月初めの火曜日、ブロキャス9月分がしっかりアップされておりまして、そういえば先月、記事をアップしたときは、東証がブラックマンデーを超える下げ幅の後、史上最高の上げ幅という出来事がございましたですね。今日の終値は38,600円ですか。結局あの上下幅はなんやってん?1975年のマルハゲがクルクル騒動とちゃうねんぞ、と思っておりまして、そう言えばここ1週間、台風やら大雨やら大変でございますが、皆様いかがお過ごしでございましょうか。
本記事にどれほどの価値があるかは分かりませんが、皆様の暇つぶしにでもなれば本望でございます。よろしくお目通し賜りますよう。(以下、斜体太字は放送からの書き起し。)

今月は不公平だと感じるときにもエホバがどんなふうに助けてくれるかを考えます。「その信仰に倣う」ではエホバから正されたミリアムがどのように謙虚に受け止めたかが描かれます。「信仰を持てた理由」では10代の2人が世の中の不公正の本当の解決策に目を向けられるよう人を助けていることを話してくれます。ミュージックビデオでは悩みのせいで身動きが取れないように感じるときもエホバが力をくれることが歌われます。JWBroadcasting®をお楽しみ下さい。

⇒え?会衆内での不公平について取り上げてくれんのかな?ww

自分は恵まれていないと思うことがありますか。あるいは自分にはコントロールできない不利な環境にいるせいでほかの人のようないろいろなチャンスがないと感じることがありますか。命を目指す競争で周りは軽々と走っているのに自分は松葉づえでも突いてるみたいだと感じますか。今回はエホバのとても魅力的な一面についてお話します。恵まれない人を優しく気遣ってくれるところです。エホバが立場の低い人のことをどう思っていてどれほど尊重していて、歴史を通じてどう世話してきたかに注目します。そのことを考えると私たちはエホバに引き寄せられ、困難にぶつかっているとしても自分は大丈夫だという安心感を持てるようになります。そもそもどういう人が恵まれない人ですか。恵まれないとはどういうことでしょうか。この話ではその人自身に何かの限界があるということではなく、不利な境遇のせいで困難に立ち向かわなければいけない人のことをいいます。多くの場合その人に落ち度があるわけではありません。聖書にはそういう人のことが取り上げられています。やもめ、孤児、外国人居住者などです。申命記24:17を読んでみましょう。こうあります。「外国人居住者や父親のいない子供に関してゆがんだ裁きをしてはなりません。やもめの服を担保に取ってはなりません。」「ものみの塔」誌にはこんな説明があります。「律法は特に孤児ややもめや外人居留者などの弱者を保護しました。」恵まれない人を守るための律法があったわけです。詩編10:14には「餌食にされた人」という表現も出てきます。別の箇所には「立場が低い人」という言葉もあります。価値が低いわけではなく恵まれない境遇にいる人のことです。では次にエホバが恵まれない人のことをどう思っているか考えましょう。エホバはその人たちの気持ちに寄り添い深い思いやりに動かされて何かしょうとしてくれます。本当に素晴らしい方ですね。やもめには世話してくれる夫がいません。孤児には養い守ってくれる親がいません。外国人には頼れる人がいません。それでエホバが代わりにそういう存在になりました。詩編68:5の次の表現に注目して下さい。「孤児の父やもめを保護する方、それは聖なる住まいにいる神」エホバ自ら必要な役割を引き受けました。父親や保護する方になりました。自分の保護している人をどれほど大切に思っているでしょうか。出エジプト記22:22-24を読みます。「どんなやもめや父親のいない子供も苦しめてはならない。もし苦しめるようなことがあってその人が私に向かって叫ぶなら、私は間違いなくその叫びを聞く。私は怒りに燃えあなたたちを剣で殺す。あなたたちの妻はやもめになり子供たちには父親がいなくなる。」この節について「ものみの塔」誌にはこうあります。「注目すべき点として、エホバはこの律法の施行をイスラエルの裁き人に任せてはおられません。か弱い子どもを食い物にする者がいるなら神ご自身が裁きを執行なさるのです。」恵まれない人や立場の低い人のためにエホバが何をするかが分かりますね。エホバは自分の責任としてこういう人たちを守り面倒を見ます。エホバ自ら足りないものを埋め合わせてくれるということです。エホバが恵まれない人を守ることを自分の責任と見ていることは格言19:17からも分かります。「立場が低い人に親切にする人はエホバに貸しており、神はその行いに報いてくださる」この聖句からエホバの考えを読み取ってみましょう。まず私たちはいろんな場面で立場が低い人に親切にできます。何かしらの手助けをしたり、元気づけたり不利な扱いを受けて困らないよう守ってあげたりできます。