2022年8月
「青森旅①(2022年8月)(青森旅①(2022年8月))」の続きになります。
青森市にある「八甲田丸」と「あおもり北のまほろば歴史館」に行ってきました。
【八甲田丸】
1908(明治41)年に鉄道連絡船として就航した
比羅夫丸が青函連絡船の歴史の始まりです。
青函連絡船は1988(昭和63)年まで80年間にわたって青森港と函館港を結び、
1億6千万人の乗客と2億5千万トンの貨物を運びました。
これは航行距離で8千万キロ、地球の2,019周分になります。
青函連絡船最大の魅力は貨物車両を搭載する「車両甲板」で、
鉄道車両が船を通じて海を渡ることは世界的にもかなり珍しいようです。
青函連絡船は青森市のシンボルで、
歴代55隻の中でも
「八甲田丸(八甲田山系と睡蓮沼がシンボルマーク)」という
23年7ヶ月と現役期間が一番長かった船を
ほぼ就航当時の状態に係留保存した貴重な施設になります。
花岡商店
青函ワールド
行商の人たち
焼きいも屋
角巻の女
このように登場人物がいてキャプションには物語があり、
当時の雰囲気を楽しむことができます。
印度
弘前東奥義塾の教師のジョン・イング氏が
函館から食料品として取り寄せた果物を塾長や教職員にご馳走。
当時のりんごの種を翌春に塾長がまいて弟が育成しました。
ただ、来歴には様々な説があるようです。
「印度」という名前は、
「イング」やイング氏の出身地「インディアナ州」のいずれかが転訛したものとされています。
水分が少なく酸味もなく、
特有な味と香りがあるようです。
羊蹄丸の座席
操舵室
八甲田丸の号鐘
本来、号鐘は濃霧や吹雪などで視界が遮られた時に、
相手の船に自船の位置を知らせるために設けられたものです。
船員の勤務の交代時間などにも使われていましたが、
近代ではレーダーや霧笛などの設備が整ったことから「船のシンボル」となりました。
展望広場および煙突展望台からの眺め
車両甲板
統括制御室
八甲田丸
沖館川
なかなかすごい色になっています…笑
【あおもり北のまほろば歴史館】
あおもり北のまほろば歴史館
青森市を中心とした郷土の歴史や民俗を総合的に紹介する展示施設です。
国指定重要有形民俗文化財「津軽海峡及び周辺地域のムダマハギ型漁船コレクション」
と
県指定有形民俗文化財「青森の刺しこ着」(津軽こぎん刺し、南部菱刺し、裂織、つづれ刺し) を常設展示しています。
ちなみに、「まほろば」は「素晴らしい場所」や「住みよい場所」という意味の古語です。
作家の司馬遼太郎氏が青森市およびその周辺を「北のまほろば」と称しました。
ヴァイキング船
ヴァイキングはスカンディナヴィアやバルト海沿岸地域の諸族です。
「略奪者」のイメージが強いですが、
実際には優れた造船技術や操船技術をもつ才能あふれる商人で、
9~12世紀に交易で活躍しました。
ヴァイキング船の特徴は、
船体が長く喫水が浅いため高速で航行でき、
船首と船尾が対称であることからどちら側にも進行できるところです。
また、外板を重ね合わせる工法で船体が頑丈になっています。
仏像(腕部)と男性神像
北前船
江戸時代中期以降に活躍しました。
当時の大坂を起点に日本海沿岸や蝦夷地を年1往復しながら、
各地で物資を売買し利益をあげていました。
下駄スケート
下駄にスケートの刃をつけるって、
なかなか斬新ですね…笑
凍った田んぼの上も滑ることができたようです笑
漁船
稲刈り機
ハンドルについているレバーを操作して、
稲を刈り取るようです。
除草機
田んぼの上で押し進めて雑草を取り除けます。
昔の稲刈り機や除草機は初めて見ました…!
錨
刺しこ着
衣服の補強や補修をするために布を重ねて糸を刺していく「刺しこ」は、
日本各地で行われてきました。
青森市教育委員会が所蔵している刺しこ着は、
県内の江戸時代後期から昭和時代初期ごろまでの庶民の衣服を代表するものです。
「青森の刺しこ着」は、青森県有形民俗文化財に指定されています。
青森県は寒冷地で綿花の栽培には適していません。
また、江戸時代の農家倹約分限令によって、
農民は仕事着や普段着に木綿を使用することを禁止されていました。
これらのことから、麻の布目を糸で刺し綴って作った衣服を着ることになりました。
津軽地方では、補強や保温といった実用性を目的とした刺しから、
次第に「こぎん刺し」とよばれる独特の模様が生み出されるようになります。
展望台からの眺め
展望台からは青森市、陸奥湾、津軽半島や下北半島を一望できます。
青森市や青函連絡船の歴史に関するキャプションもありました。
参考: