ポストたずねて三千里

ポスト大好き!昔から町角に立っている円いポストさんを探して全国を歩いてます。


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開戦記念日

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        蓑毛大日堂の聖観音


走る人昨日は大東亜戦争の開戦記念日でした。

いまでは大東亜戦争のことを、太平洋戦争

というそうですが、あの当時の日本人は

すべて「大東亜戦争」と言っていました。

太平洋戦争という言い方は戦後のことです。





 大東亜戦争は、欧米列強から完全にバカに

され、奴隷状態にされていたアジアの国々を

解放し、独立をめざす戦いを日本が挑んだ

戦争でした。

 いろんな見方があるでしょうが、このアジア

解放という側面があったことは確かな事実です。




大東亜戦争は日本が負けましたが、

アジアの国々は独立を果たしました。

中国でさえ毛沢東は旧日本軍の助けを

借りて蒋介石の国府軍を台湾へ追いやり

今の中国を作ることができたのです。





お国のために命を捧げた

英霊の死はむだではありませんでした。





英霊は靖国神社に祀られて

います。





内田康夫の「靖国への帰還」を

読みました。

昭和20年5月、厚木基地を飛び立った

夜間戦闘機「月光」が、

62年後の厚木基地に帰還する物語

です。





タイムスリップとして全世界に報じられ、

帰還した中尉は「生きて帰還した英霊」として

マスコミに翻弄されます。






 中尉には恋人がいました。

 自分のお墓の前で、

偶然かつての恋人に再会します。

 中尉は20代の若者のままで、

女学生だった恋人は老女になって

いました。







 最後に、中尉は単身「月光」に乗り込み、

厚木基地を発進します。

このくだりで涙が止まりませんでした。





 「月光」が有名なのは

ラバウルの第251航空隊の小薗安名

司令が、20ミリの斜め銃を取り付けた

ことにあります。





その結果命中率が格段に上がり、

それまでてこずっていた夜間襲来の

米軍爆撃機B17およびB29を次々に

撃墜したのです。

小説の主人公の中尉は、厚木に

その人ありと知られた撃墜王でした。








 




蓑毛大日堂ぶらり散歩

ポストたずねて三千里  




走る人11月の初旬、

蓑毛大日堂を訪れました。






紅葉はまだのようです。






お堂の中で、

いちばん奥に位置する

地蔵堂へ

まず行きました。






地蔵堂の前に

名も知れぬ

お地蔵さまが

鎮座されていて






私に語りかけて

きます。






去年もそうでした。





去年は大日堂へ

まず

お参りしてから

地蔵堂へと

回ったのでした。





あたりは

静寂につつまれ

鳥の声すら

聞こえません。




お地蔵さまは

沈黙のまま

語りかけます。





空はあくまで

青く

伯爵夫人の雲が

浮いています。




いまはもう秋②

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   秋を告げるあおさぎ




走る人長雨があがると

本格的な秋の季節に入る。






きょうこの秋はじめてジーパン

をはく。

長袖のシャツに袖を通す。






尖閣が風雲急を告げるというのに

我が国の宰相は

白鳳と日馬富士の一戦に

鳥肌立つたと感想を述べた。







鳥肌立つのはふつう

若い女性だろう。

おじんの宰相が

使う言葉か。

ヘンではないか?







どこかトンチンカンな一国の

代表は、国連で演説するそうだが

何を言うか心配になる。






レーダーが捉えにくい

オスプレイが飛んだ。

事故は起こしてない。

日本人の大半は

オスプレイに反対

のように見える。







皮肉なことに

オスプレイは

尖閣に迫る中国海軍を

抑止する力になる。

先日グアムで日米が訓練した

海兵隊の敵前上陸作戦は

そのまま

オスプレイが活躍する場面

を想像させた。






オスプレイが活躍する場面は

現実には

実現しにくいが、

いまの中国政府中央の権力争い

のなかでは、

対日強硬策をとらないと

自分の立場が危なくなるから

ひょんなことから

尖閣有事が勃発するかも

知れない。







そうなれば、

これまで悪者にされてきた

オスプレイが

一躍、

英雄の座を

かちとる場面が

出現するかもしれない。








バンビの長城

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走る人九州でJRの列車に

はねられる小鹿が

増えているそうだ。





小鹿のバンビを守るため

金網フェンスを張ったのだが

いくら張っても

足りない。





フェンス~バンビの長城~は、

4キロを超えたという。

お金もかかるだろうから

大変だ。






一番バンビが出没するのが

肥薩線だそうだ。






肥薩線といえば、

「いさぶろう号」と

「しんぺい号」が

走っている。






人吉と吉松の間を

走っている。







嘉例川(かれいがわ)

