よくばりすぎの罪。
昨夜は渋谷の乙でライブでした。
急遽オファーをいただいたライブで、週末の筋肉痛を引きずったままでしたが、頑張ってきました。
ツアーバンドさんや今回2回目の共演のかたも一緒で刺激的なライブでした。
これで3月は5本になりましたが、ライブする機会があるのはうれしいことです。
どこかで誰かに届くかもしれない、そんなきっかけをありがとう。
そんなライブのあとはくたくたでお腹ぺこぺこだったのですが、次の日健康診断ということで何も食べれませんでした。
ひもじいまま帰宅。
そして本日は健康診断に行ってきました。
生まれて初めてのバリウムは、ものすごい濃い液体を大量に飲まなければならず、とても気持ち悪くて必死の思い出飲み干しました。
吐き出しそうになりそうなのを我慢しながら検査を受けました。
健康診断後にはお昼ごはんもでて、浮かれて食べたのですが、全部終わって戻ってきたあとに、この健康診断の前後でとてもとても大事なものをなくしてしまったことに気づきました。
検診センターに電話してみたけれど見つからず。
あとで直接探しにいったけれど見つからず。
一応見つけたら連絡くださいとお願いしましたが、ちいさいものなのでこのまま見つからないかもしれません。
とてもショックでしたが、その事態を招いたのは自分自身で、もういくら後悔してもしたりません。
大事なものだといいながら、大事に大事に扱わなかったのは自分です。
大事なものはどうしようもなく大事にしなきゃ壊れてしまうと知っているのに、そこにあることに安心してすぐに大事にしなくなる、そんな自分自身のダメなところを突き付けられた気分です。
初めて大事なものを失った時には、もう生きていくことさえできないくらいに絶望のどん底に突き落とされたけれど。
それでも世界はまわり、生き延びれることを知ってしまったんだ。
そして少しずつずるくなって、上手になって、逃げ道を残したまま、「大事だよ」なんて簡単に口にできるような嫌な大人になってしまったんだ。
わたしの大事なものは誰も知らない深い森の奥で、透明な水の湧き出る泉のなかに沈む水晶のように美しいものだったのだけれど。
それに触れてわたしも清らかなものになったような勘違いをしていたのかもしれないです。
そんな神聖なものに触れることさえおこがましい汚れた魂を許してもらったからってさ。
物質としての大事なものをなくした、ということは目に見えるカタチであらわれただけで、ホントはその自分のずるさこそが痛いのです。
あれもしたい、これもしたい。
あっちも大事、こっちも大事。
そうやってすべてにいい顔をしてきた結果なんだ。
ホントは大事なものなんてそんなにたくさん守れるはずないのに。
ごめんなさい。
許されるのなら。
これからもその水晶に反射する光を集めて空に座っていたいです。
そして、大事なものをちゃんと大事にできる自分に生まれ変われるまで、もう二度と同じ痛みを与えないわたしになれるまで。
この再生の物語を続けさせてほしいよ。
そして願わくば、カタチとしてのそのちいさな大事なものをどうかこの手にもう一度。
