ついに梅雨入りしたかと思ったら、真夏のような陽射し。暑いですねぇ…。皆様いかがお過ごしでございましょうか。
さて、ギレアデ第155期卒業式のパート3、結びの話と割り当てがアップされておりました。それほど取り上げる内容ではございませんが、とりあえず記事にしてございます。(以下、斜体太字は放送からの書き起し。)

では次の話を聞きましょう。話してくれるのは統治体のジェフリー・ウィンダー兄弟です。兄弟の話のタイトルは「資格を備えた何のための?」世の中の多くの人は大学での教育を高く評価しています。1つの理由は特定の資格を備えることができ専門職に就けるからです。医師、弁護士、エンジニアなどになれます。では皆さんはギレアデでどんな資格を備えましたか?そのことを考えるに当たってイエス・キリストの手本に注目します。イエスは地球で取り組むことになっていた大切な仕事に備えて特別なトレーニングを受けました。ヨハネ8:28でこう言っています。「私は父が教えてくださった通りにこれらのことを話しています。」ここから分かるようにイエスはエホバからトレーニングしてもらいました。そのおかげでイエスは地球での自分の役割をきちんと果たせるよう準備が整いました。たくさんの預言を実現させます。弟子を選んでトレーニングします。エホバの名前やエホバがどんな方かを知らせます。そして自分の命を犠牲として差し出します。このことはエホバの名前を神聖なものとし人類に救いの道を開くことにつながりました。でもイエスがエホバから教わったのはただ何をすべきかということだけではありません。割り当てられたことにどう取り組めるかということもトレーニングしてもらいました。

⇒そうだよ。でも、この教団はその教育の価値を認めてこなかった訳じゃん?

それが今から考えることです。マタイ20:28を見てみましょう。この話の中で特に大切な聖句です。ここからイエスのすること全てを貫いていたイエスの姿勢について読み取ることができます。20:28こうあります。「人の子も仕えてもらうためではなく仕えるためにまた多くの人と引き換える贖いとして自分の命を与えるために来ました。」イエスは「仕えるため」に来ました。つまり人に仕えるためのトレーニングを受けていたということです。イエスが地球にいる間にした全てのことには謙虚に人に仕える姿勢が表れていました。幾つか例を見てみましょう。1つ目にイエスは疲れてくたくたになっている時も伝道し人を教えました。「ヨハネによる福音書」をご覧下さい。ヨハネ4:6,7です。イエスと弟子たちはガリラヤに向かう途中サマリアを通ります。みんな井戸の所に来ます。そして弟子たちは食べ物を買いに行きます。まず4:6を読みます。こうあります。「実際ヤコブの井戸がそこにあった。イエスは旅のためにすっかり疲れて井戸の所に座っていた。昼の12時ごろだった。」興味深いことにスタディー版聖書の注釈によるとこれは「聖書の中でイエスが『すっかり疲れて』いたと記されている唯一の箇所」です。ちょっと疲れていただけではなく疲れ切っていました。次に7節を読みます。「サマリアの女性が水をくみに来た。」この時の様子が絵に描かれています。イエスはどうしますか。「くたくただから今はいいかな。次に誰か来たら話そう」と考えましたか?いいえその女性に仕えました。「水を飲ませて下さい。」と話し掛けます。それがきっかけでとてもいい話し合いができます。イエスと弟子たちはそこに2日滞在し良い知らせを伝えます。そして多くの人が信仰を持つようになります。イエスはくたくたになっていた時も人に仕えました。イエスが疲れている時も人を教えたという記録はほかにもあります。マルコ6章に書かれています。読みませんがこんな場面です。12使徒は伝道キャンペーンから帰ってきたばかりです。興奮していますが体は疲れていたはずです。マルコ6:31によると「出入りする人が多く食事をする暇もなかったから」です。しかもこの時イエスはバプテストのヨハネが殺されたという知らせを聞いたばかりでした。そういうわけでイエスは弟子たちに「一緒に静かな場所に行って少し休み[ましょう。]」と言います。でもどうなりますか。群衆はイエスたちが行こうとしている所に先回りしました。イエスが到着する頃には大勢の人が待ち構えていました。イエスはどうしますか。疲れていておなかがすいていて悲しんでいます。でも群衆に仕えました。マルコ6:34によると「多くのことを教え始め」ました。並行記述のルカ9章には「その人たちを親切に迎え[た]」ともあります。確かにイエスは疲れていても人に仕えました。

