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迷っている先祖の供養

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いきなり車にはねられてしまったとか、思わぬ病気でいきなり死んでしまったという方で、まだあの世に行っていない方たちの場合の供養の仕方については…





まず、あなたはもう死んでいるのですよ、ということを教えてあげることです。





生きている時から死んだらどうなる、ということを知らない人は、死んでも自分が死んだということがわかりません。





「肉体がないのを自分で触って確かめてごらんなさい。手を入れたら身体のなかに突き抜けていくでしょう。それは肉体がないからですよ。生きていたときは、そんなことはなかったでしょう」





「ご飯を食べなくても死なないでしょう。あなたは死んでからもう一年経ったのですよ」





などというようにきちんと教えてあげることです。





そんなこと言わなくてもいいだろう、というようなことでもわからない人は数多くいます。





天国へ逝けた人たちは本当に素晴らしい自由な世界に生きているのに、執着が強く、いつまでも自分の土地や家にしがみついている人たちもいるんです。





この世しかないんだと思っているとそうなります。





「あの世の世界は本当にあるのですよ。あの世で反省をしなければいけないのですよ。もし地獄に行くことがあっても、きちんと生きていたときの罪を拭って、早く天国に還ってくださいね」





と言ってあげることが大切です。



















+。:.゜うららかなブログ。+。:.゜-お盆 供養




地獄に行っている先祖の供養

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古くなればだんだんいなくなるのですが、亡くなって五十年ぐらいの方だと、地獄に行っている方の数は比較的多いです。


二、三百年経つと、だんだん上がっていくのですけれども、五十年ぐらいまでであれば、地獄にいる方もそうとういます。


「私がなぜ地獄に堕ちているのか」ということが、彼らがいちばん知りたいことなのです。


長年いると、さすがに地獄にいるということぐらいはわかってきます。


死んで間もない頃、数日、一週間、一ヶ月、あるいは一年ぐらいだと、もうひとつわからないこともあるのですが、どうやら地獄らしいということは、薄々わかってくるのです。


しかし、「なぜ」というのがわからないのです。


「では、なぜ私が地獄にいるのですか」という、この「なぜ」に答えてくれる人がいないのです。


周りの人に訊いても、みんなわからない人ばかりです。


それがわからないから地獄に来ているという人ばかりなわけですから、この「なぜ」に答えてあげる必要があるのです。


ただ、これにも原則があって、各人の人生は、各人一人ひとりが責任を持つことになっています。


ですから、愛と慈悲の心で先祖を供養したいという気持ちがみなさんにあること自体は、非常によいことなのですけれども、ただ、先祖が迷っているのは、決して子孫の責任ではないのです。


これは原則ですから、よく知っておいていただきたいのです。


地獄に堕ちたのは、本人の生き方にやはり問題があったのです。


思いと行ないに問題があって、地獄に堕ちているのです。


この大前提は知っておいてください。


そうしないと、一生懸命みなさんが供養をしていても、先祖のほうは「自分が悪い」とは絶対に思わない人が多いのです。


子孫のせいにしてきます。


「そうだ、おまえたちが悪いんだ。おまえたちが悪いから、私はこんなに苦しんでいるのだ」と考える人が出てくるわけです。


「立派な墓を建てないから俺はこんなに苦しいのだ」


「仏壇が安物だから、こんなに苦しいのだ」


「位牌が悪い」


「戒名をつけなかった」


とか、いろいろなことを言うわけですが、これは言いがかりというものであって、そういうものによって救われることは実際はないのです。


まったくありません。


ですから、この前提のところを教えてあげる必要がどうしてもあります。


「お墓が悪いからだ」とか、そんなことを言っていたのでは、要するに自分の責任は何もなくて、子孫だけの責任になります。


そこで、「時々、懲らしめてやらないといけない」などと、ばかなことを考えて出てきては、いわゆる”障り(さわり)”というものを起こす先祖がいるわけです。


とんでもない間違いです。


そういうことをしますと、子孫も苦しいですが、自分はますますもっと苦しくなるのです。


罪を深くして、ますます地獄から出られなくなります。


そういう間違いは正さなければいけません。


「生きていたときの思いと行ないに基づいて、天国・地獄が分かれるのであり、あなたが地獄に堕ちているのは、やはり、それだけの責任があったからですよ」ということを教えてあげることです。