さっきも考えたようにエホバは恵まれない人たちを世話することを自分の責任と見ています。それで私たちが立場の低い人を助けるとき、エホバに与えていることになります。エホバは自分のすべきことを手伝ってくれたと見るからです。さらに私たちからもらったとではなく借りたと考えます。もらうことと借りることにはどんな違いがありますか。返す必要があるかどうかです。考えてみて下さい。私たちが恵まれない境遇にいる人を助けるとき、エホバはただの人間に過ぎない私たちに借りができたと考えます。恩義を感じ良いもので報いることで返してくれます。エホバが恵まれない立場にいる人をどれほど深く気遣っているかよく分かりますね。もう少し掘り下げてみます。エホバは恵まれない人を愛し思いやっているのでその人たちを守る律法をイスラエル人に与えました。こういう律法を読むとエホバがいわゆる弱者の実情をよく分かっていて助けたいと思っていることが伝わってきます。2つ見てみましょう。1つ目は物を担保として受け取ることについての律法です。出エジプト記22:26,27にはこうあります。「仲間の服を担保として受け取る場合、日没までに返すべきである。それはその人にとって体を覆う唯一の服だからである。彼は何にくるまって寝るのだろうか。彼が私に向かって叫ぶ時私は必ず聞く。私は思いやりがあるからである。」貧しくてお金を借りざるを得ないイスラエル人への優しい配慮が伝わってきます。でもやもめにお金を貸すときにはさらなる配慮が要求されていました。申命記24:17です。「外国人居住者や父親のいない子供に関してゆがんだ裁きをしてはなりません。やもめの服を担保に取ってはなりません。」イスラエル人は誰もやもめの服を担保として取るべきではありませんでした。やもめが体を温める服を奪われて一晩過ごすなどということが絶対にないようにしてほしいとエホバは思っていました。本当に愛情深いですね。こういう律法から恵まれない人に対するエホバの特別な愛や気遣いが感じられます。弱者を守るための律法の2つ目を考えてみましょう。今度はイスラエル人が罪を許してもらうためにエホバに捧げた犠牲についての律法です。私たちが知っているように罪が許されるために血はとても大切です。レビ記17:11に「血が⋯⋯贖罪を行う」とある通りです。でもエホバはとても貧しい人のために救済措置を設けました。レビ記5:11です。「もしヤマバト2羽か若いイエバト2羽を差し出す余裕がなければ罪のために上等の麦粉2.2リットルを罪の捧げ物として持っていかなければならない。」「ものみの塔」誌にはこうありました。「エホバは非常に貧しい人のために例外を設け血が流されることのない捧げ物でも受け入れることにされました。イスラエルでは贖いの祝福や神と和睦する特権を貧しいがゆえに得られないということはなかったのです。」こうもあります。「そうだからといって貧しい人の差し出す麦粉の捧げ物には価値がなかったということにはなりません。エホバはそのような捧げ物の背後にある謙遜な進んでささげる精神を高く評価されたに違いありません。貧しい人々も含め国民全体の罪は年ごとの贖罪の日に神にささげる動物の血によって覆われたのです。」ここから分かるようにエホバは恵まれない人を愛し思いやっているので、無理なことを求めたりはしません。貧しい人にもできることがありました。犠牲を捧げてほかのイスラエル人と同じように爽やかな気持ちになれました。ここまででエホバが恵まれない人を世話することを自分の責任だと考えていることが分かりました。エホバが必要なものになってくれます。私たちが弱い人を助けるときエホバはそれを自分への貸しと見ます。イスラエル人に与えられた恵まれない人を守るための律法からもエホバの愛と思いやりの深さが感じられます。考えたいことがあります。エホバが恵まれない境遇にいる人をここまで大切にしているということが分かると皆さんはどんな気持ちになりますか。そんなエホバにますます引かれるんじゃないでしょうか。愛さずにはいられなくなりますね。弱い人へのエホバの愛や気遣いはこの世界の風潮とは全く違います。どうしてそう言えますか。今の世の中では恵まれない人たちは食い物にされています。弱い人は搾取され続けています。では注目を浴び称賛されているのはどんな人でしょうか。容姿がいいお金持ち才能がある面白いカリスマ性があるそういう人たちですね。逆にそのどれにも当てはまらない人、特に恵まれない人はたいてい大事にしてもらえません。でもエホバはそういう目立たない人のことをちゃんと見ていて大事にします。では次のポイントです。今考えてきたことが分かると不利な境遇にいるとしても安心感を持てるのはどうしてかということです。

⇒いや、分かるんですよ。律法では恵まれない環境にある人に対する規定が、非常に愛あるものだったって。ただ、現在、弱い立場の人たちが搾取され続けているってのはちょっと広げ過ぎじゃないのかな、と。