なんて駅もあった。






矢岳、真幸あたりから

見る霊峰霧島の姿は

神々しい。






もう ン十年も前になるか、

蒸気機関車に乗って

矢岳トンネルを

越えたのは。






紅顔の美少年が

青雲の志を抱いて

都へのぼったのは。





ああ、もういちど、

肥薩線に乗って

旅をしたい。







いまはもう秋

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走る人きょうは秋の空。





 しかし

 暑い。






 ぺタを7つ押しながら、

このブログを果たして何人が

読んだのだろう?

とかんがえる。





 この面白くもないブログを

いちいち読む人がいるのだろうか

と思う。






 ブログは、たんなる

暇つぶしだと思っている。

毎回適当に書いている。







 このようないい加減なブログを

まじめに読むひとが

世の中にいるのだろうか

と、うたがう。





 ところで話はころっと変わるが、

浅見は、車を運転中に、

前方の歩道を歩いている男が

自分の車に飛び込むのを

予知する。





 浅見は車の速度を落とし、

男がいつ飛びこんでもいい

ように心の準備をする。





 浅見の予想通り、

男は浅見の車めがけて飛びこむ。

 浅見はブレーキを踏む。

 男の数メートル手前で

車は止まる。





 周囲の人が集まってくる。

 浅見は車から降りる。

 男は、道路の上で丸くなって

居る。やがて起きあがり、

バツの悪そうな顔をして、

コソコソと、その場を立ち去る。






 浅見は、自分自身で

なぜ男が飛びこむのを予知できた

のかをかんがえた。

が、よくわからない。





 これは絵空事ではなく、浅見の

実体験だ、と

作者は書いているから

ややこしい。





 ようするに、

浅見には常人にはない予知能力、

霊感が働くのである。

 これは一種のスーパーマンで

あり、読者にとってたまらない

魅力である。






 もうひとつ。

浅見には独特の正義観がある。







 この世に絶対的正義というものは

ないが、

 それならこの世に正義はないのか

と問われれば、

「ある」と答える。





 絶対的正義はないのだから

不正を働いてよいという論理は

間違いだ。





 この世の正義をまもるために

あえて犯罪に目をつぶる、

こともある、というのが

浅見の正義観の特徴だ。






 

「相棒」の杉下右京なら

「あなたのやったことは

絶対にゆるされることはない

のですよ!」と、

ほっぺたをふるわせて

言う。






 世の中には、見て見ぬふりを

するのが最上の解決策という

場合がある。

 しかし杉下右京は、けっして

見て見ぬふりをすることが

できない。

 小野田官房長から、いつも

それを指摘される。


「もうすこし大人になれない?」







 浅見の場合は、

だまってその場を去るのである。

 たとえその罪が

重大な違法行為

(たとえば殺人)であったとしても。






これは

なまやさしいことでは

ない。






そういう人物なのである

浅見という男は。


 