冷たく感じるかも知れませんが、そうではないのです。


これは愛なのです。


それを教えてあげることが愛なのです。


これを知らなければいけません。


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「幸福供養祭特別御法話」より抜粋しました目


地獄に堕ちていると称して、世間には様々な先祖供養をしている所がありますけれども、そのほとんどは間違っています。


邪教であるかどうかを見分けるには、先祖供養そのものは悪いわけではないので、個人の責任、反省ということを教えているかどうか、ここをよく見ることが大切です。


これなしに、ただ、あなたが現在不幸なのは先祖が祟っているからなので供養しましょうと法外な金銭を巻き上げているような所に行くと、逆に悪霊に取り憑かれてしまいますガクリ


地獄に堕ちたのは、「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あくけん)」という執着が原因です。


「貪(とん)」とは、貪欲、貪(むさぼ)りの心です。


他人に愛を与えるのではなく、人からこうしてもらいたい、ああしてもらいたい、という「奪う愛」のことです。


「瞋(じん)」とは、怒りの心です。


すぐカーッと頭に血がのぼり、短気な人だと人から思われる人は大抵の場合、不平不満の心からそのようになっています。


「癡(ち)」というのは、愚かだということです。


頭がよくても、「癡」だという人もたくさんいるそうです。


インテリと呼ばれる人たちにこのような方が多いです。


仏法真理を知らないということです。


「慢」は、うぬぼれの天狗の心。


「疑」は、猜疑心。疑いの心。


神仏の目から見て正しい人を疑う心。


「悪見」とは、悪い見方をする、悪い考え方をするということです。


正しい仏法真理に基づいた見方ができないことです。



以上のような、心の毒、執着によって地獄に堕ちています。


供養するなら、そのことをきちんと教え、子孫が生き方をもって手本を示すことです。


お盆になると、地上に生きている人たちが先祖供養を一生懸命にやるので、苦しい地獄にいて、いつも地上に還りたいと思っているあの世の人たちとの念が合体してしまい、そこに橋が架かり、地獄の門が開くらしいですあせる


そのような時にきちんと教えてあげて、本当の意味での供養をしてあげることが大切です。



+。:.゜うららかなブログ。+。:.゜-先祖供養 お盆








正しい先祖供養について

お盆ということで…


正しい先祖供養のあり方についてご紹介します目


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お盆には、日本全国でいろいろな行事が行われています。


しかし、そうした伝統的なものではたしてよいのだろうか、それとも、それには何か問題があるのだろうか、違ったやり方のほうがよいのだろうか、あるいは、何もしないほうがよいのだろうかと、どのように考えたらいいのか疑問に思っている方も数多いのではないかと思います。


あの世とこの世があるということは、もうみなさんご存知のとおりです。


人間はあの世からこの世に生まれてきて、この世で何十年かの人生を終えて、またあの世に還って行く―――これが基本スタイルです。


これを転生輪廻といいます。


また、人間として生きている以上、自分の肉親というものがあって、特に両親、さらに祖父母、そのまた曾祖父母というものがあります。


そのように肉体の縁というものは流れています。


そして、世の中のしくみとしては、自分より年上の者が先に死んでいくようになっています。


では、先に死んだ肉親は、いったいどのようになっているかということですが、大まかに分けると、だいたい三種類に分かれます。


一種類目は、天国に還っている方です。


二種類目は、地獄に行っている方です。


三種類目は、天国にも地獄にも行かずに、まだ地上に執着を持って徘徊している方です。


家のなかとか、仏壇、お墓、物、土地、家などに執着して、いわゆる地縛霊になっている方です。


原則として、こうした三種類の方がたがいます、


そこで、私たちの対応の仕方も、この三種類の方がたのそれぞれに合わせた対応をとるしかないと思うのです。


天使天国に還っている先祖の場合


まず、天国に還っておられるご先祖、すなわち、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、あるいは、それより前の方、こういう方がたに供養というものが要るのかどうかということですが、原則として、供養というかたちは必要ないと思います。


天国に還っている方は、本来の世界に還って自由自在に生きています。


みんな自分の仕事を持っていて、幸福に暮らしていますから、お経をあげて供養するというかたちは、もうひとつ、そぐわないものがあります。


むしろ、毎日毎日、仏壇でお経をあげられて、「おじいさん、おばあさん」と供養されますと、あの世の人も地上のことが気になりすぎて、あの世での修行に少し差し障りが出てくることも現実にはあります。


ですから、天国で幸福に暮らしておられる先祖に関しては、時々、近況のご報告をして、そして感謝を申し上げ、「子孫としての自分たちに至らないところがあれば、よくご指導ください」とお願いをしておくというようなかたちでよいと思うのです。


すなわち、こうした幸福なご先祖に対しては、お彼岸でもお盆でもけっこうですけれども、年に一度か二度、思い出してあげて、子孫つまり子供たちや孫たちがいま元気でやっていることをお伝えして、


「おじいさん、おばあさん。お父さん、お母さん方も、そちらで元気でやっておられますか。私たちは、時々はみなさんのことを思い出して、感謝しています。地上に生きている人間ですから、時々、間違いを犯すこともありますし、判断に迷うこともありますが、そういうときには、私たちが迷わないように、どうかよいアドバイスをください、ご指導ください」


「お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんから受けた恩を忘れずに、世の中に立派に貢献して、素晴らしい人生を送っていくつもりです」


と申し上げればよいのです。


(中略)


ただ、あの世にも仕事がありますから、その仕事を邪魔しない程度にしないといけません。


朝・昼・晩といつもやられますと、あの世の方もたいへんですから、そんなに思い出させてはいけないのです。


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問題の天国へ還っていない方々の場合はまた明日時間があればUPしますにへ





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おすすめの歌





幸福実現党一生応援!(世界の宝物)さんのブログで紹介されてましたきらきら

Mr.Mimuraというプロではない方が歌っているそうです。

いい歌だと思うんですけど目LOVE


あと、このアトランティスの歌も好きですきらきら

永遠の法(映画)の「幸福の天の河 "the heavenly river of happiness" 」という歌ですにへ
       ダウン




マイケルの大学講演

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マイケル・ジャクソンが2001年3月にイギリスのオックスフォード大学で「世界共通の児童権利法案を提唱する」ための講演を行った際の内容が素晴らしいので一部ご紹介しますきらきら
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子どものころ、愛されたという実感はないけれど、
父がわたしを愛してくれていたに違いないと認めざるを得ないのです。

父はわたしを愛し、わたしにはそれがわかっていた。

愛情を示してくれたことは、ほとんどなかったけれど。

子どものころ、わたしは甘いものに目がありませんでした。
―兄弟みんなそうでした。シロップに覆われたドーナツが大好物で、父はそのことを知っていました。

数週間に一度、朝1階に下りて行くと、紙袋に詰め込まれたドーナツがキッチンカウンターに置いてあったんです ―メモも説明もなく― ドーナツだけが置いてありました。

まるでサンタクロースみたいでした。 夜中まで起きていて、ドーナツが置かれるところをみようと思うこともありました。

でも、サンタクロースと同じように、二度とドーナツが置かれなくなることを恐れ、その魔法を大切にしようと思いました。

父はだれかに見られないように、夜中にこっそり置かなければなりませんでした。父は自分の中の人間的な感情におびえ、それを理解できず、どうしていいかわからなかったのです。

しかし、ドーナツの件ではわかっていたようです。心の防波堤の扉を開けたままにすると、わたしの心に様々な記憶が走馬灯のようによみがえってきます。

ちょっとしたことで完全ではありませんが、その記憶は 

“父ができることをしてくれた”

