ポップ・ミュージックのトリコ -87ページ目

ポップ・ミュージックのトリコ

流行音楽を聴きながら、人生を音楽で豊かにしたいと願う、私的でミーハーなブログです。

監督 福田己津央

 

ジャンル アニメ

 

出演 保志総一朗 田中理恵 石田彰 森なな子 鈴村健一 坂本真綾 折笠富美子 三石琴乃 子安武人 関智一

 

鑑賞方法 ドルビーシネマ

 

公開されたらすぐにでも観たい衝動をこらえてドルビーシネマでの公開を待って鑑賞。

その時間をつかって『SEED』・『SEED DESTINY』を全話鑑賞。おさらいをしっかりしたうえで臨みました。

そりゃ20年も待ったら細かい事忘れてますからね。

ただ見直して思い出したのは物語の結実に向かうにつれて露呈する閉塞感。

戦うロボットアニメの代名詞であるガンダム作品なのに、テーマはまさに日本が抱えているような「非戦」による世界の実現は可能なのか?という壮大なもの。

ただ。これは戦闘と勝利を物語の軸に据えて主人公の成長を語ることをができなくなり、主人公たちは戦闘しながら戦うことを否定するというパラノイア的な状況に陥る負のスパイラルに絡めとられてしまうため、ストーリーにカタルシスを得られないという致命的な弱点が発生してしまいます。『SEED』ではそんな矛盾を抱えながらも今はその実現のために戦う、という選択を取り、主人公は絶望しながら戦い抜くという修羅のみちを進むことで、奇跡的にもガンダムにしてガンダムらしからぬエモい作品に昇華していました。一方『SEED DESTINY』ではその連鎖を断ち切ることを物語冒頭で宣言してしまうため、いよいよ何に向かっているのかさっぱりわからず、着地をどこにするのかも見当がつかなくなってゆきます。そりゃこれがガンダム以外の幼稚な作品なら「モビルスーツは全機破壊され、核兵器も根絶され地球は未来永劫に平和になりました」という筋書きが許されますが、残念ながらリアルロボット路線の先駆者たるガンダム作品が、そんなバカみたいな世界を実現してしまうのは土台無理な話です。結局黒幕は戦争をビジネスとしている軍事産業としてつるし上げ、それを排除したうえで、実は全人類を全体主義による管理社会の実現により支配する独裁者の存在こそが悪でした、という物語の大どんでん返しで切り抜けたのが『SEED DESTINY』でした。

政治的・軍事的な決着は「モヤっと」しながらも何とか着陸させることに成功しているのですが、終盤においてはそこに物語の配分を置きすぎたので、各キャラクターの成長という意味では消化不良な終結のままになってしまっていました。

さて、そんな中、劇場版の『SEED FREEDOM』です。

これは『逆襲のシャア』が『Z』『ZZ』を通じて語れなかったアムロとシャアの物語に終止符を打つ作品であったように、キラ・ラクス・アスラン・カガリ・シンにもうワンチャンス用意して彼らの群像劇に何らかの帰着点をつけるための作品になることは明らか。

 

そんなことが2時間ちょっとの上映時間でやり遂げられるのか心配でしたが、見事納得のいくエンディングをみとどけることができました。

 

そしてその筋書きに用意されたのは自由主義を脅かしつある、権威主義あるいはエリート主義による支配の是非。いままさに世界が向かっている新秩序に対するガンダムSEEDなりの回答になっていて、ただの終章映画になっておらず現代的な問題提起を行っているのもすごい。

 

こんなの見せられたらまた続きが見たくなる・・・いや、それはまた20年後になってしまうのか。

 

監督 ヨルゴス・ランティモス

 

ジャンル ドラマ コメディ 恋愛

 

出演 エマ・ストーン マーク・ラファロ ウィレム・デフォー ラミー・ユセフ ジェロッド・カーマイケル クリストファー・アボット スージー・ベンバ キャサリン・ハンター ヴィッキー・ペッパーダイン マーガレット・クアリー

 

鑑賞方法 映画館(近所行きつけ)

 

最近の映画館は話題作を観に行ってもびっくりするぐらい客の入りが悪かったりするのですが、今作はさすがに8割ほどは席が埋まっていて何だか上映開始までワクワクする雰囲気が館内に漂っていました。

前情報では何だか癖のあるアート映画っぽい作風ながら、しっかりお金がかかった大作でもある歪な長編ということで、一体どんな作品なのかと身構えましたが、まあディズニー配給だから過度な心配も要らないのかな、と思っていたのが間違い。

そりゃ18禁ですよ、さすがに。

エマ・ストーンの全力投球の演技にウィレム・デフォーの快演が、この浮世離れした歪んだ舞台装置に真実味を与えて、すっかり映画世界に引き摺りこまれます。

扱うテーマは家族・社会の抑圧からの女性の解放であったり階級社会への問題提起だったりでそれを鳥獣戯画のように描く本作はまるで8頭身のドラえもんが実写で登場するようなおかしさとグロテスクさがあります。

 

作品中にでてくる人物たちは全員一様に哀れで、タイトルの意味する「まあ、かわいそうに(=Poor Thing.)」という言葉は何かが欠落した愛すべき登場人物全員に投げかけられているのでしょう。

 

