北海道の地震。
北海道はそれほど大きい地震はなく、台風も10何年前に一度上陸したくらいで、
真冬の大雪、吹雪を除き、そんなに災害もなく安心して過ごしていました。
9月5日の夜中に台風が上陸し、
滅多に起きない私でも、飛び起きるほど家が揺れ、
怖くてたまらず、午前2時くらいから起きていました。
停電は2回くらい。
寝不足だったので、今日はゆっくり寝ようと眠りについたのが、
9月5日午後10時。
そして、
9月6日午前3時過ぎ、
夜中にいきなり、どっかーんと突き上げるように揺れたので、
飛び起き、
辺りを見渡し、何事!!??
と。
何かが落ちる音がしましたが、停電で真っ暗闇になったので、
一体、何が起きたのか分からず。
慌てて携帯を見ると、震度6(当時)の地震速報の羅列。
うちは元々テレビがなく、パソコンで時々見る程度ですが、
停電で見れず。
頼りになるのは、Twitter。
携帯のラジオアプリも電波が悪く使えず。
同じ地域で次々と異変を告げるTwitter情報を見ながら、
一人じゃないんだ、と少し落ち着くことができました。
真っ暗な窓の外を見ている間も家中が揺れ、
地震はわりと平気な私も、初めて手が震えました
家族にメールし、無事を確認。
とにかく早く止まれと、ひたすら祈る。
地球さんも、神社で自分たちの願い事ばかりするような信仰心のない人が増えて
悪想念がガン細胞のように巣食い、自浄作用でつらいだろうなと思いつつ。。
ラジオアプリの調子が良くなり、午前6時頃まで聴いていたので、
気付くと携帯の電池が残り30%。
温存しようといったん電源を切ったので、その間、なんの情報もなく、
外の様子も分かりません。
手動ラジオか、ソーラーか、電池ラジオでも一つはないと困ると痛感しました。
電池残量わずかな携帯で家族にメールし、
明るくなったら歩いて、このルートで家までお互いに歩くと決め、
落ち合うことに。
実家から徒歩20分の距離に住んでいて良かった…。
明るくなってから部屋の中を見渡すと、プリンターは移動し、
本が散らばり、棚の上の物が床に散乱していました。
ひと通り片付け、一息つく。
電気がないと、こんなに静かだったのかと気付く。
取り急ぎ、荷物をまとめ、外へ。
見たことのないような近所の人々が家の前を歩いていたり、
信号は消え、おまわりさんが笛で交通誘導してくれていました。
地下鉄のシャッターは下りたままで、
行きかう人々は部屋着のような姿で足早に通り過ぎていきます。
辺りを見渡す人、電話する人。
電話、なんで繋がるんだろう…。
私の携帯では、どこへも繋がらず。
家族と落ち合う道を半分ほど来たのに会えなかったので、
しばらくコンビニの前で待機。
店内は真っ暗で、駐車場には車たちが無造作に停められ、
色んな人が集まっていました。
電話が繋がらないので、とりあえず、実家まで行こうと歩いていると、
ほぼ実家の近くで家族と合流。
家が断水で、外の給水している所まで8往復していたそう。
全ての信号が止まっている光景は異様でした。
地下鉄、市電、バス、JR、全てが止まっているので、
仕事もほとんどの方が自宅待機。
実家で携帯ラジオを聴いて、ようやく被害状況が分かってきました。
外はサイレンの音だらけ。
少ししてから、歩いて、スーパーまで行ってみると、長蛇の列!!
私の家の方まで戻ってみると、その近くのスーパーはまだ列が少なかったので並ぶことに。
40分くらい?
普段は車移動の所をずっと歩いたので、歩数計が一万歩を記録。
クタクタで再び実家まで歩くと、近所のおじさんがバケツを持って何やら奥の方へ。
気になって訊いてみると、ここには飲み水があると。
まだあるよ。遠慮なんてしてたら生きていけないよ。
と言うので、いつもは遠慮しまくりの私ですが、
水いっぱいのバケツを担いで急な階段をはぁはぁしながら上りました。
段々暗くなってきて、今日の夜は暗闇だなーと思っていると、
電気が急に点き!!