⇒イエスの生涯、確かに人に仕えるという点で模範にすべき点はたくさんあった、それは認めましょう。「すっかり疲れていた」。なるほど。これはいつか使えそうな情報だ。

2つ目です。イエスはほかにもどんなふうに人に仕えたでしょうか。イエスは弟子たちを粘り強く教えました。弟子たちは学んだ大切なことを理解するのにいくらか時間がかかりました。自分たちの中で誰が一番偉いのかと言い合ったことが何回もありましたね。でもイエスが愛想を尽かすことはありませんでした。いらいらしたり声を荒げたり厳しく詰め寄ったりもしませんでした。むしろどうしたら弟子たちが本当に理解できるか考えていろいろなやり方で教えました。亡くなる前の晩までずっとです。ヨハネ13章を見てみましょう。イエスと弟子たちが食事をしていた時の出来事です。13:4,5にこうあります。「[イエスは]食事の席から立ち外衣を脇に置いて拭き布を取って腰にくくった。それからたらいに水を入れて弟子たちの足を洗い腰にくくった布で拭き始めた」。とても印象的なイエスの姿が描かれていますね。注釈によるとこれは普通奴隷がする仕事でした。この時イエスは拭き布を取って腰にくくり奴隷のように前掛けをしていました。そして弟子たち一人一人の足を順番に洗います。まさに弟子たちに仕えました。15節でこう言っています。「私はあなたたちのために模範を示しました。あなたたちも同じようにするためです。」人に仕えるべきことを手本で教えていたわけです。3つ目です。イエスは罪を負った人類を深く愛していたので自分の命を贖いとして犠牲にしました。絵に描かれているように贖いになるために杭の上で苦しんで死にました。マタイ20:28にあった通り「人の子[は]…仕えるために[また]多くの人と引き換える贖いとして…命を与えるために来ました。」こんな形で人に仕えられるのはイエスだけです。イエスが自分を犠牲にして人に仕えたことによって何百万人そしておそらく何十億人もの人がいつまでも生きられるようになりました。イエスは仕えるために来ました。そのためのトレーニングを受けていました。イエスはそれを生かして何をする時にもひたすら謙虚に人に仕えました。

