昔、音楽関係の先輩から、
「うちらミュージシャンは夢を売る職業。あまりプライベートを詳らかにするもんでない」
みたいなこと言われて、当時、まだ若かったし、ああ、なるほどなとも思ったもんだ。
それにさ。まだ神奈川時代自体なって年数経ってなかったってのもある。それと生い立ち。
(……これを言ったらバカにされんじゃねーか。白い目で見られんじゃねーか)
って、意識的にしろ、無意識的にしろ、おれは表面の笑顔だけを取り繕っては、いつもみんなに警戒し、見せまいと頑なだったんだ。
ともかくそういった類のことは、それまでと等しく、彼女を作って。その子だけに見せたり、投げつけたりすればいいし、したい(切実)。
だからこそ、いない歴を更新する度にジリ貧していく自分がいたよ🤔
そして、今回も、行政も福祉も、親父やおばーのとき同様に、口ばっかりで誰もあてにならねーとくれば尚更、あらゆる意味で、自衛のためにぶっちゃけた🤔
実際、
(湘南で暮らしてみたらどんななんだろう😋)
なんていうシミュレーションには実になったと思う。
そして、そもそもおれは、これも家族のトラブル(この場合、特にクソ亡母💢)で、神奈川に住みたくもないのに住むはめにされてしまった人間だ。
だからこそ、自分に宛がわれた空虚だった部屋をどこか必死にすらなって「自分色」に染め上げ、ここでの暮らしを楽しもうと思った。
そして、あれだけ帰りたがってた自室なわけだけど、一応、一区切り付けさせて戻れた現在、その自室に対して、かつてのような感情は色あせてしまった。
部屋なんてまたいつでも作れると思うようになった。
そもそも、この避難生活中にボトムズアップすら消えた横浜には、もはやなんの未練もねーよ。
アコギと三線さえあれば、おれはどこでもいいんだと思う。あとのことは知ったこっちゃねーし。
で、十年ちょい前まで、時に体を張って、行き場のない、そんなおれを癒してくれた当時の彼女たち(どんなことしてくれたかは、各小説に織り込んでるので、興味あんならどうぞ)には感謝しつつも、いざとなったらおれには仲間たちがいるってよくわかったんで、もう願望はジリ貧でもないかなーって感じ🤔
むしろもはや死ぬまで二次元でいいかと(´^ω^`)ブフォwww
(´^ω^`)ブフォwww