エホバ神のために神聖なものとされた聖なるものの1/10を持ってきた。それらを持ってきて積み上げて幾つもの山にした。」エホバは気前よく与えた人たちのことをどう感じたでしょうか。9節と10節も読みましょう。「ヒゼキヤは積まれた山について祭司とレビ族に尋ねた。するとザドクの家系の祭司長アザリヤが言った。『寄進物がエホバの家に持ってこられるようになってから、民は満足するまで食べており、しかもたくさんの物が余っています。エホバが民を祝福してくださったのです。残っている物はこんなに多くあります。』」エホバは出し惜しみせずに1/10を納めた人のことを喜び、良い物をたくさん与えました。でもやがてイスラエル人は1/10を納めなくなります。それでエホバは預言者マラキを遣わし、惜しみなく与えることの大切さをイスラエル人に思い出させました。エホバは何と言いましたか。マラキ3:10を見てみましょう。「『1/10全部を倉庫に持ってきて私の家に食物があるようにしなさい。私があなたたちのために天の水門を開いて、あふれるほどに祝福を注ぐかどうか私を試してほしい』と大軍を率いるエホバは言う。」エホバがイスラエル人一人一人に「私を信じてやってみなさい」と言っているかのようです。ではエホバは1/10全てを納める人に本当にあふれるほど祝福を注いだでしょうか。もちろんそうしました。私たちは1/10などモーセの律法に従う必要はありません。収入の1/10を差し出すことも求められていません。でもコリント第二9:7にはこうあります。「一人一人が嫌々ながらでも強いられてでもなく、心に決めた通りに行って下さい。神は快く与える人を愛されます。」1/10について考えてどんなことが分かりましたか。私たちは与えることを喜べるように造られています。時間や持っているものを惜しみなく差し出すのはエホバを愛しているからです。人目を気にしているからでもチェックされているからでもありません。エホバが愛の気持ちで自分に従う人に幸せを味わわせてくれることも分かりました。⇒しきりに1/10とか言ってますけどね。あと、それを監視するような人は書かれていない、とは言ってますけど、当時、半強制ってことは無かったんですかね。結局は、求められてはいないけれども、「できるだけ、おまいら、寄付は出そうぜ!」ってことでしょ?エホバが昔のイスラエル人のために作った制度からさらに学べることがあります。一緒にナジルに関することを考えてみましょうナジルとは何でしょうか。民数記6章でそのことが説明されています。民数記6:1,2をお読みします。こうあります。「エホバはモーセにさらにこう話した。『イスラエル人に告げなさい。「男性でも女性でも特別な誓約をしてエホバとの関係でナジルとして生活する場合」』」イスラエル人は男性でも女性でも自分の意思でナジルとして生活することを選べました。その人たちはほかのイスラエル人には求められていない制限の下で暮らしました。どんな制限ですか。民数記6:3-7に書かれています。ナジルとして暮らす人は1つ目にお酒や「ブドウのつるにできる物は一切」口にしてはいけませんでした。2つ目に髪を切ってはいけませんでした。3つ目に死体に触れてはいけませんでした。そうやって自分の意思で制限を受け入れたナジルはエホバを愛していることをさらに表せました。どういうことでしょうか。誰かに家の修理の仕事をお願いするとします。修理をした後、作業していた人がほかにも修理が必要な所に気付きそれも直すと言ってくれます。追加料金は要らないとも言います。どんな気持ちになりますか。とても感謝するはずです。お願いしたことだけでなくさらにたくさんしようとしているからです。追加料金も払いたいと思うかもしれません。作業する人はどう感じるでしょうか。出し惜しみせず働くその人は求められていたよりたくさんの仕事ができることをうれしく思うはずです。ナジルもそうでした。エホバは「ナジルとして暮らしなさい」などと言うことはありませんでした。ではどうしてナジルの制度を作ったんでしょうか。恐らくエホバは自分への深い愛の気持ちからもっと多くのことをしたいと思うイスラエル人がいることを分かっていたからです。エホバへの感謝の気持ちからもっともっとたくさんしたいと思う人がいるということです。エホバは感謝の気持ちにあふれ出し惜しみせず与える人を見て本当にうれしかったはずです。ではナジルからはどんなことを学びましたか。エホバを愛し求められている以上のことをしようとする人をエホバは深く愛し大切にするということです。今でもナジルのようにさらにたくさんのことができる人がいます。開拓奉仕やベテル奉仕をしている人たちです。ほかにもいろいろな分野でエホバのために働いている人がいます。私たちがよく知っているように1/10、ナジル動物の犠牲などを含むモーセの律法はすでに廃止されました。コロサイ2:14にはエホバが「手書きの文書[つまり律法契約]を無効にしてくださ」ったとあります。とはいえエホバが清い崇拝をサポートするために昔作った制度から学べることがありますか。あります。ローマ15:4に「以前に書かれた事柄は皆私たちを教えるために書かれ」た、とある通りです。では1/10やナジルの背後にある考えは現代のエホバの証人の活動と関係がありますか。