この話の最初にこんなことをお尋ねしましたね。自分は恵まれていない不利な環境にいると思うことがありますか。古代イスラエルのやもめや孤児や外国人居住者のようだと思うことがありますか。今ではモーセの律法に挙げられていたこの3種類の人たちにもっといろいろな人たちを含められるかもしれません。例えば今も私たちの中にはやもめの姉妹がいます。そういう仲間のことを大切に思っています。でも夫にきちんと養ってもらっていなかったり身体的心理的な虐待を受けたりしている妻たちも言ってみればやもめのようではないでしょうか。本来夫から得られるはずの保護や安心感が得られないからです。離婚したり夫が家族を見捨ててしまったり死んでしまったりして1人で子育てをしているやもめもいます。孤児にもいろいろな子供たちが含められます。ひとり親家庭の子アルコールや薬物の依存症になっている親の子、重度のうつ病やほかの深刻なメンタルの不調を抱える親の子などです。本来両親から受けられるはずの十分な世話が受けられないという意味で孤児のようです。外国人はどうでしょうか。頼れる人がいなかったり法的な保護が限られていたりして不利な立場にいます。国の少数民族の人たちも含められるかもしれません。いろいろな場面で偏見を持たれたり差別されたりしているからです。また普通なら受けられるはずの保護を受けられなかったりほかの人と同じようなチャンスが平等に与えられなかったりする人も含められます。貧しい生活を送っている人体の不自由な人教育や手に職を付けるための訓練を受けられなかった人、子供の頃の恵まれない環境のせいでいろんなチャンスを奪われてきた人などです。そういう人はほかにも挙げることができます。あなたも自分は恵まれていないと感じるかもしれません。先ほど見た弱い立場にいる人へのエホバの優しい気遣いは全部あなたにも向けられています。エホバは皆さんのことを大切に思っています。イスラエルにいたやもめや孤児や外国人居住者と同じようにです。

⇒これね、私自身が、母子家庭で育ったJW二世だから実感してるんですけど、会衆がヒラ信者の子どもを気遣って世話するなんてのは、少なくとも我が会衆では絵空事でしかなかったすね。シングルマザーで子ども2人育ててた我が母は、フルタイムの仕事して、そりゃ、くったくたになって帰ってきてから集会に出てましたよ。当然開拓なんてできるわけもなく、補助だってほとんどやってなかったんじゃないですかね、当時は補助でも要求時間は60時間だった訳ですから。集会行けば、専業主婦の開拓者長老妻が徒党組んでて、ヒラ姉妹が入るスキなんて、針の穴ほどもなかったわな、と。何が、エホバは大切に思ってるだよ、だったらその証拠を見せろよ、と、振り返って思いますね。

そして自分の責任として皆さんを世話し守ってくれます。イザヤ57:15にはこう書かれています。「永遠に生きていて聖なる名を持つ至高の方はこう言う。『私は高く聖なる場所に住んでいるが打ちのめされた謙遜な人たちと共にいる。謙遜な人たちを元気づけ打ちのめされた人たちの心を力づけるために』」。エホバは打ちのめされた謙遜な人たちと共にいるとあります。あなたのことをただ遠くから見ているのではありません。来たと思ったらすぐ帰ってしまうわけでもありません。むしろ座ってゆっくり落ち着いてあなたと一緒にいてくれます。でも何のためにそばにいるんでしょうか。あなたの心を力づけるためです。あなたのことを深く気遣っているということです。これまでそんなふうにエホバから優しく助けてもらったことがありますか。もちろん今の世の中では私たちがどんな困難にも遭わないようエホバが守ってくれるということは期待できません。でも耐えられるよう助けられてきたんじゃないでしょうか。そのために必要なものが与えられてきたんじゃないでしょうか。ぴったりのタイミングで祈りが聞かれてきませんでしたか。自分にはこれが必要だと思えるような聖句や記事がちょうどいい時に見つかるということもあったんじゃないでしょうか。助けを必要としている時にエホバが兄弟姉妹を使って優しい言葉を掛けたりサポートしたりしてくれたということもありましたか。エホバがあなたと共にいるということです。独りぼっちではありません。エホバが元気づけてくれます。エホバはあなたを世話することを自分自身が果たすべき責任だと見ています。あなたのことを本当に大切に思っているからです。エホバを愛せずにはいられません。恵まれない人のためにエホバがしてくれることはほかにもあります。希望を与えてくれます。いつまでも理不尽な目に遭うことはないということです。新しい世界では恵まれない人はいなくなります。むしろみんながエホバから恵みを受けられます。詩編145:16にこう書かれている通りです。「あなたは手を開いて生きている。全てのものの願いをかなえる」。目立つ人や人気のある人だけではなく「生きている全てのものの願いをかなえる」とあります。もちろんあなたの願いもです。「ものみの塔」誌にはこうあります。「[神]は間もなく数々の素晴らしい約束を果たして下さいます。その時今の問題や試練を思い出すことはないでしょう。パラダイスで得られる祝福はわたしたちの想像をはるかに超えたものであるに違いありません。最高の幸福を味わ[う]ことができるのです。」パラダイスには不十分なことも不公平なことも全くありません。一人残らずみんなが恵まれた人になれます。そして弱い立場にいる人を保護する神エホバがたたえられます。

⇒だから、144,000歩譲って、青いロゴの神様が居たとしても、ただ、遠くから見てるだけなの。祈りも聞かれないの。以上!