歓喜の声をあげました。
電気のありがたみは凄まじい。
こんなにありがたい電気を供給してくれている北電にクレームをいれている人たちは、
徹夜で復旧活動している北電関係者一同様と同じ境遇を味わってみたらいいと思います
うちは奇跡的に電気がその日の夕方くらいに復旧してくれたので、
暗闇で過ごすことはありませんでしたが、ベランダの外は暗闇。
いつもはあんなに綺麗な街の灯りが…。
まだ大多数の方々が暗闇で不安な夜を過ごしているだろうと思い、
電気を消して、早々に就寝。
夜中もまたけっこうな揺れがあり、目が覚めましたが、
家族がいるので安心できました…。
次の日は食糧の買い出し。
長蛇の列に一時間くらい並んだと思います。
その次の日は市外だとガソリンスタンドに並ばすに入れるというTwitter情報から、
車で市外へ。
途中、液状化した地域も見ましたが、よく通っていたいつもの道が陥没していました…。
というか、マスコミだらけ!
ここら辺の渋滞はマスコミが引き起こしているのでは、と思うほど。
市外のスタンドは本当に2分くらい並んだだけで入れました。
スーパーも市外の方が穴場で、野菜や果物も買えました。
5軒くらいスーパーのはしごしたんですが、
牛乳と納豆とお豆腐はどこにもなく。。
疲れ切った夕方、ふと立ち寄ったスーパーに、
ただ今入荷しました!
という声が。
店員さんが牛乳と納豆を配っていたので、無事に買うことができました。
いつものスーパーのありがたみが身に染みます。
私たちは何気ない日常が、いかに恵まれたものであるかを
神様にもっともっと毎日感謝すべきだと心から思いました。
まだまだ余震は続き、今も揺れていますし、
これから本震も来るという情報もあるので、
予断は許しませんが。。
震源地近くの厚真町、むかわ町など、避難所生活を余儀なくされている方々、
一刻も早く元通りの生活に戻れますように。
悲しいニュースを知る度、心が痛いですが、道民一丸となって助け合いたいと思います。
また、昼夜問わず、働いて下さっている自衛隊の皆様方に心より感謝申し上げます。
北海道地震からわずか1分 自衛隊の迅速な行動に「さすが」の声
地震ニュースまとめ
さくらももこさん。
さくらももこさんが死去!?
とすごく驚きました
私は、ちびまる子ちゃんの漫画も全巻持っていて、
エッセイもとても面白いですし、絵柄もほんわかして好きなんです。
小さい頃から日曜のアニメもずっと観ていて、
大人になった今でも、日曜日という感じがするので観てました
さくらももこさんのブログも毎回読んでいましたが、
月1度の更新の時も闘病中だったのかと思うと…
5月のブログで、西城秀樹さんの訃報を悲しんでおられましたが、
その時も闘病中だったんですね。
ブログの更新が楽しみでした。。
53歳って早過ぎですよね
さくらももこさんは宝石がお好きで、
宝石を買うようになってから叩かれている記事を見たことがありますが、
宝石だって磨かなければ、ただの石で、
何億年もかけて、とてつもない圧力や温度、奇跡のような条件が重なって、
暗い地底で眠っている、地球が作った奇跡の結晶です。
人間に掘り起こされて、磨かれて、初めてキラキラと輝きを放ちますが、
その中に、地球の何億年もの生命の輝きを感じるので、
鉱石好きの私も、気持ちがすごく分かります。
宝石になると値段がすごいので、叩かれるんでしょう。
私は磨かれていない原石も好きですが、
自分で努力して得たお金で、好きな物に囲まれる生活はとても素敵だと私は思います。
勝手に、とても身近に感じていたので、悲しいです。
ご冥福を心より、お祈り致します。。
ほんわかした絵も、切ないお話も、笑えるお話も、
素敵な作品をこの世にたくさん生み出して下さり、
本当にありがとうございました(´;ェ;`)
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声を出して笑ってしまうお話がたくさん。
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大野君と杉山君の二人はヒーローです。