ということです。

そこで今日これからは、

父がしてくれなかったことに目を向けるのでなく、父がしてくれたこと、父の努力に目を向けようと思います。

そして、父を非難するのをやめようと思います。

わたしは父が南部の貧しい家庭で育ったという事実に思いをはせるようになりました。

父は世界大恐慌の年に、この世に生を受けました。

わたしの祖父は家族を養うのに精いっぱいで、ほとんど愛情をしめすこともなく、子どもたちを厳しく育てました。

アメリカ南部で貧しい黒人が大人になっていくということが、みなさんにはどういうことか想像もつかないでしょう。

……

父が自分の感情をさらけだせなかったのも、無理もないことでした。

心をかたくなにし、壁でふさいだとしても何の不思議もありませんでした。

そして何よりも、自分が経験した屈辱的人生や貧困を子どもたちに味わわせないように、子どもたちが芸能人として成功するように強要したのも、当然のことでした。

父の厳しさはひとつの愛情の表れだった。

完璧ではないけれど確かに愛だと、わたしは感じはじめるようになったのです。

父はわたしを愛しているから、強引に背を押したのです。

自分の血を分けた子どもたちが低く見られるのは嫌だったのです。

時とともに、苦痛は、感謝の気持ちへ変わっていきました。

怒りを感じていたところも、許せるようになってきました。


復しゅうしたいと思っていたところも、折り合いをつけられるようになりました。はじめに感じていた怒りは寛容さへとゆっくり変わっていきました。

10 年前になりますが、わたしは「ヒール・ザ・ワールド」(Heal the World)というチャリティー活動をはじめました。

わたしは心で感じたことを、その名に託しました。よく知らなかったのですが、のちにシュムリーから、HealとWorldという単語は旧約聖書の預言の基盤となっていることを聞きました。

みなさん、わたしがこの世界を、今日でさえ戦争と大虐殺に翻ろうされている世界を、本当にいやせると信じているとお思いですか?

わたしが子どもたちを本当に癒せると考えているとお思いですか?

コロンバインハイスクールで起きたように、銃を持って学校へ行き、クラスメートを撃ち殺してしまうような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?

1993年に2歳で殺害されたジェイミ・バルジャーの悲劇のように、自らを守れない幼児を殴って死に至らしめるような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?