白露のころ

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走る人白露のころ。

 もうちょっと秋らしく

なってもいいのに、





そらにはもくもくと

入道雲。





まだ真夏の暑さだ。





喫茶店の冷房が

ありがたい。





アイスコーヒーを注文して、

文庫本を開く。

例の浅見光彦シリーズ。





浅見はお化けがコワイ。

無神論者なのに

なぜかお化けの存在を

肌身に感じる人だ。

だから

夜がコワイ。






きっと幼児のころの

体験があるのだろう。

理屈ではお化けなんか

いるわけない、と

わかっていても、

コワイものはコワイのだ。






霊感体質の人に多いのかも。

浅見光彦は霊感が強い。

なにか胸騒ぎがするのだ。

胸騒ぎは、かならず重大事件の

前兆である。





浅見光彦のカンは

いつも的中する。





そうしてみると、

お化けがコワイというのも

なにか

浅見のカンと関係がある

のではないかと

思われるのだ。










夏の終わり③

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 走る人東林間駅を降りて、

西口に出る。

大通りに出て左へ行く。






しばらく行くと右に農協。





さらに行くと右に神社。

東林間神社という。

あまり大きくない銀杏が

二本立っている。

樹齢60~70年くらいか。






次の四つ角を右へ。

そこに九州ラーメンの店が

ある。






そこに入る。

長崎ちゃんぽんを注文する。





巨大なピラミッドの

どんぶりがでてくる。

もやし、チャーシューなど

たくさんの具が

どんぶりの縁から10cmくらい

盛りあがって、

ピラミッドになっている。





これを全部平らげるには

相当な覚悟が要る。

うまい。





夏の終わり②

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走る人雨が降って

 すこし気温も下がり、

 熱中症の危険から

遠ざかった。





かとおもいきや、

また暑さが舞い戻った。

夏の終わりは

いつもこうだ。

暑さがストーカーのように

しつこく付きまとってくる。







 こういう日は小田急に乗る。






 電車の中は冷房がきいて

すずしい。

のんびりしたらカバンの中から

内田康夫の「○○殺人事件」を

取りだす。





 このところ、内田康夫の小説に

はまっている。


作者の”自作解説”が気にいった

からだ。






 この作者は、小説を書くのに

プロットを書かないそうだ。

 ふつう作家はだれでも小説を

書くとき、まえもって下調べをして

全体の構成を組み立てる。





 この作者はそれをしない。

漫然と書き始める。

そこで事件が発生する。

しかしまだ犯人はわからない、

動機もわからない、

書きすすめるうちに

犯人とか動機がだんだん

わかってくる。

すべてがなりゆきまかせ

なのである。


 





 そんな書き方をするらしい。

ウソかほんとかしらないが、

自作解説ではそう言っている。






 そういう書き方をすると、

途中でこんがらがって、

いっぺん死んだはずの人間が

いつのまにか生き返って

いたりする。

雑誌に連載中にそういうことが

じっさいにあったそうだ。






 