この話からエホバがあなたを優しく気遣いいつもそばにいてくれるということが分かって慰められ安心感を持てたんじゃないでしょうか。皆さんがどれだけ不利な境遇にいるとしてもエホバはいつも守ってくれます。エホバは自分のもとに避難してくる人のために素晴らしい最高の将来を用意しています。エホバは昔やもめを気遣ったのと同じように今も大変な思いをしている兄弟姉妹のすぐそばにいます。妻を亡くすというとてもつらい経験をしたコルトにエホバがどんなふうに寄り添ってくれたかを見てみましょう。


ミリアムと私は一緒にエホバに仕えて素晴らしい経験をたくさんしてきました。いろんな所に行きました。パラグアイ、ナイジェリア、ザンビアなどです。その後パタソン・べテルで奉仕するよう招待を受けました。それで荷物を全部まとめてカリフォルニアからパタソンに引っ越しました。でも数カ月もしないうちにミリアムがALSだと分かりました。ショックでした。カリフォルニアに戻って治療のためにできることは何でもしました。でも残念ながらミリアムは亡くなりました。もうどうしょうもなくつらかったです。一番の親友でした。ある姉妹が私を励まそうとして1枚のカードをくれました。詩編18:29が書かれていました。こんな言葉です。「神の力によって城壁をよじ登れる」。確かに壁が立ちふさがっているように感じることがあります。手を掛ける所がなくて登れません。私たちにはそう見えるかもしれませんが聖句はこう言っています。「神の力によって」城壁をよじ登れる。開拓奉仕に打ち込みました。そうしているうちにほかの奉仕もしてみたいという気持ちが湧いてきました。ベテルでの一時的な奉仕を目標にしました。ベテルでまた働けてうれしいです。毎日エホバのために働いています。兄弟姉妹との絆も強くなりました。みんなは元気をくれます。建設プロジェクトで一緒に働いているとやる気が出てきて気持ちもポジティブになります。会衆で長老として奉仕しています。牧羊訪問をしていると自分のことではなく兄弟姉妹のことに目が向きます。どうやったら仲間を助けられるかということを考えていられます。兄弟姉妹と伝道することからもいつも元気がもらえます。みんなも大変な中で頑張っています。悩みや心配があったり体の調子が良くなかったりします。一緒に奉仕していると力づけ合えます。お互いに「励まし合う」ことができます。ミリアムも私も聖書をよく勉強していました。いつも2人で一緒にそうしていました。考えたことを話し合ったり調べて分かったことをシェアしたりするのが好きでした。聖書を学ぶことは私にとって、ますます大切になっていると感じます。今も聖書から宝を探し続けています。2人で一緒に楽しんでいた大切な時間だからです。エホバを崇拝する良いルーティンを守っています。健康でいるためのルーティンもです。週に3,4回はマウンテンバイクに乗っています。エホバが造ったものに囲まれながら山道を登っていきます。じっくり祈ったり考えたりする時間が取れます。エホバに話し掛けて気持ちを聞いてもらえます。今はみんな大変な毎日を乗り越えていかないといけません。でもエホバはとっておきのものを用意してくれています。パラダイスでの素晴らしい生活です。エホバは私が城壁をよじ登って前に進み続けられるように助けてくれています。
コルトはできることに打ち込んで人のためになることをしています。そんなコルトをエホバは支えています。エホバはあなたにも同じようにしてくれます。いろいろな理由で配偶者を失う人がいます。あなたもそのさみしさと闘っていますか。エホバがどのように助けてくれるか次の朝の崇拝から学びましょう。


⇒この経験は、あえて何か言及するのはやめておきます。このBもいろいろ辛いでしょうから。ただ、この後のプログラムで、モーセ時代のビデオが流されるんですけど、亡くなった奥さんの名前が「ミリアム」っていうのは、あえて合わせたんですか?それとも偶然?

