● 気づかなかったそこにある幸せを教えてくれた70代のお客さまのお話。
これは、僕が、ホテルのラウンジにいた頃のお話です。
常連さんの井上さま(仮名)は、70~80才のおばあさま。
いつもひとりでお越しになり、決まった席にお座りなっていました。
毎週来られる井上さまは、決まった席で静かに静かに、お茶を飲んでいました。
いつも朗らかな井上さまは、ペラペラお話されないけれど、話しかけるとにこっと笑顔になりました。
いつものんびりされる井上さまは、いつも僕にこう言います。
「わたしはね、ここから見る夕陽が好きなのよ。夕焼けがとってもきれいよね。」
そう言って、嬉しそうにまた窓の外に目をやる井上さま。
時計の針が17時を差す頃に、ぐぐっとお茶を飲み干します。
「そろそろ時間だわ。夕食の支度をしなくちゃね。」
いつも、そう言って、静かに席を立つのです。
どんなに忙しくてバタバタしても、井上さまの席の周りだけ、なんだか時間が止まります。
毎週毎週、井上さまは、まるでご馳走を食べるかのように、夕焼けとお茶を楽しんでいました。
どんなに僕らがカリカリしちゃっても、井上さまに話しかければ、イチコロです。
ある日、僕は井上さまに、たくさん話しかけてみました。
寡黙だと思っていた井上さまが、楽しそうな笑顔でたくさんたくさん話します。
近所に住んでいて、この時間が大好きで、ご主人さまは亭主関白で。
お嬢様も近くに住んでいて、お孫さんもいて、夕焼けが見えないと残念だけど、来週こそはと楽しみにしている。
毎日順風満帆だけど、ホッとするこの時間とこの場所が、大好きなんだと教えてくれました。
いつもほぼ定期的にお越しになる井上さまが、しばらく来られないとちょっと心配になりました。
でも、忙しさにかまかけて、ふっと忘れそうになったころ、また井上さまはやってきます。
「どうも。こんにちは^^」
挨拶だけを済ましたら、席の案内は自動的に。
いつもの窓側にご案内します。
たまに窓側が満席でも、井上さまは
「仕方ないわね^^」
と二列目にお座りに。
だから窓側があいたら、すぐにご用意をしてました。
今週は、井上さまは、やってこない。
でも、今週は、きっと忙しいんだろうとわかってます。
だから僕らは何もなかったように、来週を待っています。
夕陽も井上さまを、待っています。
来週になりました。
井上さまは、来られません。
夕焼けは井上さまを待っています。
きっと、来週は来られるだろう。
そう思いたい気持ちをあざ笑うかのように、、、
「体調が思わしくないのよね。」
そう言っていた、言葉が妙に気になり始めます。
再来週になりました。
井上さまは、来られません。
その日は雨が降りました。
その次の週になりました。
夕焼けが復活しました。
やっぱり井上さまは、来られません。
忙しくなり、またふっと忘れてしまったのに、井上さまは、来られませんでした。
我に返り、カレンダーを見たら、2ヶ月が過ぎていました。
井上さま、どうしたの?夕焼けが井上さまを待っています。
夕焼けは逃げたりしないけど、井上さまを待っています。
何年も、何年も、通ってくれた井上さま。
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夕焼けは結局、井上さまに会えませんでした。
夕陽は結局、井上さまに会えませんでした。
夕陽も夕焼けも、雨雲さんのいたずらがなければ、今日も変わらず大地を照らします。
でも、、、
井上さまには、もう二度と会えませんでした。
井上さま?いま、どこで何をされていますか?
どこから夕焼けを見ていますか?
きっと井上さまは、夕焼けがもっともっとキレイに見える場所、見つけたんだと僕は信じてます。
夕陽と夕焼けは、井上さまの居場所を知っているのかな。
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僕は、夕焼けを見るたびに、このときの想いがわいてきます。
当たり前のように、大地を照らす夕焼けの、素晴らしさ、ありがたさ、美しさ。
毎日、その夕焼けを背中に、あくせく働いているのに、その美しさには、気づいていませんでした。
井上さまが、教えてくれたのです。
気づかなかった、そこにある幸せの存在に。
教えてくださり、本当に、本当に、ありがとうございました。
あなたの見ていた夕焼けは、世界一美しく、世界一素敵な夕焼けでした。
今のあなたの居場所からは、どんな夕焼けが見えますか?
また、いつの日か、ひょっこりと、顔を見せるのかもしれません。
「こんにちは^^」
と、あの笑顔で。
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こういう経験を、ホテル時代は、たくさんしました。
お客さまから、大切なことをたくさん、教わりました。
仕事に向き合うということ。
人生に向き合うということ。
人のために、何かをやるとはどういうことか。
プロの接客者は、どうあるべきなのか。
あの11年がなければ、いま、こうして独立していなかったと思います。
だから、その恩を、恩送りしたいと思って。
体験したこと、教わったことを、エピソードを交えて、これに綴りました。
あなたの、仕事、人生で、1つでも役立つことがあったら、嬉しく思います。