椎津城(上総国・千葉県市原市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

10月に入った今週から、千葉県市原市の城跡(陣屋跡)を来週までやります。
まずは、滝沢馬琴の南総里見八犬伝にも出てくる椎津城です。

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椎津城跡は、姉ケ崎駅東口から徒歩15分くらいのところにあります。
駅前のバス停から小湊鐵道バスに乗って、椎津宮下バス停で下車すると徒歩5分くらいです。

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姉ケ崎駅。
JR東日本の内房線が乗り入れています。
一部か総武線快速や京葉線と直通運転していて、東京まで乗り換えなしで行くこともできます。
また、姉ケ崎駅発着の各駅停車も一部あります。

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登城口。
空堀跡っぽい雰囲気のところを登っていきます。

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郭跡。
秋ですが依然として草ぼーぼーです。
油断してると蚊に刺されます。5ヶ所くらい刺されました(汗)
刺してきた蚊は片っ端から倒しましたが・・・。

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土塁。
なかなかの高さがあります。

椎津城の築城には、千葉氏の一族・椎名胤仲が元応(1319~1320年)から元徳(1329~1330年)年間に椎津三郎と称して居城とした説、応仁年間(1467~1469年)に三浦定勝が築城したという説、明応年間(1492~1501年)に甲斐武田氏の一族・真里谷氏が築城したという説など諸説あります。

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虎口跡(?)。

1456年(康正2年)に甲斐武田氏の一族・武田信長が上総国に真里谷城(現在の千葉県木更津市)を本拠とすると、椎津も上総武田氏(真里谷氏)が治めます。

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本郭跡。
草ぼーぼーです。

その後、真里谷武田氏や里見氏、後北条氏などによる激しい争奪戦が繰り広げられ、後北条氏が手中におさめます。

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史跡 椎津城跡の案内板。
2015年(平成27年)7月に市原市指定史跡となったばかりです。
宅地化が進み城跡の消滅が進んでいましたが、ついに市原市が史跡に指定しました。

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椎津城跡の標柱。

後北条氏の家臣・白幡六郎が椎津城に入りますが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉が小田原攻めをおこなった際に椎津城も攻められて落城し、廃城となりました。

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空堀跡。
草や竹林でよく分かりませんね(汗)

雨も降っていましたし、服装もスーツでしたので(笑)、あまり深入りせずに帰ることにしました。
私有地なのであまり深入りしないでください的なことも書いてありましたし。


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八坂神社。
椎津宮下バス停すぐのところにある神社です。

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社殿。
八坂神社は、日本武尊が東征の際に東夷鎮撫の祈願をしたり、源頼朝が武運長久を祈願したと伝えられ、1649年(慶安2年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光から御朱印地10石2斗を拝領し、歴代の領主からの崇敬を集めた由緒ある神社です。
1869年(明治2年)に祇園牛頭天王社から八坂神社へ社号を改め、今日に至っています。

では、この辺で。


御城学。