主たる登場人物たちは各々がその欠落からくる自己矛盾による困難に向き合わされ、気づきや変化を経て映画は最後の時を迎えます。

何か大きな変化が世界にもたらされないにしても、こうして人類は進歩してきたし、これからも進化するのでしょう。

その物語を俯瞰しながら導く「老賢者」が女性になり、「太母」はGodことゴドウィンという男性に託されて男女逆に描かれていることがこれまでのハリウッド映画の常識からは外れています。

 

バービーが思春期の子供のための作品なら、この作品はアカデミックな教養としてバービーを高次元に解釈した味わいに仕立てた娯楽作品です。

監督 シャーロット・ウェルズ

 

ジャンル ドラマ

 

出演 ポール・メスカル フランキー・コリオ セリア・ロウルソン・ホール ケイリー・コールマン サリー・メッシャム

 

鑑賞方法 自宅にて動画配信を視聴

 

そりゃあれもこれも映画館で観るにこしたことはないけど、そんなにヒマを持て余している訳でもないので、自宅での動画観賞も映画を観るのに重要な手段。

自宅で観ると、どうしても室内の光が画面に映りこむので基本的に暗い絵作りが多い映画は鑑賞の環境が悪くなりがちなのですが、ようやく映画鑑賞をストレスなしに観られる環境を年末に整備。

 

どうしたって映画館には敵わないものの、いつでもトイレに行けるし、好きなものを飲食できるし周りに気を使う必要がないことは、それはそれで格別な体験です。

選択肢に、ドルビーシネマ、IMAX、地域最大のスクリーン、両側自分用ひじかけがあるプレミアムシート、近所の行きつけの映画館、自宅モニターでの視聴、iPadでの視聴と7通りくらいあるので、そのどれにするのかを考えるのも楽しいポイント。

 

そして今回はこの映画は自宅鑑賞を選択。

あらすじを調べたら自宅で主人公が過去に撮影されたハンディカメラの録画映像を部屋で観ている、という設定だったので、むしろモニターで観るべきだという理由。

 

さて、内容なのですが、これはなかなかに強烈な映画でした。

主人公が過去に父親の撮ったビデオ映像を観ているのですが、それによって観ている劇中の主人公が撮影者ですでに他界したと思われる父親のことに思いをはせる内容となっており、その映像をとおして、この映画を観ている我々も自分の脳内に自信の体験記録のメモリー(思い出)を呼び覚ましながら映画体験を補完してゆくことになります。

このあたりの観客のいざない方は凝りに凝っていて、映画のはじめのほうで、ピントをいたずらで娘が父のカメラを使って撮る父親に向かわせて、そこからカメラを持っている娘にピントをあわせ、それすらモニターに反射した映像であるという仕掛けで”これはあなたのストーリーです”と説明抜きに感覚だけで引き寄せてしまうようにできています。

 

こうなると本作の映画体験はこの映画単体だけの体験ではなく、その映画体験でダブらせることになる観客自身の家族の脳内メモリーの話をしないといけなくなります。自分はこの作品のビデオカメラ映像を通じて、脳内に別のカメラ映像が同時進行で流れました。

それは父親がビデオカメラで撮影した親戚を巻き込んで行った大家族旅行の映像です。

まるで中国人のツアーのような一族での旅行は、7人兄弟で末っ子だった母が病気で体調が悪くなったりし始めた姉妹をみて、元気なうちに全員集まって思い出を作りたいと企画したもので、父が映す映像には子供にようにはしゃぎまわる母の姿がありました。この映像は母が他界したあとも10年ほど見つからず、父が他界した昨年に遺品整理していた弟が見つけて、この映像をみながら、兄弟で何も言わずに涙を流しました。父はレンズを通して母の幸せそうな表情を見つけてはそれを景色そっちのけでカメラで追って最大限にクローズアップしていました。

映像から母に末期がんが見つかる直前の映像であることが読み取れ、それから12年経って、撮られた母も撮っている父ももうこの世にいない、という現実。

悲しいことに母も5人兄弟の末っ子だった父も兄弟で一番早くこの世を去ってしまいました。

自分が親になってはじめて知る親の苦労。

この映画では夜に赤ちゃんが泣き止まない描写が出てきます。

これは子育てした人ならだれでもわかる子供を育てるとき一番初めに訪れる試練で、「これを乗り越えた親ってすご」って思う最初の一つです。子供は親のことをを慮ることができないばかりに他者としてうまく認識できないわけですが、その結果当然のように享受していた親の愛やその裏側での親の悲哀を見抜けずに無邪気に過ごします。

そして親の気づかぬうちに確実に子供は成長し、親を絶対的なものからひとりの大人として徐々に認識を変化させそれが親離れとなり、思春期に向かいます。

この映画はそうしたいくつもの世代の中で万人に繰り返されてきた気づきと後悔の連鎖を映画作品として切り取った作品で、父と娘のひと夏の思い出の記憶は誰しもが共感でき、思いをはせる体験になって、作品を観終わった後も、いやむしろ観終わった数日後にじわじわと大きくなって感動をもたらしてくれます。

 

ちなみに劇中で使われるREMの”Losing My Religion”と”デビッド・ボウイ&クイーンの”Under Pressure”が秀逸すぎ。これとブラーの”Tender”がいまだに頭の中で再生されています。

aftersunとは日焼け後に塗るクリームの商品名とのことですが、私にとっては、観終わった後に日焼けのごとくずっと脳内に残る余韻に塗る薬としてこれらの曲をことあるごとに聴いています。