先ずひとつとしてこれがあげられる。
相次ぐ死によって、家族としてのパイ数が圧倒的に少数となってしまった、ということもあげられるが、これまでもそして今回も。例えば口で言うことだけは言うが、何一つ具体的な手助けは無し。
それでも祖父母や親に関しては直系に関わることなので、一手に引き受け、尻拭いまでしたつもり。今回は叔母である。寧ろ他人だ。そして私も人間であり感情がある。正直、「やってらんねー🔥」という一言に尽きる。
統失という病気に対して。
この、この日まで、誰も頼りにならん分、理解につとめてきたつもり。だがもはや限界だ。
私の怒りは止まらない。王蟲は一度走り出したらアレみたいな感じだ。
そして病気が病気故に、私にどんな実害が及ぶかもわからない(既に色々と弊害はでているが)。故に、なにか万が一のことがあったときのことを考え、ほぼ赤裸々な情報公開へと踏み切ったのである。
これもここに特筆しとく。
私が叔母の発作とはじめて遭遇したのは、小学生時代と記憶している。当時の私の実家にいた父を筆頭とした家族の間で、このクソヤロウの発作を目の当たりにしたのは自分しかいない。
祖父、祖母、叔母が住まう、即ち亡父の実家に、じいちゃんこばあちゃんこである私にとって、遊びにいくことは楽しみであったものだ。
ただ、そんなある日、叔母は散々祖母にわめくにわめき、祖母もとうとう職場にいた祖父に連絡をいれ、祖父は一度自宅に戻ってくるのである。するとこいつ、大人しくなりやがったのである。曰く「パパが帰ってくれば収まる」だとか言ってやがった。
その後、祖父は再度、職場に戻り、祖母は何を思ったのか、叔母と私に買い物にでかけるようしむけるのである。
その時、少年期の私は、まるで理解がおっつかないこともあいまい、本人に、なんであんなことをしたんだと問うた。すると、言語化も難しい、歪んだ、何か笑みのようなものを作りながら、本人は横顔のままにこう言った。
「大丈夫。全部、わざとやってるから」
「詐病」という単語は、流石に当時の私は知らなかったが、凡その発症こそあれ、本人にはここ、ここに及んで作為的なものを感じずにはいられなくなった。
ちなみに虐待を繰り返す両親からの逃げ場でもあった、祖父祖母の家に足が遠くなった原因のひとつもこれにあった、ということも明かしておく。
ただ、この日、本人御用達の介護タクシーの運転手曰く、当日をしてキャンセルの電話をよこされ、それもたまにあることながら、いつもなら「また来週お願いします」というところを、「改めて連絡します」などと言われたので、運ちゃん曰く首をかしげたとのこと。
統失という病気にまだまだ理解の及ばない私であるが、この、どこか言葉を選ぶチョイスに、私としては少年期に垣間見た、本人の詐病アピールともにした歪んだ横顔を思い起こさずにはいられない。
そして本日、こんな感じらしい。
とりあえず、本日の帰宅を予定していたので、前夜は、僕のリクエストでもあった生春巻きパーリーなんてのもやってもらったんすが、とりあえず帰宅は明日におあずけってことになりました🥲
ただ、ケアマネ、ケースワーカー、病院、横浜市との連携も密に、いよいよ、大阪城の堀を埋めるがごとくというところまでは来ています!
少なくとも明日!ヤマはうごく!
以上、自主防衛のための記録。