イエスが死んで28年ほどたった頃のことです。使徒パウロは兄弟姉妹を慰めたいと思っていました。それで今日の聖句でエホバがこんなふうに約束してくれていると教えました。「私はあなたをあなたの働きや愛を忘れません。」エホバが忘れないということがみんなにとって慰めになるのはどうしてでしょうか。人にあなたのことをあるいはあなたがしたことを忘れませんと言うとしても誰に言うか。どんな状況で言うかで意味が変わってきますね。それで今日は特に次の言葉の意味について考えます。「エホバは忘れない」。そして夫を亡くした姉妹たちや夫がエホバから離れてしまった姉妹たちに向けて話したいと思います。そういう愛する姉妹たちの助けになればと願っています。昔のユダヤにもやもめたちがいました。皆さんと同じように夫を亡くして傷ついていただけでなくいろいろな変化を受け入れなければいけませんでした。やりくりは大変になり心ない視線を向けられることもあったはずです。ではこれから3つの質問を考えます。まずエホバがザレパテのやもめを忘れていなかったと言えるのはどうしてですか。次にエホバが今も姉妹たちのことを忘れていないと言えるのはどうしてですか。最後にエホバが覚えてくれていることはどのように私たちみんなのためになりますか。まずエホバがザレパテのやもめを覚えていたと言えるのはどうしてか考えます。列王第一17章をご覧下さい。ご存じのように干ばつが起きたので神は預言者エリヤにザレパテに行くように言います。その町の1人のやもめに助けてもらって生き延びられるようにするためです。エホバはこの時点でザレパテのやもめに注目していたということです。エホバは見ていて彼女なら自分の願う通りのことをしてくれると思っていました。やもめの可能性を見ていました。この貧しいやもめはどうするでしょうか。列王第一17:15,16を読みます。「彼女[やもめ]は帰ってエリヤに言われた通りにした。彼女もエリヤも彼女の家の人も皆何日も食べた。麦粉の大きなつぼも油の小さなつぼも空にはならなかった。エホバがエリヤを通して語った言葉の通りになった」。エホバは奇跡でエリヤが食べていけるようにします。やもめのことも忘れていません。この女性を救う方になりました。やもめは食べて飲んで生き続けることができました。しばらくしてからもエホバはやもめのしたことや信仰を忘れていませんでした。どんなことからそれが分かりますか。女性の息子が亡くなった時エリヤはエホバにその子を生き返らせてほしいと言います。17:22-24を読みます。「エホバはエリヤの願いを聞き入れその子に命が戻りその子は生き返った。エリヤはその子を連れて屋上の部屋から家の中に下りその子を母親に渡してこう言った。『見て下さい。あなたの息子は生きています。』彼女はエリヤに言った。『私は今本当に分かりました。あなたは確かに神に仕える人であなたが語るエホバの言葉は真実です。』」やもめはどれほどうれしかったでしょう。エホバはこの女性のことを忘れていませんでした。やもめの悲しみを癒やす方になりました。それだけではありません。息子を生き返らせることによってやもめが年老いてからもきちんと世話してもらえるようにしました。そうやって必要なものを与える方になりました。ルカ4章でイエスがこのやもめにポジティブに触れていることから女性は残りの人生もエホバに仕え続けたものと思われます。エホバは今もやもめのことを覚えていて間もなく生き返らせます。その時女性はどれほど喜ぶでしょうね。こういう例からエホバがどんなふうに覚えてくれているか分かります。人の一番のニーズにぴったり応える方になってくれます。では次にエホバが今も姉妹たちのことを忘れていないと言えるのはどうしてでしょうか。エホバが皆さんのために何になってくれるか3つの聖句から考えましょう。最初はヨハネ14章です。以前皆さんのことを褒めたり元気づけたりしてくれた夫が今はいないということをエホバは分かっています。ではイエスが愛され良いと認められていると感じられたのはどうしてでしょうか。お父さんエホバの「あなたのことを喜んでいる」という言葉を聞いたからです。そのイエスが皆さんにこんなふうに語り掛けています。ヨハネ14:21でこう言っています。「私のおきてを受け入れてそれに従う人は私を愛しています。さらに私を愛する人は父に愛されます。そして私はその人を愛して自分のことをはっきり知らせます。」エホバは皆さんを愛しています。でもサタンは私たちの心に疑いの種をまこうとします。それを許してエホバに喜んでもらえてないなどと考えてはいけません。兄弟姉妹が褒めたり愛情深く接してくれたりするときそれがエホバから来ていることを忘れないで下さい。エホバは皆さんの愛と働きを覚えているので仲間を通して力づけてくれます。2つ目は詩編68編です。エホバは皆さんが守られ安心できるようにしてもらう必要があることを分かっています。それで保護する方になってくれます。詩編68:5を読んでみましょう。エホバは「孤児の父やもめを保護する方」とあります。天のお父さんから特別に守ってもらえるということです。例えばエホバとの絆を壊すものから守ってくれます。私たちがエホバを悲しませることを避けてエホバとの友情を守るために必要なものを与えることによってです。聖書や聖書に基づく読み物を通して愛情深く導き守ってくれます。3つ目の聖句はヘブライ13章です。夫がいないとどうやって生計を立てていこうと心配になるかもしれません。でも実際はどうでしたか。ヘブライ13:5の最後で使徒パウロが書いているエホバの約束の通りになってきたんじゃないでしょうか。エホバはこう約束しています。「私は決してあなたを離れず決してあなたを見捨てない」。エホバはあなたの働きや愛を覚えていて必要なものを与える方になってくれます。仲間があなたを助けようとするのはエホバがあなたを覚えているからです。助けをぜひ受け入れて下さい。自分が何を必要としているか兄弟姉妹に遠慮なく伝えて下さい。エホバは皆さんの働きや愛を忘れません。元気づけ良いと認めてくれます。保護する方必要なものを与える方になってくれます。そんなふうにして覚えていてくれます。最後はエホバが覚えてくれていることはどのように私たちみんなのためになるかということです。今考えてきたことは特に目新しいことではなかったはずです。たとえそうだとしても毎日生きていく中でエホバからこんなふうに語り掛けてほしいと思う瞬間が誰にでもあるんじゃないでしょうか。「私は見てますよ。あなたの働きや愛を見ています。あなたのことを忘れていません。」そんなふうに思うとき何ができますか。神の言葉を頭と心に染み込ませて考え方や感じ方をそれに合わせていかなければいけません。どうすればいいですか。聖書を読むときに心の奥深くが動くようにしましょう。読んだことについて考えるときにはこんなふうに自分に問い掛けて下さい。今読んだことを本当に信じているだろうか。聖書に書かれているエホバが自分に仕える人たちにしたことは決して例外ではなくエホバはいつも同じようにしてくれると確信しているだろうか。自分もこういうことを見たり経験したりしてきたんじゃないだろうか。エホバが聖書を通して私に直接語り掛けてくれていると信じているだろうか。こういうことをじっくり考えていくと神の言葉は私たちそれぞれに深い意味があるんだと感じられるようになります。もっともっと自分の考えを神の考えに合わせられるようになります。ザレパテのやもめの例からエホバがやもめたちのことを覚えていてその愛と良い働きとを忘れていないということが分かりました。エホバはいろいろなものになることで助けています。愛する姉妹たち。これからもエホバを必要なものを与える方保護する方と見て下さい。エホバは皆さんを愛していてそのことを確信できるように助けてくれます。たとえ見捨てられたように感じるとしてもあなたは独りではありません。エホバは見ていて愛してくれます。

