横田城(信濃国・長野県長野市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

早いもので、今日で5月も終わりですね。

新型コロナウイルスのワクチンは2回目を接種しましたが、翌朝37.7℃の熱が出て、その日一日は37.3℃くらいをキープしていまして、凄いダルさが抜けませんでした。
2日後もダルさは抜けませんでしたが、何とか仕事をこなしました。
あ、接種部位の痛みは翌日だけすごかったです。

さて今回は、現在の長野県長野市にあった城、横田城です。

先日は同じ長野市にあった横山城をご紹介しましたが、名前は似てますが違う城です。



横田城跡は現在、古殿稲荷社となっていて、篠ノ井駅東口から徒歩15~20分くらいで行くことができます。


篠ノ井駅東口。
JR東日本の信越本線と篠ノ井線、しなの鉄道のしなの鉄道線が乗り入れています。
しなの鉄道線も元々は信越本線でしたが、1997年(平成9年)に長野新幹線(今の北陸新幹線)が開業した際に並行在来線の経営分離によってしなの鉄道に移管されています。


古殿稲荷社の鳥居。
色褪せていて見栄えはよくありません。
塗りなおす費用もないのかなぁという感じですね。
民家に挟まれて窮屈そうです。


土塁跡。
櫓台だったようですが、今ではあまり面影を見ることはできません。

横田城は平安時代末期に築かれたとされています。
1181年(養和元年)、木曽義仲が平家方の城氏を攻めた際に利用したといわれており、北陸を攻め上る際にも横田城を拠点の1つとしたとされています。


古殿稲荷社。
2つ祠が並んでるんですけど、どっちが何で・・・とかは全く分かりません、はい。

1400年(応永7年)、信濃国守護の小笠原長秀が国人領主の村上氏や大文字一揆らと戦った大塔合戦の際に長秀が入りますが、国人衆らの軍勢に包囲されて逃げ延びています。


市指定史跡 横田城跡の標柱とベンチ。
こんなところに腰掛けて休憩する人がいるのかと思うんですけど・・・、いるんですかね・・・?
かつての横田城は2重3重の堀に囲まれた環濠平城だったそうで、城域もかなり広かったそうです。


土塁の面影を後ろ側から。
宅地開発の荒波に飲まれながらギリギリのところで生き残った感じがしてる気がします。

また、甲斐国武田信玄と越後国上杉謙信との間で5度にわたって繰り広げられた川中島の戦いの際に、武田方の原虎吉が籠ったと伝えられています。


謎の石垣(?)。
何かの建物を壊した後に残ったものなのか、それとも城跡と何か関係があるのか・・・。
いや、きっと城跡とは関係ないんでしょうけど、それにしても謎の石たちです。
ちなみに、この辺は堀の跡だったみたいです。

平城だったこともあり、かなり宅地化が進んでいて遺構らしき遺構はほとんど見られませんでしたが、少しでも城跡の痕跡が見られてよかったです。

では。


御城学。