―わたしはもちろん、そう思っています。そうでなければ、今晩ここに来ていないでしょう。すべては許すことからはじまるのです。

世界をいやすためには、まず自分自身をいやさなくてはならないからです。

子どもたちをいやすためには、まず子どもたちの心の中をいやさなくてはなりません。どの子どもたちも同じです。

わたしは、このままでは完璧な大人にも、無償の愛を与えられる親にもなり得ないことがわかり、子ども時代のつらい記憶の扉を閉めました。

みなさんにも、そうしてほしいのです。モーゼの十戒、第五の戒律(あなたの父と母を敬え)にふさわしい生き方をしましょう。

親を非難するのではなく、尊敬しましょう。

物事をいい方向に考えましょう。


だから、私は父を許し、父を非難するのをやめようと思うのです。

父を許したい。「お父さん」をほしいから。

結局わたしには彼しかいないのです。わたしは過去の重荷を肩から降ろし、父との新しい関係を踏み出したいのです。

過去のつらい記憶に邪魔されず、未来を築きたいのです。

憎しみに満ちた世界でも、望みをもたなければなりません。

怒りに満ちた世界でも、慰めの心をもたなくてはなりません。

絶望に満ちた世界でも、夢を忘れてはなりません。

不信感に満ちた世界でも、信じなくてはなりません。

親から傷つけられたと感じていらっしゃるみなさん、失望感を捨ててください。

親にあざむかれたとお思いのみなさん、これ以上自分自身をあざむくのはやめましょう。

親が邪魔だと思っているみなさん、代わりに手を差し出してください。

ご両親に無償の愛を与えてください。

これは、みなさんに望むことであり、

自分自身に言い聞かせていることでもあります。

そうすれば、親たちはわたしたち子どもから愛し方を学ぶことでしょう。

そうすれば、荒れ果てた寂しい世の中に、愛が取り戻されるでしょう。



みなさん、わたしたちがこのような世界をつくっているのです。

わたしたちがその世界に住む子どもたちなのです。

インド建国の父マハトマ・ガンジーが言いました。

「弱者は人を許すことができない。許すことは強さの裏返しである」

さあ、強くなりましょう。そして、壊れた関係を修復するために、立ち上がりましょう。

子ども時代に受けた傷が人生にどんな影響を与えようとも、乗り越えなければなりません。

ジェシー・ジャクソンの言葉にあるよう、

互いに許し合い、互いに助け合い、そして前へ進みましょう。

許し合うことだけでは、涙に暮れる世の中は終わらないかもしれません。

しかし、多くの子どもたちが親との関係を修復することが、少なくとも新たな出発点となるのです。

結果として、わたしたちみんな、もっと幸せになるでしょう。

みなさん、信仰、喜び、興奮をもって、わたしの話を締めくくりたいと思います。

今日から、新しい歌が聞こえてきますように。
その歌を子どもたちの笑い声に。
その歌を子どもたちの遊ぶ声に。
その歌を子どもたちの歌声にしよう。
そして、大人たちは耳を傾けよう。

子どもたちのもつ力に驚き、愛の美しさに浸り、ともに、心のシンフォニーを創りだそう。

世界をいやし、痛みを取り去ろう。

そして、ともにみんなで美しいメロディーを奏でられますように。

神の恵みがありますように。“I love you”。


Michael Jackson


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地球では未だに宗教間の違いなどによる世界紛争が絶えません↓

人々の間でも愛が失われたかのような事件が後を絶ちませんガクリ

でも、そのような世界は私たち、ひとりひとりの心が作り出している世界であり、私たちの心が幸せに満ちていたらそのように世界は変わるとマイケルは言っています泣

ます、「許す」ことから始めましょう。 (参考 許しの力

それには、信仰がとても大切です。

マイケルは心から神様を信じていたそうですきらきら

いつも、「神様の祝福があなたにありますように」と言っていました。

心から神様を信じて、神様から愛されていることを知っていたからこそ、人に無償に愛を与えられたんですね。

愛を与えれば与えるほど、神様から流れてくる光の量も多くなっていきます。

愛を与えることで、その光が入る器が大きくなっていくからです。

そして、神近き人になっていきます天使

だから、マイケルは天使になれたんですね。

マイケル、ありがとうきらきら



おすすめブログ

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お馴染み、「幸福維新の志士となれ」さんのブログにこんなことが書かれてましたムンクの叫び


こちら です。



…。


またHAARP ですかムンクの叫びドンッ


私のブログでは世界の宇宙情報 でちょこっと登場してます。


いい加減にしてよ叫びという感じですねしずく


日本の猛暑は天照大神様が怒っていらっしゃるからかな、と思ってました。勝手に。


私的には、そこに住んでいる人たちがいるのにそんなことしていいのかな涙と思いますが。


アメリカの「正義」のために、犠牲となって死んでゆく人たちがいていいわけないと思います悔し泣き




…ところで、いつも思うのですが、幸福維新の志士となれさんの情報量はすごいですね目


日本のマスコミは大切なことを全然報道しないので、とっても為になるブログですきらきら


















家庭愛

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こんにちはにへ


今日は家庭愛について書きたいと思いますLOVE


限りなく優しくあれ という本にこんなことが書かれていますぺこ


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過去が満点の相手はいないのですから、すでに結婚生活に乗り出した以上、結婚という舟に乗って人生の門出を果たした以上、たとえ旅の途中で、嵐が来ようとも、雨が降ろうが、風が吹こうが、波が高かろうが、相手の過去をあげつらってはならないのです。


私は、百点満点の相手と結婚しなかったから、今こんなに不満なので、不幸なのだ、というふうに考えてはなりません。


それは、決して言ってはならないことであるのです。


そうではなく、結婚したその日からこのかた、未来を形づくっていくために、どれほどの努力を自分がしたか、それをこそ問わねばなりません。


結婚のほんとうの素晴らしさは、相手によって自分の欠点を補っていただき、そして相手の欠点を自分が補い、ともに長所を見つけ、その長所をほめ、伸ばしていくところにあります。


