さて…


昨日は東京が豪雪地帯となり…外にも行けずで

またまた歴史系とかとか。


■前、書いた江戸時代の悪口論はコチラ 


江戸時代の最後の百年は人口も横ばい停滞の

全く進化のない暗黒時代とかとか…書いてて…


で、似たような記事があったです。


■最近見つけた鎖国論の記事は コチラ 


出口治明氏の原稿で、、この人も江戸時代嫌い、
上には上がいるなぁぁ~~~、、

人々の移動を原則禁止したので 通婚の範囲が
狭くなり、血が濃くなり身体が小さくなったとか

幕末時の日本人体型が歴史上最も小さいとか、、
ホントかぁぁ~~という気もしますが、、

たしかに自分の好きな戦国時代とかでは
加藤清正が六尺180センチでしたか、
デカい人が一杯いますね、たしかに。。

で、最近とけた長年の疑問系の話でして。

時は戦国時代…大航海時代…支倉常長の事でして。

太平洋を渡り、メキシコからヨーロッパへと、
伊達政宗主催の遣欧使節団ですね。

正確には1613だから大阪の陣の二年前、
江戸時代の初期ですけど、、

長年の疑問は、当時の南蛮貿易は西国の
イメージが強くて、なんで伊達政宗なんていう
仙台の殿様がそんなこと出来たのか、、

…という事でした。

自分は伊達政宗は力も野心も強くて
そのせいかと思ってましたが…どうやら違うようで。

この大航海時代では、 日本のシルバーラッシュが
よく言われてて、有名な石見銀山とかとか、

ただ日本人の悪い癖で、石見銀山が世界遺産に
なったもんだから、石見銀山スゴイスゴイと
いう話になってますが、、

実は世界的に見れば、当時、石見銀山以外にも
すごい銀山があって…それはメキシコの
ポトシ銀山、、スペイン領ですね。

で、このポトシ銀山の銀をアカプルコから
積み出して、同じくスペイン領のマニラを
経由して、中国に持って行った、、

ここからは、最近、海洋航海史系の本を読んで
知ったのですが、、

アカプルコからマニラまでは赤道上とかを
航海してくればヨシ、、

ところが、帰り道は風の関係だったか
海流の関係だかで、同じ航路だと難しいらしいす、

で、スペイン帝国が発見した新航路は
マニラから一旦、北上して北太平洋を東に
進む航路なんですね、、

で、この北上する際に、東日本太平洋側を北上する
ので、その時の寄港地として、仙台は意味がある。

なるほど~~~、、と。。

伊達政宗の偉大さだけでなく
スペイン帝国側にもニーズがあったと、、

この方が、自然に思えるです。
基本的にビジネスとかは双方にメリットが
ある場合が多いし。

やっぱり、戦国時代の方が江戸時代より
オモシロいす、、戦国日本は世界に繋がって
ますからねぇぇ、、

昔の西洋史では中世を暗黒時代と、呼んでて、
今はそんなこと言いませんが。

自分的には逆に、江戸時代を暗黒時代と
よぶべきという、気もしたりして…笑。

ですから、学校の歴史教育も
戦国時代を二十時間やって、江戸時代は二時間位で
良いかと…所詮、暗黒時代ですから…笑。

出口先生に負けない、江戸時代ディスでしたぁ。。

■本能寺の変とイエズス会の記事はコチラ