⇒「トレーニング」って言葉をイエスに当てはめると、途端に安っぽくなるけど、まぁそれはいいでしょう。

話の最初にこんな質問をしました。皆さんはギレアデでどんな資格を備えましたか?答えが分かりましたね。仕える人になる資格です。ではこれから割り当てられる所で奉仕する時ギレアデで学んだことをどんなふうに生かして人に仕えられるでしょうか。どうすれば兄弟姉妹にあなたが仕えるために来たと感じてもらえるでしょうか。まず姉妹たちに何ができるか考えましょう。どうすればいわば奴隷の前掛けを着けて人に仕えられますか。2つ考えます。1つ目に手本になることです。私たちは誰かが自分に注目していてそこから学んだり力をもらったりしていることにはあまり気付かないものです。でも手本になることは人に仕えるとてもいい方法です。マルコ12章を見てみましょう。マルコ12章です。12章41節から44節に注目します。イエスが亡くなる数日前神殿での出来事です。41節から「イエスは寄付箱の見える所に座り人々が寄付箱にお金を入れる様子を眺めていた。多くの裕福な人たちがたくさんの硬貨を入れていた。そこへ貧しいやもめがやって来てごく小額の小さな硬貨2枚を入れた。イエスは弟子たちを呼び寄せてこう言った。『はっきり言いますがこの貧しいやもめは寄付箱にお金を入れたほかの人たち全てよりたくさん入れました。皆は余っている中から入れましたが、この女性は乏しい中から自分が持つ全て生活に必要な全てのものを入れたからです。』」イエスは貧しいやもめのしたことに感銘を受けました。そしてそのやもめの模範を使って弟子たちを教えました。さらにこの出来事は聖書に記録され読む人みんなも大切なことを学べます。絵にはその時の様子が描かれています。やもめは神の子が自分を見ていることに気付いているでしょうか。気付いていない様子です。そもそも人に見られているかどうかはやもめにとって大事なことではありませんでした。「神の子が私を見てくれているわ」などと思いながら寄付していたわけではありません。エホバとの絆を大切にするこの女性は純粋な心で正しいことをしました。エホバのために何かできることを光栄で当然すべきことと思っていました。それでその通りにしました。イエスはその一部始終を見ていてこの女性から学べることを弟子たちに教えました。皆さんも自分が人から手本として見られていることには気付かないかもしれません。それでも姉妹たちは人から見られているかどうかを気にせず純粋な心で正しいことをしています。とはいえそうやって毎日正しいことをしている皆さんの姿を謙虚な人は見ています。そしてそこから学んでいるに違いありません。たとえちょっとしたことでもです。廊下を歩いていると小さなごみが落ちています。誰かが気付かずに落としてしまったようです。それで立ち止まって拾います。みんなで話している時話題をポジティブな方向に持っていくようにします。疲れていてもいつも周りの人に気を配ります。ぶつぶつ言ったりせず気持ち良く夫に協力します。いろいろな場面で周りにいる人は皆さんのお手本を見て学ぶことができています。こういうことも人に仕えるとても良い方法です。

⇒姉妹たちができること。その一つが手本になるねぇ…。それって、人としての本質であって、わざわざギレアデで5ヶ月かけて学ぶようなことでもない気がするんですけどね。

2つ目です。自分が話す言葉で周りの人に仕えることができます。格言31章には有能な妻について書かれています。31:26を読みましょう。31:26「口を開く時には賢く語りいつも親切の律法に従って話す」。賢く親切な話し方をする人と思ってもらえたらうれしいですね。実際にクリスチャンとして成長した姉妹たちは周りの人に親切で賢明なアドバイスをしています。私たちの誰もが自分のことを親身に気遣って言葉を掛けてくれた姉妹のことを思い浮かべられるんじゃないでしょうか。本当にためになるアドバイスをしてくれた姉妹です。そういう女性の1人について考えてみましょう。アビガイルです。絵に描かれているようにダビデの前で謙虚にひざまずき知恵を働かせて語りました。律法に含まれるエホバの考えを思い出せるよう助けもしダビデがそのまま突き進めば流血の罪を負いかねないと言います。さらに機転を利かせてエホバがダビデを将来の王に任命したことにも触れます。そして評判が傷つくようなことや後で後悔するようなことをしないよう勧めます。ダビデは激しく怒っていましたがアビガイルのこういう賢明な言葉を聞いて考えを改めることができました。では私たちは言葉をどんなふうに使って人に仕えられますか。ギレアデの卒業式ではよく割り当てられた先で「ギレアデではこう教わりました。」ということばかり話さないよう勧められます。皆さんはそう言われる理由が分かっているので気を付けたいと思っているはずです。とはいえギレアデのトレーニングで学んだことは周りの人にも役立つに違いありません。それで人の話に謙虚に耳を傾けた上でチャンスがあれば学んだことをぜひ伝えましょう。普段の何気ない会話の中であるいは誰かと1対1で話しているときにそんなふうにできます。仕事場や部屋に戻る途中の廊下でも話せるかもしれません。伝道中や集会の前後に王国会館にいるときにもできます。時間を取って相手の話をじっくり聞いてどんなことを考え感じているか知るようにしましょう。自分が教えようとするのではなく学んだエホバの考え方をシェアして下さい。そうするだけでも相手を助けることができます。いつも親切でエホバと同じように物事を見ようとしている姉妹たちを愛しています。皆さんが仲間に仕えているのは本当に素晴らしいことです。2つ姉妹たちが人に仕えられる分野を考えました。手本と言葉です。

⇒姉妹たちができること。その一つが言葉ねぇ…。それって、人としての本質であって、わざわざギレアデで5ヶ月かけて学ぶようなことでもない気がするんですけどね。(再掲)あと、「ギレアデの卒業式ではよく割り当てられた先で「ギレアデではこう教わりました。」ということばかり話さないよう勧められます。」って言ってますけど、口を開けば「ギレアデではこう教わりました。」って話してる気がするなぁ。あるいは、「ギレアデではどう教わりましたか?」って、ここぞとばかりに持ち上げそう。※個人の感想です。

今度は兄弟たちの番です。どうすればいわば奴隷の前掛けを着けて人に仕えられますか。もちろん今姉妹たちにお話ししたことは兄弟たちも取り組めます。手本と言葉で人に仕えるということです。でもエホバは自分に仕える人たちを監督し先頭に立って物事を進める役目を兄弟たちに与えています。皆さんも割り当てられる場所で重い責任を与えられたり監督になったりするかもしれません。そうだとしてもイエスの手本から学べたように何かの権限が与えられる人は仕える人でなければいけません。ではギレアデで学んだことをこれからの奉仕にどんなふうに生かしていけば人に仕えられるでしょうか。2つ考えます。1つ目は与えられる奉仕に取り組む時いつも牧者でいるということです。いつも牧者でいましょう。ダビデのことを考えます。ダビデが若い頃羊飼いとして学んだたくさんのことはその後の人生そしてエホバへの奉仕にとても役立ちました。例えばたて琴の弾き方石投げ器の使い方屋外で暮らしていく方法などです。では羊飼いとしてのダビデの経験は王になった時どう役立ったでしょうか。詩編78編をお開き下さい。78:70-72を一緒に読みましょう。78:70-72「ご自分に仕えるダビデを選び羊の囲いから取り出した。産後の雌羊を世話していたダビデをご自分の民ヤコブの羊飼いとし財産であるイスラエルを治めさせた。ダビデは清い心で民を世話し巧みな手腕で導いた。」王になったダビデにはイスラエル国民全体を治める権限がエホバから与えられました。でも独裁者のようになったり国民に威張り散らしたりすることはありませんでした。むしろいつも牧者として王権を行使しました。民のことを大切な羊と見ていました。養われ守られ世話される必要のある羊です。そして民へのそういう接し方がダビデ王の統治の特徴でした。聖句にあるように「清い心で民を世話し巧みな手腕で導」きました。そうやって人に仕えました。皆さんもダビデのように自分が監督している人たちに仕えて下さい。奉仕する時いつも牧者でいて下さい。仲間が体も心も元気でやっているか、仕事量は適切か、必要なトレーニングを受けられているか気に掛けて下さい。オフィスにこもりきりになるのではなく兄弟姉妹の所に行って羊飼いのように世話して下さい。そうすればみんなは守られていると感じます。自分たちには愛情深く見守ってくれている監督がいると分かってみんな奉仕をもっと楽しめるはずです。たとえ大変な中で仕事をしなければいけないとしても頑張り続けることができます。監督がちゃんとその状況に気付いているということが分かっているからです。そして助けの手を差し伸べてくれることも信じているからです。

⇒いや、特別な学校に行ったBが謙遜に牧者として仕えるなんて、無理っしょ。無理。アクトン卿が言ったように、「権力は腐敗する。絶対的な権力は、絶対的に腐敗する。」って、特にこの教団に当てはまるんだから。無理なの、無理。