ところが、夫婦生活が破綻する過程においては、たいていこの逆のことが行われます。


あばたもえくぼ ということばどおりに、結婚のときには有頂天になっていたその情熱が冷めていくにしたがって、次第に相手の欠点をあげつらうようになっていきます。


「こんないやな欠点がある人とは思わなかった」


そんなことをお互いに言うようになります。


夫がそれを言えば、妻もまた応酬 をします。


その妻の姿を見て、また新たな欠点を発見したと言っては、夫は妻を責めます。


こうして家庭が悪くなっていきます。


そこで、この結婚愛から家庭愛へという、その順序が大事であるというふうに私は思います。


この家庭愛は、結婚愛と違ったところがあります。


結婚愛は、情熱によって互いを結びつけ合う力です。


結びつけることこそ必要な力です。


異質な二人を、離れていた二人を、ひとつに結びつける力、このひとつに結びつけるという方向において、結婚愛は強い力を働かせます。


しかし、結びつけられた二人は、毎日毎日の生活のなかで、息苦しさを感じ、また身近であるがゆえに、他人の欠点がよくわかる、相手の欠点がよくわかるというふうになってきます。


その両親でさえわからなかったような欠点までがわかってくるようになる、そういうふうになってくるのであります。


そうした段階に至った夫婦は、どうかもう一度考えを改めていただきたい。


そう私は思います。


結婚愛は結びつけるための情熱であったが、家庭愛はそうではない。


家庭愛とは、持続していくための情熱であると考えていただきたい。


持続のための情熱なのです。


結婚ということは、持続していくなかにこそ、真実のものがあるのです。


みなさんの多くは、あのアコヤ貝 のたとえを思い出されることでしょう。


アコヤ貝は、外から砂とか小石とか、そうした異物が入ってくるときには苦しみますが、その異物をやがて自らの粘液によってくるみ、固め、やがて見事な真珠にしていきます。


その真珠は、外から見たときには、何のかけたところもないように見えます。


何らの欠点もないように見えるものです。


それが真珠の特徴です。


しかし、その見事な真珠ができるに際しては、そのなかに小石や、あるいは砂が入って、アコヤ貝が苦しんだという事実があるのです。


アコヤ貝は二枚の貝殻から出来上がっています。


夫婦とは、そういうものかもしれません。


夫婦とは、二枚の貝殻であって、ひとつの貝をつくっており、そのなかで、アコヤ貝の真珠のような見事なものをつくり出そうとしているのではないでしょうか。


さすれば、持続によって生み出される美徳とは何でしょうか。


なぜ、持続をしていくことに価値があるのでしょうか。


なぜ、持続に値打ちがあるのでしょうか。


それは、ちょうどその真珠のたとえに例をとって考えると、よくおわかりでしょう。


異物が入って、そしてその異物を単に吐き出すことをもって善しとするならば、あるいは小石や砂が貝殻のなかに入ってきて、それゆえに二枚の貝殻が互いに離反しあって口を開いたならば、決して真珠はできなかったということです。


より素晴らしいものを育んでいくためにこそ、その異物は、異質なるものは、不適応なものは、利用されていかねばならないのです。


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夫婦はアコヤ貝のようなもの…


素敵ですねにへきらきら!!



+。:.゜うららかなブログ。+。:.゜



それでは。。きらきら







イギリスのUFO

いつも色々な情報満載の幸福維新の志士となれ さんのブログにこのような記事が載っていました目


以下、転載します。


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8月6日 時事通信

【ロンドン時事】第2次世界大戦中に英空軍機がUFO(未確認飛行物体)に遭遇したとの情報について、チャーチル英首相(当時)が「国民をパニックに陥らせる」との懸念から50年間機密扱いとするよう指示するなど「隠ぺい」を命じていたことが、5日解禁された機密文書で明らかになった。英メディアが報じた。