今清い崇拝をサポートするため私たち一人一人には何ができますか。昔イスラエルで捧げられていた清い崇拝について調べた結果、何か調整すべきことが見えてきたでしょうか。このシンポジウムの次の話の中で統治体のメンバーサミュエル・ハード兄弟がこうした質問に答えてくれます。⇒ナジル人ねぇ・・・我が会衆にも、俺の事を「なじる」人はいっぱいいるよ。長老とか、長老とか、長老とか。(誰が上手いこと言えと。)1/10とナジルについてのレッシュ兄弟の話を聞いて「現代の私たちが行っている崇拝とどんな関連があるんだろう」と思いましたか。今でも1/10に相当するものがあるのでしょうか。1/10を納めることはイスラエル人に求められていました。でもそれはエホバの民にとって自分たちが持っている最良の物を捧げてエホバに定期的に愛を表す良い機会でもありました。もちろん今は例えば収入の1割をエホバに捧げるようになどとは命じられていません。モーセの律法が廃止された時に1/10は納めなくてよくなりガラテア6:2にある通り私たちは「キリストの律法」の下にいます。現代の真のクリスチャンは「心に決めた通りに」自分が持っているものをエホバに差し出します。でも1/10についての規定からエホバが私たちに望んでおられることが学べます。イスラエル人は自分の収穫物や家畜のうちの最良のものを1/10として納める必要がありました。エホバには最良のものを捧げるべきなのです。ではどうすればエホバに最良のものを捧げられるでしょうか。エホバのあらゆる命令に従うことによってそうできます。特にマタイ28:19,20に書かれている命令に従うことはとても大切です。それは真のクリスチャンを見分けるしるしでもあります。画面に映りますので一緒に読んでみましょう。こうあります。「それで行って全ての国の人々を弟子としなさい。父と子と聖なる力の名によってバプテスマを施し、私が命令した事柄全てを守るように教えなさい。私は体制の終結までいつの日もあなたたちと共にいるのです。」私たち皆にとってとてもなじみ深い聖句ですね。人々を弟子とすることは全てのクリスチャンが行うべき務めであることが分かります。愛する皆さんもこの務めを果たすように努力してきました。人々の命を救うこの活動を生活の中で第一にしてエホバに最良のものを捧げてきました。本当に素晴らしいことです。エホバの組織はこれまでずっとこの世界的な活動がどのように進展しているか、注意深く見守ってきました。毎奉仕年度の報告で伝道者の数が増加しているのを見ると私たちはとてもうれしい気持ちになるものですね。世界各地からの報告は統治体が宣教者や特別開拓者や開拓者をどこに遣わしたらよいかを決めるのに役立ちます。ではここでエホバの民が長年にわたって真剣に伝道に取り組んできたことが分かる動画を見ましょう。⇒ヒゲ爺さん、もう引退しなはれや。あんた、活舌が悪いんだよね。奉仕報告を出すようになったのはいつからでしょうか。1920年より前は当時コルポーターと呼ばれていた開拓者だけが奉仕報告を出していました。でも1920年から会衆で伝道に参加している人はみんな週ごとの奉仕報告を出すようになりました。アメリカの1920奉仕年度の報告には初めて伝道者の活動が含められました。8052人のクラスの働き人、つまり伝道者と350人の開拓者が報告を出しました。1928年から1932年にかけて年に2回1週間のグローバルキャンペーンが行われました。開拓者はその週40時間奉仕しました。1939年1月には会衆の伝道者も毎月60時間伝道するよう勧められました。当時の奉仕報告の用紙はこんなふうにとても複雑でした。やがて報告に使う用紙はどんどんシンプルになっていきます。でも再訪問、聖書レッスン、配布、弟子をつくる活動に使った時間はこれまでずっと報告されてきました。昔も今も奉仕報告の数字の裏には一人一人のドラマがあります。16歳の時初めて王国会館に行きました。ステージにこの表が張ってありました。エホバの証人が自分たちの活動やエホバについて語ることをどれほど大切にしているかが分かりました。3カ月聖書レッスンをして私も伝道に出るようになりました。自分の報告も数字に含めてほしいと思ったんです。それ以来ずっと奉仕報告を出しています。アランと私は1966年に特別開拓者になりました。毎月150時間奉仕し50件再訪問することになっていました。やりがいがありましたよ。特開者や宣教者は150冊の雑誌を配布しなければいけませんでした。1時間に1冊ってことです。ある日夫と映画を見に行く途中宣教者の夫婦に会いました。その夫婦は土曜日には毎週映画を見に行っていました。兄弟はこう言いました。「まずい、今月まだ150冊出してなかった。あと5冊出さないと映画行けないよ。」私たちは1961年に特別開拓奉仕を始めました。トレーラーハウスで生活しながら開拓奉仕をしました。毎日5時間伝道しました。奉仕時間は問題にはなりませんでした。でも毎月100ドルの給付金でやっていくのが大変でした。デイブは言いました。「何か仕事を見つけなきゃね。」ちょうどそんな頃町に新しいお店ができました。デイブはオーナーに「週に1日だけ働かせて下さい。」と言いました。「残りの日は何するの」「みんなの家のドアをノックして神の王国について知らせるんです。」「そうなの。これがうちのドアだよ。どうぞノックして。」オーナーも奥さんも子供もエホバの証人になりました。お店には事務の女性もいたわよね。うんうんうん。7人子供がいる人でした。その人は「私も聖書を勉強したい」って言います。それで夕食後にまず7人の子供と勉強しました。みんな頑張って勉強してました。本当に。その後事務の女性と旦那さんと勉強しました。終わる頃にはもう真夜中でした。参加した巡回監督はこう言ってました。「私にはこの夜勤はきついです。」150時間奉仕することが一番大事だとは思っていませんでした。いつも相手のためになることを伝えたいと思っていました。ただ訪問して雑誌を渡すだけではありません。聖書レッスンのときもその人のことをよく知るようにしました。大事なのは何時間伝道するかではなく人の命を救うことです。長年エホバに仕えてきた兄弟姉妹のお話は貴重ですね。ビュッテル兄弟は100歳になりますし、ビュッテル姉妹は98歳です。永遠の命という観点からはまだまだお若いですけどね。⇒年次総会に、長年教団に貢献してきた信者を登場させるってあたりが、露骨な論功行賞って気がしないでもありませんが、まぁ、いいでしょう。動画で見たようにこれまで長年にわたって野外奉仕が報告されてきたことにはいろいろなメリットがありました。しかしフリーグル兄弟がこのシンポジウムの最初の話で強調していたようにエホバの民がエホバを賛美するのはエホバを深く愛しているからです。また私たちが伝道するのは隣人を心から愛し良い知らせを大切に思っているからでもあります。それで私たちは報告を出すために伝道しているわけではありません。エホバに最良のものを捧げ、隣人を助けるためにこの活動に励んでいるのです。でも私たちの中には高齢になったり病気になったりして、思うように奉仕ができない兄弟姉妹たちもたくさんいてエホバはそのことをよく分かってくれています。生活費の高騰や政情不安、戦争、迫害などの問題に直面している兄弟姉妹もいます。最近では新型コロナウイルスが、世界中で流行し、私たちが伝道でできることはかなり制限されました。長年伝道してきた人の中にはわずかな時間しか報告できなくて心苦しく感じている人もいるかもしれません。もしあなたがそんなふうに感じたことがあるとしても「自分はだめだ」とは決して考えないで下さい。コリント第二8:12に書かれている原則に注目してみましょう。「進んで与える気持ちがあるなら受け入れられます。持っている物を与えればよいのです。持っていない物までは期待されていません。」エホバは私たちにできていないことで自分を責めるのではなく、エホバのためにベストを尽くしていることを喜んでほしいと思っています。聖書の中でエホバへの犠牲は喜びと結び付けられています。例えばネヘミヤ12:43にはこうあります。「その日彼らは盛大な犠牲を捧げて喜んだ。真の神が大きな喜びを与えてくださったのである。」エホバはあるイスラエル人が納めた1/10がほかの人より少ないからといってその人をとがめたりしたでしょうか。そんなことはありません。それぞれ状況も能力も違うからです。レッシュ兄弟が説明したように古代イスラエルでは1/10を納めることが求められていましたが、エホバはそれぞれの人がどれほどの量を納めたかを誰かにチェックさせるようなことはしませんでした。それは各自がエホバに個人的に捧げるものだったからです。⇒わかんないですけど、古代でも、今の会衆の意識高い系チョロみたいのがいて、「おまい?ちゃんと1/10寄付したんか?できれば、2/10ぐらい寄付せぇや!」って言ってたかもよ。統治体は伝道に費やした時間を報告することについても同じ原則が当てはまると考えています。私たちが宣教のために払う努力は時間だけでは計れません。それで野外奉仕報告の取り決めが次のように調整されることをお知らせしたいと思います。2023年11月1日から会衆の伝道者は奉仕時間を報告する必要がなくなります。配布ビデオの再生、再訪問の数についても報告の必要はありません。野外奉仕を報告するための新しい用紙はとてもシンプルになり、記入する欄は2つだけになります。1つ目の欄には1カ月間に何らかの形で伝道に参加したかどうかだけを記入します。もう1つの欄にはこれまでと同じように行った個別の聖書レッスンの数を記入します。このシンプルな報告はどう役立てられるのでしょうか。それぞれの国や地域で活発に奉仕している伝道者の数が分かります。いろいろな地域で聖書を学びたい人がどれくらい見つかっているかも知ることができます。開拓者、特別開拓者、宣教者、王国会館がもっと必要な地域を見極めることもできます。伝道者は宣教に費やした時間を報告する必要がなくなりますが、これからもコロサイ3:23,24で勧められているような仕方で宣教に取り組んでいきたいものです。こう書かれています。「何をしていても人のためではなく、エホバのためにするように自分の全てを尽くして行いましょう。皆さんは報いとしてエホバから財産を受けることを知っています。主人であるキリストに一生懸命仕えて下さい。」