2つ目です。兄弟たちは自分が監督している人たちに敬意を払うことで仲間に仕えられます。ローマ12章を見てみましょう。ローマ12:10をお読みします。10節「兄弟愛を抱いて優しい愛情を示し合いましょう。自分の方から進んで人を敬って下さい。」監督は自分の方から進んで人を敬わなければいけません。エホバに仕える人はみんな敬意を受けるべきです。どうしてですか。誰もがエホバ神に似た者として造られています。そしてそれぞれエホバに献身しています。さらにその人たちが捧げる祈りをエホバは聞いていて答えてもいます。またその人たちはエホバの羊でもあります。神の子イエスの貴重な血で買われた羊です。ベテル奉仕者には敬われるべきさらなる理由があります。それぞれにエホバからの特別な奉仕が与えられています。皆さんの部門の仲間は神聖な奉仕を捧げています。エホバから仕事を任されスキルを磨いています。そういうわけで敬意を受けるに値すると言えます。では心から敬っていることをどうすれば伝えられるでしょうか。兄弟姉妹が一生懸命働いていることに目を留めて頻繁に誠実に褒めることができます。さらに何かお願いされたときにはすぐに応えましょう。仕事についての提案を受けたら真摯に耳を傾けて下さい。何かの提案をするということは権威に逆らうこととは違います。差し出がましいことでも今のやり方にけちを付けることでもありませんエホバもアハブの件で天使たちに提案を求めたことがありましたよね。そして提案の1つを採用しました。こういういろいろなやり方で一緒に働く仲間を敬えます。そうすれば仕えるために来たことを分かってもらえます。では皆さんはギレアデのトレーニングを通してどんな資格を備えましたか?人に仕える準備が整ったはずです。それはイエスがすること全てを貫いていた姿勢です。皆さんもそうであって下さい。姉妹たち仲間に仕えて下さい。手本と言葉によってです。兄弟たちはそれに加えて割り当てられる奉仕に牧者として取り組んで下さい。そしてさらに自分の方から進んで兄弟姉妹を敬って下さい。イエスはエホバから受けたトレーニングがどれほど役立っているかエホバに見てもらいたいと思っていたはずです。それでエホバから言われたことをただこなすだけではなくいつもエホバが望んでいるやり方で果たすよう努めました。皆さんもギレアデで学んだ良いことをぜひ実践したいと思っているんじゃないでしょうか。これから割り当てられる場所で新しいやり方を試してみようと思うこともあるかもしれません。でもどんなふうに物事を進めるかには慎重でありましょう。仕えるために来たことを忘れないで下さい。そういう姿勢でいればギレアデで受けたトレーニングが役立っていることを周りの人に知ってもらえます。兄弟姉妹から愛されます。そして何よりも神エホバに喜んでもらえます。

⇒いや、特別な学校に行ったBが仲間に敬意を払うなんて、無理っしょ。無理。(再掲)褒める?働きに目を留める?提案に耳を傾ける?あの人たちには絶対無理なの、無理。自己顕示欲と傲慢に頭と手足付けたら、JW界の指導者が出来上がるんだから。

ではこれから生徒の皆さんに卒業証書をお渡しします。デービッド・シェーファー兄弟が手伝ってくれます。最初はアンティラ兄弟姉妹です。フィンランド支部に戻ります。ボーシャメイ兄弟姉妹は中央ヨーロッパ支部で奉仕します。ベナビデス兄弟姉妹はブラジル支部に戻ります。ベント兄弟姉妹はコロンビア支部に戻ります。カルカニー兄弟姉妹はクロアチア支部に戻ります。チベウー兄弟姉妹は東アフリカ支部に戻ります。エップ兄弟姉妹は中央ヨーロッパ支部に戻ります。エルンスト兄弟姉妹はベルギー支部に戻ります。ガルシア兄弟姉妹はスペイン支部に戻ります。グティエレス兄弟姉妹はパラグアイ支部に戻ります。エンリキス兄弟姉妹はポルトガル支部に戻ります。金(キム)兄弟姉妹は韓国支部に戻ります。梁(リャン)兄弟姉妹は台湾支部に戻ります。リツィオース兄弟姉妹はギリシャ支部に戻ります。メンサ兄弟姉妹は西アフリカ支部に戻ります。ムウィテネザ兄弟姉妹はルワンダ支部に戻ります。パルバドウ兄弟はフランス支部に戻ります。パロウ兄弟姉妹はニューカレドニア支部で奉仕します。プンゴー兄弟姉妹はアンゴラ支部に戻ります。キンティナー兄弟はドミニカ共和国支部で奉仕します。ロドリゲス兄弟はベネズエラ支部に戻ります。ロサバル兄弟姉妹はリベリア支部で奉仕します。ストイチェッチ兄弟姉妹はセルビア支部に戻ります。それでは生徒の皆さんをご紹介します。せかしちゃったみたいですね。第155期のギレアデ卒業生です。愛情たっぷりの拍手でしたね。エホバとイエスも皆さんを深く愛しています。ここでクロアチア支部のマルコ・カルカニー兄弟がクラスを代表して手紙を読んでくれます。