解禁されたのは、チャーチル氏の護衛だった人物の孫が1999年、親からこうした護衛の証言を聞き、国防省に送った書簡など。


それによれば、空軍偵察機が近海領空での任務を終えて帰還しようとした際、乗組員が近くにUFOが飛んでいるのを発見。


UFOは空軍機の周りを音もなく動き回った後、どこかに飛び去ったという。 

   ◆

「民衆がパニック起こす」チャーチル元首相がUFO遭遇情報を50年間隠蔽指示か

2010/08/06産経新聞

【ロンドン支局】第二次大戦中に英国空軍のパイロットがUFO(未確認飛行物体)に遭遇したとする情報を、チャーチル首相(当時)が50年間封印するよう指示していたことが、5日に解禁された機密文書から明らかになった。

チャーチル氏の元護衛の孫が1999年に国防省に書簡で伝えたとされる情報によれば、空軍偵察機が任務を終えて英国に帰還する際、UFOに遭遇した。UFOは空軍機の近くで空中に音もなく停止し、その後飛び去ったという。

書簡では、チャーチル氏は訪米した際に、アイゼンハワー連合国軍最高司令官(同)とUFO問題について協議し、「民衆の間にパニックを招き、宗教心の破壊にもつながりかねないので、機密扱いにすべきだ」との考えを伝えたという。

また、95年の文書で民間機の機長が報告した情報によれば、マンチェスター空港に接近していた際に、UFOとニアミスした。地上での目撃者によると、その物体はサッカー場の約20倍もの大きさがあったとしている。


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隠してたんですね…


チャーチルさんについて詳しくはこちら


アイゼンハワー連合国軍最高司令官についてはこちら




      アップ

この本にもチャーチルさん登場してます。



あと、8月23日発刊予定の「宇宙人リーディング」という本。

宇宙人情報がたくさん載ってます。

楽しみですLOVE





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許しの力

こんにちはきらきら


前回、人間関係について少し書きましたが、皆さんはどうしても許せない人がいますか?


どうしても許すことができない程、誰かを憎んで自分自身も病気になってしまう人もいます。


これについて、超・絶対健康法 にこんなことが書かれていたのでご紹介します。


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あなたとうまくいっていない人がいれば、思い切ってお詫びをしてしまうことです。


「とにかく許しがたい」と、相手を憎んでいるために病気になる人は数多くいるので、思い切って自分からお詫びをすることです。


人間は完全な存在ではないので、あまり突っ張らないほうがよいのです。


「自分は絶対に正しい。あなたが間違っている」と突っ張って、十年でも言い続ける人は数多くいますが、「しつこい」ということ自体が悪であると考えなければいけません。


人間は間違いを数多く犯す存在であるので、「突っ張って、相手を責め続ける」という態度自体が悪になるのです。


実際に相手が悪いのかもしれませんが、相手を責め続けることで、あなたも悪になっているわけです。


したがって、相手が謝らない場合には、思い切って自分のほうから謝ってみてもよいと思います。


夫婦関係や親子関係、それから、会社の人間関係などにおいて、「この人とは、ずっと関係が悪いな」と思う人がいれば、思い切って、「私のほうが悪かった」と言って、自分が先に非を認めてしまうことです。


そうすると、相手も、「あなたが悪いのだ」と言い続けるのは、なかなか難しくなります。


なかには、「そうだ。あなたが悪かったのだ」と言う人もいるかもしれませんが、あなたが自分の非を認めて謝った瞬間に、一種のカルマが崩壊し始めて、その葛藤の部分が解けてき始めます。


(中略)


