六川陣屋(信濃国・長野県上高井郡) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

いつの間にか40代も2年目を迎えました。
この年になるとあまり嬉しくないので特にアピールせずにいたら、家族からは何も言われませんでした(笑)

さて今回は、現在の長野県上高井郡小布施町にあった六川(ろくがわ)陣屋です。



六川陣屋跡へは、都住(つすみ)駅から徒歩5~10分程度で行くことができます。


都住駅。
長野電鉄長野線が乗り入れています。
見ての通り簡易な無人駅で、自動券売機のみが設置されています。


六川大庄屋(寺島家)。
小林一茶の門人であった寺島夏蕉の家だった場所です。
この辺りの大庄屋の家ということで、由緒ある家なんだなと思いました。

1792年(寛政4年)、越後国椎谷藩第11代藩主の堀著朝(江戸定府)の代に築かれました。


椎谷藩六川陣屋跡。
陣屋跡には陣屋稲荷である奥田神社(稲荷社)があります。

藩財政がひっ迫していた椎谷藩は天明の大飢饉によって米価が高騰すると蔵米を競売にかけます。
これに反発した農民が1786年(天明6年)に一揆を起こします(天明義民事件)。
幕府の裁定で椎谷藩は1万石の内5000石を信濃国六川に移され、六川陣屋が置かれることになったのです。


高札場。
復元された高札場もあります。
何て書いてあったのかはよく読めなかったので分かりません(汗)

以後は明治まで越後国椎谷藩の采地(さいち)陣屋として用いられました。

采地陣屋は簡単にいうとその藩の領地の内、飛び地になっているところを治めるための陣屋って感じですかね。
この認識であってますか?間違ってたら教えてください。


用水堰跡。
水堀みたいなもんですかね?
周囲の所々にこういった用水が見られ、石垣跡っぽいものも見られます。

すごく短くなっちゃいましたが、この辺で終わります。
多少なりとも痕跡が残っててよかったです。

では。


御城学。