⇒今回も元いた支部に戻るのがほとんどですね。まぁ、ギレアデの目的が変わっちゃいましたからね。

親愛なる統治体の兄弟たち。ギレアデ第155期に出席する機会をいただけたことに心から感謝しています。学校への招待を受け取った日から次のように言ったダビデと同じ気持ちでいました。「エホバ神私は何者なのでしょう。…あなたは私にここまでしてくださるのですか。」この5カ月間私たちはエホバのような神がほかにいないことを学び味わってきました。偉大な教師エホバと優れた先生イエスが教えてくれたことに感謝しています。毎日「自分たち自身を与え」てくれたギレアデの教訓者にも感謝しています。私たちが強い信仰を持つために大切なことをたくさん教えてくれました。生徒一人一人のニーズに合わせて教えアドバイスしてくれました。皆さんは私たちの良い相談相手親友です。聖書を深く学んでエホバがどれほど素晴らしい方かが分かり感動の連続でした。聖書の「真理の幅と長さと高さと深さ」をもっとよく理解できるようになりました。ベテル家族は私たちがここに着いた時から温かくもてなしてくれて愛が伝わってきました。皆さんがエホバや聖書について学ぶことを大切にしているのがすぐ分かりました。兄弟姉妹のことが大好きになりました。ギレアデの生徒として過ごした日々を思い返すと学んだこと良い思い出育んだ友情への感謝の気持ちでいっぱいになります。愛する統治体や援助者の兄弟たちが私たちを教え一人一人と仲良くなろうとして時間を取ってくれたことも忘れられません。私たちは思いやり深くて謙虚な皆さんのことを愛するようになりました。皆さんの自分を後回しにする愛や仲間と一致協力する姿勢に倣いたいと思います。そうやっていつもエホバに喜ばれる人でいようという決意が強くなりました。詩編106:1にはこうあります。「ヤハを賛美せよ!エホバに感謝せよ神は善い方」この素晴らしい学校を卒業する今エホバが私たちにどれほど良いことをしてくださるかがもっともっと分かるようになりました。これまでにないほどその良さを味わってきました。それで詩編の次の言葉と同じように感じています。「私は何をしてエホバにお返ししょう。私[たち]のためにしてくださった全ての良いことに対して」。私たちはこれからも良いことをして支部や会衆を強くし安定させるために働くことを決意しています。私たちを信頼してそのためにトレーニングしてくださったことに感謝しています。ギレアデに着いた時よりもエホバに仕える人として成長できていることを願うばかりです。皆さんを深く愛しています。エホバに仕えていくのに役立つ素晴らしい経験をさせてくださってありがとうございました。心からの愛を込めて。ギレアデ第155期生徒一同

⇒手紙で感謝を述べるのはいいんだけどさ、例えばこの短い手紙の中で、イエスに言及したのが1回ね。それに比して、親愛なる統治体の兄弟たち、ギレアデの教訓者、ベテル家族、愛する統治体や援助者、この素晴らしい学校って、もう礼賛礼賛の雨あられ。雹のように降ってきてるわ。こういうのを人物崇拝って言わずして何て言うんだろうか。情けない教団に成り下がったよ。見えない神とイエスに仕えているっていう矜持も無くなっちゃったんですね、としみじみ。