 この作家の面白いところは

そういうでたらめで、いい加減な小説

の書き方をしながら、

自作を「なかなかの力作だと思う」

などと、自画自賛するところにある。






 主人公の浅見光彦と軽井沢の

センセ(作者自身のこと)が両方とも

小説のなかに登場したりするのも

この作家のシリーズの特徴で、

浅見から見たセンセは、

浅見の解決した事件を勝手に

小説のネタにするずうずうしい

作家である。

そのくせ事件解決を浅見に依頼

するときは、旅館代をけちる

けちん坊である。

かつてテレビドラマで主人浅見光彦

役を演じた榎木孝明も出てくる。






彼の配役に大賛成した作者は

その理由として実際の浅見に似て

いることをあげている。

この辺が面白い。





作者内田康夫の写真を見ると、

すこしばかりだが、

榎木孝明に似ている。








 浅見光彦の家は東京北区にあるが

近くの平塚神社の境内の茶店

「平塚亭」が小説の中にしょっちゅう

登場する。





 ここの団子がうまいらしい。

 私はまだ行ったことはないが、

この「平塚亭」は実在するらしい。





 このような虚実ないまぜの自作

解説を読むのが楽しみの一つだ。

 流行作家の小説は読まない

主義の小生が、

内田康夫を読み始めるにいたった

理由は、まさに、

この自作解説にある。






小田急を「東林間」で下りる。




夏の終わり①

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走る人奇兵隊150年記念とやらで

山口県萩市では、

奇兵隊の兵服を再現するのだ

そうだ。






 日本で最初の洋服だという。






 写真が残っているから

再現するのはそんなに困難では

なさそうだ。






 詰襟服で、ボタンがやたらに

多く、帽子はなにやらアメリカの

南北戦争に登場する兵士の

ものに似ている。






 奇兵隊といえば高杉晋作だ。

高杉のようなするどく将来を

見通す人物が今の日本には

必要だ。






 奇兵隊の服を再現するだけでなく

高杉のような人物の登場を期待

したい。







やまとなでしこと風船爆弾

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走る人『女子挺身隊の記録』いのうえせつこ著

(新評論・1998.7)と『日本軍の小失敗の

研究』三野正洋著(光人社・1995)の中に

風船爆弾の記事が出ています。







それによると、大東亜戦争末期の昭和19年

11月から開始された「フ号兵器作戦」というのが

風船爆弾によるアメリカ本土爆撃作戦でした。

「フ号」の「フ」は風船の頭文字でしょうか。






 風船爆弾とは、和紙で貼りあわせた直径10メートル

の巨大な風船に水素ガスを詰め、15キロ爆弾1ヶと、

6キロ焼夷弾2ヶをつり下げたものです。

 それを千葉県と茨城県の海岸から飛ばしたのです。

 冬のジェット気流に乗れば、風船は2,3日後には

北米大陸に到着します。

大陸間を渡った世界初の無誘導爆弾でした。









直径10メートルの風船を和紙で作るというのは

考えただけでも気の遠くなるような話です。

和紙を貼り合わせる接着剤としてこんにゃく糊が

使われました。





24時間体制で30,000人が風船貼りの作業に

従事したと言います。主として女子学生です。

日本全国と満州(新京)をふくめた25ヶ所で

風船貼りをやりました。






なかでも、原紙作りから組み立てまで一貫して

製造したのは、全国でただ1ヶ所、福岡県の

小倉造兵廠でした。

 作業を担当したのは九州全域の女学生の

女子挺身隊員でした。






 原紙貼りあわせのとき使うこんにゃく糊の中に

サルチル酸が入っていたので、皮膚が溶けて

指先から血が出たといいます。





 やまとなでしこたちが指から血を流して作った

風船爆弾の戦果はどれほどのものだったのでしょうか?

 爆弾は9、000個放たれて、285個がアメリカとカナダに

落下しました。

 最も多かったのはオレゴン州の40個でした。

 被害はあったのでしょうか?







 被害はあったのです。

 死者6名。

 アメリカ、オレゴン州のブライという小さな村で、

ピクニックに出かけた牧師夫人と5人の子供たちが、

木に引っ掛かった大きな風船を発見し、それに触れた

ところ爆発して全員が死亡したのです。

牧師夫人は身重だったといいます。厳密には死者は

7人です。







 オレゴン州ブライには犠牲者の慰霊碑が建てられ、

戦後50年たってから当時のなでしこたちの数人が

現地をおとずれ、犠牲者の遺族に対し追悼と謝罪を

行ったと言います。りっぱな行為だと思います。

 






 なでしこたちは「加害者」として、謝罪したのですが

果たして、なでしこたちは「加害者」といえるでしょうか。

断じて「ノー」です。

 彼女たちは「被害者」でした。

 「加害者」は「フ号兵器作戦」の立案者であり、

それを推進した陸軍第九技術研究所であり、さらに

いえば大日本帝国そのものです。






 でも彼女たちは慰霊碑に頭を垂れたのです。

 これこそがやまとなでしこの真の姿です。






 風船爆弾の戦果はともかく、アメリカは

日本がこの爆弾に生物化学兵器を搭載する

ことを極度に恐れました。

 ですから、アメリカ本土に到着した風船を

処理するのに厳重な防毒マスク、防毒衣を

着用しました。そして厳重な報道管制を敷き

ました。






 その結果、日本は風船爆弾の効果を知ること

が出来ませんでした。

 もし日本軍が細菌を風船爆弾でふりまいたら

アメリカ本土は大混乱に陥ったかも知れません。

 しかし日本軍はそれをしませんでした。

 細菌兵器の研究をやっていた日本軍が、

なぜやらなかったか、ほんとうのところはわかりません。







 一方アメリカは、広島と長崎に原爆を落とし、

民間人を大量虐殺しました。

 広島と長崎に毎年慰霊にくるアメリカ人は

多数います。

 戦争を憎み、戦争を起こさないためにも、また

不幸にして戦争にふたたび突入したときのためにも、

戦争の実態を具体的に知っておく必要があります。

戦争経験者は、後世につたえる義務があるのです。

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