統治体は愛する皆さんがこれからも自分の全てを尽くしてエホバに仕えできる限り宣教を行っていくと信じています。エホバは惜しみなく1/10を差し出した。忠実なイスラエル人たちを豊かに祝福したように「賛美の犠牲」を捧げる皆さんのことも豊かに祝福してくださるでしょう。さてナジルについても考えましょう。現代でもいわばナジルのように奉仕している人たちがいるでしょうか。もちろん私たちは皆ナジルの手本に倣って自己犠牲や勇気を示したいものです。でもレッシュ兄弟が説明したように、ナジルは一般のイスラエル人には求められていない特別な義務を果たす必要がありました。現代の開拓者も同様です。宣教のために決められた時間を費やすという義務を喜んで果たしています。そのようなわけで補助開拓者、正規開拓者、特別開拓者、宣教者、巡回監督とその妻たちはこれまでと同じように野外奉仕に費やした時間を報告します。もちろん個別に行った聖書レッスンの数も報告します。皆さんもご存じのように統治体は最近補助開拓者、正規開拓者、特別開拓者、宣教者、巡回監督とその妻たちの要求時間を減らしました。そのような調整が行われたことをとてもうれしく思っていて開拓者が一層増えていくに違いないと思っています。どうしてそう思うかというと詩編110:3にこのように書かれているからです。「あなたが軍勢を指揮する日にあなたの民は喜んで自分を差し出す。」エホバはここでご自分の民、特に若い人たちが終わりの時代にいっそう意欲的に奉仕することを予告しています。この先大勢の開拓者がSKEに行くことでしょう。そして特別開拓者や宣教者になったり、巡回奉仕をしたりする人もいることでしょう。開拓者として熱心に奉仕する兄弟姉妹のことをエホバに感謝しています。では今回の調整に伴い私たちがどんなことを意識できるか考えましょう。これまでは毎月野外奉仕報告を出すことがモチベーションを保つ助けになっていました。毎月ちゃんと奉仕に出て出版物を渡したり、ビデオを見せたり、再訪問したりしようという気持ちになったものです。今後はどうでしょうか。これからも毎月一生懸命伝道に参加しようという意欲を持ち続けられるでしょうか。昔のイスラエルでは1/10をきちんとエホバに捧げることは各自の責任だったということを思い起こしましょう。私たちも伝道するという大切な責任を果たせるよう、個人的な目標を持って努力するのは良いことです。エホバを心から愛している人はこれからも生活の中で伝道活動を優先することができるよう良い予定を立てたいと思うに違いありません。⇒この「重大な」発表は、統治体の最年長にさせる訳ね。ははぁ、論功行賞再び。ま、今後は各会衆では、開拓者によるヒラ伝道者への「時間報告マウント」が始まりますよ。だって、ピラミッド型組織の典型だもん。野外奉仕報告の調整に伴い、長老や巡回監督はどんなことを意識できるでしょうか。兄弟たちが牧者として兄弟姉妹をよく見守ることはいっそう大切になります。羊の群れの様子をよく知っておかなければなりません。例えば兄弟姉妹が強い信仰を保てているかや兄弟が長老や援助奉仕者になる資格があるかどうかを見極めるとき、数字を判断材料にすることはもうできなくなります。奉仕時間や配布数などを知ることはできなくなるからです。それで兄弟姉妹のことをよく知る必要があります。どんなふうに宣教に取り組んでいるでしょうか。清い崇拝を大切にしていますか。熱心に伝道する人として知られていますか。いろいろな機会に良い知らせを伝えているでしょうか。伝道するよう家族やほかの人たちを励ましていますか。考えてきたようにエホバには私たちの最良のものを捧げたいものです。宣教にベストを尽くし、心を込めてエホバを崇拝することによって私たちはエホバへの愛を表すことができます。そうしている皆さんをエホバも統治体も深く愛しています。皆さんが今後も詩編54:6の言葉を心に留めて伝道することを確信しています。こうあります。「私は進んであなたに犠牲を捧げます。エホバ、あなたの名を賛美します。それは良いことだからです。」引き続きエホバに最良のものを捧げて人々を弟子とする活動に励んでいきましょう。話のテーマは「エホバへの愛、現代のクリスチャン」私たちがどのように宣教を行ったらよいかについて聖書からさらに学べることがあるでしょうか。また今意識を新たにして取り組むとよいことがあるでしょうか。これから統治体のマーク・サンダーソン兄弟がそうした点について話して下さいます。このシンポジウムの最後の話に耳を傾けましょう。主題は「愛を込めて弟子を育てる」です。⇒ってことは、これまでは数字を判断材料にしてきたってことじゃん?目に見える数字が判断材料にならないからこそ、チョロ団の主観が強くなるけどな。ここまで本当に素晴らしいプログラムでしたね。今日はエホバの証人にとってまさに歴史的な日といえます。今私たちの心はこれまでになく魅力的な神エホバへの愛と感謝でいっぱいになっているんじゃないでしょうか。エホバの憐れみ思いやり辛抱などをじっくり考えることができました。野外奉仕報告についての素晴らしい発表も聞くことができました。エホバは私たちのことを深く信頼し尊厳を大切にしてくれます。私たちはどうして一軒一軒家を訪ねるんでしょうか。公共エリア伝道をするのはどうしてでしょうか。