本当に素晴らしい手紙でした。ありがとうございます。シェーファー兄弟も卒業証書を渡すのを手伝ってくれてありがとうございました。生徒の皆さんは無事受け取れてうれしそうです。よかったですね。ギレアデのトレーニングは信仰を強くするためのものです。実際に皆さんの信仰は強くなりました。これから先何があっても立ち向かうことができます。ヨハネ第一5:4にある通りです。「世に対する勝利をもたらすのは[何でしょう。か]私たちの信仰です。」今の世界でこれから起きることに耐えられるだけの強い信仰が必要です。今日の話でも私たちの手本になる強い信仰を持っていた人たちが取り上げられましたね。エホバとの絆を育てていけば信仰が強くなります。そしてそのためにはいつも基本を大切にすることが欠かせません。基本をおろそかにしてはいけません。たとえギレアデを卒業したとしてもやはり基本はとても大切です。クリスチャンの集会に休まず出席しましょう。私たちには会衆が必要です。ほとんどの兄弟姉妹がベテル奉仕の経験はなくても会衆と密に働くことで長年エホバに立派に仕えています。でもその逆にベテル奉仕者が会衆なしでやっていくことはできません会衆はエホバが私たちのために与えてくれたものです。エホバは聖なる力を使い会衆を通して私たちを力づけます。それで集会にいつも出席しましょう。忙しくても基本を大切にして下さい。さらにエホバの名前と王国について人に伝えるため熱い心で宣教に参加しましょう。これも基本です。

⇒いや、特別な学校に行ったB/Sが基本を大切にするなんて無理っしょ。無理。(再再掲)集会に行けば特別扱い、奉仕も免除。会衆の雑務は平信徒が率先してやるように躾けられてんだから、無理なの。

エホバへの信仰を強くし信頼を深めてゆくためにほかにも私たちにできることがありますか。祈ることです。エホバに心を開いて信仰を強くして下さい。とお願いしましょう。そして神の言葉を毎日読んで何をするときにもそのアドバイスを生かして下さい。そうすることで私たちの信仰は強くなっていきます。皆さんは宝物を持って卒業します。手にある卒業証書だけではありません。頭と心に刻み込まれているものです。皆さんが学校で経験したことや授業で学んだ役立つ教えなどエホバがくれた宝物です。でも忘れないで下さい。こういう宝物を持ち続けるにはエホバへの奉仕の基本を欠かしてはいけません。その頑張りにエホバは必ず応えてくれます。いつも謙虚な姿勢で基本的なことを大切にしている姿を見て皆さんを愛してくれます。この素晴らしい学校を卒業するからといって基本的なことは多少後回しでいいなどとは考えないで下さい。やりがいのある仕事が割り当てられるからといって自分はそれで大丈夫だなどとも考えないで下さい。学ぶべきことはまだまだあります。新しい世界ではもっと素晴らしい仕事をいつまでも楽しめるようになります。それでエホバと同じ考え方ができるようになることを目指して学び続けて下さい。エホバを信頼しましょう。エホバは本当に親切な方です。皆さんのような神を愛する人ベストを尽くして神に仕える人神に頼る人に親切にしてくれます。いつでも愛し支えてくれます。ギレアデで学んだ大切なことをいつも忘れないで下さい。そうすればテモテ第一6:12にあるように「信仰の戦いを立派に」戦えます。そうできると信じています。皆さんはエホバの名をたたえることに貢献できます。それだけでなくこれから一緒に働く仲間にも貢献できます。仲間を心から愛せばみんなもあなたのことを愛してくれます。そして助けてくれます。その様子を見ているエホバもイエスも喜んでくれるに違いありません。皆さんにとって大切な日にこうしてご一緒できてうれしかったです。

→とりあえずこんな感じですけどもね。それほど大した中身ではないですけど、まぁマイコン信者さんと話を合わせる程度に、知識として知っておいていただいてもよろしいかと思います。
皆様の会衆でも、夏の地区大会が始まってきましたでしょうか。どうぞ皆様健やかにお過ごしくださいませ。カルトの爆心地からは以上です。