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6巻は、まるちゃんが初めて行った、南の国で出会った女の子プサディーとの
夏の思い出が切なくて、おすすめです。
何度も読んだので、一緒に夏休みを過ごしたかのように
プサディーとのお別れが辛かった
奥入瀬渓流へ。3
弘前公園さくらまつり。2
弘前公園の桜。1
生霊の話。
「天才を育てた女房」を観て。
何だか最近、道行く人を携帯で撮ったりしている人が増えたのを「自分がやられたら、やだと思わないのかな」と違和感を覚えていました。
自分が同じことをされたら、すごく嫌だし、秋葉原の事件の時もお亡くなりになった方の写真を携帯で撮ってSNSで拡散した人たちが沢山いたことに絶句しました。
自分の大切な人が目の前で刺され、息も絶え絶えになって、血を流し、苦しんでいる姿を他人が写真に撮り、SNSにアップしたらどう思うだろうか。
苦しくはならないだろうか。
最近では、富士の樹海での海外の有名YouTuberが起こした事件が記憶に新しいと思います。
日本人だけではなく、海外でも起こっている、この現象に違和感を覚える人と、分からない人とがいるらしいが、この感覚は何なのだろう。
自分ではない、誰かの身に起こった悲しい出来事を自分の身に起こったのと、同じように悲しく感じ、苦しくて胸が張り裂けそうになる感覚。
共感性とでもいうのだろうか。
どうやら、「小我」と「真我」が関係するらしい。
小我は、肉体の自分を本来の自分であるとし、その中から抜けられない状態で、
真我は、肉体の自分は本来の自分ではないとし、肉体の自分から抜け出した状態。
だから、小我の状態の人は他人の苦しみ、悲しみ、気持ちが分からずに共感できない。
逆に、真我の状態の人は、すでに肉体を持っている今の自分は、それが全てではなく、魂(心、情緒)が本来の自分だと悟っているので、他人の気持ちに共感でき、人の苦しみ、悲しみを自分の身に起きたのと同じように苦しみ、悲しむことができる。
すでに小さな頃から他人の気持ちに共感でき、同じように苦しみ、悲しみ、涙することができる人は、前世も前前世もずっと心の教えを学び、修行してきた人なのだと思う。
加えて、幼少期から、情緒を慈しむ教育を受けてきた人はこの共感性を持つに至るのだろう。
以前、「共感性羞恥」という言葉が流行ったが、それも似たようなことなのだと思う。
他人が怒られていると自分も怒られている気持ちになり、苦しかったり、
他人のスカートがめくれそうになっていると自分も顔が真っ赤になり、やめて~となったりする。
なぜ、急にこういうことを言い出したのかというと、
この前、「天才を育てた女房」を観て、世界的数学者、岡潔という方に興味を持ち、岡潔先生の「情緒の教育」という本を読んだからです。
世界レベルの数学者にもなると、集中力が半端ではないので、段々と瞑想状態になり、あちらの世界にトランス状態になるそう。
私は数学が苦手であり、特に証明問題、確率問題が不得手であるので、数学の問題を突き詰めてトランス状態になるなんて有り得ないですが、何の世界にせよ、
あるひとつのことを集中して考えていると、パッと何かが閃き、答えが出たという感覚は凡人でも感じることができるのではないかと思います。
その極限までいくと、数学に限らず、あらゆることに通じる心の教えに到達するのだと思う。
湯川秀樹の「天才の世界」はすごく面白かったと、以前、ブログにも書きましたが、凡人にも天才の世界を垣間見ることができるのでおすすめです。
湯川秀樹先生は、「天才の世界」の中で、ニュートンはプリンキピアを数学の聖書のつもりで書いたと言われましたが、同じ天才にはそのことが分かるのでしょう。
まるでこの宇宙、
僕はその謎を知りたい
それが夢なんや
明けましておめでとうございます☆
サンタクロースとパラレルワールド。
クリスマスですね。
最近、色んなブログで、夜、子供たちが寝てからプレゼントを用意している様子などがアップされていますけど、風情がないなぁとちょっと思ってしまいました。
