鶴牧陣屋(上総国・千葉県市原市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

いつ以来か分からないですが、久々に40度の高熱が出まして、仕事休みました。
解熱剤のおかげで今は平熱まで下がっています。
それにしても、普段美味しく食べていたものが急に不味く感じたり、体調が悪いと味覚まで変わってしまうんですね。

先週に引き続き、千葉県市原市の城跡(陣屋跡)をご紹介します。
今回は、鶴牧陣屋です。すぐ近くにあった姉崎陣屋もまとめて紹介します。

鶴牧陣屋跡は、現在は姉崎小学校となっていて、姉ケ崎駅東口から徒歩10分程度で行くことができます。

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姉ケ崎駅。
概要は、先週の椎津城のブログをご参照ください。

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市原市立姉崎小学校。
学校になっていると、入りにくいですねぇ・・・。
小学校になっていますので、遺構はほぼ残っていないと思われます。

鶴牧陣屋は、安房国北条藩主の水野忠韶(ただてる)が1827年(文政10年)に移封されて立藩した鶴牧藩の藩邸として築きました。

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史跡 鶴牧城跡の碑と標柱。
校門入ってすぐのところにありますので、校門の外側から撮影しました。
水野氏は城主格だったため、鶴牧陣屋は鶴牧城とも呼ばれていました。

翌1828年(文政11年)に忠韶が死去すると、養子の水野忠実が跡を継ぎ、奏者番や若年寄などの幕府の要職に就きました。

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鶴牧藩修来館の碑。
鶴牧藩の藩校があったことを示す碑です。
校門の中にありましたが、フェンスの外から撮影しました。

忠実の子・忠順が藩主の時の1871年(明治4年)に廃藩置県がおこなわれ、鶴牧藩は廃藩となりました。


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稲荷神社。
姉崎小学校から数分歩いたところの商店街の一角にあります。
かつて、この辺りには姉崎陣屋が置かれていました。

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祠(?)もあります。
1607年(慶長12年)に徳川家康の次男・結城秀康の子・松平忠昌が姉崎藩を立藩し陣屋を設けますが、1615年(元和元年)に常陸国下妻に加増移封され、姉崎藩は廃藩となります。
1619年(元和5年)に、今度は忠昌の弟・松平直政が藩主となり、姉崎藩を再び立藩しますが、1624年(寛永元年)に越前国大野へ加増移封されると、姉崎藩は再び廃藩となりました。

2つの陣屋をまとめてご紹介しましたが、鶴牧陣屋を姉崎陣屋と呼ぶ場合もあったようで、ごっちゃになりますね。
ごっちゃになったところで、短いですがこの辺で終わります。

では。


御城学。