
監督
ショーン・ベイカー
ジャンル
ドラマ
出演
マイキー・マディソン as アノーラ
マーク・エイデルシュテイン as イヴァン
ユーリー・ボリソフ
カレン・カラグリアン
鑑賞方法
映画館 行きつけの近所の映画館
映画レビュー、少し間が空きましたが、再開します。
ちょっと体調を崩したりしていて、観るには観たけどそれをアウトプットするにはヒットポイントが足りない状況だったもんですから・・・。
キャプテン・アメリカとかブルータリストぐらいから振り返ってやろうかと思いましたが、やっぱり観終わった後の衝撃の強さでは本作がここ最近では一番凄かったのでこれからいきます。
観たのがアカデミー賞授賞式の前日。
やっぱりこれを観ずに授賞式を観ても楽しさ半減だろうと何とか頑張って鑑賞。
ただもう観終わった後はワイパー音が頭から離れない状態で最後の展開のラストの余韻から抜け出せず立ち上がれませんでした。
ショーン・ベイカーの作劇の魅力は登場人物の活き活きとした活写にあり、織田作之助の『夫婦善哉』とかに通じるどうしようもない登場人物たちが絶望的な環境の中で生き抜くことで織り成す群像劇を見せられるうちに、知らず知らずのうちに登場人物たちのことを大好きになってしまうところ。
ほんとにこの監督はいい人なんだろうな、ということが作品から感じ取れるんですよね。
アニメで言えば『じゃりン子チエ』みたいな感じ。
アノーラは言ってみれば大人になったチエちゃんみたいなもので、観た人なら彼女のことを好きにならずにいられません。
ショーン・ベイカーはここ数作で自身で自分の映画のその武器に気づき、本作はそれを活かして最後に爆弾をひとつ用意してます。
もう終盤まで映画を観たなら間違いなくアノーラと用心棒の青年を観客が好きになってしまっているのが分かっているからこその突然すぎる展開。
監督のしたり顔が目に浮かびますね。
あえてこの展開の意味するものがなんであるかはわからないようにつくってありますが、移民の出自を持つ二人がストリッパーと下っ端の用心棒という底辺から抜け出せない職業のわかりやすいメタファーであることは今の米国の多くの人が感じている状況を映す鏡として使われていると感じました。
米国では日本の所得税の控除額の話とは比べ物にならないレベルのものすごい減税を考えていて、実現すれば国民の9割に当たる人は所得税を払わなくてもよくなるとのこと。そもそも国民の1割に当たる人がおよそ7割の金額を占めているらしく、そんなに国家財政の危機につながるような大きな額にならないとのこと。
それはつまり国民の1割の人の所得がバカみたいに多いということ。
つまり9割の米国人の所得税なんてほかでどうにでもなるという話。
国民とは労働者とほぼ同義語だった『資本論』出版のころとは隔世の感があり、国民とは消費者なのが現状。
まあ、多くの人の生活はギリギリで、徴税しなくてもその分は結局消費に回るときに消費税や関税としても帰ってくるという読みでもあるのでしょう。
その9割のひとの代表であるアノーラが1割のひとである大富豪のボンボンと出会ったことから起こった騒動は、象に群がる蠅のように一蹴されて終わったのですが、その置き土産として唯一手元に残った用済みの結婚指輪をめぐって二人は騒動が終わってなおまだ振り回されてしまっていました。
まるで大金持ちが納税したお金からもらう助成金で一喜一憂する一般大衆の鳥獣戯画みたいなもの。
なんて無力感しか残らない話なんだろう。そしてこれがアメリカ。
蠅と象のように広がった格差で必死で働く労働者としての価値さえ無いに等しいと扱われる状況。
どうやって自尊心を保てというのか?どうやって希望を抱けというのか?
さて映画の話に戻れば映画はその最後の展開に至るまではずっとドタバタ劇なのかというとそういうわけでもなく、前半部のシンデレラ・ストーリーの享楽的な展開はハチャメチャで楽しいし、そこからジェット・コースターのように始まる折り返し点となるアクション・シーンも素晴らしい出来だし、映画として楽しめる場所はたくさんあります。
インディ映画だから大きな仕掛けができないからこそ、お金以外で出せる要素は全部出したような作品。
なんでこれがパルムドール獲ったのかわからないけど、ハリウッドらしいギラギラした感情、欲望、生命力に満ちた作品だと感じました。
なんというか、最盛期のVシネマの凄いところを掛け合わせたような見応え。
まあ、ちょっとパルムドールやアカデミー賞獲るには下世話かつ下品すぎかも!?
で、観終わってまたショーン・ベイカーのことがもっと好きになってしまっている。
この人の武器は”ポピュラリティ”という本来は作品が受動的に得るはずのものを、作劇によって能動的に作ってしまえるという神業に近い才能。
凄いニッチな人々を題材にしているのに、しかもそれを手段を選ばない方法であざとく作劇しているのに、作品に普遍性を持たせて愛すべき隣人のように思わせる魔法をかけ、その偏愛がやがて作品まるごとへの愛着に置き換わって心の中に入ってくるんだからずるい!いや、すごい!