電話や手紙で伝道し再訪問し聖書レッスンをするのはどうしてでしょうか。それは私たちが素晴らしい神エホバを心から愛しているからです。フリーグル兄弟の話の中ではマタイ22:37でイエスが言ったことが取り上げられました。最も重要な第一のおきてです。どんなおきてでしょうか。「あなたは心を尽くし知力を尽くし、自分の全てを尽くしてあなたの神エホバを愛さなければならない。」ほかにも伝道したいと思う理由がありますか。あります。イエスは2番目に大切なおきてについてこう言いました。「あなたは隣人を自分自身のように愛さなければならない。」それで私たちは神を愛さなければいけませんが、人も愛さなければいけません。人を愛することが大切なのはどうしてですか。誰かが自分のことを気遣ってくれていると感じるとたとえその人のことをよく知らないとしてもうれしく感じるものです。例えばそれまで会ったことがない人から親切なことをしてもらうとします。ドアを開けてくれたり、落とした物を拾ってくれたり、重い荷物を運んでくれたりします。どう感じますか。心がほっこりしてうれしくなりますよね。そしてその人があなたに何か言おうとしているなら聞いてみようという気持ちになるかもしれません。人は愛を感じると心を開きます。何か言われるとき素直に聞くことができます。本物の愛には大きな力があるということです。そういう愛は「永遠の命を得るための正しい態度を持つ人」の心を動かします。イエスは自分の本当の弟子は互いを愛し合うと言いました。私たちの間にある愛がイエスの弟子であることの証拠です。多くの兄弟姉妹は愛を感じたので真理に引き寄せられました。聖書を教えてくれた人からの愛や、集会に行った時に感じた、会衆みんなからの愛に心を動かされました。そういう話を聞いたことがあるんじゃないでしょうか。皆さんもそういう愛を感じて真理に引き寄せられイエス・キリストの弟子になりたいと思ったかもしれません。伝道するとき愛は欠かせません。そういう理由で統治体は2017年の年次総会で伝道のスタイルを調整することを発表しました。人ともっと会話することが勧められました。宣教ツールボックスがシンプルになるということも発表されました。そのおかげでそれぞれのツールをよく知り使いこなせるようになりましたね。それ以来会う人一人一人がどんな様子でいるかをよく考えるよう努力してきました。⇒過去の年次総会でそうなってたっけか?もう忘れたわ。どんな悩みを抱えていてどんなことに興味があるか知るように努めます。そして相手に合わせて話題を選び、それを基に話し合うようにしています。週日の集会では伝道で生かせることをいろいろ学べます。話し合いのサンプルが準備されるようになって数年たちました。紹介できる聖句や次回につなげるための質問や話題も準備されています。でも話し合いのサンプルを覚えるのは大変だと思うことがありますか。開拓奉仕を始めたばかりの頃、こんなことがありました。ある姉妹と奉仕していた時のことです。ドアの前で姉妹は話す内容をぶつぶつ練習していました。丸暗記してたみたいです。すると突然女性がドアを開けて出てきました。年配の女性で髪もメークもばっちりできれいな服を着て出掛ける準備万端でした。なのに姉妹は驚いてこう言いました。「ごめんなさい。起こしちゃいましたか。」丸暗記するというのはあんまりいいやり方じゃありませんね。覚えた内容をしゃべり続けていると、まるで講義をしているような気分になることがあります。でも相手が別のことに興味を持っている場合もあります。何か問題にぶつかっていたり大変な思いをしていたりすることもあります。そんなときどうしますか。イエス・キリストがどうしたか考えてみましょう。最高の先生イエスは私たちにとっての完璧なお手本です。イエスは一人一人にぴったり合った話題を選ぶことでその人に愛情が伝わるようにしました。イエスが、目の前の人を気遣っていたので、みんなイエスの話を聞きたいと思いました。例えばイエスが、パリサイ派の人ニコデモと話した時のことを考えてみて下さい。イエスの奇跡に感動したニコデモは夜にイエスの所に行きます。おそらくユダヤ人の目を気にしたためと思われます。パリサイ派で教師でもあったニコデモはヘブライ語聖書についてたくさんの知識を持っていました。ではイエスはどんな話題を選びましたか。ニコデモがそれまで知らなかったことを伝えました。新しい真理について教えました。例えば「再び生まれ」ること、「神の王国を見る」こと、さらに自分が「天から下ってき」たということや、神の「独り子」だということも伝えました。自分を通して永遠の命を得られるということも教えました。ニコデモは教師でしたが、その晩イエスからそれまで知らなかった大切な真理をたくさん学びました。ではイエスは誰に対してもニコデモにしたのと同じような教え方をしましたか。そんなことはありません。別の時イエスはサマリア人の女性と話しました。その時のアプローチはニコデモの時とは全く違いました。この女性はヘブライ語聖書についてあまり知らなかったようです。ではイエスはどうしましたか。女性が関心を持ちそうなことから話題を選びました。水のことそしてユダヤ人のイエスがどうしてサマリア人に話し掛けるのかということです。