
やー。今日も実にいい稽古だったなー!
結論として、練習は裏切らない、そんな触感も得た、いい日だったー!モンチカ先生いつもありがとうー\( ¨̮ )/

さて、で、こっちにも久々に呟いてみた、これのことを、帰りは改めて考えてみたりしてた。

まあまあ、ざっくり言って、水面下で、色々やってはいるわけさ(目が本気)。
音楽にステ振りは改めて結構戻ってるとはしてもさ。

でもなんて言ったらいいかねー。結局、どこかで、ときに意識的、無意識的関わらず、病質なほど母性を渇望する誰かが有ったとして、そしてそんな相手のことを同情みたいな感じで受け入れる、受け入れてやろうとする、もう一人のキャラがいるー、みたいな、自分の経験した事であり、多分、これまで多くの女性がそうして癒してくれようとしたのに、尚、残る自分の傷に、ちょっとうんざりするー、みたいな展開しか生まれてこないのも、なんだかねー、みたいな?

おれがアル中サイコパスだった父親(クソ)のみならず、ひとしくアル中サイコパスだった母親(更にクソ)に捨てられた捨て子であることは事実だ。

いろんなことを思ったと思うし、これはノベプラにエッセイとして書いたかもしれないけど。

ざっくり言って。
長編小説六本も書けば、そして、そこにそういった類のこと、手を替え品を替えぶっ込めば、書き終わる頃には、なにか心境の変化でもあるんじゃないかねーと思ったわけさ。
だってある意味、六回も同じこと繰り返しぶち撒けたんだからさ白目

達成感は、ある。
小学時代から悲願だった歴史小説まで書けたんだからさ。でも、結局、もう二人とも死んじゃってるのに、更に死ね🔥って感情、消えないってば😥

こんなクソみてーな世界に頼んでもないのに、好き勝手やって産み落としやがってって気持ちも、変わらないしやー😥

まあ、世の中、性善説だけで成り立ってないよねって見抜けるスキルついたのは、よかったんかねー😥わからんってば。

トラウマー、怖っ白目
でもまあ、とりあえず、なんか生きてるからさ、おもしろいことをさ、ひとつ、ひとつーだわけ。