蔵王堂城(越後国・新潟県長岡市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今回は、現在の新潟県長岡市にあった城、蔵王堂城です。



蔵王堂城跡は、現在は金峯神社および安禅寺の境内となっており、長岡駅から北へ3キロほどのところにあります。
今回は家族で車で訪問したため、駅の情報は割愛します。


金峯神社鳥居。
金峯神社は709年(和銅2年)に、元明天皇の勅願によって蔵王権現をこの地に勧請したのが始まりとされています。
神仏習合の色合いの強いところでしたが、明治時代の神仏分離により金峯神社となりました。


金峯神社境内および蔵王堂城の遺構の案内板。
だいぶ色褪せていて、非常に見えにくい看板となっております。
ここで金峯神社のHPを↓↓に表示します。
http://www.kinpu.jp/

蔵王堂城は、南北朝時代に蔵王権現を祀る蔵王堂の地に、北朝方の中条氏が砦を築いて本陣を構えたのが始まりとされています。
1352年(正平7年・観応3年)には、南朝方の風間信昭らの攻撃を受けています。


蔵王の大欅。
金峯神社の御神木として崇められる樹齢約800年といわれています。
1963年(昭和38年)に長岡市指定文化財の天然記念物に指定されています。
だいぶ空洞化が進んでいて、朽ち果てる恐れを抱えながら現在に至っています。


金峯神社の拝殿。
2005年(平成17年)に竣工した拝殿は思ったより年季を感じさせる建物でした。

戦国時代に入ると、蔵王堂城に長尾景春が入りますが、4代後の孝景の代に栖吉城に移ります。
代わって入った長尾為重が本格的な城郭へと拡張改修し、栖吉城とともに長尾氏による長岡地方の拠点となります。


蔵王堂跡の堀。
水堀がここまで立派に残っているとは正直思っていませんでした。
本当に廃城後400年以上が建っているのかと思うほど立派な水堀でした。


堀を渡って、南禅寺境内の方へ進んでいきます。

1578年(天正6年)の御館の乱で、城主・長尾景信は上杉景虎側についたため滅亡、以後は上杉景勝の家臣・河田氏が入ります。


蔵王堂城跡、毘沙門天立像、不動明王立像の看板。
上下が若干見切れていますが、撮影したのが娘なのでご容赦ください。

1598年(慶長3年)に上杉景勝が陸奥国会津へ移封となると、春日山城へ入った堀秀治の弟・親良が入ります。


橋を渡ってすぐ、なだらかな上り坂で櫓台跡と思われる土塁上へと登っていきます。


櫓台跡と思われる土塁上の平坦な場所。
境内を張り巡らせる土塁の端っこにありますし、見渡しもいいので、きっと櫓台があったのだと考えられます。


蔵王城趾の碑。
先程の土塁上にあります。

1610年(慶長15年)に堀氏が信濃国飯山へ転封となると、高田城に入った松平忠輝の家臣・山田隼人が入城しますが、1616年(元和2年)に忠輝が改易されると堀直寄が蔵王堂城主として返り咲きます。


丹後守 堀直寄の銅像。
長岡城を築城するなど長岡の地の礎を築いた功績か、たいそう立派で巨大な銅像があります。蔵王堂城は信濃川にほど近く、よく水害を受けていたため、長岡城を築城することにしたのだそうです。

堀直寄は飯山転封前より進めていた長岡城築城を再開し、完成後は長岡城へと拠点を移したため、蔵王堂城は廃城となりました。


毘沙門堂。
安置されている毘沙門天立像は、長岡市指定文化財・彫刻に指定されています。


不動明王。
安置されている不動明王立像も、長岡市指定文化財・彫刻に指定されています。


境内中の土塁。
境内を取り囲むように土塁が残っています。



長岡市水道公園の水道タンク。
蔵王堂城跡から1キロもしない場所にある水道公園には、1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録された水道タンクがあります。
内部は公開されていないのが残念です。
娘が遊具のある公園が行きたいと言っていたので来たのですが、ちょっと対象年齢が違いました・・・(汗)
詳しくは↓↓
https://www.city.nagaoka.niigata.jp/shisetsu/sports/suidou.html


旧中島浄水場ポンプ室棟。
こちらは2013年(平成25年)に国の登録有形文化財に指定されています。
こちらのレトロな建物、見学には事前予約が必要です。
↓↓もご覧ください。
https://niigata-map.net/tyuetsu/suidou-park.html

建物はないものの、水堀や土塁が残っていて見どころは結構ありました。
では、この辺で。


御城学。