イエスはその女性の家族についても尋ねました。さらに女性が疑問に感じていることも見逃しません。ユダヤ人とサマリア人が別々の場所で崇拝を捧げていることについてです。イエスはどうしましたか。その女性が関心のあること、疑問に思っていることを中心に話を進めました。どこで崇拝するかよりも大切なのは「聖なる力と真理に導かれて」崇拝することだと分かるように助けました。女性はどう応じたでしょうか。聖書には「水がめを残して町に行」ったとあります。そして町の人たちにイエスについて伝えていきました。そのおかげでサマリアの多くの人がイエスに信仰を持ちました。自分たちの所に滞在するようにと頼む人たちもいました。ではこの2つの記録からどんなことを学べますか。イエスは暗記した内容を話したりはしませんでした。相手と会話しその人の心に届きそうな真理を伝えました。イエスは素早く相手に合った話題や言葉を選びました。その人が何に関心があって何に疑問を感じているかをベースにして話を進めました。ではここまで考えてきてこんなふうに思うかもしれません。いやぜひ思っててほしいんですけど、「どうすればイエスみたいに会う人みんなに愛を込めて接することができるんだろう。」その秘訣をぜひ知りたいですよね。それで人に愛を注ぎ弟子を育てるのに役立つものがあればいいと思いませんか。伝道で会ういろいろなタイプの人、いろいろなニーズを持つ人にどうすれば柔軟に合わせることができるか、学べるものがあればいいと思いませんか。そしてその中にイエスや1世紀の福音伝道者たちの模範がまとめられていたら素晴らしいと思いませんか。愛を込めて伝道し弟子を育てた模範です。ここでうれしいお知らせがあります。⇒さぁさぁ、出ますよ。「秘密の箱」に入れられて、各会衆に送付された新しい書籍のお目見えですよ!そういう願いに応える新しい冊子が準備されました。32ページの新しい冊子のタイトルは「愛を込めて弟子を育てる」です。この冊子はどんなつくりになっていてどんな特長があるでしょうか。次の動画をご覧下さい。「愛を込めて弟子を育てる」という新しい冊子は400以上の言語で読むことができます。印刷版と電子版が準備されています。この冊子を読むと会う人にどんなふうに愛情を注げるかがよく分かります。これまでのツールとは違いこの冊子には伝道のとき暗記して使うような表現は載っていません。本や雑誌を提供することも勧めてはいません。12のレッスンがあってそれぞれでキリストの弟子になれるよう人を助けるために欠かせないポイントを取り上げています。各レッスンではイエスや1世紀の福音伝道者が宣教でどんなふうに良い手本を示したか見ることができます。私たちが伝道するときどうやってその手本に倣えるかも説明しています。どのレッスンにも1世紀の出来事をイメージするのに役立つ動画があります。サマリアの女性が水をくみに来た。水を飲ませて下さい。相手のことを考えてその人が興味を持っている話題で話し始めましょう。会話が弾んできたらどんな真理を伝えたいと思いますか。付録Aでは会う人たちにぜひ知ってもらいたいことが紹介されています。そこに書かれている大切な真理とベースになる聖句を深く学ぶようにしましょう。そうすればスムーズに会話を始めもっと上手に弟子をつくれるようになります。例えばこんなシンプルな質問をして話を始められるかもしれません。「神様がもうすぐ苦しいことを全部なくしてくれるって聞いたことありますか。」あるいは「環境問題は解決すると思いますか。」などです。相手にとってぴったりのタイミングで真理を分かりやすく伝えることには大きな力があります。イエスは「私の羊は私の声を聞[く]」と言いました。真理が分かりやすく説明されると「正しい態度を持つ人」は心を開くということです。付録Bは会話を続けるかどうか判断するのに役立ちます。付録Cには聖書レッスンで「いつまでも幸せに暮らせます。」をどうすれば上手に使えるかが書かれています。うまく会話を始められるか不安に思いますか。心配しなくて大丈夫です。2024年1月から週日の集会の「野外奉仕に励む」の部分で、冊子で勧められているポイントを練習できるようになります。生徒が実演をする時の話題や聖句が指定されることはなくなります。住んでいる地域の人が興味を持ちそうな話題を自分で選ぶことができます。実際にありそうなリアルな実演、聴衆も参加するディスカッション生徒の話によってスキルを磨くヒントを得られます。よく学べば自然に会話を始め相手の気になっていることやニーズに合わせられるようになるはずです。一人一人に真摯に向き合うならもっと伝道を楽しみもっと上手に弟子を育てられるようになります。各レッスンを読みながらじっくり考えてみて下さい。「私の住んでいる地域の人と話すとき、このレッスンで学んだことをどんなふうに生かせるだろう。みんなが気になっていてぜひ知りたいと思うのはどんなことだろう。」毎日の暮らしの中でよく観察しましょう。誰かを助けてあげられるチャンスを探します。ちょっとした親切が良い知らせを伝えるきっかけになるかもしれません。相手が話しているときは真剣に聞きましょう。そうすれば気遣いが伝わります。相手にぴったりのタイミングで真理を分かりやすく伝えて下さい。目指しているのは暗記した内容を伝えることではありません。キリストに倣い会う人みんなに愛情を注ぐことです。そのためには辛抱強く、粘り強く、献身的でいることが大切です。どこに住んでいるとしてもどういう環境で良い知らせを伝えているとしても、愛情を注げば伝道を楽しめます。どんなテクニックよりも大切なのは愛を込めて人に接することです。そうすればもっと上手に弟子を育てられるようになるでしょう。私たちがもっと上手に伝道できるようになるために新しいツールを準備してくれたエホバに感謝したいです。⇒えぇ?32頁のブロシュアーなの?書籍じゃなく?もったいぶって秘密の箱に入れて送ってきたのに?今年一番の、「大山鳴動して鼠一匹」賞を差し上げましょう。きっと皆さん気になっているのはいつこの新しい冊子を手に入れられるかということだと思います。うれしいことに11月6日以降電子版で手に入れられます。さらにほとんどの国で印刷版も手に入れることができるようになります。それだけではありません。4部構成のこのシンポジウム全体が11月6日にjw.orgにアップされる予定です。世界中の兄弟姉妹がこのシンポジウムの内容を同じタイミングで知ることになります。すごいと思いませんか。この冊子を読むのが楽しみですし、動画を見るのも待ち切れませんね。先ほど聞いたように統治体は2024年1月からこの新しい冊子を週日の集会で使うことにしました。うれしいですね。早速この冊子に書かれていることを実践する機会があるということです。このシンポジウムでどんなことを学びましたか。最初にフリーグル兄弟がエホバを愛する理由とその愛がエホバを賛美するよう私たちを動かすと話しました。2番目の話でレッシュ兄弟が普通のイスラエル人とナジルとして暮らした人の違いを説明しました。3番目の話でハード兄弟が会衆の伝道者は奉仕した時間を報告しなくなると発表しました。といってもこれは一人一人に与えられている弟子をつくる責任がなくなるということではありません。そして最後のこの話でそれぞれの人に愛を込めて接し弟子を育てるのに役立つ新しいツールが準備されたことを聞きました。私たちはイザヤ60:17の預言が今まさに実現している様子を目の当たりにしています。私たちがよく知っている預言です。60:17にこうあります。「私は銅を金に替え、鉄を銀に、木を銅に石を鉄に替える。平和をあなたの監督とし、正義をあなたの管理者とする。」この預言のポイントは何ですか。もともと良い資材が段階的にさらに良い資材に置き換えられていくということです。確かにその通りになっています。⇒早速電子版がアップされて、見てみましたけどね。大事なのはコンテンツじゃねぇんだわ、という感想しかない。内容ペラペラ、薄っぺらい冊子ですよ。執筆委員会のレベル、低くなったんかなぁ、と。1930年代の兄弟姉妹のことを考えてみて下さい。みんな一生懸命伝道に打ち込んでいました。蓄音機や証言カードを使ってです。その頃伝道者は話しませんでした。蓄音機を再生するかカードを渡せばよかったからです。私の母がある姉妹と伝道をしていた時、こんなことがあったそうです。家から出てきた男性に何も言わずに証言カードを渡しました。その男性がカードを読んでいると家の中から「誰が来てるの?」と言う声がしました。男性はこう言います。「よく分からないけど耳が聞こえない人たちが来てるみたいなんだ。」これ本当の話ですよ。何も話さなかったんです。でもエホバは状況をそのままにはしませんでした。自分に仕える人たちが上手に語れるようトレーニングしました。役立つツールも準備しました。例えば聖書を使って教える方法を取り上げた「聖書から論じる」の本などです。最近では「いつまでも幸せに暮らせます。」というとてもいい本を与えてくれました。この本で聖書レッスンのクオリティーがぐっと上がりました。そして今日新しい冊子も出ました。よく学んで目の前の人を大切にしましょう。相手が興味を持っていることから話して下さい。そうやって努力すればその人はキリストの弟子になりたいと思うかもしれません。確かなことがあります。何かの改善が加えられるときは良いものがより良いものになるということです。今日いろいろなお知らせを聞きました。確かにより良くなっていると思いませんか。良いものがさらに良くなっている様子を見ることができています。そしてエホバは私たちがクリスチャンとして成長できるようにも助けてくれています。私たちのことを信じています。これまで頑張ってきたのは何時間奉仕したか、どれぐらい配布したか、を報告するためではないと分かっています。私たちはエホバを愛し人を愛しているので弟子を育てたいと願っています。今回の調整はどういうことであってどういうことではないんでしょうか。まずこれからは伝道を頑張らなくていいということではありません。全くもってそういうことではありません。また大患難が近づいている今ペースダウンしていいということでもありません。手を抜いていいなどとは決して考えないで下さい。今「王国福音伝道者のための学校」への入校を希望し申し込んでいる人の数は5万人を超えています。新しい宣教者、特別開拓者、一時的な特別開拓者が次々と任命されています。