⇒「兄弟姉妹が褒めたり愛情深く接してくれたりするときそれがエホバから来ていることを忘れないで下さい。エホバは皆さんの愛と働きを覚えているので仲間を通して力づけてくれます。」って自信満々で言ってますけど、じゃぁ、仲間から来る厳しい仕打ちも、神から来るって理解でオケ?

確かに自分は悪くないのに苦しい目に遭うことがあります。でも過ちを犯したせいで苦しむこともあります。何ができますか。信仰を持つ女性ミリアムから学びましょう。
過ちを犯して正されるのはつらい経験になることがある。それを感謝して受け入れるには信仰が必要だ。モーセ、ミリアム、会いたかったよ。元気そうでよかった。いよいよだ。海の中、馬と乗り手を神の手で。エホバ、輝かしい方、どうか見捨てないで下さい。ミリアム。あらこんにちは。ミリアムはイスラエルの宿営で有名な女性だった。2人の弟とも仲が良かった。モーセとアロンである。エジプトで奴隷だったイスラエル人がそこから脱出する頃までにみんなミリアムのことを愛し尊敬するようになっていた。わ!おおそれなあに?チッポラが帰ってきたよ。チッポラだ。おかえりなさい。ありがとう。あれがチッポラ?チッポラ。ミリアム。おかえり。チッポラ。アロン。戻ってきてくれてよかった。最初のうちはミリアムもチッポラが戻ってきたことを喜んだに違いない。チッポラはもう慣れたでしょうかね。そうね。なんかみんなうれしそうですね。でもやがてミリアムの考えはプライドのせいでゆがんでいった。不安に駆られたのかもしれない。ありがとうチッポラ。イスラエルで一番目立った女性という立場を奪われるのではないかと、ミリアムとアロンはネガティブなことを話すようになった。あの人クシュ人よね。でもモーセの妻じゃないか。まあね。けどイスラエル人じゃない。モーセも影響受けてるのよ。最初はチッポラのことを批判していた。でも話はすぐにエスカレートし、モーセに矛先が向いた。みんな導いてほしいと思って私たちを頼りにしてるでしょう?ミリアム、導いているのはエホバだよ。全然分かってないのね。ミリアムちょっと待って。何でこんなひどい荒野にいるの。モーセがおかしいって言う人もいるみたい。結局ここもエジプトと変わらないんじゃない?リーダーが変わった方がいいかも。モーセにリーダーを任せてていいと思う?エホバは私たちに立ち上がってほしいと思ってるんじゃない?みんなも絶対そう思ってる。ここでずっと苦しんでる。エホバは私たちに立ち上がってほしいと思ってる。エホバが話したのはモーセを通してだけでしょうか。私たちを通しても話したのではありませんか。3人とも会見の天幕の所に出なさい。私の言葉を聞いてもらいたい。私に仕えるモーセについてはそうではない。私は顔を合わせて彼に話し彼はエホバの姿を見る。それなのにどうしてあなたたちは恐れずに私に仕えるモーセを非難したのか。お願いです。どうかこの罪を私たちに負わせないで下さい!私たちは愚かなことをしました。どうかミリアムを死んだ者のようにはしておかないで下さい。神よ、どうか姉を癒やして下さい!お願いします。彼女を7日間宿営の外に隔離しなさい。その後連れ戻してもよい。エホバあなたは至高者です。民を導くためにあなたが選んだのはモーセです。私はモーセにもあなたにも不敬なことをしました。どうか、どうか、お許し下さい。間違いをしたとはいえエホバはミリアムのした良いことを忘れていなかった。この子に乳を飲ませるためにヘブライ人の乳母を呼んできましょうか。いよいよだ。エホバがあなたを助けてくれますように。アロンのこともエホバが誰かを正すのはその人を愛しているからだ。ミリアムは信仰があったので正された時受け入れることができた。ミリアムはエホバとの絆を取り戻しその後も長い間エホバに仕え続けた。ミリアム。よかったね。エホバは何百年もたってからもミリアムの立派な信仰を覚えていた。預言者ミカを通してイスラエル人にこう言った。「私は⋯⋯奴隷となっていた土地からあなたを救い出した。あなたの前にモーセ、アロン、ミリアムを遣わした。」正された時謙虚に受け止めたミリアムはエホバとの絆を強くできました。深刻な過ちを犯したとしても諦めないで下さい。エホバがあなたのことを諦めていないからです。