今は子供たちもネットを見るんだから、あまり言わなくてもいいんじゃないのかぁと思いましたが、時代だから仕方ないんでしょうか。
子供同士でも、「そんなのいつまで信じてるの?」とか、色々言われるし、サンタは親なんだから、うちには来ないとか言われるご家庭もあるようなので、家庭によって差が激しいですよね。
いる、いない、の議論が巻き起こるから、クリスマスにプレゼントをくれる人=サンタさん、でいいんじゃないのかな。
サンタさんは信じる人の心の中にいる、という言い方もされますが、それは本当にそうで、
人が心の中で思い描くことの数だけ、パラレルワールドというものがあって、そこにはサンタクロースが実在している世界も当然あります。
パラレルワールドの話を何だか不思議な、頭の中がお花畑みたいな、単なるスピリチュアル好きだけが信じるものと考えているかもしれませんが、物理学者で論理的にその存在を証明している方たちもたくさんいます。
ミチオ・カクさんの「パラレルワールド」、「フィーチャーオブマインド~心の未来を科学する~」は分かりやすい書き方で書かれていて面白いです。
パラレルワールド 11次元の宇宙から超空間へ Amazon |
フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する Amazon |
今いるその場所がどこかのパラレルワールドと重なっていて、そこに行く方法が量子力学のお話で何年も前から自己啓発セミナーなどで取り上げられていますよね。
例えば、未来にこうなりたいと思い描いて、実際にそうなったかのような振る舞い、行動をしていれば、近い将来、実際にそれが実現しているのと同じで、三次元世界だと時間はかかりますが、その世界に行くことは可能になります。
すごく敏感な人だと、今自分がいる場所がどこか別の世界に通じているのを感じることができますが、ネガティブなことばかり思っていると、、地獄的な世界に通じてしまうので、心を強く、明るく、積極的な波動が出るように常に気を付けて整えておくことがとても重要になってきます。
お釈迦様はそういう心の教えを説いていましたが、この前、お寺の住職さんが「死んだら無になるだけです。無意味なものです。」というようなことを実際に言っているのを聞いて、仏教を学んでいる方々に無神論者が多いというのを目の当たりにして驚きました。
本当に大切なものは目に見えないという真理すら分からないで人を救えるんだろうか。
職場でサンタさんの話になった時もサンタさんが実際にいるとか言ったら、「いないよ」って、ものすごい冷たい目で見られたりして、
パラレルワールドの話さえするのも気が引ける世の中がちょっと寂しい
そういう人でも、「私、(霊的なもの)感じるから。ここは大丈夫。」とか言っていたりするので、見えないものの存在を全否定しているわけではないようです。
ただ、その方、過去の背景とか聞いている限り、相当悪いものを背負っているようですので、それが背後に間違いなくいると思うのですが、その重いものを背負っているのにそれに気付けていない時点で信憑性には欠けるかなとは思います。
真実は真実、事実は事実、目に見えないだけであの世は確実にあるし、目に見えない存在は無数に存在する、ただそれだけ。
証明してみろと言う人がいますけど、愛を取り出して証明するとかできた人は一人もいませんが、ただ感じることはできます。
親切にしてもらったり、したりすると、心が温かくなる、それが愛だと人は感じますが、目に見える形で取り出すことはできません。
それと同じことが全宇宙に満ちています。
スターウォーズでいう、「フォース」に当たると思います。
フォースはある特定の人の中だけにあるのではなくて、生きとし生けるもの全ての中にあるのだけれど、気付いて操れる人がごくわずかなだけ。
そういう、目に見えないものは実際に存在していて、ただ気付ける人がごくわずかなだけ。
目に見えないものが実在するということを心から信じる者の一人として、それを主張して終わりたいと思います。
MerryChristmas