正規開拓奉仕を始める人も増え続けています。⇒開拓者が増えたのは、要求時間が減ったからやろ?あと、SKE(≒コジキ養成講座)の申込者増えてんの?はぁ…。幾つかの国例えばフィリピンでは、フィリピンの話ばっかりしてすいませんね。すごい勢いでエホバの証人が増えています。今年伝道者の数は9%増加し、過去最高の25万3876人になりました。この1年で1万2954人がバプテスマを受けました。本当にすごいと思いませんか。それでもう一度言います。今はペースを落とす時ではありません。伝道に打ち込むことは今かつてなく大切になっています。ではこうした調整がされたのはどうしてでしょうか。この調整によって私たちはどうして伝道しているのかという大切なことをもっと考えられるようになります。伝道するのはエホバを愛し人を愛しているからです。今はエホバのために一生懸命力を尽くして働くべき時です。イエすが話した主人と3人の奴隷の例えを思い出します。その例えは終わりが来るまでの間何をしなければいけないかを教えています。2人の奴隷は一生懸命働き主人のお金を2倍にしました。それで主人にとても喜ばれました。私たちも同じような姿勢で一生懸命働きたいと思います。長老、援助奉仕者、開拓者の皆さん、伝道で手本になって下さい。ではみんなにもできることがありますか。確かにあります。自分にできることに精いっぱい取り組みこれまで以上に熱い心で伝道するということです。今がどんな時代か考えると胸が躍ります。統治体は終わりが来る前にもっともっと多くの人がエホバに仕えるようになることを心から願っています。忘れないで下さい。私たちが心を込めて出し惜しみせずに働くときエホバは喜んでくれます。大患難が近づいています。これからも素晴らしい神エホバへの愛の気持ちから弟子をつくる活動に打ち込みましょう。時間やエネルギーを惜しまず働いて下さい。エホバが私たちの頑張りに報いてくれる時はすぐそこまで来ています。⇒フィリピンねぇ…。カトリックの国ですよね。何で増えてんのかね?ただ、増えた理由は、新しい書籍のおかげじゃないでしょうにねぇ。いかがでしたか。エホバに仕える人にとってまさに歴史的なプログラムでしたね。年次総会のパート2は1月にアップされる予定です。今月のビデオレターはアルバニアからです。アドリア海に面した小さな国です。アルバニアにはいろいろな国に攻め込まれた歴史があります。それでさまざまな民族文化宗教が入り交じっています。アルバニアは湖がたくさんありあちこちを川が流れる美しい国です。きれいなビーチもあります。例えばアクアリウムビーチと呼ばれるビーチはシュノーケリングにぴったりです。国内最大のカラバスタラグーンと呼ばれる湾にはハイイロペリカンが生息しています。体長が1.8メートルもある最大級のペリカンです。ローマ15章には使徒パウロと一緒に旅をしていた人たちが「良い知らせを徹底的に伝え」た、とあります。一行はローマ属州の「イルリコに至るまで」旅をしました。現代のアルバニアの一部が含まれている地域です。当時その地域でクリスチャンになった人がいたようです。一般の歴史家も1世紀にキリスト教が持ち込まれたと考えています。1920年代アルバニアのある人たちはアメリカで聖書の真理を学びました。バプテスマを受けた後アルバニアに戻った人たちは家族や友達に学んだことを伝えます。1928年ラザル・ナソンとペトロ・スタブロが「創造の写真劇」を上映するためにアメリカからアルバニアに戻りました。たくさんの人が真理を受け入れました。政情不安、経済破綻、また強い反対の中でも伝道者の数は着実に増えてきました。今では5400人以上の伝道者が89の会衆で活動しています。首都のティラナには支部事務所がありアルバニアでの伝道とその北東のコソボにいる228人の伝道者の活動をサポートしています。アルバニアの中西部にあるルシュニャという町を訪ねてみましょう。ルシュニャ・ベリウ会衆の区域には町の3分の1とミュゼチェ平野の21の村が含まれています。村での伝道は成果を上げていて、平均すると集会に出席する人の数は伝道者の数の1.3倍を超えています。会衆にはロマニー語のグループもあります。伝道者の中には遠くの村に住んでいる人もいます。集会に出席するために王国会館まで1時間かけて歩いてくる人もいます。ルシュニャ・ベリウ会衆の77人の伝道者が皆さんに温かい愛とあいさつを送っています。エホバの証人の世界本部からJWBroadcastingでした。⇒アルバニアは、一度行ってみたい国ではありますから、あえてコメントしますまい。さて、年次総会のパート2が1月にアップされるってことですけど、その時に、今は離れていても、マルハゲがドンする前に戻ってくればオケっていう、トンデモ解釈がお披露目となるんですかね。ということで、久しぶりの記事更新ですが、全文載せてコメント付けくわえたら、27,000字を超えてしまいました。読み返してみると、半年ぶりの我がブログ、コメントの毒気が増してる感じが多分にいたしますが、秋の夜長にお目通しいただけますと幸いです。しかし、今年は、秋らしい気候はどこに行ったのだという疑問がぬぐえませんが、皆様健やかにお過ごしくださいませ。カルトの爆心地からは以上です。