⇒この話を、あえて映像化せなあきませんかな?無駄にAV施設なんかおっ建てるから、撮影のために使用せざるを得ないんでしょうがよ。究極のマッチポンプやな。

世界には不公正があふれています。そういうことを目の当たりにするとどう感じますか。10代の2人がどうやって穏やかな気持ちを取り戻したか見てみましょう。
不公正や差別をなくしたいと思ったのはどうしてですか?以前南アフリカでは法律で人種が差別されていました。法律が変わったからといってみんなの心の中までが変わったわけではありません。まだ偏見を持っている人がいて、私の見た目や話し方やどこに住んでいるかで判断されてしまうことがよくあります。だからどこに行っても居心地が悪いです。みんな必要なものが手に入らなくて困っていました。生活環境がとても悪くて水も手に入らない人がいました。どうにかしてあげたいと思いました。そんな時状況を変えられるという政党が幾つも出てきました。口には出さなくてもだんだん心の中でそういう人たちを応援するようになりました。抗議活動の力って結構大きくて、すごく心を揺さぶられます。肌の色や文化の違う人が男の子も女の子も一致団結して平等な社会のために闘っているんです。私も一緒に社会を変えたいと思いました。どんな気持ちの変化がありましたか?コロナのせいで自由に外出できなくなりました。家の中でいろいろやってましたが、テレビも見てました。そんな時伝道中に見ていたことを思い出しました。女性や子供お年寄りや移民がひどい扱いを受けていました。何かしてあげたいと思いました。私の学校でも抗議活動がありました。自分はエホバの証人で参加できないのは分かっていたからちょっともどかしかったです。見ていることしかできなくてなんか悪いなって思いました。どうでもいいなんて思っていないのにほかの人からそう思われたくはありませんでした。私は世の中の不公平に過敏になっていました。こんなことがあってもいいのかと思わず言ってしまうこともありました。親はそのことに気付いてJWBroadcasting®の動画や家族の崇拝の時間を使ってこの問題について考えるよう助けてくれました。「愛は決して絶えない!」という2019年の大会はすごく良かったです。「愛があれば全てのことを信じる」という話が心に刺さりました。私たちは兄弟姉妹を愛しているのでお互いがお互いの最善を願っています。そのことを信じてネガティブであら探しをするような考え方はやめなきゃって思いました。そうしてみるといろんな人ととっても仲良くなれるんです。兄弟姉妹の愛を実感するためには心から兄弟姉妹を愛して自分も仲間の愛を受け入れることが大切です。エレミヤ10:23が心に残りました。「人は⋯⋯自分で自分の歩みを導くことができない」という言葉です。この聖句から人の手では何も変えられない、ということに気付かされました。これまでもそうでした。し今でも変えられていません。抗議活動やSNSで応援するとしたらそれは沈んでいく船に色を塗るようなものです。この沈みかけた世界を何とかしょうとしても意味はありません。今はどのように不公正と闘っていますか?自分には見ていることしかできないってもどかしく感じることはなくなりました。何をやっても変わらないってがっかりするんじゃなくて聖書から将来の希望を伝えることでみんなを助けることができるようになりました。ニュースで見ることをあまり気にし過ぎないようにしています。今ではフルタイムで伝道しています。エホバがどんな方か、聖書はどんなことを教えているか、そして将来エホバがどんなことをしょうとしているか、みんなに伝えています。聖書の預言やそれがどのように実現したかについて父と一緒に調べました。エホバの約束は100パーセント実現したということが分かりました。だからエホバの将来の約束も必ずその通りになります。兄弟姉妹は互いを愛しているので大変な時にも助け合っています。話す言葉が違っても出身や住んでいる国が違ってもです。だから将来も神の王国の統治の下で世界中のどこでもこうした愛があふれることを確信しています。私たちはロボットなどではないので不公正な目に遭っている人を見ると何とかしてあげたいと思います。エマとアルワンデのように本当の解決策に目を向けられるよう人を助けることに力を注ぎましょう。