なかなか治らない病気を持っている人は、たいていの場合、「許せない」という感情を持ち続けています。


それは、たとえ、「法律的に見て、自分のほうが正しい」という場合であっても、当てはまることです。


例えば、「強盗や泥棒に入られた」「突如、通り魔に自分の娘を殺された」というようなことがあれば、それは悔しいことですし、当然、相手を恨むでしょう。


特に、「子供を殺された」という親の場合には、相手を深く恨み、「どうしても死刑にしてやりたい」と思うのも無理はありません。


「無期懲役にはさせないぞ、何としても死刑にしてみせる」と、執念で十年二十年と追及し続けるかもしれません。


ただ、親自身にとっても、長年、そういうことを続けていては不幸な人生ですし、苦しいものでしょう。


その思いが病気を引き起こすこともあるのです。


それだけ人を憎むということ自体に、自分自身もまた罰されてくる面があるので、やはり、どこかの時点で許さなければいけないのです。


亡くなった子供は帰ってこないので、その子の「あの世での幸福な生活」を願い、供養してあげることが大切です。


そうすれば、その子の魂を救うことはできます。


しかし、親が、憎しみの念波を強く持っていると、亡くなった子供のほうも、「そうだ、そうだ。あいつが悪いのだ」と一緒になって相手を恨んでいます。


そのため、なかなか成仏できず、天国には還れないのです。


許しの心を持ったときに、成仏、すなわち天国に還ることが可能になります。


裁判官が裁判において公平な判断を下すのはかまわないと思いますが、個人としては、ある程度のところで、「許す」という行為が大事です。


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直接は謝りにくい場合には、心の中で相手を思い描き、心から詫びることです。


それでも、相手には伝わっていきます。


自分も完全ではありませんし、相手も完全ではありません。


地上に生まれて、同じく人生修行をしている者同士ですアオキラ


過去のことは水に流し、また、新たに「感謝」と「笑顔」の毎日を送る方が素晴らしい人生になると思いませんかきら




+。:.゜うららかなブログ。+。:.゜-許しの力


それでは。。にへ






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人間関係について


「同じ水を飲んでも、蛇はその水で毒を作り、牛はその水でミルクを作る。」



よく聞く言葉ですが、私たちが


「こんな職場もう嫌だ!」

「こんな家族もう無理!」


などと思うような環境でもある人が同じ環境に来れば、そこは天国に変わる場合があります。


その違いは一体何でしょうか?


なぜ、ある人には地獄と思えるような環境でも天国に変えていける人がいるのでしょうかむっ


価値観の違いと言ってしまえば、それまでですが、そこには何か法則のようなものがあるような気がするのです。


引き寄せの法則というものも有名ですけれども、結局、どのような環境でもプラスに変える努力をしている人の所に幸せというものは寄っていくようですきらきら


大宇宙に満ちている、あらゆる生命を幸せにしようとしている創造主の慈悲の念(おも)いに適った人の所に幸せが引き寄せられる、という法則があるようですきらきら


大宇宙には色々な法則がありますが、そのような法則があることを知ったなら、これを実践しないわけにはいきませんよねにへ


職場でも、家庭でも、人が悩んでいる原因のほとんどが「人間関係」ではないでしょうか。


嫌だ、と思っている最中にはその人のいい所が中々目に付かないかもしれません。


でも、その人のことをあなたが良く思っていないとしても、その人のことを好きな人もいますよね。


その人にも、家族がいて、両親がいて、あなたの前で見せたことのない笑顔で笑っているかもしれません。



人間関係の問題を解決するには、まず、


他人は不幸ではなく、幸福をもたらす存在だと悟ること


にあります。


その人がいることで、あなたも自分の悪い所に気付くことができたり、どうしてもこうはなりたくないな、と思うなら反面教師とすることもできます。


その人がいることで、あなたの、その問題を解決して、人間としての器を広げるチャンスを得ることができます。



自分中心に物事を考えていなかっただろうか。


自分は、相手が嫌だと思って、そのことだけしか考えていなかったけれども、相手から見た自分はどうだろうか。同じように見えているのではないだろうか。



そんな風に考えてみると、実際、相手もあなたと同じようにあなたのことを良く思っていないことがほとんどです。


人間は霊的な生き物なので、ある程度、以心伝心で相手の思いが伝わります。


それなら、相手のことを理解して、許そうと思うことです。


その念いは相手に必ず伝わります。


そして、あなたが変わると、相手も変わっていきます。


不思議ですが、変わってくるのです。


そうなりたい、と強く心の中で念えば、それは時間はかかる場合もありますが、必ず実現していきます。


最後は、「信じる」ことです。


信じる者は救われると言いますが、その通りです。


強くあって下さい。



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