⇒若人お二人には、世の中の不公平に過敏になるよりも、会衆内ではびこる不公平・不公正に憤った方がいいんじゃねぇか、ということはお伝えしておきましょう。

今月は正される時謙虚に受け止めることの大切さや愛を力にして不公平と闘っていけること、して思いがけず立ちはだかる壁もエホバの助けでよじ登れるということを学びました。ではミュージックビデオを見て今日考えてきたことを心に刻みましょう。

身動きできないほど悩みがのしかかる。父エホバあなたの支えを信じ祈ります。今日も力を下さい。風に乗り悠々と舞い上がる鷲のように。越えていく険しい山も谷も涙もエホバの力でどんなに辛くても誰かを助けられる。エホバが寄り添ってくれることを伝えたい。今日も力を下さい。風に乗り悠々と舞い上がる鷲のように。越えていく険しい山も谷も涙も。エホバの力で。風に乗り悠々と舞い上がる鷲のように。越えていく険しい山も谷も涙も。エホバの力で。風に乗って。エホバの力で。


⇒もう、MVはいいです。うぇ。しかし、どこかで聞いたことがあるメロディーだなぁ…。

今月のビデオレターはカナダからです。雪に覆われた山々透き通るような湖広大な草原がある国です。世界中から観光客が訪れます。ヘラジカ、アメリカクロクマ、トナカイなどを見るためです。恐竜の化石がたくさん発掘されている場所もあります。世界でも最大規模です。カナダに来たら地元の食べ物も外せません。これはフライドポテトにグレイビーソースとチーズをかけたプーティンという料理です。メープルシロップを使ったスイーツもあります。カナダの海岸線は世界最長です。そしてそこには兄弟姉妹が伝道に取り組んできた長い歴史があります。1930年にはチャーミアン号という強力なスピーカーの付いた船が沿岸の地域に聖書の講話を流すために使われるようになりました。1940年代には伝道者がニューファンドランド島とラブラドルを行き来するのに「王国丸第1号」という船が使われました。今も兄弟姉妹の熱い気持ちは変わっていません。ニューファンドランドの漁師町でもノバスコシアの灯台の下でもブリティッシュ・コロンビアの港でも伝道しています。カナダでは2023年に伝道者と開拓者の人数が過去最高数になりました。オンタリオ州のカーサ・ローマ会衆の兄弟姉妹が世界中の仲間に愛とあいさつを送っています。エホバの証人の世界本部からJWBroadcastingでした。

⇒今回はカナダですか。プーティンは美味そうですけど、名前がなぁ・・・。北の王の支配者に似てね?

ということで、今日も、先月に引き続き大した内容ではございませんでしたでしょ。はい、私もやはりそう思いますよ。
先週末は、台風の中、地区大会も一部開催されたそうですが、米国タンパで行われた国際大会の様子を見ると、あぁ、この教団も、モーセ時代の金の仔牛像崇拝のように、見える物に崇拝を捧げるようになったんだなぁ…という思いを強くする今日この頃ですが、これから大会に参加される方におかれましては、くれぐれも、地区大会など、真剣に聞くプログラムではないよ、ストリーミングで充分だよ、ということを申し上げまして、挨拶の言葉とさせていただきます。

それでは皆さま、各種自然災害の恐れが報道されている中ではございますが、健やかにお過ごしくださいませ。